エピローグ
最大の難所とも呼べる婚礼の儀を無事に乗り越えて早数ヶ月、エイルは王太子妃だけでなく宮廷魔術師として本格始動していた。現在の主な仕事は二つ、一つはエイルの呪術の知識を一通り洗い出し、他の宮廷魔術師が集めてくれた資料と照らし合わせて一つの書を作ること。
もう一つは、呪詛返しを受けたファーヴェルとレジーナの経過観察をし、呪いそのものを研究することで新たな知見の発見に向けて取り組んでいる。呪いをかける方ではなく、呪いを解析し、呪いを解くための研究であった。
王国の空に満月が昇る夜。フォルが住まう離宮にある小さな温室で、月に一度の月光浴が行われる。ファーヴェルとレジーナの呪いの緩和のためにフォルに相談し、温室内で見張りの騎士を立てることを条件に許可された。
「薬草茶を淹れました。どうぞ」
ここ最近は呪いの抑制により効果的な薬草や使い方を再検証するため、一週間続けて同じ種類の薬草茶を飲んでもらい、二人の体感や観察した結果を記録している。
今日は満月ということもあり、前回の満月から最も効果の高かった薬草茶を飲んでもらい、月光浴をしている場合と、していない場合、そして月光浴をしているが薬草茶は飲んでいない場合とで差があるのかを検証している。
「あら……今日はこの薬草茶なのですね。特に苦みの強いものだったのを覚えておりますわ」
「確かに苦いが、香りが少しコーヒーに似てる分、他よりはまだ良いような。先月の三週目に出てきた薬草茶ときたら……」
「えぇ、あれは青々しい……森の生命力を叩きつけられる匂いでしたわね」
薬草茶と言っても、味はほとんど薬湯と変わらない。様々な薬草を調合せず、一種類を煮出しただけの、薬湯とは呼べない薬草茶だ。レジーナは苦味が苦手なのか、いつも少し躊躇いながら飲み干す。それに対しファーヴェルは、苦味に慣れているのか彼女ほど苦痛そうではなかった。
激まずの薬草茶を片手に、夜のほんのひとときを共にするようになった二人は最初に会った頃よりも笑顔が増えた。特に満月の夜は長く一緒にいられるため、楽しみにしていると言っていた。
そこから一つ面白いことがわかった。笑顔が増えるほど、呪いの疼痛が出にくいということだ。とはいえ、まだ結論づけるのは早い。他の要因で疼痛が抑えられた結果、笑顔になる余裕ができたという可能性も捨てきれていない。
「毎日満月なら、もっといろんなことが捗りそうなのに……」
「フフフ……毎日が満月ですか。エイル様は、月粋晶という鉱石をご存知ですか?」
不気味な笑い声を上げながら話しかけてきたのは、研究協力をしてくれている宮廷魔術師のフェギーロだ。彼は元々魔術と自然との因果について研究していたが、『禁術の研究が解禁された』という響きに魅せられ、『影の隣人』と契約して魔術を捨て、呪術師に転向した。他の宮廷魔術師に景気良く引かれていた、生粋の研究者肌の変人である。
「聞いたことはありますけど……」
月粋晶はかなり希少な鉱石で月のような青白い光を淡く放つことから、その名がついたと言われている。とても綺麗ではあるのだが、硬度が低く脆いため、装飾品として利用されることはないのだとか。
「実はあの石はですね、月のように光るのではなく、月光を吸い込んでその光を放っているのですよ。さすがに満月とまではいかないかもしれませんが、小さな月とも呼べる石でもあります。地下牢にいる間、どちらか一人にだけ身に着けてもらって検証するのも……フフ、面白いかもしれませんねぇ」
「けど、そんな希少な鉱石をどうやって探すんですか?」
「検証なさるなら、私が個人的に所蔵しているものをお貸ししましょう。新たな知見を得られるなら、出し惜しみはしません」
もう完全にファーヴェルとレジーナを実験体としてしか見ていない発言だ。けれど、実験体あるいは呪いを保有する希少な存在としての価値が見出されたことで、二人の首の皮が少しだけ厚くなったのも事実だった。
「確かに、効果があるのかは試してみたいですね。ムーニェ、検証リストに加えておいてもらえますか?」
「はい!」
少し離れたところで、紙にペンを走らせ続けているのは研究補佐官として派遣された文官のムーニェという女性だ。呪術の知識を一冊の書にするにあたって、主に記録したり情報を整理してまとめたりする役目を担ってくれている。エイルと同じくらいの年齢の若い文官だが、真面目で細やかに気を利かせてくれる働き者で、いつも助けられていた。
それからしばらく月光浴をし、呪いの黒変の状態を一通り診て記録したあと、ファーヴェルとレジーナと共に地下牢へと戻った。離宮のエントランスでフェギーロとムーニェと別れると、コツコツと一人分の靴音が近づいてくる。
「お疲れさま、エイル」
「……フォル! どうしてここに?」
「迎えに来た。少し散歩ができたらと思って」
フォルが隣に並び、そっと腕を差し出してくる。迷わず手を添えると、護衛についていたフレキアとゲイリーは無言のまま一礼して下がった。
フォルにエスコートされながら、離宮にある庭園を歩く。秋の丸くて大きな月が二人を見下ろし、音もなく吹く風に秋咲きのクレマチスが小さく揺れていた。
「満月の夜の月光浴を許可したこと、少しだけ後悔してる」
不意に足を止めたフォルは、月を見上げながらぽつりと呟いた。さやさやと草葉を揺らす風に攫われてしまいそうなほどに小さく、掠れた声だった。
「部屋で君を待ってて、思ったんだ。こんなにも綺麗な夜なのに、エイルはいないのか……って」
切なげな眼差しは、月に吸い寄せられたままこちらへは返ってこない。それが少しだけ悔しい気もして、エイルはフォルの頬に手を添えて、そっと撫でた。
「誰に話しかけてるの? 私はこっち」
彼に囁きかけると、ふっと意識が月から離れ、唇が緩む。灯火のような温もりを秘めた瞳が、こちらを柔らかく捉える。そうして寂しさの溶けた微笑みが、エイルへと注がれた。
「フォル、私はね、月光浴を許してくれたこと、すごく嬉しいと思ってる」
満月の夜、たった月に一度とはいえ、罪人であるファーヴェルとレジーナの苦痛を和らげる習慣だ。彼らに陥れられたフォルは、感情的に見れば許可する理由がない。けれど、それでも許可した。
きっと二人への複雑な思いを抱えながらも、エイルの行う研究の役に立つだろうという先見と、提案したエイル自身への信頼があることを彼なりに示してくれたからだと思っている。
「フォルが私の考えを信じて、認めてくれてるって感じられたから」
呪術師として国からは期待されているが、大きな成果を出したい、功績を残したいという欲はない。ただエイルの力を信じ、寛容な心で自由にさせてくれるフォルの信頼に応えたいという思いはあった。
「だからもし、私に叶えられる願いがあるなら言って。どんなわがままでもいいよ」
夜空のように深い瑠璃色の瞳に、流れ星のような閃きが宿る。一瞬の期待と、すぐに飲み込んでなかったことにしてしまおうとするフォルの癖。彼は一体、何度こうして自身の望みを殺してきたのだろう。一体何度、王宮という世界は彼に我慢を強いたのだろう。
せめて私にだけでも、心のままに望みを言って……フォル。
「フォルティスでいなきゃいけないときは、私も王太子妃エイルになる。だから、二人きりのときくらい……ただのフォルでいて」
フォルにとってエイルは、まだ頼りなくて、王宮という舞台をよちよちと歩き始めたばかりの新人かもしれない。けれど、フォルがエイルを尊重するように、エイルもまたフォルの支えになりたいと思っている。どうか、一人ぼっちではないことを知ってほしい。エイルはいつだって、フォルに心を傾けているということを。
「なら……満月の夜、また迎えに来てもいいかな? またこうやって散歩して、一緒に部屋まで帰れたらいいなって」
フォルは躊躇いながら、声を抑えて控えめに願いを口にする。小さな罪でも犯しているかのような、自信のなさそうな声で。
「もちろん、迷惑でなければだけど。満月の夜が、君にとって大切な職務のある日だってことは、ちゃんとわかってるから」
そんな慎ましやかな思いさえ願えなかったのか、と胸が小さく軋む。そんなわがままにもならない望みくらい、いくらでも叶えるのに。
「何言ってるの? 迎えに来てくれるなんて、すごく嬉しいっ!」
ありったけの喜びを胸に、素直に言葉にして手渡す。フォルの両手を、両手で包みこんで握りしめると、花がゆっくりと綻ぶようにふわりと笑顔が咲いた。
「ありがとう。楽しみにしてる」
「気が早いよ。まだこれから散歩して一緒に帰るんでしょ? 寝室に戻ったら、温かいハーブティーを淹れるね」
「しばらくは一緒に飲めないのが残念だな」
残念と言いながらも、フォルの眼差しは柔らかくエイルへと注がれ、少しだけ下へと落ちる。その視線につられて、エイルは無意識に自身のお腹をそっと撫でていた。
今、エイルの中には新しい命が宿り、少し前にそれがわかったばかりだ。まだ少し信じられないが、フォルと自身の思いが結びついて芽吹いたのだと思うと、愛おしくてたまらない。
「一緒に飲むのは、この子が生まれたらね。それまでは、寂しがり屋のフォルの頭を私がいっぱい撫でる!」
「なら僕は『お疲れさま』と『無理はしないでね』って、たくさん抱きしめるよ」
エイルに負けじと、フォルが張り合ってくる。嬉しそうに、くすぐったそうに、頬をエイルの額へと寄せながら。心を許して甘えてくれる姿に安堵と喜びを感じ、胸の中にじんわりと熱を宿した。
一緒に生きたい。
一緒に、楽しい生き方を見つけていこうね……フォル──
【あとがき】
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
投稿期間中、星やブクマ、リアクションをいただけてとても嬉しかったです!ありがとうございました!
この物語の一番最初の起点は「(婚約者や妻に)捨てられたヒーロー」です。
それを「ざまぁ」と綺麗に組み合わせたいと思って捻り出したのが「呪詛返しざまぁ」という形でした。
と言いつつ、あまり「ざまぁ」っぽくはならなかったな……とも思っています。本当に難しいですね。
ついでに捨てられ要素もだいぶ薄味になった印象です。
すでに投稿済みの他作品「冷遇夫がお探しの私は、ここにいます」(捨てられヒーロー×冷遇)と「え、私の来世が婚約者に捨てられる伯爵令息?ははは、ご冗談を!」(捨てられヒーロー×転生者)も、実は全く同じ「捨てられたヒーロー」という案に、別の設定をかけ合わせることで派生してできた物語だったりします。
アイデアの出どころが同じせいで、やたらと「捨てられたヒーロー」作品が増えてしまいました。
実は案だけなら他にもあるので、今後まだ増えるかもしれません。
タイトルが迷走して投稿中に何度も変わったのですが、タイトルを(なんならあらすじも)考えるのが本当に苦手なんです。
一番最初に思いついたタイトルは「ノルン・フェーリは解呪専門の呪術師である」だったのですが、無名の作家でこの雰囲気タイトルでは絶対読んでもらえない、サバンナみたいなpvが不毛の砂漠になる……!と断念しました(過去作から痛感)
なら、どうすれば内容に偽りなく興味を持ってもらえるものにできるのだろうかと、延々悩み続けていました。
最終的にこのタイトルとあらすじになったものの、正解だったのか、もっと良いものがあったのか、いまだに答えは出ません。
本作をお読みいただいて、いいなと思うところがありましたら、星やブクマなどで応援いただけると今後の励みになります!
次の投稿予定はまだ未定なのですが、アルファポリスの恋愛大賞の季節に新作を一本出したいと思っています。
なのでひとまずそこを目指し、さらにもう一本できそうであればそれよりも前に投稿できたらと思っています。
少し間は開きますが、これからも執筆は続けて参りますので、またご縁がありましたらよろしくお願いいたします。




