第九章 オルタネーション
エルフの森は、夜明け前の静寂に包まれていた。
風が梢を揺らし、葉のざわめきが遠い波のように響く。
その中で、ラクマは高い枝の上から周囲を見渡していた。
森の外縁は、いつもより空気が重い。
胸の奥に、言葉にならない不安が渦巻いていた。
「……気のせいか?」
呟いたその時──
木々の間から、二つの影が現れた。
ラクマは反射的に弓を構える。
だが、先頭の人物を見た瞬間、息を呑んだ。
「……ルナ? 本当に……久しぶりだな」
安堵が胸に広がり、矢を下ろす。
だが、ルナの後ろに立つ影を見た瞬間、
その表情は一変した。
「おい……そいつ……魔族じゃないか……!」
再び弓を構えようとした瞬間、
空気が震えた。
リフレが軽く指を弾く。
見えない衝撃波が、空間を歪ませながらラクマへ向かって走る。
「──っ!」
だが、衝撃波が届く前に、
ルナが手を振った。
重力がねじれたように走り、
ラクマの足元の枝が軋む。
身体が押し潰されるように沈み、
彼は地面へ落ちた。
押しつぶされ痛みに顔がゆがむ。
そして、メキメキと嫌な音とともに、
意識が遠のいていく。
「リフレ……こいつらは、俺に任せるって話だったろ」
ルナの声は冷たく、感情がなかった。
リフレは肩をすくめ、
「はいはい」と言わんばかりに笑う。
周囲のエルフたちは、
突然身体が重くなり、動けなくなっていた。
「まさか……お前……俺たちを……」
ラクマの声は震えていた。
ルナは答えない。
ただ、手を軽く振る。
空気が歪み、
ラクマの意識は闇に沈んだ。
リフレが門の方を指差す。
「トドメは?」
ルナは無表情のまま言った。
「絶望を知ってからの方が……面白いだろ」
リフレは笑い、
「好きにしなさい」と呟いた。
二人が門をくぐると、
エルフの騎士たちが剣を構え、
周囲から矢が向けられた。
「止まりなさい!」
ルナは静かに手をかざす。
次の瞬間、
地面が低く唸り、
重力が一気に増したような圧が走る。
騎士たちはその場に押し潰され、
嫌な音とともに意識を失っていった。
剣も矢も、地面に散らばるだけだった。
その時──
遅れて駆けつけたリーフが、
ルナの姿を見て絶句した。
「……やっぱり……私を……騙してたの……?」
震える声で剣を構える。
ルナは振り返らない。
ただ前へ進む。
「待ちなさい!」
リーフが駆け寄り、剣を振り下ろす。
その瞬間、
リフレが面倒くさそうに指を向け、
光の壁がリーフの前に広がった。
同時に──
ルナの剣が振るわれてリーフの視界は生暖かく赤く染まっていく。
だが、
リーフの身体に痛みは走らなかった。
代わりに、
温かな腕が彼女を抱き寄せた。
「……お母様……?」
里長が、リーフを庇うように立っていた。
その背中には深い傷が刻まれ、
血を流しながらゆっくりと地面へ崩れ落ちる。
リーフは何が起きたのか理解できず、
ただ震える手で里長を抱きしめた。
その時──
世界樹が低く唸り、
葉が茶色に変色し始めた。
幹に走るひび割れが、
森全体に不吉な音を響かせる。
リフレは大笑いした。
「よくやったわ、ルナ。
ここはもう終わりね。行くわよ」
ルナは無言で頷く。
里長は微笑み、
リーフの頬に触れた。
「……あなたは……気にしなくていいのよ……」
「お母様……!
いや……いやぁぁぁ……!」
エルフの里には、
リーフの悲痛な叫びだけが響き渡った。




