第五章 辺境の村4
幹部は退屈そうに肩をすくめた。
「......そろそろ飽きましたねえ」
その手が、ゆっくりとサンへ向けられる。
次の瞬間──
村を取り囲んでいた靄の魔族たちが、一斉に破裂した。
黒い靄が爆ぜ、濁流のように広がり、
地を這うようにして村全体を覆い尽くしていく。
幹部はその光景を眺めながら、ふと思い出したように言った。
「そういえば、自己紹介がまだでしたね」
黒い靄の中で、彼の輪郭だけが不気味に揺らめく。
「私の名は──不死のヘイズと申します」
軽くお辞儀をし、口元だけで笑う。
「......ですが、もう会うことはないでしょう。勇者様」
その言葉を最後に、ヘイズの身体は煙のようにほどけ、
靄へ溶けるようにして消えた。
「......っ!」
ルビーは咄嗟に振り返り、サンとアリスを見た。
そして、かすかに笑って言った。
「......ごめん」
両手を地面につけ、魔力を叩き込む。
大地がうねり、巨大な“土の腕”が生まれた。
その腕はサンとアリスを掴み──
村の外へ、力任せに投げ飛ばした。
「ルビーッ!!」
地面を転がりながらサンが振り返ると、
村はすでに薄い靄に包まれ始めていた。
サンとアリスは立ち上がり、靄へ駆け寄る。
「待ってろ...今助ける......!」
サンは聖剣に光を込め、靄へ叩きつけた。
だが、光は弾かれ、剣が跳ね返る。
「くそっ......!」
サンは剣を投げ捨て、拳で靄を殴り始めた。
何度も、何度も、何度も。
拳が裂け、血が飛び散る。
「開けよッ!! ルビーを返せッ!!」
アリスも泣きながら両手で叩く。
「ダメだよ...行かないで......ルビー......お願い......!」
靄は徐々に黒く染まり、濃度を増していく。
その向こう側──
ルビーがゆっくりと歩み寄ってきた。
靄越しにアリスの手に自分の手を重ね、
優しく微笑む。
「ねえ......アリス。
あなたはもっと大人になりなさい......」
声は震えていたが、温かかった。
「もう私は......あなたの面倒を見れないんだから......」
アリスは涙をこらえ、唇を噛みしめ、
何度も何度も頷いた。
ルビーはサンの方へ向き直る。
サンは血まみれの拳で靄を叩き続けていた。
「心配しないで......あなたは強いわ」
ルビーは小さく笑った。
そしてルビーは、ふっと少し寂しい表情をして──
その瞳に、言葉にできない想いを宿した。
「これからきっと......たくさんの人を救う。
仲間の私が言うんだから......間違いないわ」
そして、ふと何かを思い出したように目を丸くした。
「あ......そうだ。
ルミナのこと、お願いね」
サンとアリスが息を呑む。
ルビーはイタズラっぽく笑った。
「あの子、きっと困って泣いてるわ。
泣き虫だもの」
そして──
寂しそうに空を見上げた。
「......楽しかったなぁ」
ぽつりと零れる。
「いっぱい......いっぱい色んなものを見て……食べて……」
ルビーは小さく笑った。
そして、ふっと少し寂しそうに目を伏せた。
「もっと......もっと.......もっとたくさん......
あなた達と冒険したかった......」
その目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
靄はさらに濃くなり、
ルビーの姿はほとんど見えなくなる。
「待てよ......待てよ......!
今助けるから......待てって言ってるだろ......!」
サンは叫び、血まみれの拳を叩きつける。
アリスも泣き叫ぶ。
「行かないでよ.......ルビー......!
お願いだから......わがままも、もう言わないから......!」
靄の向こうで、ルビーは微笑んだ。
「......ありがとう......」
その言葉を最後に──
靄は真っ黒に染まり、
ゆっくりと縮んでいき.......
完全に消えた。
そこには、何も残っていなかった。
しばらくして。
アリスが、ふらふらと歩き出した。
「......ルビー......?」
小さな声で、名を呼ぶ。
「ルビー......いるんでしょ......?」
返事はない。
それでも、あたりを彷徨いながら、
必死に視線を巡らせる。
「お願いだから......出てきてよ......」
声が、震える。
「......お願い......」
次の言葉が、うまく続かなかった。
やがて、
力が抜けたように膝から崩れる。
「......おねがいだよぉ......」
弱々しい声だけが残って、
アリスはその場にうずくまった。
サンは地面を殴りつけた。
「なんでだよ......なんで......!
なんで俺は......こんなに弱いんだ......!」
拳から血が滴り落ちる。
「仲間一人......守れないなんて......!」
二人は泣き続けた。
やがて──
静寂だけが残った。
そして。
サンはゆっくりと立ち上がった。
涙の跡も、血の滲む拳もそのままに。
目の焦点は合っておらず、魂の抜けたような表情で。
まるで屍のように。
サンは目的もなく、ふらりと歩き出した。




