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【完結】助けた黒泥が、呪われた王太子だなんて聞いてませんけど?  作者: まな板のいわし
第2章

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第26話 ほどいた、その先に【フォル視点】

 フォルティスの腕の中で、エイルはしがみつくようにギュッと身を固くしている。好きだから、怖くないからと飛び込んできた彼女を、思わず抱き竦めて閉じ込めてしまいたくなった。正式に婚姻を結ぶまでは、と焦がれていた相手に「触れてみて」と言われて自制できる人間がどれほどいるのだろうか。


「こんなふうに抱きしめられたら、放してあげられなくなるよ」


 好きでも、怖くなくても、無理をしていないとは限らない。ただでさえ今日は目まぐるしくいろんなことがあって、エイルは慣れない公務に奮闘し、こなしきってくれた。すでにもう、十分無理をしてきている。その上初夜まで課せられ、エイルもその重要性には気づいてしまっているはずだ。


 焦って擦り切れるまで無理してほしくないんだ。

 まだ夫婦になったばかりで、これからいくらでも時間はあるんだから。


 けれどそんな思いとは裏腹に、フォルティスを抱きしめるエイルの腕はさらに強くなった。


「いいよ。放さなくて、いい」


 本当に、いいの?


 信じて先へ進んでいいのか迷いながら、体に宿る熱だけはひとりでに高まっていく。火照りを逃がすように一度目を伏せ、小さく息を吐いた。


 触れるのなら、少しでも安心させてあげたい。緊張を取り払って、体の強張りをほどいて、信頼して身を委ねてほしい。フォルティスはそっとエイルの頭の後ろに手を添えると、寝かしつけるように繰り返し撫でた。


 陽だまりのような色の柔らかな髪が、指の隙間をすり抜けて零れていく。そのたびに花のような香りが甘く鼻先を掠め、フォルティスをくらりと酔わせる。


 呪いのせいで視界がぼやけていたときから、ずっと追いかけてきた色。視力を取り戻してから、ずっと憧れていた色。それが今、こんなにも近くにある。


「エイル、ありがとう。今の僕があるのは、君のおかげだよ」


 このまま疲れで眠ってしまっても構わない。これからを二人で過ごすこの部屋が、どうか彼女の安らぎの場所であってほしいと願っている。


 それでも撫でるごとに、エイルの体はゆっくりと熱を帯びていく。髪から背中へ手を滑らし、柔らかくさすると、ピクンと彼女の背中が小さく跳ねた。些細な手の感触でさえ敏感に拾って反応する健気な姿に、優しくしたいだけではないフォルティスの感情がくすぐられる。


 ねぇ、もっと僕の感覚を拾って、感じて。

 ゆっくりで良いから、もっと僕を覚えて。


 エイルの呼吸が浅いのも、体が火照って少し汗ばんできていることも、夜着越しに背中をさする手のひらへと伝わってくる。それがまた愛らしくて、けれど安心させてあげるというのは無理なのかもしれないとも感じていた。


「フォル……」

「大丈夫。嫌だったらやめるから、すぐに教えて」

「嫌じゃ、ない……嬉しくて、心が破れそうな、感じ」

「それは大丈夫なのかちょっとわからないけど……無理はしないで。お願い」

「……うん」


 エイルが甘えるように額を肩口へと預けてくる。胸の奥が柔らかく締めつけられ、たまらず頬を寄せると、彼女から熱を帯びた吐息が零れた。触れているところ全部が甘くて、無意識に息が細くなる。


「僕が泥みたいだったとき、君の背中はすごく大きく見えたけど……本当はこんなにも小さかったんだね」


 両腕でエイルを深く抱き寄せ、包み込む。いつも明るくて凛と伸びた背中も、抱きしめてしまえば腕の中に収まるほどに華奢だった。


「頼りない、かな?」

「そんなことないよ。頼もしいと思ってるし、だからこそ守りたいと思うくらいに、愛おしいとも思ってる」

「今日のフォル、なんか、いつもよりお喋りな感じ……だね」

「……そう?」


 あまり自覚はなかったが、言われてみればそうなのかもしれない。口に出す機会を得られず、ずっと胸の奥に蓄積されていったエイルへの想いが、彼女に触れられたことであふれてしまったのかもしれない。一つ一つの感情が競い合うように彼女の心に飛び込みたがっているような、胸の奥で燻り続けている感覚があった。


「手に、触れてもいいかな?」

「う、うん。いいよ」


 体が離れ、ようやく俯き気味ではあるがエイルの顔が見えた。緊張してはにかんだ表情で、おずおずと手を差し出してくる。その指先を掬い、触れる程度に口づけた。たったそれだけで、彼女の指先が微かに丸まる。


 そのまま手の甲をさすると、エイルはきゅう……と肩を窄めた。手に触れるなんてもう何度もしてきているのに、初夜という言葉が絡むだけでこうも初々しくなってしまうとは。


「震えてる……」


 時折小さく震えることに気づき、フォルは手の甲をさする手を止める。下を向いたエイルの瞳は潤んでいて、困惑したように眉尻が下がっている。


「あ……怖くは、ないよ」

「良かった」

「ただ……なんか、すごく熱くて……落ち着かなくて」

「……そっか」


 エイルが少しだけ苦しそうに、胸元を握りしめる。それはきっと怖いのではなく、感情の呼応による体の変化に戸惑っているだけなのだとわかった。


「なら、僕と同じだね」

「え?」

「僕もずっと、体が火照ってるから」


 その瞬間、ふっとエイルの顔が上がる。「本当に?」と確かめるような眼差しが、フォルティスを捉えた。可憐な花のような薄紅の瞳に映り、またそれがフォルティスの体温を上げ、鼓動は高鳴り、呼吸は浅くなる。


 全身がエイルに触れたがって、求めている。髪の質感も、肌の感触も、体温も、声も、眼差しでさえも、自分へ向いて触れていてほしいと。


 白いシャツの隙間から覗く胸元に、不意にエイルの指先が触れる。想像もしていなかった行動に小さく肩が跳ね、それだけで僅かに呼吸を乱し、小さな吐息を零してしまう。自分で笑ってしまうほどに、余裕はなかった。


「本当だ……フォルも同じだったんだ」


 エイルがパッと花咲くように微笑んで、胸元にある指先から視線をフォルティスへと戻す。ずっと緊張して強張っていた表情が、ようやく綻んだ。


 僕と同じなのが、そんなに嬉しかったの……?


「フォルの体、熱いね」

「うん、エイルの指もね」


 熱を灯して潤んだ瞳に星のような煌めきを宿して、嬉しそうにしている。どういうわけか、それまでの緊張も強張りも嘘のようにほどけ、いつもの自然体なエイルが帰ってきていた。


 エイルはフォルティスの手を両手で包むと、静かに頬を擦り寄せる。柔らかく蕩けた目が細まるのを見て、思わず息が詰まり、ゾクリと背中が震えた。


「やっぱり、手も熱いんだね」


 緊張から解放されたエイルはフォルティスが思うよりずっと大胆で、無邪気に翻弄してくる。親指でエイルの頬をさすると、「ふふっ」とくすぐったそうに控えめに笑った。


 もう、大丈夫……なのかな。

 もっと触れて、僕もエイルを感じていいんだよね……?


 頬に触れた自身の手を持ち上げ、指先でゆっくりと輪郭をなぞっていく。エイルは息を詰まらせ、少しだけ頬を赤らめて、くすぐったさをこらえるように目を閉じる。ふるりとまつ毛が震えると、微かに開いた瞳が切なげにフォルティスを見つめた。


「……ぁ、フォル……」


 そんな顔で、そんな声で呼ばれたら……僕は……


 薄紅色の瞳に見惚れ、声に心乱されたフォルティスは、エイルへと顔を寄せていた。蝶が風に揺れる花に誘われ翅を休めるように、その色に魅せられ、惹かれていく。


「……エイル」


 愛しい人の名前を紡いだ唇を、一輪の吐息を摘み取るようにエイルの唇へと重ねる。柔らかく唇を触れ合わせていると、彼女の呼吸が乱れていく。それが今『フォルティス』を受け止めてくれているように思えて、自身の鼓動も逸っていった。


 一度唇を離すと、ハッとエイルが喘ぐように息を吸う。呼吸が落ち着いてくると、口づけの感触をなぞるように、エイルは自身の唇に指を這わせていた。


 まだ……もう一度、欲しい。


 ドクリと体の奥底から血が沸き立つ感覚。唇に触れている手を取り、指を絡める。視線を結び合うと、エイルのまぶたが頷くように閉じた。そうして手を強く握り返されたのを合図に、フォルティスはもう一度……エイルへ口づけを落とした。

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