第9話 零れ落ちた第一王子【フォル視点】
「フォルって、そんな目の色してたんだね。綺麗~……髪の色と合わせると、新雪が積もった日の泉みたい!」
髪の色と瞳の色が戻った日、ノルンは腕の中に収まってしまいそうなほど近くで、フォルティスを見上げてそう喩えた。フォルティスから見れば、母譲りの銀髪に父譲りの瑠璃色の瞳でしかなかった。そんなことよりも遥かにこの心を震わせたのは、視界が元に戻ったことだ。
やっと……君の顔が見えた。
ぼやけた世界の中、道標のように輝いていた太陽のような金と、花のような薄紅色。ノルンの髪は麦藁を編んだような艶やかで淡い金色をしていて、瞳は彼女によく似合う温かくて柔らかい色をしていた。
微笑みかけてくれる口元の柔らかさも、薬草を見つめる真剣な眼差しも、困ったときに下がる眉尻も、ほんの微細な変化さえ愛らしい。
フォルティスの呪いも、残すは肌の色だけというところまで回復し、すでに所々肌色が戻りつつある。痺れもかなり和らぎ、言葉もまだ流暢とまではいかないものの、最初の頃よりは上手く話せるようになってきていた。
「フォルって新聞読むんだね。私はあまり興味ないから、世情にはずっと置いてかれっぱなしだよ」
目が見えるようになってからノルンにお願いして、街に出た際には新聞を買ってきてもらうようにしていた。フォルティスが失踪して二か月半、特に目立った混乱は起きていない。その代わり、一つの話題が世間を賑わせ続けているようだった。
【国王は、病に臥した第一王子フォルティスを廃太子し、王位継承順位第二位の第二王子ファーヴェルを立太子した。】
フォルティスが読んでいる隣にノルンも椅子を寄せ、紙面を一緒に眺めている。すると彼女から「えぇーっ!?」という悲鳴に近い声が上がった。
「どうした、の? 何か、書いて、あった?」
「いやいや、ここ見てよ……ここ!」
ノルンは椅子から身を乗り出すと、気になった部分が書いてあるところを指差した。そこに書かれていることを順に目で追っていく。
【第一王子フォルティスと婚約していたトゥイスク侯爵家の令嬢レジーナは、第二王子ファーヴェルと改めて婚約を結び直すことを決定したと発表した。】
「これって、フォルティス殿下もファーヴェル殿下もレジーナ様も、気持ちって追いつくのかな?」
ノルンは遠い世界の遠い出来事に、噂話でもするように率直に呟いた。まさか隣にいる人間が『廃太子された第一王子フォルティス』だとは夢にも思っていないだろう。
「なんだかなーって感じだよね。劇の配役じゃないんだから……」
劇の配役。言い得て妙というのは、こういうことを言うのだろう。王宮という舞台。国家運営が円滑に回るよう、最も適した人間を配置していく。不都合が起これば、随時最適な人間に入れ替えるだけ。配置する方には様々な『思惑』があるだろうが、配置される方の駒の事情など考慮されるわけもない。
「貴族の、結婚、は……仕事、みたいな、ところもある、から」
「詳しいの?」
「一般、常識だと、思う」
「そうなんだ」
ノルンはまた新聞の紙面に視線を戻し、続きを読み始めたようだ。あまり新聞を読む習慣がないからか、彼女の読むペースはあまり早くない。読み終わるまで待つ間、もう一度その箇所を読み直すことにした。
フォルティスはもう、王宮という舞台には不要な人間だと書かれているようなものだ。けれどそれをむしろ好都合だと思ってしまったのは、少し前から『このまま全て捨ててしまえたら』と考えていたからかもしれない。
身分を捨て、『フォルティス・アンヴァナート』という名前を捨て、どこにでもいるただの『フォル』になってしまいたい。そうすれば、ノルンと一緒にいられる未来が手に入るかもしれない、と。そんな夢を見ていた。
夢じゃなくて、現実にしてもいいのか?
そんな考えが浮かんだ瞬間、自分に都合のいい事実ばかりが頭の中に浮かんでは心の底に沈んでいく。
ファーヴェルはずっと、フォルティスを兄として慕っていた。けれどその背後に、いつも焦燥と羨望があることを知っていた。
レジーナとは、国を支える戦友のような関係を築いているつもりだった。けれど互いに、異性へ向ける形の愛情は持てなかった。
レジーナとファーヴェルが想いを寄せ合っていることに気づきながら、これも役目と黙認し、割り切った。万が一、レジーナがファーヴェルの子を宿したとしても、王家の血は問題なく受け継がれていく。むしろ、邪魔なのは自分の方だという思いだけが募った。
継母は血の繋がらないフォルティスにも優しかった。けれど王位を継ぐのは、実子のファーヴェルであってほしいと望んでいるかもしれない。
父は幼い頃病弱だったフォルティスを気にかけ、この黒変の呪いも必死で解決方法を探そうとしてくれた。けれどそれはフォルティスが、愛する妻……フォルティスの母に似ているだけで、フォルティス自身を思ってくれているからではないのかもしれない。
自分がいなくなった王宮も、国も、なんの支障もなく平穏無事に回っている。心の底にある望みを殺してまで、あの場所に帰る意味があるのか。帰る理由に『責任』以外の何が残っているのか。その『責任』すら、もうどこまで意味を持つものなのか、フォルティスにはわからなくなっていた。
「フォルティス殿下がいなくなると、前王妃の血縁者はいなくなるんだね。ふーん……病気ねぇ……案外、暗殺とかだったりして?」
暗殺。ノルンの指摘は鋭い。フォルティスにかけられたものが『呪い』であるなら、そこには必ず犯人がいる。フォルティスを王宮から排除しようとした人間が。
帰ってもまた命を狙われる。国も王宮も、フォルティスを必要としていない。だったら、その暗殺者の狙いに乗ってやっても良いかもしれない。
全てを失ったとしても、僕は……ノルンだけは失いたくない。
ただの逃げだと、それ以外に何も残っていないだけだと嗤われても構わない。身分や名前だけじゃなく、見栄も、恥も、外聞もかなぐり捨てて、それでも叶えたいと心から願ってしまうものがある。
ノルンは、こんな真っ黒な人間もどきを受け入れてはくれないかもしれない。それでも何もしないままに、何かを言い訳に諦めてしまいたくないと思うほど、御し難い感情に溺れている。
呪いが解けたら、ノルンに伝えたい……
すぐ隣にいるノルンの肩がこちらの肩に微かに触れるたび、そわそわと甘く疼く。あと少しで、もう少しで、と鼓動は逸るばかりで、もうなかったことにはできないほど、ノルンへの想いが募っていた。




