「もう一人の天音」
――「それは、私の世界でもある」
その声が響いた瞬間。
直人は振り返った。
そこに立っていたのは――
天音。
しかし。
直人の隣にも、天音がいる。
「……私?」
隣の天音が呟く。
もう一人の天音は、ゆっくり歩いてくる。
顔も。
声も。
姿も。
すべて同じ。
違うのは――
その瞳だけだった。
片方が青。
もう片方が黒。
「……あなたは誰?」
天音が問いかける。
もう一人の天音は答えた。
「私は――」
一瞬、目を伏せる。
「あなたが選ばなかった未来」
直人の胸がざわつく。
「選ばなかった未来?」
「そう」
もう一人の天音は直人を見る。
「あなたたちが第四世界を選んだことで、消えるはずだった未来」
「……未来が、どうしてここに?」
「消えなかったから」
ミオが息を呑む。
「そんな……」
「世界を完全に消すことなんてできない」
もう一人の天音が言う。
「選ばれなかった可能性は、必ずどこかに残る」
少年が黒い月の欠片を握る。
「だから第五世界が生まれた」
「そう」
もう一人の天音が頷く。
「第五世界は、すべての『選ばれなかった未来』が集まる場所」
直人は空を見る。
そこには無数の光が浮かんでいた。
一つ一つが――
誰かの人生。
誰かの選択。
誰かが諦めた未来。
「じゃあ……」
直人が呟く。
「ここには、俺たちが選ばなかった未来が全部ある?」
「ある」
「天音も?」
「いる」
「ミオも?」
「いる」
ミオの顔が強張る。
「……私も?」
「あなたは特に多い」
「どういう意味?」
もう一人の天音は答えなかった。
代わりに。
空から一つの光が降りてくる。
光の中に――
別のミオが現れた。
「……!」
地上のミオが息を呑む。
そのミオは。
今のミオより少し大人だった。
そして。
右目に大きな傷がある。
「私は――」
未来のミオが言う。
「直人を殺した世界のミオ」
直人の表情が変わる。
「……俺を?」
「そう」
未来のミオは悲しそうに笑う。
「世界を守るために」
「どうして俺を殺す必要があった?」
「あなたが、世界を壊そうとしたから」
「俺が?」
「そう」
未来のミオが空を見る。
「この世界では、あなたが第五世界を拒絶した」
「だから世界が崩壊した」
「そして私は――」
直人を見る。
「あなたを止めた」
直人は言葉を失った。
「そんな未来が……」
「まだ存在している」
もう一人の天音が言った。
「第五世界が完成した瞬間」
「すべての可能性が同時に生まれた」
「つまり――」
ミオが呟く。
「未来が、無限に増えた?」
「そう」
もう一人の天音が頷く。
「だから、この世界には――」
彼女の背後に。
無数の人影が現れた。
「無数の『私たち』がいる」
直人は目を見開いた。
自分。
天音。
ミオ。
少年。
無数の可能性。
その中には。
笑っている者もいた。
泣いている者もいた。
戦っている者もいた。
誰かを抱きしめている者もいた。
そして。
誰かを殺している者もいた。
「……こんなの」
天音が震える。
「どうすればいいの?」
もう一人の天音は静かに答えた。
「一つを選ぶしかない」
「どれを?」
「それは――」
彼女が直人を見る。
「あなたが決める」
「……俺が?」
「そう」
「また俺が?」
直人の声が震えた。
「また俺が世界を決めるのか?」
「違う」
もう一人の天音は首を振る。
「今回は、世界を選ぶんじゃない」
「じゃあ何を?」
「自分自身を選ぶの」
直人は黙った。
すると。
赤ん坊が泣き始めた。
「……!」
直人が抱き上げる。
「どうした?」
赤ん坊は空を見ている。
無数の可能性。
無数の自分。
そして。
その中の一つを指差した。
「……あれ」
赤ん坊が初めて。
自分から言葉を発した。
「あれ……」
直人が見る。
そこにいたのは――
一人の少年。
誰にも選ばれなかった少年。
世界の片隅で。
ずっと一人で立っている。
「……あいつは?」
もう一人の天音の顔が変わった。
「……知らない」
「知らない?」
「そんな未来は――」
彼女が後退する。
「存在しないはず」
少年が黒い月の欠片を見つめる。
「……俺も知らない」
ミオが少年を見る。
「でも……」
「何?」
「私、知ってる」
ミオの顔が青ざめる。
「昔……一度だけ見た」
「どこで?」
「世界が生まれる前」
ミオは震える。
「原初世界の外側」
「そこに、あの子がいた」
直人は少年を見る。
「何者なんだ?」
ミオは答えた。
「……世界を作る前の――」
一瞬。
言葉を失う。
「『観測者』」
その瞬間。
空に浮かんでいた無数の可能性が。
一斉に消えた。
ただ一人。
その少年だけが残った。
少年がこちらを見る。
そして。
ゆっくり口を開いた。
「やっと見つけた」
直人が身構える。
「誰を?」
少年は笑った。
「――僕を」
「……何?」
「ずっと探してた」
少年は直人を見る。
「君の中にいる僕を」
直人の身体が凍る。
「……俺の中?」
「そう」
少年が胸を指差す。
「僕は君が世界を作る前に捨てたもの」
「孤独でもない」
「記憶でもない」
「恐怖でもない」
少年の目が黒く光る。
「観測する者」
直人の中で。
何かが目を覚ました。
――世界を見る。
――世界を理解する。
――世界を記録する。
その感覚が。
一気に戻ってくる。
「……俺は」
直人が頭を抱える。
「世界を作ったんじゃない」
少年が頷く。
「そう」
「最初に――」
直人の瞳が光る。
「世界を見ていた?」
「正解」
その瞬間。
空に巨大な文字が浮かんだ。
《第五世界・完全起動》
《創造主――未確定》
《管理者――未確定》
《観測者――覚醒》
最後の一行。
《観測者は、世界の外側に存在する》
直人は空を見上げた。
「……世界の外側」
少年が笑う。
「そう」
「そして――」
少年の背後に。
巨大な扉が現れる。
扉には。
今まで存在しなかった文字が刻まれていた。
――《第六世界》
直人の顔から血の気が引く。
「……また世界が?」
「違う」
少年は首を振る。
「第六世界は――」
扉に手を置く。
「世界じゃない」
扉が開く。
その向こうにあったのは――
無数の世界を外側から見下ろす。
巨大な白い空間。
そして。
その中央に。
一つの椅子があった。
椅子に座っていたのは――
直人だった。
今まで見たどの直人とも違う。
大人。
白い髪。
冷たい目。
そして。
その手には。
一冊の本。
表紙には――
《世界の書き換え方・完全版》
直人が息を呑む。
「……あれは、誰だ?」
少年が答える。
「あなた」
「……俺?」
「すべての世界を見終えた後の――」
少年が笑う。
「最後の直人だよ」
椅子に座った直人が。
ゆっくり顔を上げる。
そして。
こちらを見た。
「――ようやく来たか」
その声を聞いた瞬間。
直人の身体が震えた。
「お前は……」
未来の直人は。
静かに立ち上がった。
「ここから先は――」
本を閉じる。
「私たちの物語ではない」
そして。
世界のすべてを見渡す。
「世界そのものの物語だ。」




