直人がいない世界 消された記憶
――朝。
窓から柔らかな光が差し込んでいる。
美月は目を覚ました。
「……ん」
いつもと変わらない朝。
学校。
街。
人々。
何も変わっていない。
「……」
美月は時計を見る。
「今日も遅刻しそう……」
ベッドから起き上がる。
しかし。
なぜか胸が苦しい。
「……何だろう」
理由が分からない。
ただ――
誰かを忘れている。
そんな気がした。
⸻
■存在しない少年
教室。
美月は席につく。
隣の席では友人たちが話している。
「昨日のダンジョン配信見た?」
「見た見た」
「すごかったよね」
美月も会話に入る。
しかし。
頭の片隅に、
奇妙な違和感がある。
「……ねえ」
「何?」
「このクラスって」
「うん?」
「あと一人、いなかった?」
友人が首をかしげる。
「誰?」
「……」
美月は答えられない。
名前が出てこない。
顔も思い出せない。
なのに。
確かに――
誰かがいた。
⸻
■恒一
同じ頃。
恒一はダンジョンの入口に立っていた。
剣を握る。
「……」
妙な感覚がある。
何かを忘れている。
誰かと一緒に戦っていた。
何度も。
何度も。
しかし。
「……誰だった?」
記憶を探す。
出てこない。
それでも。
剣を握る手だけが、
なぜか覚えている。
「俺は……」
誰かを守るために、
この剣を持っていた。
その誰かが、
思い出せない。
⸻
■蓮
蓮だけは違った。
彼は一人、
街の屋上に立っていた。
「……」
空を見る。
そして呟く。
「佐伯……」
名前が出た。
「……直人」
蓮は目を閉じる。
「やっぱり」
記憶が消されている。
だが。
自分の中に、
わずかな抵抗が残っていた。
「お前は……」
拳を握る。
「まだいる」
⸻
■天音
そして。
天音は――
一人で歩いていた。
街を。
学校を。
ダンジョンを。
何度も。
何度も。
何かを探していた。
「……」
足が止まる。
目の前には、
誰もいない場所。
なのに。
天音はそこを見る。
「……ここ」
胸が痛い。
「ここで……」
誰かと話した。
誰かと笑った。
誰かと戦った。
誰かに――
守られた。
「誰……?」
涙が落ちる。
「私は……誰を忘れてるの?」
⸻
■残されたもの
天音がポケットに手を入れる。
何かが触れた。
「……?」
取り出す。
小さな金属片。
それは――
直人が以前使っていた、
古いキーホルダーだった。
「……」
天音はそれを握る。
頭の中に、
一瞬だけ映像が走る。
笑っている少年。
「大丈夫です」
声。
「俺がやりますから」
天音の目が見開かれる。
「……直人」
その名前が、
口から出た。
⸻
■世界のエラー
――ピッ。
空に小さな文字が浮かぶ。
【警告】
【記憶復元を確認】
【対象:天音】
【消去処理を再実行】
天音の頭に激痛が走る。
「……っ!」
膝をつく。
「嫌……!」
映像が消えていく。
直人の顔。
声。
笑顔。
すべてが遠ざかる。
「忘れたくない……!」
天音は頭を抱える。
「私は……」
「私は――」
涙を流しながら叫ぶ。
「直人を知ってる!」
⸻
■世界の抵抗
空が暗くなる。
『記憶異常を確認』
『対象:天音』
『修正を開始』
天音の前に、
黒い扉が現れる。
扉には文字。
【佐伯直人を忘れれば、元の世界へ戻れる】
天音は扉を見る。
「……」
その向こうには、
平和な世界がある。
誰も傷つかない。
ダンジョンもない。
戦いもない。
直人だけが存在しない。
天音は首を振る。
「嫌」
『選択してください』
「嫌」
『拒否した場合――』
「知ってる」
天音は涙を拭く。
「それでも嫌」
⸻
■美月の記憶
その頃。
美月は机の中から、
一枚の写真を見つけた。
「……これ」
写真には、
美月。
恒一。
天音。
蓮。
そして――
中央に大きな空白がある。
「……誰?」
美月は写真を見つめる。
しかし。
写真の空白部分に、
指を置いた瞬間。
「……!」
頭の中に声が響く。
『大丈夫です』
美月の目から涙が落ちる。
「……何で」
写真を抱きしめる。
「知らない人なのに……」
涙が止まらない。
「何で……こんなに会いたいの?」
⸻
■恒一の剣
恒一にも異変が起きる。
彼の剣が、
突然震え始めた。
「……何だ?」
剣に文字が浮かぶ。
【記憶残存】
【契約者:佐伯直人】
恒一が目を見開く。
「……佐伯?」
その名前を口にした瞬間。
すべての記憶が、
一瞬だけ戻った。
直人と出会った日。
戦った日。
笑った日。
そして――
世界を殴った瞬間。
「……そうだ」
恒一は笑う。
「俺たちは……」
剣を握る。
「一緒に戦ってたんだ」
⸻
■四人の記憶
蓮。
天音。
美月。
恒一。
それぞれの中で、
少しずつ記憶が戻り始める。
そして。
四人の視界に、
同じ文字が浮かぶ。
【佐伯直人】
【存在:削除済み】
【記憶:削除済み】
【復元可能性:0%】
しかし。
その下に――
【例外】
という文字が表示された。
⸻
■直人
世界の外側。
そこには、
一人の少年が立っていた。
「……」
直人。
しかし。
そこには世界がない。
空も。
大地も。
時間もない。
完全な暗闇。
「……ここ、どこですかね」
返事はない。
直人は歩く。
何もない場所を。
しばらく歩くと、
一つの扉が見えた。
扉には文字。
【存在しない者】
直人は首をかしげる。
「俺のことですか?」
扉が開く。
その先には――
無数の世界があった。
そして。
それぞれの世界に、
“直人”がいる。
「……俺?」
しかし。
どの直人も、
少しずつ違う。
強い直人。
弱い直人。
戦わない直人。
世界を支配する直人。
そして――
何も知らずに普通に生きている直人。
「……」
直人は呟く。
「俺って、こんなにいるんですね」
⸻
■声
背後から声がする。
『違う』
直人が振り返る。
「誰です?」
『お前たちは、すべて同じ存在だ』
「どういう意味です?」
『世界が違うだけだ』
「……」
『そして』
暗闇から、
一人の少女が現れる。
顔は見えない。
ただ。
声だけが――
どこか天音に似ていた。
『お前は、そのすべてを繋ぐ“中心”だ』
直人が目を細める。
「中心?」
『そう』
『だから世界は、お前を消せない』
「でも消されたんじゃ?」
『表側からは』
少女が笑う。
『しかし――』
直人の足元に、
巨大な光が広がる。
『世界の裏側には』
『まだ、お前が存在している』
⸻
■覚醒の兆し
直人の右手に、
小さな光が灯る。
【存在定義:不完全】
【消去:失敗】
【再構築:開始】
直人が拳を見る。
「……」
そして笑った。
「なるほど」
拳を握る。
「まだ殴れるんですね」
少女は答えない。
直人は前を見る。
「じゃあ」
「戻ります」
⸻
■最後の一文
その瞬間。
世界中で、
四人が同時に顔を上げた。
天音が呟く。
「……直人」
美月が涙を流す。
「……帰ってきて」
恒一が剣を握る。
「待ってるぞ」
蓮が笑う。
「遅いぞ、佐伯」
そして――
世界の外側で。
直人の拳が、
ゆっくりと光り始めた。




