第22話 王宮の裏側
フォルの求婚を受け入れてから、それまでずっとのんびり気ままに暮らしていたエイルの生活は、目まぐるしいほど多忙を極めていた。
これまで住んでいた家は、宮廷魔術師として活動する際の拠点として残せることになったものの、必要な道具などをフォルの住む離宮に新設された研究室に運び込んだ。当然、引っ越し作業だけで終わるはずもない。
国王や諸公への挨拶から始まり、婚礼の儀へ向けたドレスの採寸や準備で拘束され、宮廷魔術師たちとの顔合わせと自己紹介、王太子妃になるために必要な礼儀作法や心得を、朝から晩までみっちり叩き込まれる。宮廷魔術師としての職務を始める余裕など、まだ一切ない。
わかってた……平民の方が楽だってわかってた……!
元々王太子と平民という、空と大地が口づけを交わすような無理がありすぎる関係なのだ。エイルの功績だけでなく実務面からも、誰にも文句を言わせないようにするためにフォルが全力支援してくれた結果の多忙さでもある。
『フォルティス殿下、毎日とても指導が厳しく……もう少し休憩を入れるようにお願いできませんか?』
『な、なんだその言葉遣いは。それに、フォルティス殿下って……どうして、いつもみたいにフォルって呼んでくれないんだ?』
『え? 指導係のラタさんが、二人きりでも必ず敬語を使って、殿下とお呼びするように、と。そんなこともわからないようでは困ります、と笑われてしまって。殿下まで私のせいで笑い者にされるわけにはいきません。本当に申し訳ございません』
『……そう。エイル、今日言われたことは一度忘れるといい』
『はい…………え?』
翌日から、指導係がラタからレーランに変わっていた。ついでに、レーランに変わってから、少しだけ休憩できる時間も増えた。
『ラタは指導係として不適格ということで、変更となりました。私的な時間でも殿下とお呼びすること自体は誤りではないのですが、知らないことを笑う態度は指導係として相応しくありません。学んでいる途中ですから、知らないことは当然ですので』
『レーランさんって、優しいんですね……』
『いえ、教育係として当然の心構えでございます。それから、お二人でいらっしゃるときのことは殿下のご意向に沿われるのがよろしいかと。公の場では、これまで通りフォルティス殿下とお呼びしましょう』
『は、はい。私、早く覚えられるように頑張りますっ』
『焦らなくても大丈夫ですよ。すでに習熟できていることもありますし、自信を持って取り組んで参りましょう』
新しい教育係と再出発を切り、フォルとの関係も『殿下』も『敬語』もない以前の空気へと戻った。
* * *
エイルはある目的のため、離宮の地下牢へと来ている。一つずつ王太子妃に相応しい礼儀作法を身に着けていく中、内務の仕事は誰に任せたのかと聞いたことが発端だった。内務を任せた人物を教えてもらうと同時に、フォルからある仕事を一つ任された。それが、王宮へ来てから呪術師として行う初仕事になる。
「相手は重犯罪人です。どうかお気をつけを」
「不審な動きがあれば、すぐに俺たちで対処します。エイル様は下がるようにしてくださいね」
エイルには、フォルが選任した精鋭の護衛騎士が二人ついている。一人は凛々しい雰囲気のフレキアという女性騎士。もう一人は穏やかな雰囲気のゲイリーという男性騎士だ。どちらもフォルが瘴気を放つ黒泥になっても気にかけてくれていた、忠義に厚い人たちだと聞いている。
二人に案内されて、地下牢にある部屋の前に辿り着く。フレキアが扉を開き、安全を確認してから、エイルは通された。
処刑したって言ったのに、ホントに生きてるし……!
やっぱ国って、こういう嘘平気でつくんだね。
テーブルを挟んだ向こう側。国民には『処刑した』と知らせられていたはずの二人、フォルを呪った念者であるファーヴェルとレジーナが座っていた。
普段は隣接した部屋にそれぞれ幽閉され、壁を隔てて会話だけができるようにしてあるらしい。二人がこうして直接会う機会は限られており、その機会の一つにエイルの診療が加わった。
これもフォルの戦略の一つなんだろうなぁ……
普段は会えない、愛し合う者同士が対面できる貴重な機会。その一つにエイルを組み込むことで、エイルの存在が二人の中で少し変わる。自分たちの理想と野望を終わらせた憎き呪術師ではなく、自分たちの体を気にかけながら会う機会を作ってくれる呪術師へ。
それは自然と敵対心を削ぐような印象操作であり、それが効果を出すと考える程度にフォルは二人を信じているようだった。自分を破滅させようとした相手にどうしてそう思えるのか、エイルには共感できない境地だ。
とはいえフォルにはエイルの知らない、兄弟、婚約者同士として積み重ねてきた時間がある。元々のフォルの優しい気質を知っていると、納得してしまう部分もあった。
「えーっと、お久しぶり……ですね。思ったより窶れてなくて安心しました」
フォルにファーヴェルとレジーナに会うように言われたときは、それはもういろんなことを想像した。拷問を受けてボロボロにされていたら、まともに食事をしていなくて骨と皮になっていたら、虚ろな目をしてひとりごとをブツブツ呟いていたら……とにかく、少し緊張していた。
けれど二人は以前のような煌びやかな服装ではないとはいえ、身なりは清潔に整えられており、髪がボサボサということもない。血色も悪くなさそうだ。呪詛返しによる肌の黒変は相変わらずだが、術者であるマルフェの死が早期だったため、極一部変色しただけで済んでいる。
「エイル様とフォルティス殿下のことは、俺たちも聞き及んでおります。ご婚約、おめでとうございます」
「はは……社交辞令感がすごい……」
「いえ、そんなことはありませんわ。フォルティス殿下はエイル様との出会いで自分が変わったとお話ししてくださいました。あなたがいらっしゃらなければ、私たちはもう処刑されてここにはいないでしょう」
そう言われればそうなのかもしれないが、普通に考えて「おとなしく森で暮らしてくれていれば、今頃自分たちが……」が本音なのではという疑念は拭えない。
「実はフォルティス殿下に、呪いの診療をしてほしいと頼まれて来まして」
「フォルティス殿下に?」
意外に思ったのか、二人は驚いたように微かに息を呑む。一番の被害者であったフォルが二人を気にかけているなんて変な話ではあるが、何かしら思うところがあるのかもしれない。
「私としても、私の仕事を押し付けてるわけですから、せめて少しでも快適に仕事できるようにしないとって思いもあって……」
正直なところ、エイル自身もそうしたかった。別に二人のしたことを許すというわけではない。ただ、加害者であると同時に、呪いをかける以外の道を絶たれた被害者でもあった。今ある平穏を失うと知って、それでも「呪いをかけない」という正しい選択ができる人間が、この世にどれだけいるのだろうか。
守りたいものが、愛なのか、金なのか、地位や名誉や矜持なのか、その質は問わない。人というものは、守りたいもののためなら、どれだけ優しい人でも残酷になれてしまうものだと、呪術師であるエイルは思っている。




