「世界が生まれた日」
――世界が生まれた理由。
その言葉が。
直人の胸の奥に沈んだ。
「……俺は、何を忘れてる?」
扉の向こうにいる少年は答えない。
ただ。
直人を見つめている。
その隣には幼い天音。
そして、幼いミオ。
三人とも。
まだ何も知らない顔をしていた。
「この三人は……」
直人が呟く。
「俺たちが子供だった頃?」
「違う」
少年が首を振る。
「これは、時間が始まる前」
「時間が……始まる前?」
「そう」
少年が手を伸ばす。
すると。
周囲の暗闇に、無数の光が生まれた。
一つ。
また一つ。
やがて。
無数の光が星になった。
「最初は、何もなかった」
少年が言う。
「空も」
「大地も」
「時間も」
「命も」
そして。
「もちろん、世界もなかった」
直人は星を見つめる。
「じゃあ、どうして……」
「寂しかったから」
直人が目を見開く。
「……寂しかった?」
少年は頷いた。
「最初に存在していたのは――」
自分の胸に手を当てる。
「僕だけだった」
直人は息を呑む。
「僕は一人だった」
「永遠に」
「誰も来ない」
「誰も話さない」
「誰にも触れられない」
少年の声が少し震える。
「だから、僕は考えた」
小さな手を開く。
そこに。
一粒の光が生まれた。
「友達が欲しい」
光が大きくなる。
「家族が欲しい」
さらに大きくなる。
「笑ってほしい」
光が世界を包む。
「そして――」
少年が直人を見る。
「ずっと一緒にいたい」
その瞬間。
直人の頭の中で。
何かが弾けた。
「……っ!」
映像が押し寄せる。
幼い自分。
隣にいる幼い天音。
そして。
小さなミオ。
三人で笑っている。
走っている。
泣いている。
喧嘩している。
仲直りしている。
普通の毎日。
それだけだった。
直人の目から涙が落ちる。
「……これが」
天音が隣に立つ。
「私たちの……始まり?」
「うん」
少年が答える。
「でも」
少年の表情が曇る。
「僕は、怖くなった」
「何が?」
「いつか終わることが」
世界が生まれた。
命が生まれた。
だから。
終わりも生まれた。
「死を知った瞬間」
少年は言う。
「僕は、世界を止めようとした」
直人の身体が震える。
「……それが」
「第一世界」
「誰も死なない世界」
「そう」
「そして、それでも失敗した」
「うん」
少年は頷く。
「だから何度も作り直した」
「第二世界」
「第三世界」
「境界世界」
「全部――」
少年は直人を見る。
「同じ願いから生まれた」
直人は拳を握った。
「……天音を失いたくない」
「それだけじゃない」
「え?」
「自分が孤独になるのが怖かった」
直人は黙った。
「君が本当に恐れていたのは、死じゃない」
少年は静かに言う。
「一人になることだよ」
天音が直人の手を握る。
「……直人」
「分かってる」
直人は笑った。
「ずっと、怖かったんだ」
すると。
扉の向こうにいた少年が。
初めて嬉しそうに笑った。
「やっと分かったね」
直人は少年を見る。
「じゃあ……お前は俺なのか?」
「半分だけ」
「半分?」
「僕は、君が最初に捨てた『孤独』」
直人は息を呑む。
「そして君は――」
少年の姿が変わり始める。
幼い少年から。
少しずつ成長していく。
十歳。
二十歳。
三十歳。
そして。
直人と同じ姿になる。
「僕を何度も世界の外へ追い出した」
「……俺が?」
「君は世界を作るたびに、苦しい記憶を切り離した」
「その切り離されたものが――」
「僕」
直人は言葉を失った。
ミオが震える。
「だから……黒い月は」
「そう」
少年が答える。
「あれは僕の住んでいた場所」
「世界から切り離された記憶の墓場」
直人は思い出す。
黒い月。
何度も見た。
何度も戦った。
何度も壊した。
それなのに。
完全には消えなかった。
当然だった。
自分自身を切り離していただけなのだから。
「……じゃあ」
直人は少年を見る。
「俺はずっと、自分自身と戦ってたのか」
「うん」
「馬鹿みたいだな」
少年は笑った。
「でも、必要だった」
「どうして?」
「自分を受け入れない限り――」
少年の姿が光に変わる。
「世界は完成しないから」
直人の前に。
一つの扉が現れる。
今度の扉には。
何も書かれていない。
「これは?」
「最後の扉」
「何がある?」
「何もない」
「……何も?」
「うん」
少年は言う。
「世界を作る前の場所」
「そこへ行けば、君は自由になる」
「すべての記憶を捨てられる」
「すべての世界を終わらせられる」
直人は扉を見る。
「……代わりに?」
「二度と誰にも会えない」
天音が息を呑む。
ミオも黙っている。
少年は続けた。
「完全な自由」
「完全な孤独」
「どちらを選ぶ?」
直人はしばらく扉を見つめていた。
そして。
ゆっくり首を横に振る。
「選ばない」
「……」
「俺は、もう一人にならない」
直人は天音を見る。
「天音がいる」
ミオを見る。
「ミオもいる」
そして。
少年を見る。
「お前もいる」
少年が目を見開く。
「……僕も?」
「ああ」
直人は手を差し出す。
「お前を捨てない」
「……」
「俺の弱さも」
「恐怖も」
「後悔も」
「全部、俺だ」
少年の目から涙が落ちる。
「そんなこと……」
「今までできなかった」
直人は笑う。
「だから、今やる」
少年が手を伸ばす。
二人の手が触れた瞬間。
世界中に光が走った。
黒い月が。
白く変わっていく。
第一世界。
第二世界。
第三世界。
境界世界。
原初世界。
そして第四世界。
すべての記憶が。
一つの光となって直人へ流れ込んでくる。
「――っ!」
苦しい。
悲しい。
楽しい。
嬉しい。
失ったもの。
出会ったもの。
すべて。
何千年にも感じられる記憶が。
直人の中を駆け抜けていく。
そして。
最後に残ったのは――
たった一つ。
幼い天音の笑顔だった。
『直人』
幼い天音が言う。
『ずっと一緒にいようね』
直人は泣きながら笑った。
「……ああ」
そして。
「今度こそ」
天音の手を握る。
「約束する」
世界が静かになった。
第四世界の空に。
巨大な文字が浮かぶ。
《全世界統合――完了》
《創造主――不在》
《管理者――不在》
《世界意思――自立》
そして。
最後の一行。
《生命――自由》
直人は空を見上げる。
「……終わった?」
ミオが笑う。
「うん」
天音も頷く。
「終わったんだよ」
しかし。
その瞬間。
赤ん坊が泣き始めた。
「……?」
全員が振り返る。
赤ん坊は。
直人ではなく。
天音でもなく。
ミオでもなく。
空を指差している。
そこには。
何もない。
ただの青空。
――だった。
次の瞬間。
空に一文字だけ浮かんだ。
《第五世界》
直人の笑顔が消える。
「……嘘だろ」
ミオが震える。
「まだ……続いてる」
天音が空を見上げる。
「誰が作ってるの?」
誰も答えられない。
すると。
赤ん坊が笑った。
そして。
初めて。
直人たち以外の名前を口にした。
「――おとうさん」
直人が凍りつく。
「……誰を呼んだ?」
赤ん坊が空を見る。
その瞳の奥に。
再び――
黒い月が浮かんだ。
そして。
空の向こうから。
一人の男の声が響いた。
「――今度は、私が世界を作る番だ」
直人は息を呑む。
その声は。
聞き覚えがあった。
だが。
それは直人でも、天音の父でもなかった。




