第六章 獣人の村2
森の奥へ進むにつれ、木々の密度がゆっくりと薄れていった。
やがて視界が開け、獣人の村を囲む巨大な木製の門が姿を現す。
ルナは迷いのない足取りで門へ向かい、門番に片手を挙げた。
「よぉ、久しぶり」
「おう、生きてたかルナ!」
軽口を交わしながら門をくぐった、その瞬間だった。
──影が落ちてきた。
「ルナ、危ない!」
ルミナの叫びより早く、ルナは反射的に剣を抜き、
落ちてきた影を横へ弾き飛ばした。
「イタタタ……もうちょいだったのに!」
地面に転がったのは、虎の獣人の少女──シロだった。
尻尾をばたつかせながら、悔しそうに立ち上がる。
「バーカ。ワンパターンなんだよ」
ルナが呆れたように言うと、シロはむっとして睨み返す。
だがすぐにルミナの存在に気づき、目を丸くした。
「な、なんなんだこいつは!」
「仲間なんだ」
ルナがそう言った瞬間、シロの表情が一気に険しくなる。
「なんで俺はダメで、こいつはいいんだよ!」
怒りに任せて爪をむき出しにし、
ルミナへ飛びかかろうとする。
「ちょ、ちょっと待っ──」
戸惑うルミナに向かって一直線。
だが、シロの体は途中でぴたりと止まった。
ルナが尻尾を掴んでいた。
「はなせ! はなせってば!」
暴れるシロに、ルナは低い声で問う。
「……シンハは?」
その一言で、シロの動きが止まる。
尻尾も、爪も、表情も、すべてが固まった。
短い沈黙のあと、
シロは唇を噛みしめ、絞り出すように言った。
「……死んだ」
「まさか。あいつが死ぬわけ──」
「うるせぇ!! 死んだって言ったら死んだんだよ!!」
叫び声を残し、シロは走り去った。
シロが走り去ったあと、
村の空気が、ゆっくりと、しかし確実に変わっていった。
さっきまで穏やかだったざわめきが、
どこか刺々しく、湿った重さを帯び始める。
──ルナが「シンハ」の名を口にした瞬間からだ。
村人たちの視線が、ちらちらとこちらへ向けられる。
目が合うと、すぐに逸らされる。
ひそひそ声が、風に混じって耳に刺さった。
ルナは眉をひそめ、近くの男に声をかけた。
「……なんだよ、さっきから」
男は一瞬たじろぎ、しかし吐き捨てるように言った。
「あいつは……俺たちを捨てたんだ。裏切ったんだよ」
「裏切った? シンハが? 死んだんじゃねぇのか」
ルナの声が低く沈む。
男は首を振り、苦々しい表情で続けた。
「違う。あいつは……魔族の仲間になったんだ」
「……は?」
ルナの表情が凍りつく。
男は続ける。
その声は怒りよりも、恐怖と失望が混じっていた。
「金に目がくらんだんだよ。魔族に取り入って、好き勝手やって……俺たちを見捨てたんだ」
「嘘つけよ」
気づけば、ルナは男の胸ぐらを掴んでいた。
手が震えている。
怒りか、動揺か、自分でも分からない。
「シンハがそんな奴なわけねぇだろ!」
男は怯えたように目をそらし、
それでも言葉を吐き捨てる。
「本当だ……! みんな見たんだよ……! 離せ!」
ルナの手を振り払い、男は逃げるように去っていった。
残されたルナは、しばらくその場に立ち尽くした。
風が吹き抜ける。
村人たちの視線が刺さる。
胸の奥が、じわりと痛んだ。
「……嘘だろ」
ぽつりと漏れた声は、
信じたいものと信じたくないものの狭間で揺れていた。
ルミナがそっと近づく。
「ルナ……大丈夫?」
その声に、ルナははっと顔を上げた。
目の奥に、焦りと苛立ちと、言葉にできない不安が渦巻いている。
「……村長のところに行く」
短くそう言うと、早足で歩き出した。
「ま、待ってよ!」
ルミナは慌ててその背中を追いかける。
ルナの歩幅はいつもより大きく、
その肩は、どこか震えているように見えた。
ルナは村長の家へ向かって早足で歩いた。
その背中は、怒りとも不安ともつかない震えを帯びている。
ルミナは必死に追いかけながら、
村の空気がどんどん重く沈んでいくのを感じていた。
やがて、村の中心にある大きな家の前にたどり着く。
ルナはためらいもなく拳を握りしめ──
ドンッ!
乱暴なほど強く扉を叩いた。
しばらくして、軋む音とともに扉が開く。
現れたのは、虎の獣人──村長だった。
年齢を重ねた体つきだが、眼光は鋭い。
「……ルナか。久しいな」
その声を聞くなり、ルナは一歩踏み込んだ。
「シンハはどこだ!」
村長の表情が、わずかに揺れた。
悔しさと、言葉にできない痛みが滲む。
「……あのバカ息子は……」
そう呟くと、村長はルナから目を逸らした。
その視線が、ふとルナの後ろへ向く。
ルミナを見た瞬間──
村長の目が大きく見開かれた。
「……まさか……まさか……あなたは……」
声が震えている。
「いや……あなた様は……伝承の……」
言葉の続きを飲み込み、
村長はすぐに我に返った。
「……こちらへ。中で話そう」
そう言い残し、奥へと消えていく。
家の中へ招かれた二人は、思わず顔を見合わせた。
「なんだ……?」
「なに……?」
まったく同じタイミングで呟き、
互いにさらに困惑する。
村の空気は重く、
村長の反応は異様で、
シンハの真相は闇の中。
二人は無言のまま、村長の後を追った。




