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優しい月と、江戸のまち  作者: 伊那
番外.花に風
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46/52

 前日の夜の雲が晴れず、わたしの休日はどんよりとしたまま始まった。

 昨日計画していた、休みの日を利用して居待に会いにいく、という予定は本人の到来によりあっさり必要なくなった。一応、居待の安否確認がしたかったのでそれは達成された。

 朝の遅い時間になっても家に居るわたしに父が買い物を頼んできたので、わたしは出かける事にした。

 季節は春でも、この日は曇っていたため少し肌寒かった。わたしは肩掛け(ショール)をまとって店を出る。

「おお、看板息子。呉剛(ごこう)のやつはいるか?」

 店を出て間もない頃、爽亭の常連客でありわたしの父の友人でもある、(ちょう)さんと出会った。彼はわたしが男っぽい格好をしていた時のあだ名を今でも使っている。

「うちにいますよ。店は休みですけど」

 長さんは相変わらず朗らかだ。店の常連客はみんな、いろいろな事があった後でも爽亭に顔を出してくれている。

「あいつに話があっただけだから、休業日でも構わねえんだ」

 長さんは、じゃあなと短く言うと爽亭に入っていった。

 近年の江戸では本当にたくさんの事があったけど、爽亭の常連さん――四郎さんや翔くん、景次さんや政さん、それに胡桃ちゃん、あんずちゃん、ももちゃん――はみんな、元気な顔を見せてくれる。

 変わらない日常が嬉しくて、わたしは思わず微笑んでいた。


 街道沿いの繁華街に向かっている途中、わたしはよく見知った相手に出会った。尻尾のように長い黒髪を揺らし、小走りで道をゆく少女だ。

朝陽(あさひ)

 声をかけると、わたしとすれ違う手前で朝陽は速度をゆるめた。

「おはよっ、優月。今急いでるから、またね!」

 一息で言うと、朝陽はすぐに早足を再開させて通り過ぎて行った。

 相変わらずの、お元気少女だ。近年では朝陽もなかなか落ち着きが出てきたと思ったら、また街を駆けている。でも朝陽は、ああして飛び跳ねている姿が一番似合う。その人がその人らしい姿をしているのを見ると、なんだか安心してしまう。

 朝陽の背中が見えなくなるまで見守っていると、肩を叩かれた。わたしは、長い髪と韓紅のリボンを翻し、後ろを向く。

「優月さん」

 振り返った先には、いろとりどりの花が咲く赤と薄紅の振り袖を着た、愛らしくも大人びた眼差しの娘がいた。

「立待」

 以前はわたしと同じく男物の着物を着て、まだ幼さの抜けない少年のような顔立ちをした女の子だった立待(たちまち)。彼女が随分と娘らしくなった事に、今でも時々驚きそうになる。それでも、立待が女の子らしく過ごせるようになったのはよろこばしい事。

「今日も素敵な着物だね。髪飾りもきれい。立待によく似合ってるよ」

 昔は髪を三つ編みにして背中に流していた立待は、今では髪飾りをつけたり女の子らしい凝った髪型にしている。今日はハイカラな編み込みで後頭部に髪をまとめている。

「……優月さん、相変わらずですね」

 ふふ、と笑う立待にわたしはまた“イケメンスマイル”をしてしまったかと口元に手をあてる。

 そういう立待は、以前よりずっとやわらかく微笑むようになった。昔の、気負うあまりに生真面目な表情ばかりだった頃と比べれば、余裕が見える。これもきっと、よろこばしい事。

「今日はどこかにお出かけですか?」

「そう。買い物で……立待は? 誰かと一緒じゃないの?」

 女の格好をするようになってから、立待は本当にきれいになった。一人で歩いていては変な男に目をつけられそうでちょっと心配だ。

「一人なのですけど……これから、」

「優月ちゃん! よかった、助かった。ちょっと困ってたんだ」

 立待が何かを言いかけた声を遮る者がいた。昨日爽亭に来てくれたばかりのお客さんだ。村雲くんという名前で江戸に来たばかり。

 村雲くんが困ったような表情でやってきたので、立待は目をぱちぱちさせた。

「道が分かんなくなっちゃってさ。江戸には知り合いもいないし、街の人は慣れてるからあっちとか言うだけだし~。そんなところに救世主優月ちゃんが現れたってワケ」

「ああ……えっと、どちらに行こうとしていたんですか?」

 とりあえず村雲くんに聞いてみると、話が長くなりそうと察したのか立待が「では、自分はこれで……」と会釈して踵を返した。

「あ、立待……」

 別れの挨拶もまともに出来ないうちに立待は去ってしまった。

 そして村雲くんはやっとわたしの同行者に気づいたみたいに顔を立待の背に向ける。

「今の、かわいいコだったね。やっぱり美人は美人を呼ぶのかな」

 村雲くんが何を言いたいのかはよく分からなかったけど、わたしはとにかく話を戻す事にした。

「それで、目的地はどちらで?」

「あっ、一緒に来て案内してくれる? よかった~~」

 にっこり笑った村雲くんは、ちょっと有無を言わせぬ口調だった。よっぽど一人で目的地にたどり着く自信がないみたいだった。


 村雲くんの行こうとしていた場所は、俵屋天神(たわらやてんじん)。父に頼まれた買い物は通り道の店で買えるので、村雲くんに訊ねてから一度お店に寄った。

 ちょっと荷物が出来たけど重くはなかったのに、村雲くんは買った物を持つと言ってくれた。最初は遠慮したが村雲くんに道案内のお礼代わりに、と言われてついお願いしてしまった。

 それから、繁華街に建ち並ぶお店を冷やかしたり江戸の街について話したりしながら歩いた。

「へえー、その店の料理食べてみたい。今度一緒に行かない?」

「えっと、しばらくは予定がたくさんで」

 今日は休みだけど、爽亭はそろそろお花見期間(シーズン)に入り忙しくなる予定だ。当分休みはない。

「うーん、残念。でもホント、地元の人に話を聞けてうれしいなー。オレ江戸の事はち~っとも分からないからさ」

 村雲くんはよくよく、おしゃべり好きで人当たりの良い朗らかな性格らしい。わたしは持ちネタが少ないと会話が途切れてしまうタイプだが、村雲くんとはぽんぽん会話が進んだ。自分が時々鈍いと言われたり、説明下手と思っているので、おしゃべり上手な人には憧れる。村雲くんはわたしよりはるかに語りが上手い。

「わたしも知り尽くしているほどじゃないですけど」

「てゆうか優月ちゃんまた敬語ー。気さくに話してくれていいのに~」

 年が近いのもあって村雲くんは敬語を使わなくていいと言ってくれたが、わたしはまだなんとなく敬語が抜けない。彼と会ったのはお客さんとしてなので、お客さん相手に粗相があってはいけないと思えているからだ。

 わたしが笑ってごまかしているうちに、村雲くんの目当ての俵屋天神に着いていた。

「あ、ほら、俵屋天神」

 話をそらされたと気づいたのか、村雲くんは横目でわたしを見てきたけど、すぐに俵屋天神に視線を移した。

「お、屋台も出てるじゃん」

 こういうところには、時々屋台が組み立てられる。十軒もないだろうが、ちょっとしたお祭り気分になれるような出店がある。軽食や、射的などの店があった。

「せっかくだから優月ちゃん、遊んでいかない?」

 村雲くんはいたずらっ子みたいに笑った。


 屋台の間をぶらぶら歩きながら、ふいに村雲くんがお店の商品ではなくわたしの顔を向いた。

 なんだろうと思いながら、彼が言い出すのを待っていると、村雲くんはしばしの後に視線を逸らした。

「優月ちゃんてさあ、カレシいるの?」

 それは、さりげなく切り出したにしては間をあけすぎた。

「えっ」

 朝陽(しんゆう)に度々鈍いと言われるわたしでも、村雲くんの一息置いたあとの問いかけには、意味深長さがたっぷりと含まれていると分かった。この問いかけは、ただの好奇心からくるものではないらしい。

 残念な事に、彼の質問にはいいえと答えざるをえない。男の子と思われてモテた事はあっても、女の子として誰かとお付き合いをした事はこれまで一度もない。そうなりたいと願う相手はいるものの――何年も前からまるで前進していない。

「いない……けど……」

 好きだと、伝えたい相手がいる。

「あ。もしかして、好きな人いる?」

 わたしの微妙な語尾のしぼみ具合を、村雲くんはすぐに読んでみせた。わたしはすぐに「そんなんじゃない」と主張したが、動揺のあまりどもってしまった上に、彼はあまり聞いてなかった。

 村雲くんは、他所を向いてつまらなそうな顔をしている。

「ふうーーん。でもそっか、恋人はいないのかあ」

 村雲くんは、自分の顎を人指し指でとんとつついた。

「じゃあオレにもまだ望みはあるかな」

 思わずこぼした、といったやや小さな声だった。

 その言葉の意図をすぐには理解出来なくて、わたしは少し眉を寄せた。

「え? 今なんて」

「好きな人ってもしかしてさ、この間の黒髪の男? オレのあとに爽亭に来た客」

 わたしの歩みが止まり、村雲くんもそれに倣った。

 彼は紛れもなく浅葱居待の事を指していた。

「え。ち、ちが……っ」

 村雲くんは鋭すぎる。わたしの顔は一気に熱を持つ。

「へーーえ。そっか。アイツかあ」

 自分の推理が当たった事がうれしいのか、こちらを向いた村雲くんは口角を上げる。ちょっと皮肉った笑みだった。まるで、笑いたくもないのに笑うしかないみたいな表情。

「優月ちゃんの好きなヤツって、どんな感じ? 昨日なんか、怒ってたみたいだよね。怒りっぽいヤツなの? ちょっと感じ悪くない?」

 これまでの事を整理すると――村雲くんは、わたしに女の子としての魅力を感じているらしい(自分で言うのは恥ずかしいが、別の言葉は使いにくい)。だから、わたしの好きな人――つまり村雲くんにとっての好敵手(ライバル)――の探りを入れてくる、という訳だ。

 それにしたって、居待を少し偏見の目で見すぎている。わたしはちょっとだけむっとしながら口を開いた。

「別に、いつも怒ってるわけじゃないし……優しいんだよ」

 わたしのささやかな怒気に驚いたのか、村雲くんは目を少し見開いた。それから取り繕うように笑いかけてくる。

「でもオレだって優しいよ! あいつって、普段何やってるの? 身分や頭脳が抜群にいいワケ? それとも運動デキる男、ってやつ?」

 好敵手(ライバル)の情報を集めようとする村雲くんの勢いに、わたしはちょっと身を引いた。

 “彼”のどこに惹かれたかって?

 そんなの、分からない。理由はいっぱいあっても、きっと、理屈じゃない。

「そういうことで、惹かれたんじゃ……」

 思わず言ってしまって、わたしはまた顔が熱くなるのを自覚した。

 村雲くんは、天をあおぎ片手で顔を覆った。

「あーー、あてられる、ってこれかあ。なんか聞いてて妬けるわ。この話もうやめよう」

 村雲くんは降参のしるしのつもりか、こちらに向き直って手を振った。

 そう言われたところで、わたしの顔の熱はすぐには引かない。わたしは俯いて少しでも頬の赤みを隠そうとした。

「とりあえず、何か屋台のものでも食べない?」

 仕切り直しするつもりか、村雲くんは提案した。

 わたしはさっきまでのように村雲くんとおしゃべりをする気分にはなれなかった。思えば、彼とは出会ったばかりなのにちょっと込み入った話をしすぎてしまった。一度自分を落ち着けた方がよさそうだ。

「……わたし、そろそろ戻らないと」

「えーっ、でもホラ、空も晴れてきたし。家の中に戻るなんてもったいなくない?」

 わたしが切り出すと、村雲くんは当然のように反対した。確かに空の雲は少しずつ減っていて、日が差していた。でももう、この場から退散しなくてはならない気がしていた。

「買ったもの、家に持っていかないといけないし」

 わたしは村雲くんの手にある荷物を自分のものだと思い出して、それを口実にした。実際、すぐに店に戻るつもりだったからあんまり帰りが遅いと父は心配するだろう。

「……うーん、分かった。次はもっとたくさん付き合ってよね~」

 渋々ながら、といった様子で村雲くんはわたしの荷物を返してくれた。

「都合がつけば」

 さりげなく次の約束も取りつけようとするところが、手慣れている。わたしは苦笑を浮かべるしかない。

 村雲くんはまだ俵屋天神に残るようだ。わたしは手短に挨拶を述べると、回れ右をした。

「じゃあ優月ちゃん、また……」

 前に一歩踏み出した瞬間、石畳の上にあった濡れた紙片がわたしの足を滑らせた。

 背後に倒れる、と思ったのに、いつまでたっても背中に石畳の硬い感覚は訪れない。

「……あ」

 背中から、わたしを抱きとめるひとがいる。相手が会ったばかりの青年だと知り、恥ずかしくなり顔がまた赤くなった。

「大丈夫?」

 村雲くんは、とっさにわたしの体を支えてくれたのだ。

 ゆっくりとわたしの体を起こさせ、わたしが二本の足で地面に立つまで、村雲くんは両手を放さなかった。

 まるで、抱擁をしあう寸前のような距離。気がついて、すぐに離れようとしたのに見上げた村雲くんの顔がやけに真剣なので、身動きがとれなくなった。

 わたしは意味もなく固まっているし、村雲くんは口を開いたのに何も言おうとはしない。膠着状態のようなものだった。

 じゃりっという音がして、わたしはゆるゆると音の出どころを振り向いた。

「…………い、まち」

 これまでに見た事がないくらいの凍てつく目をした居待が、そこにいた。

 わたしは慌てて村雲くんを両手で押し出す。なのに村雲くんは片手だけわたしの手を掴んだままだった。

 居待は、しばらく何も言わなかった。

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