三
その瞳は半眼で、凍えた眼差しは忌むべきものを見つけたかのよう。一瞬、居待の背後に黒い炎が揺れたかのように見えた。
やばい。何が問題かは分からないけど、これは絶対由々しき事態。
一番見られてはいけない人に見られてしまった。わたしが気まずく思う事はあっても、居待がわたしの行動に興味を持つはずがないのに、そう思ってしまう。
わたし個人の理由がなくても、分かりやすく不機嫌全開のオーラをまとう人間には、たじろいでしまう。
気がつくと居待はわたしと村雲くんの間に立っていて、わたしは村雲くんの手を放されていた。
「お前……何なんだ?」
ずん、と空気が重くなった気がする。
「何って……」
村雲くんは事態についていけていないような、不思議そうな声をしていた。
「優月ちゃんの友達、だよ。それとも、優月ちゃんとお近づきになりたがってる恋人候補、って言った方が早い、かな?」
村雲くんが言うと、空気がピリッとした。
居待の背後でわたしは二人の様子を伺っていた。顔を伸ばそうとした途端に居待に腕を掴まれる。
「行くぞ」
居待はわたしの手を引っぱりながら歩き出す。
「ちょっと待ちなよ。優月ちゃんとオレは昨日から出かける約束してたんだ。急に解散させるなんて、キミは何のつもりだ?」
呼び止める声に、居待は立ち止まる。
昨日から約束なんて、していない。それにわたしはもう村雲くんとは別れて帰るつもりだった。昨日、村雲くんに江戸を案内してと言われたのは確かだけど、ちょっと違う。
わたしは何か言おうとしたが、居待は村雲くんを向いていた。
「……それなら、こっちには何年も前からの“約束”がある」
わたしは目を見張った。
自分でも先伸ばしにしていた“聞いてほしい話”を、居待が覚えていたなんて。覚えていないだろうと、思っていたのに。
もしかして居待も――会わない間に、少しはわたしの事を考えてくれていたって事? だから忘れなかった?
そう思えば、胸の奥がぎゅうと窮屈になる。落ち着かない気分だ。
「そこまで言うなら、優月ちゃんを賭けてオレと勝負しないか? 勝った方が、このあと優月ちゃんと出かける」
村雲くんの突然の言葉に、わたしはぽかんとした。
爽優月を賭けて勝負? 意味が分からない。わたしはそんな提案をされるほど、居待に興味を持たれていない。村雲くんは見当違いな事を言っている。
「下らねえ」
言い捨てた居待に、村雲くんは皮肉った表情を作る。
「……負けるのが怖いのかな?」
村雲くんの声音は、どこか人を見下していた。
またもや、ピリリと辛い空気になる。
しばしの沈黙ののち、据わった目のままの居待が口を開く。
「演目はなんだ」
挑発にのった居待に満足したのか、村雲くんは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
俵屋天神には屋台がいくつか出ていて、そのうちのひとつに射的屋があった。居待と村雲くんの二人は、その射的で勝負をする事になった――。
今となっても、わたしにはどうしてこうなったのか、よく分からない。たぶん、居待は単に誰かに見下されたままじゃ気が済まないんだろう。どこまで本気か知らないが、村雲くんはわたしの恋人になりたがってるらしい。それもよく分からないんだけど。
堅い顔をした居待と余裕のある村雲くんに何かを察したのか、射的屋の店主は実に楽しげに玩具の長い銃を手渡した。
的は景品の入った木箱だ。的への距離はそこまで遠くはない。わたしでも何発か命中させられそうな気がした。
「で、どっちのあんちゃんが先にやるって?」
店主はにやにやして言う。村雲くんは話し合おうとしてか居待を横目で見るが、居待は正面にある的を向いたままだった。
「順番ぐらいは譲ってやるよ」
対戦相手を見もしないで、居待は一歩下がった。村雲くんはひきつった顔になる。
「じゃあこっちのあんちゃんからだな。弾はオモチャだが六発入ってる。当然、多く当てた方が勝ちだ」
長い銃を、検分するみたいに面白がっていた村雲くんが、的を見据えると口角を上げた。
「それじゃあ、お先に」
後攻の居待を一瞥すると、村雲くんは銃を両手で構えた。銃を扱った事があるのか、その姿はなかなか様になっている。
的に体を向けたはずの村雲くんが、ふと顔を上げた。
「優月ちゃん、見てて。キミのために全弾当てるよ」
そして流し目で微笑まれた。
えーと……、恥ずかしい台詞をさらっと吐ける人って、いるよね。
てゆうか今となりで舌打ち聞こえなかった?
笑みを霧散させた村雲くんの瞳は、とても真剣に的を見つめていた。気さくな表情の多い彼が真面目な顔になると、なんだかすごく大人びて見える。普段見せない顔をされると、何かが起こってしまうと予感させられてしまうのは、何故だろうか。わたしは、村雲くんが動くのをじっと見守っていた。
玩具の弾が、銃口から飛び出す。
軽快な音を立てて木箱が倒れる。銃弾が次々と放たれ、木箱はぽんぽんと地面に落下した。
「おお~~ッ、やるじゃねぇか」
ぱらぱらと拍手が、そして歓声がわいて、わたしはやっと野次馬が集まっているのを知った。大勢というほどじゃないけど、明らかに娯楽を見つけた顔の者が何人もいる。
「でも残念、こっちのあんちゃんは一発は外れだ」
言いながら射的屋の店主が転がった木箱を取り上げる。成績発表された村雲くんは、ちょっと苦笑いしてるけど、結果に満足している様子。
「てぇ事で、そっちのあんちゃんがもし――」
店主がすべて言い終わらないうちに、居待は銃を構えていた。そして予告もなく発砲する。
気のせいかさっきよりやや重い音が空に響き渡る。しかもものすごい速さで。
居待の持つ銃の銃口から煙が出ている。煙が目にしみた訳じゃないけど、わたしはまばたきを繰り返した。
我に返った観衆が、居待の早撃ちにわっと喝采を上げる。わたしは的を見て、木箱がいくつなくなったか脳内で数えてみた。
「全弾命中だ!」
店主が観客に、喜びを分かち合おうとするかのような目を向ける。その頃にはもう居待は玩具の銃を置き、わたしの手首を掴んでいた。
観客に囲まれる前にこの場を去ろうというのか、居待はわたしを引っ張って歩き出す。
「あ、ちょっと」
いち早くわたしたちが抜け出したのに気づいた村雲くんが、咄嗟に、といった様子で手を伸ばす。
肩越しに振り返った居待は、口だけで笑みの形を作った。それだけで空気も冷え込む。
「往生際が悪いな。負けを認めるのが怖いのか?」
村雲くんにされた挑発をそのまま返すような台詞。もしかして根に持ってた……?
「それから」
区切ると、居待は急にわたしの肩を自分に引き寄せた。
「こいつで遊んでいいのは、俺だけだ」
どういうこと?
彼の肩がわたしの背中にあたってて考えるどころじゃないんだけどどういうこと??
そして何よりこの距離感はどういうこと――?!
村雲くんの形容しがたい顔が遠ざかる。頭の中がぐるぐるのわたしをずるずる引きずって、居待は歩き続けた。
密着状態じゃなくなったけど、わたしの頭は混乱したままだ。
さっきのは、さっきのはどういう意味なんだろう。いや、言葉を考えれば居待の言った事に深い意味はない。時々居待はわたしをからかってくる事があるし、つまりはそういう事だろう。
というか、いくらがんばっても、居待がわたしをからかい対象として見ている事にしかならない。
今更、居待が本当のところでわたしをどう思っているのか、分からなくなった。
ただの友達なのは分かってる。それは分かってるんだけど……!
俵屋天神が見えなくなった頃、居待がわたしから手を放した。
わたし一人で、まだ気まずく思いながらもちらりと居待の様子を伺うと、彼は据わった目つきでわたしを睨んでくる。たじろぐわたしは視線から避けるように足を動かすが、背後は壁だった。逃げ場はない。
「お前は馬鹿か」
どすの利いた低い声。苛立ったように居待がわたしの顔の横に手をついた。
鶯色の瞳が、残酷そうに閃く。
「いやお前が馬鹿なのは分かってるしどうしようもなく阿呆だ、馬鹿で阿呆だ。あんな見るからに不審なやつにホイホイとついてく馬鹿があるかこの馬鹿。あいつが善良な一般市民じゃなかったらどうする、詐欺師か何かだったら壺買わされて次のカモ見つけてこいって言われて借金まみれになってるところだしむしろ殺人鬼とか強姦魔とか強盗犯か何かだったらお前明日その辺でのたれ死んでるぞこのど阿呆が。だいたいお前は他人を簡単に信用しすぎだしお人好しにもほどがあるんだよ少しは危機管理能力を持て危機感を抱けどんくさい間抜けが」
息継ぎなしの罵倒。相手の表情はとても友好的とはいえない。
でも。
この、相手の息にさえ触れそうな距離に気づいてしまってからは、違う意味で居待の顔を見れなくなった。こんなに近くちゃ、顔が赤いのがばれてしまう。
「し……」
それに、言葉と態度こそきついものの、居待の言っている事はいつか朝陽が口にした事と一緒――。
「心配してくれてた、の……?」
自分で言って、より一層いたたまれなくなってわたしはもっと俯いた。
一瞬、居待が怯んだように息をのんだ気配がした。
小さな小さなうなり声を口の中で言わせて、居待は手をゆっくり壁からはなした。
「……お前みたいなどんくさいやつ相手なら、誰だってこうなる」
こわごわと、わたしが居待を見上げると、彼は一歩下がった場所でこちらに背を向けていた。
否定はしなかった。それならきっと、居待はわたしを少しは心配してくれたんだろう。
なんかもう、いっぱい思うところもあるしぐるぐるしたけど、それだけでもう何でもよくなっちゃった。
その度合いとか、気持ちの方向性とか、もういいや。心配してくれるくらい、わたしの事を認めてくれているんなら、それでいい。
だって、どうでもいい人の動向なんて、心配したりしないから。
「何笑ってんだよ」
横顔だけでこっちを見た居待はまだちょっと不満げな目だ。というかたぶんわたしが事態を重く受け止めてないのが不満なのだろう。
「ありがと、心配してくれて」
わたしは壁から背をはなして足を踏み出す。横目でわたしを一瞥した居待は、すぐに顔を背けた。
「いいから反省を次に生かせ」
やっぱり、わたしがうれしそうに笑ってるのが気に入らないんだろうか。そう思ったけど――。
「そろそろ行くぞ」
首を伸ばして見た時の居待の横顔が、ちょっと照れたような表情をしていたのは、わたしの気のせいだろうか。
なんだかよく分からないけど、さっき以上に大きな笑みがこぼれてきて、わたしは口元を手でおさえた。




