第21話 空と大地を繋ぐのは
思わず感傷に浸りそうになり、心にかかりかけた靄を慌てて払う。せっかく来てくれたのに、この貴重な時間をよくわからない感情で潰したくなかった。
「フォルが王子様~って感じの服着てるの、初めて見たかも。本当に王子様なんだねー」
「……どうだろうか?」
「んー……なんだろう? 値段高そう」
「ははっ、そっか」
凛とした高貴な姿の隙間に、ふと『フォル』の面影を垣間見る。遠くへ行ってしまっても、住む世界が違っても、『フォル』だった頃がなくなってしまったわけじゃない。今のフォルは、確かにあの夢のような日々の延長に立っているのだと思えた。
「そういえば会いに来たって言ってたけど……まさか、街で王宮の噂がされてる件じゃないよね? 私、何も喋ってないからね? あの日のこと本っ当に、誰にも何も喋ってない。街の噂は本当に勘が鋭い人がいて、私が言いふらしたとかそんなんじゃないから信じて! く、首だけは勘弁して……!!」
手を組んで、冗談めかして命乞いすると、フォルはきょとんと目を丸くした。
「そこまで弁明されると逆に怪しいな……喋ったのか?」
「喋るわけないでしょ!? 命大事ッ!」
「冗談だよ、君は本当に相変わらずだね。その件で来たわけじゃない」
「なーんだ、よかったー…………え? じゃあなんで来たの?」
理由を尋ねると、フォルはこちらへと歩み寄る。首が上向くほど近くに寄られ、エイルは思わず後退った。
「求婚に来た」
「求婚に来た!? はは……また冗談で──」
「本気だよ。君が僕を王宮に帰してくれた日からずっと、必ず迎えに行くと決めていた」
王宮に帰した日から……ずっと?
じゃあフォルって、諦める気なんてなかったってこと?
私は、突き放した気で……いたのに……
フォルは白い布手袋を外してポケットへしまうと、エイルの手を取り、両手で包むように優しく握りしめる。顔を上げると、穏やかに、けれど切なげに目元を和らげるフォルと目が合った。
「僕に寄り添って、励まして、一緒に戦ってくれた。だから僕は、どうしても君がいい。いや……君以外、考えられなくなった。どうか、妻になってくれないだろうか」
優しい声が、言葉が、誠実で切実であるほどに、エイルの心を苛む。フォルを想う気持ちが残っているからこそ、どうしようもない格差を前に立ち竦むしかなくなる。
「……呪いって敵に対して共闘はできても、平民の私に王太子妃なんてとても務まらないよ」
私と結婚して、恥をかくのが私だけならいい。
でも一番恥をかいて、悪く言われるのはフォルの方……
気持ちだけで飛び込めるほど、勢いで生きていない。慎重かつ堅実に立ち回れるような賢さもない。
「そう言われると思ったから、迎えに来るのに時間がかかったんだよ。王太子妃の政務に関しては、内務は別の者たちで担当するよう手筈を整えてる。表舞台での政務は……まぁ、君にやってもらうしかないけど」
「そんなの、絶対みんなに反対されるよ。礼儀作法だって全然知らないし」
「なかなか強情だね……」
フォルは少しだけ口を尖らせながら、困ったように小さくため息をつく。そんな反応をしながら、強引に迫ってくることはない。王太子という立場なら、平民の女一人くらいいくらでも好きにできるのに、フォルは決してそうはしない。
「僕も、王太子である前に一人の男で、人間だよ? 一つくらい、人として願いを押し通したいと思うことくらい、あるんだけどね」
「じゃあその一つは、もっと建設的で有用なことにしたら?」
「……ダメ、か。なんとなく、受け入れてもらえない気はしてた」
寂しそうな苦笑を浮かべるフォルに、申し訳なさが込み上げる。わざわざこんな場所まで足を運ばせて、無駄足にさせてしまって。
「なら、君の実績と能力を買って、宮廷魔術師に任命したい」
「……え?」
急に話の方向が変わり、思わず思考も動きも止まる。諦めたと思ったのに、全くの別方向から攻めてきている。
「建設的で有用だと思うけど? 父上や宮廷魔術師たちの間でも、呪術に関しての見識を改めるべきって流れになっていてね。となれば、君以外に適任がいない。信用も桁違いだしね」
「私以外の呪術師知らないだけでしょ!?」
「宮廷魔術師になれば、自然と礼儀作法は身についていくだろうね。実績はすでに申し分ないとして、身分も平民扱いではなくなるよ」
そ、外堀……外堀から埋めてきてる……!
断る理由を潰そうとしてきてる……!
フォルは、この日のためにどれだけの時間を費やしてきたのだろう。願いを確実に叶えるために、どれだけの準備をしてきたのだろう。感情や権力で押し切るのではなく、エイル自身が納得して、安心して選べるようにするために。
「王宮も君を歓迎してる。君の立場は必ず僕が守るから……あとは君次第だよ」
「き、君次第とか、言われても……ほ、ホントに……」
フォルの本気度が伝わりすぎて、フォルを選んでも良いのかもしれないという気持ちが心の奥でチラついている。
私、本当に……フォルと一緒にいてもいいの?
好きって、認めて……口に出していいの?
「もしあの夜の言葉が本当なら、僕の手を取ってほしい。これでも結構……勇気を出してここに来たんだよ、エイル」
ふっとエイルを覆うように影が落ち、ぎゅうっとフォルに抱きしめられる。彼の腕の奥深くに絡め取られながら、少し上へ引っ張られて踵が浮いた。
「僕は、君と一緒に……生きたい」
一緒にいたい、じゃない。一緒に生きたい。人生を預け合うような、信頼の囁き。掠れた甘い声が、エイルの耳を柔らかく撫でる。それだけで、内側から燃えるように、体に熱を灯した。
「本当、無茶苦茶だよ。出会ったときはぐちゃぐちゃだったし」
「泥みたいに溶けてたからね、体」
フォルの体が楽しげに、笑い声に合わせて小さく揺れる。あの真っ黒に溶けていた体は、こんなにも大きくてたくましい体だった。
「絶対大変なのは目に見えてる……けど、いいよ。フォルとなら、いい」
どんな苦難も耐えて乗り越えてきたフォル。その隣にエイルがいてくれたからと言ってくれるなら、今度は自分が、苦難とわかっていて進んでみよう。その隣には、フォルがいてくれるから。
「フォル……私も、好き。フォルと、一緒に生きたい」
フォルと一緒なら大丈夫。
苦しいことがあっても、きっと笑っていられる。
「……ありがとう。勇気を出して、僕を選んでくれて。僕もエイルが……エイルを、愛してる」
フォルの頬が、愛おしそうにエイルの頭に触れる。温かく包まれた腕の中で、エイルも雪解けのように溶けてしまいそうだった。




