二
店の混む時間帯だったから長話が出来ないのは最初から分かっていた。それどころかあの後、ちょっとした騒ぎがあって呆気にとられているうちにいろいろな事を忘れてしまった。
思わぬ再会を果たした時、春の間、居待くんは一体どこで何をしていたのか。さりげない調子で訊ねたけれど、あっさり受け流されてしまった。
その後、浅葱姉弟と一緒にいた二人に自己紹介された。しかめっ面の少年は赤い着物を着ているのに青くん。天真爛漫で派手な上着の少年は耶八くん。耶八くんは、今度爽亭においでよと誘ったらとてもうれしそうにしてくれた。
用事があるのか、この五人は立ち去ろうとした。その時はじめて気づいたのだけれど、青くんの眼帯をしていない方の目は赤い色をしていた。夜叉のような赤い瞳――。見るのははじめてじゃないのに、ヒトばかりの江戸では稀に見るもの。わたしは思わず息を呑んでしまった。
夜叉――北倶盧洲の西部を支配するヒトとは異なる種族。わたしたちヒトよりもずっと頭の回転が早く、碁の名人のように鋭く先を見据える。夜叉には赤い目が多いと聞く。江戸において羅刹と同じくらい物珍しい存在。
失礼な態度になってしまったかな、と気まずく思っているうちに――その騒ぎは起きた。
ちょっとした手違いがきっかけで青くんと耶八くんが狼士組に捕まりかけたのだ。青くんたちに対峙した狼士組の隊士は、わたしもよく知る炯さんと武さんとセイさんだった。驚いた事に、青くん耶八くんは狼士組を前に引けを取らないどころか、三人をのしてしまった。二人は戦いに慣れているといった様子だった。
彼らは一体何者なんだろうか――。
わたしはただただ圧倒されてしまい、その日起こった事のいくつかを忘れてしまった。
耶八くんは自分たちの事を“江戸に着いたばっかりだ”といっていた。彼らと一緒にいたという事は、居待くんは、青くん耶八くんを迎えに行って帰ってきた、というところか。
再会したその日の夜、寝る前になってやっとそこまで思いついた。何しろ青くんたちと狼士組のひと騒動あった後なので、喧嘩見物ついでに一杯ひっかけようというお客さんで爽亭は繁盛したのだ。わたしは忙しく立ち回り、事前の騒ぎの事さえ頭の隅に追いやられた。
自分の部屋で疲れた体をほぐしながら、わたしはやっといろいろな事を思い出す事が出来た。
春先と同じく、あまり会話が出来なかった。けれどよく知った可愛らしい姿。最後に会った時と変わらない、涼しげな眼差し。きれいに整えられた長いまつげ。かわいい女の子みたいで時々見惚れてしまいそうになる。
「……しばらくは、江戸にいるのかな……」
ひとつ息を吐くと、わたしは部屋の窓を開けた。梅雨が明けた頃から日課のようになっている、月を探す作業。ぐいと窓の外に身をのり出すとまんまるな明るい月が照っていた。外を歩くのに明かりなんて要らないぐらいの強い光。今日は満月。
「今、何してるんだろ」
同じ夜空の下、あの人もこの月を見上げているのだろうか。
その夜は、いつもより月鑑賞の時間が長くなってしまった。
耶八くんは“明日来る”と言った言葉通りに、翌日爽亭に来てくれた。ただし、青くん耶八くんだけでなく人数が増えていた。狼士組の炯さんと武さんと共同で何かを取り組む事にしたらしい。そこに情報通の朝陽が加わって、随分と真剣な顔で話しこんでいる。
「というわけで、あたしの調査結果は以上! ここまでで質問は?!」
勢いよく朝陽が机を叩く。それが情報開示終了の合図だった。
この日も日差しが痛いほどの晴れた天気で、お客さんは彼らしかいなかった。元々の顔見知りが少なくないため、仕事もないしわたしはほとんど彼らにつきっきりだった。
彼らは最近起こっている狼士組襲撃事件の話をしていた。少し前に朝陽が話してくれたので、わたしも知らない話ではない。事件の内容は単純で、狼士組の平隊士が何者かに襲われているというもの。それも一回きりではなく何回も繰り返されている。死人は出ていないし大怪我をするような隊士はいないらしいが、襲撃者の正体も分からず、頻繁に繰り返されている。狼士組はいい気がしないだろう。
犯人確保に躍起になっているのは狼士組の炯さん武さんだが、一番調査が進んでいるのは朝陽らしい。耶八くんは話を聞いているもののお団子を美味しそうに頬張っている。青くんは少し目を眇めて、一見興味なさそうに見える。一体どういう経緯でこの五人が集まったのかは知らないが、なんだか不思議な取り合わせだった。
改めて見ると、余所から来た少年二人は、やはりどこか江戸の人とはまとう空気が違う。特に青くんは普通にしている時でも、僅かに張りつめたような雰囲気が漂っている。右目の眼帯や着物の右袖がふわりと揺れる事に関係していないとは言い切れないかもしれない。なんとなく、危険な地帯を駆け抜けた人物のように見える。朗らかですぐに表情の変わる耶八くんですら、よく見ると刀を携えていたりするのだから驚きだ。彼ら二人も、江戸における狼士組のような役職に就いているのではとも思ったが、どうも違うような気がする。いずれにせよ江戸の住人からすれば、一種独特の雰囲気を持っている。
それでも話してみればいたって普通の人だし、爽亭のお団子を美味しいと言ってくれるのは有り難くもうれしい事だった。
「青、耶八、行くで!」
炯さんともすっかり打ち解けているようだ。というより、彼らを頼りにしているのだろうか。事件解決のために、彼らはそれぞれに持つ力を発揮し、共に行動をする事にしたようだ。確かに、昨日の様子からして青くんも耶八くんも力強い戦力になるだろう。
「んじゃあ、おれと青ちゃんは犯人を倒す役目だね!」
耶八くんは寺子屋にいるみたいに元気よく片手を挙げる。
彼らはお互いの言いたい事が分かっているみたいに目くばせをし、爽亭を出て行った。信頼し合っているようで、なんだかとってもいいなあと思った。
わたしも、あの人の言いたい事が少しでも分かればいいのに。
そんな彼ら五人が見事、狼士組襲撃事件を解決したと知れたのは翌日の事。爽亭で作戦会議をしていたのがその前日だなんて信じられないくらい、あっという間の解決だった。
襲撃者の正体はなんと、狼士組の総隊長である真言さんだった。事件そのものが、狼士組平隊士の抜き打ち昇級審査だったというのだ。犯人である総隊長とうまく渡り合えたら合格らしい。だから平隊士ばかり狙われ、大怪我するような隊士もいなかった。さほどの危険などない事件の結末。拍子抜けもしたがかえって安心した。
わたしが詳しく知れたのは、犯人捕獲にこぎつけた炯さん武さんが爽亭にやって来てからの事。二人から話を聞いていると、武さんが顔を上げる。
「おう、遅かったな」
「別に約束も何もしてねえだろ」
無愛想な青くんの返答。青くんと耶八くんも店にやって来たところだった。事件に関わった五人は自然と爽亭に足が向いたらしく、いつの間にか勢ぞろいしていた。わたしはすぐに彼らにお茶とお団子を持って行った。
「今回は気合を入れて書いたからね!」
大仕事をやりきった顔で朝陽は口角を上げる。彼女の書いた瓦版を前に、炯さんと武さんも興味を隠せない様子だった。
話によると、炯さんと武さんは総隊長さんに力を認められ、昇級を果たしたという。彼らのこれまでの努力を思えばその報いがあるのはよい事だろう。炯さんたちとは、短くない付き合いがある。わたしまでうれしくなってしまった。
青くん耶八くんも大活躍をしたようで、改めて感心してしまった。瓦版に載った事とその内容、そして見た目の派手さもあってか、この日を境に爽亭に出入りする人からも注目を集めていた。わたし以外の江戸の人も、自分たちと彼らの違いを感じ取っていたのだろう。
江戸にはない、新しい風のようなものを――。
その風はどこから吹いてきたのか。青くんたち本人ではなく別の人物から告げられる事になるのは――ある雨の日。
厳しい日差しばかり続く中、それを遮る雨雲が一日中雨を降らせていた日の事だった。
「どうして雨が降るのよー」
あいにくの雨で爽亭に逃げ込んできた朝陽。まるで落ち込んだ日の景次さんのように全身から力が抜けている。彼女は今日一日出かけられそうにないとしょげていた。他にお客さんも少ないし、話に付き合おうとわたしは言うが朝陽はまだ唇を尖らせたまま。そんな親友に苦笑をしていると、店の戸が開けられた。
髪や着物を濡らしながらやって来たのは、二人の女の子だった。どちらも爽亭では見た事のない顔で、十代半ばといったところ。
一人は、肩までの淡い紫色の髪がきれいな女の子。爽やかな夏の空の色をした着物がよく似合っていた。もう一人は動きやすそうな格好が活発そうに見える女の子。少し短い茶色の髪の上に大きな眼鏡のようなものを載せている。彼女の肩に鎮座する小さなハムスターが興味深かった。
「いらっしゃいませ。雨に降られちゃったんですね。よかったらこちらをお使いください」
新たなお客の少女たちに、わたしは手拭いを差し出した。傘も持たずに雨に降られて災難だったろうと、彼女たちを元気づけるために笑顔を作る。
「あ、ありがとうございます……」
閉めた戸の前で着物の水分をはらっていた二人は、髪や着物をおさえながらお辞儀した。爽亭では、こういった日のためにお客に手拭いを貸し出している。まだまだ枚数はあるし、足りなかったらもう一枚用意出来る。「手拭い、足りなかったら言ってね」とわたしが付け加えると二人の少女は恐縮したように頷いた。
年が近いという事もあって、わたしはお茶を持ってきた後も少し話をしていた。そこへ、彼女たちが口にした“ハチ”という言葉を聞き咎めた朝陽が飛びこんでくる。
「もしかして耶八くんたちのお友達?!」
耶八くんの愛称はハチというそうだ。二人の少女は青くん耶八くんと知り合いだという事が判明した。
空色の着物が似合う女の子は、きさらちゃんといい、彼女が微笑むと穏やかな空気が広がった。活発そうでハムスターを連れた子は玖音ちゃん。ちなみにハムスターはわたしがじっと見つめると玖音ちゃんの陰に隠れてしまった。うちはご飯処だから動物を飼った事がなく、だからこそ気になっていたというのに。残念だ。
きさらちゃんたちも青くんたち同様、江戸に着いたばかりだという。
「ここから西南にある賽ノ地にいたの」
その言葉で、朝陽とわたしは目を丸くした。青くんと耶八くんも同じ賽ノ地から来たのだ。江戸にはない風は、賽ノ地から吹いていたのだ。
賽ノ地は少し前から羅刹城建設予定地としても名高い。一度話題になった場所の事で、その時思った事がふたたびよみがえる。
江戸よりは不穏な空気が漂うところ。けれど変わりはじめているという場所。羅刹との和平による影響が賽ノ地にも出ているだろう。江戸から賽ノ地に赴いた者についても思い出した。隣の朝陽の姉、夕凪さんの事だ。取材のために賽ノ地に行って随分になる。朝陽は景雲さんと会った時と同じく興味津津できさらちゃんたちを見つめている。
思えば、青くんたちを連れて戻って来たのなら居待くんが春の間訪れていたのも賽ノ地だという事になる。浅葱姉弟は以前から賽ノ地とは縁があるといっていたが、ただ友人である青くんたちを江戸の自宅に招待しただけなのだろうか。賽ノ地で一体、彼は何をしていたのだろうか。
賽ノ地――そこはどんな場所なんだろうか。
それからわたしたちは四人でおしゃべりをした。途中でわたしは自分が男ではない事を明かしていたが、案の定きさらちゃんたちはわたしの恰好から男だと思っていたそうだ。
女の子たちの会話の流れは早く、あちらこちらへと移動する。いつの間にか話題は気になる男の子について、になっていた。
「素敵だなって人はいる?」
自分にもそんな人がいるのかいないのか、玖音ちゃんはちらりと朝陽をうかがった。途端に顔を赤くして朝陽が一枚の錦絵を取り出す。先の狼士組襲撃事件でも話題になった、狼士組総隊長・真言さんが紙の向こうで微笑んでいる。あの襲撃事件の前から朝陽は真言さんと顔見知りで、お世話になったためもあってか憧れの眼差しを向けている。わたしも朝陽に真言さんの錦絵を幾度も見せられ、彼の優しい微笑みと大人の気遣いがどれだけ素敵かを語られている。
玖音ちゃんは朝陽の気持ちをただの憧れだと言い、朝陽も否定はしなかった。とはいえ朝陽の気持ち、分からないでもない。恋のきっかけの幾らかは、憧れ、いいな、と思う気持ちからだろう。
今は朝陽と玖音ちゃんが中心となって話をしている。わたしのところに話が向けられなくてよかった。以前はこの手の話題を聞き流していた。自分にはまったく関係のないものだったから、話をふられても語る内容などなかった。今は別の意味で困っただろう。意中の相手の話をされて固まった玖音ちゃんのように。気のせいか玖音ちゃんの頬が少し赤い。どうやら朝陽は話すうちに玖音ちゃんの好きな人が察せてしまえたらしい。玖音ちゃんは自分の好きな相手を自覚しているのかいないのか、他者に知られるのも恥ずかしいのか。ぎこちなく笑ってごまかしているのを見て、朝陽が話題を変えた。
「ねえ、きさらって青くんのことを追ってここまで来たんだよね。こんなに距離が離れているのにどうしてわざわざ?」
対するきさらちゃんは青くんに想いを向けている事を隠していない。時々言葉の端からも彼を想う気持ちが感じられる。青くんの話をする時のきさらちゃんの眼差しは穏やかながらどこか大人びて見えて、自分の恋心もきちんと受け止めているように思えた。未だに受け止めきれないわたしと違って。
「青ちゃんにハチ、目を離していると、傷ばっかり作るんだもの」
それが朝陽の問いかけに対する答え。青くんも耶八くんも体を動かしていないと気が済まないらしく、自分たちが怪我をしている時も変わらないのだとか。確かに青くんたちは武芸の覚えがあり、狼士組に並ぶほどの力を持つ。でもその分怪我とも背中合わせなのだ。自分の想う相手が危険に飛び込む姿を想像すれば、きさらちゃんのように遠く離れた場所まで追いかけようと思うかもしれない。
ぬばたまの黒髪の少年の事を思い出す。いつかの事件の時のわたしの思いと同じだ。誰だって、想う相手の力になりたい、支えになりたい、助けになりたい。そういうものなのだろう。
少し朝陽と言葉を交わした後、きさらちゃんは顔を上げる。
「その姿を見ているとほっとするの。ああ、二人でいるなって。そして当たり前のことが繰り返されていて、安心するのよ」
きっと、きさらちゃんにとって好きな人は青くんだけれど、耶八くんが大切な気持ちも強いのだろう。友人として、彼らが共に過ごす姿を見るのはきさらちゃんにとってよろこばしい事なのだ。
当たり前の事が繰り返される――そんな日々に安堵する。きさらちゃんの言葉がじわりとわたしの中にしみこむ。わたしも思った事がある。今の穏やかな日々が続けばいいと。きっと、きさらちゃんはそのために、ただ待つだけではなく自らの手で普通の日常を手にしようと動いているのだ。だから賽ノ地から遠く離れた江戸まで来た。
彼女たちの行動力に気づくと、わたしは圧倒されそうなくらいだった。
いつか、わたしもそんな風に強くなれたら。
改めて見るきさらちゃん、そして玖音ちゃんはただの女の子には見えなくて、わたしは感嘆のような息をついた。
この回の前半部分の別視点を、
早村友裕さんの『賽ノ地青嵐抄 【江戸編】』(http://ncode.syosetu.com/n1707cc/)
の第二話から第七話で読む事ができます!
この回の後半部分の別視点を、
桐谷瑞香さんの『朝夕疾風記』(http://ncode.syosetu.com/n1834ce/)
の第二章・第三話から第四話で読む事ができます!




