世界が選んだ人間
――佐伯直人。
その名前が、世界中から響いていた。
一つの声ではない。
何億もの人間。
過去に生きた者。
現在を生きる者。
そして――まだ生まれていない者。
すべての記憶が、重なっている。
「……何なんだ、これ」
直人は立ち尽くしていた。
足元から白い光が広がっていく。
その光に触れた瞬間。
知らない誰かの記憶が、頭の中へ流れ込んできた。
笑っている少年。
泣いている母親。
誰かを愛した男。
誰かを失った少女。
無数の人生。
「やめろ……!」
直人は頭を押さえた。
「俺に……こんなものを見せるな!」
「直人!」
天音が駆け寄る。
その瞬間。
流れ込んでいた記憶が止まった。
直人は息を切らしながら、天音を見る。
「……お前が触れると、止まる」
「私が?」
「ああ」
天音は自分の手を見る。
「どうして……?」
答えたのは、もう一人の直人だった。
「天音が、世界の中心だからだ」
「私が?」
「君のお父さんが作った世界は、最初から君を中心に動いていた」
天音の父親が目を閉じる。
「……その通りだ」
「だったら――」
直人が男を見る。
「お前は、最初から天音を世界の中心にしていたのか?」
「そうだ」
「じゃあ、俺は?」
男は直人を見つめる。
「君は、中心を守るための存在だった」
「……道具ってことか」
「最初はな」
直人の拳が震える。
「最初は?」
「だが、君は予定を超えた」
「何を?」
「天音を愛した」
静寂。
直人は何も言えなかった。
「私は天音を救うために世界を作った」
男は続ける。
「だが、君は天音のために世界そのものを敵に回した」
「……」
「それが、私の計算にはなかった」
もう一人の直人が笑う。
「だから僕が生まれた」
「お前は……俺の何なんだ?」
「君の可能性」
「可能性?」
「世界を救うために天音を捨てる未来」
直人の表情が険しくなる。
「……そんな未来は選ばない」
「今はね」
もう一人の直人は静かに答えた。
「でも、これから選択を迫られる」
――ズン。
大地が揺れた。
巨大な黒い影が、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
天音の父親が言った。
「時間がない」
「何をする?」
「世界を止める」
「どうやって?」
「私を殺せ」
直人が目を見開く。
「……何?」
「私が死ねば、この世界の管理権限が消える」
「じゃあ世界は?」
「崩壊する」
「ふざけるな!」
「だが、天音だけは残る」
天音が顔を上げた。
「……私だけ?」
「そうだ」
男は娘を見る。
「君は世界よりも前に存在する」
「どういうこと?」
「君の存在を基準にして世界を作ったからだ」
天音は震えながら首を振る。
「そんなの……嫌」
「なぜ?」
「みんなが消えるから」
男は黙った。
「私一人が生き残っても意味がない」
「天音……」
「私は……みんなと一緒に生きたい」
その言葉を聞いた瞬間。
世界中の光が強くなった。
無数の声が響く。
――一緒に。
――生きたい。
――消えたくない。
――この世界にいたい。
直人は息を呑んだ。
「……世界が」
もう一人の直人が呟く。
「意思を持ち始めてる」
黒い影が、ついに二人の目の前まで迫った。
その姿は巨大だった。
山よりも大きい。
しかし顔はない。
ただ二つの目だけが存在している。
そして。
その目が直人を見る。
『――選べ』
声が響いた。
世界そのものの声。
『天音を残すか』
直人の背後に、天音の姿が映る。
『世界を残すか』
無数の人々が映る。
『どちらか一つだ』
直人は拳を握る。
「……また、それか」
天音が直人を見る。
「直人……」
「何度も聞いた」
直人は静かに言った。
「一人を選べ」
「世界を選べ」
「どちらかを捨てろ」
そして。
直人は顔を上げた。
「でも、もう飽きた」
世界が静まり返る。
「俺は――」
直人は天音の手を握った。
「どっちも選ぶ」
『不可能』
「なら可能にする」
『世界の法則に反する』
「だから書き換える」
白い光が、直人の身体から溢れ出した。
もう一人の直人が叫ぶ。
「やめろ!」
「何?」
「それを使えば、君自身が消える!」
直人は笑った。
「知ってる」
「だったら!」
「でも――」
直人は天音を見る。
「今度は俺一人で消えるんじゃない」
天音が目を見開く。
「みんなで世界を作り直す」
直人の目の前に、最後の権限が現れた。
――《世界書き換え権限》
――残り一回。
直人は手を伸ばす。
しかし。
その手を誰かが掴んだ。
「……私もやる」
天音だった。
「一人で背負わないで」
「天音……」
「私も、この世界の一部なんでしょ?」
直人は笑った。
「ああ」
「なら、私にも書き換える権利がある」
天音の手にも光が宿る。
その瞬間。
システムに、ありえない文字が浮かび上がった。
《エラー》
《権限保持者――二名》
《世界書き換え権限――分割》
《新しい選択肢を生成します》
直人と天音が顔を見合わせる。
「……新しい選択肢?」
画面に文字が浮かぶ。
――《第三の世界を創造する》
直人の目が見開かれた。
しかし、その下にはさらに一行。
――《代償:二人の記憶》
天音が息を呑む。
「……私たちの記憶を全部?」
直人は画面を見つめる。
天音との出会い。
過ごした時間。
交わした言葉。
すべてが消える。
それでも。
直人は天音の手を離さなかった。
「……それでもいい」
「本当に?」
「ああ」
天音も微笑んだ。
「私も」
二人が同時に手を伸ばす。
その瞬間。
世界が白く染まった。
そして――
誰にも知られていなかった「第三の世界」が、産声を上げた。
だが。
その世界の空には。
二人の記憶を食べる、巨大な黒い月が浮かんでいた。




