第24話 見えざる思いに支えられた祝福
きっと今日は、自分の人生史上最も忙しい日だ──早朝に起き、婚礼用の真っ白なドレスに身を包んだエイルは、朝からに婚礼の儀を執り行った。
入場、誓いの言葉、口づけ、署名まで教えられた通りにこなした。失敗なくこなした。そのせいか、教会の鐘の音が鳴っていたかすら記憶にない。たぶん鳴っていたとは思うが。
「……ずっと緊張しっぱなしだね」
「それは、もう」
今は婚礼の儀を終え、婚礼パレードの開始を馬車の上で待っている。天井のない馬車に乗り、沿道に来てくれた人々に手を振って応えながら王都内の大通りをゆっくりと巡っていく。
何も難しいことはない。結婚という慶事に相応しい笑顔で、フォルと結婚できて幸せだと伝えればいい。たったそれだけ……婚礼の儀に比べればたったそれだけなのに。
「表情が暗いね」
「そ、そんな暗い顔してた? 大丈夫、大丈夫……」
たった一つの失敗で、何を言われるかわからない。今の王宮は『王妃の急死』『第一王子フォルティスの再立太子』『第二王子ファーヴェルと婚約者のレジーナの処刑』と来て、僅か三か月で『王太子フォルティス、平民を王太子妃に迎える』という動乱に次ぐ動乱の時代なのだ。
民衆はきっといろんな想像をして、好き放題噂をするだろう。真相を知らない貴族たちは平民のエイルを訝しみ、失敗をすれば笑い者にするだろう。
ちゃんと笑わないと。
笑えないと……余計に変な憶測を呼ぶことになる。
『あの平民の女が第一王子を誑かし、王妃と第二王子と元婚約者を始末して、王太子妃の座を勝ち取った』
状況からすれば、面白おかしく冗談めかして、そんな感じのことはすでに言われているだろう。もちろん、表立って露骨に叩かれることはない。王家に正面から喧嘩を売るような真似はしないはずだ。
実際の真実も『エイルが誑かした』のではなく『マルフェが企み、ファーヴェルとレジーナが陥れた』のだから、あの場にいた貴族たちや事情を知った者ほど噂話に乗るような悪手は選ばない。
けれど、心の内でどう思うかはその人の自由だ。
「不安があるなら話して。まだ出発まで少しあるから」
こちらを覗き込むフォルの心配そうな眼差しに、ぐらりと心が揺れる。正直、素直に話すべきか迷ってしまっている。こんなことを打ち明けたら、せっかくの幸せに水を差してしまうかもしれない。ただこのまま黙っていても、今のままでは笑顔も引きつってしまいそうだった。
「……もしかしたら私、疑惑の悪女として歴史に名を残すのかな~なんて。ほら、こんなドタバタしてるときに、いきなり平民から王太子妃になるわけだし……」
パレードで顔出しなんてして、本当に……大丈夫、かな?
「あぁ、なるほど」
フォルは小さく息を吐いて笑うと、姿勢を戻してぽんぽんとエイルの背中に触れる。大丈夫だよ、とそっと励ますように。
「騎士たちには前もって『僕たちとのことはあまり隠す必要はない』と伝えて、少し手伝ってもらった。ヴィダル殿の名前が、きっと君を守ってくれるはずだよ」
「父さんの、名前が……?」
ヴィダル・フェーリと、騎士たち。その二つが結びついたとき、導き出される父の名の意味は、『平民から剣術一本で国王に取り立てられた伝説の人』だ。ゲイリーが以前、そう語られていると教えてくれた。
私は平民だけど『フェーリ』の姓を継いでるから……
王都の酒場や料理屋に飲みに来ている騎士を見ない日はない。あるテーブルの話題が、たまたま居合わせた人に拾われて会話が始まるのも日常茶飯時だ。
急にポッと出てきた平民のようで、父は王家との繋がりがあった娘。『フォルティスとエイルについて、あまり隠す必要はない』ということは、フォルの病が呪いであったことも、エイルが呪術師として助けたことも噂伝いに広まっていく。
国が直接発表せずとも、最悪のシナリオが民衆の間ででっち上げられて現実味を帯びていかないように、見えないところで手を打ってくれていたということらしい。
「君の立場は必ず僕が守る。約束したよね」
フォルがエイルに求婚しに来た日に言ってくれた言葉だ。本当に守ろうとして動いてくれていたのか、と胸の奥が締めつけられて苦しくなる。
エイルたちが乗る馬車の周囲には、警護を任されたフォルの近衛騎士たちがいる。そっと見回すと、フレキアやゲイリーを始めとする騎士たちと目が合い、それぞれ力強い眼差しを返してくれた。ある人は確かに一つ頷いて、ある人は緊張を解すように小さく微笑んで……彼らがひっそりと影で、こんなところまで守ろうと動いてくれていたことに気づいた。
こんなにたくさん味方がいるなんて、思わなかった。
フォルが騎士たちに慕われてるおかげで、助けてもらえたんだ。
「みんな、ありがとうございます。ありがとう、フォル……私、泣きそう……」
「えっ!? それはまずい。化粧が崩れるし泣きながらパレードはかなりまずいよ……!」
目頭が熱を持ち、じわりと滲みそうになるのを上を向いてなんとかこらえる。フォルが内ポケットから取り出したらしきハンカチで、目元を押さえるように拭ってくれた。
やがて予定時刻を迎えると、城門が開かれる。時計の歯車のように、カラリカラリと馬車の車輪がゆっくりと回り、進みだした。
大通りへと続く道の両端が、数え切れないほどの人で埋め尽くされている。こうした祭典や祝賀行事に興味がなく、王都の傍に住みながらも見に来たことがなかったエイルにとって、初めて見る光景だった。
そこにいる人々の表情は明るく、こちらに笑顔を向けて手を振ってくれている。それが自分たちへ向けられていることが信じられなくて、けれどくすぐったくて、少しだけ寂しい。
父さんと母さんが生きてたら、喜んでくれたかな。
ううん、きっと……喜んでくれたよね。
「ほら、エイル。大丈夫だったでしょ?」
「うん」
顔を寄せて、エイルにだけ聞こえるようにフォルが囁く。微かに感じた寂しさも、彼と祝いに駆けつけてくれた人々の優しさで埋められていった。
その後のエイルのことは言うまでもない。心から湧き上がる笑顔で、パレードを無事に終えることができた。
晴天の空には花びらが舞い、教会の鐘は幸せな門出を祈るように高らかに鳴り響く。そして駆けつけた多くの人々の祝福の声が、温かく街中を包んでいた。それはきっとどこかで囁かれている陰口や謂れのない噂話が、エイルの耳に届くよりも前に潰れてしまうほどに大きく……大きく──




