第20話 そこに、あなたはもういない
フォルが王宮に帰ってからまもなく、国から「王妃マルフェの急死」、「第一王子フォルティスが病から回復した」ことが順に発表された。そしてつい最近「第一王子フォルティスの再立太子」と「第二王子ファーヴェルと婚約者レジーナが、国家転覆を企図したとして処刑されたこと」が伝えられた。
あの件から二か月経った今、突然「再立太子」と「処刑」という衝撃の強い情報が降ってきたことで、王都は一気に王宮の話で持ちきりになっていた。
以前のエイルは、王宮だの、国王だの、第一王子だのと言われても「ふーん」という感想しかなく、よく知らない人の話はわりとどうでも良かった。けれど今となっては、その肩書きから顔が浮かぶ。遠いところの話であるはずのものが、急に身近な噂話になったような感覚だ。
あの二人、死んじゃったんだね。
でも……仕方ないのかな。
脅されてやったんだとしても、フォルからしたら、たまったもんじゃないし。
エイルはいつもの料理屋のいつもの席に座って、蜂蜜酒のグラスを傾ける。この店に来ている客の話題もここ最近の王宮の話が多く、お酒を飲んで気が大きくなった客が、大声で楽しそうに自分の推理を披露していた。
「フォルティス様の病気は、ファーヴェル様たちのせいだったんかね? ってことは、マルフェ様の急死も、実はファーヴェル様たちに……ってことか?」
「いやいや、ファーヴェル様の実母だぞ? むしろ共謀してて、何かの流れで死んだんじゃないか?」
「結局、フォルティス様の一人勝ちになったってわけだな」
「待て待て、ってぇことはよぉ、フォルティス様が上手いこと仕向けて……邪魔なやつ全員消しちまったって可能性もあるよな?」
「けどフォルティス様は病かなんかで臥せってたんだろ? 仕向けるったって、そんな上手くいくもんかね? いやぁ、権力が絡む世界は恐ろしいねぇ。オレはしがない鍛冶屋で良かったよ」
「違いねぇなぁ」
あーあ、フォル……好き勝手言われちゃってるよ……?
ゲラゲラと大笑いしながら、気楽に食べて飲んだくれている。真相を知る人間としては、なんとも微妙な気持ちになる会話だ。
王宮と聞けば、煌びやかで、綺麗で丈夫な服が着られて、おいしいものが食べられて、贅沢し放題みたいな漠然としたイメージがあった。けれどフォルと出会って、エイルの「王宮観」はガラリと変わってしまった。飢えずに暮らしていけるなら、こうやって雑に、ほどほどの責任の中で生きていられる方がよほど気楽でいいかもしれない、と。
妙な憶測をされることはわかっていてなお、王宮が全て語らないことも、王宮なりの事情があるのだろう。様々なところでいろんな話を聞いてきたが、時折真相に近い鋭い推測をする人もいた。
エイルが街で真相を言い触らしている……なんて、王宮側に勘違いされないといいが。勝手に危険な人間と決めつけられ、口封じに消されるなんてのは冗談じゃない。
「はい、ノルンちゃん、いつものね」
「きた~! 待ってました~!」
料理屋の給仕をしているカーラが、エイルが注文したエビのニンニク炒めをテーブルへと置く。拍手でエビの到着を歓迎すると、相変わらずの食欲をそそる匂いに、お腹も鳴って歓喜していた。
早速エビを手に取り、小皿の上で殻を剥いていると、カーラはエイルの向かいに置かれた誰も座っていない椅子へ視線を向ける。
「ねぇ、もうフォルくんは連れてこないの?」
「え、フォル? こないこない。フォルは……行商みたいなことやってるから、もう別の街に行っちゃったんだよね」
「あらま、そうだったの? それは残念ねぇ……」
カーラは心底がっかりしたように呟いて、仕事へと戻っていく。これまで気にも留めていなかったのに、正面の空席が急に寂しく感じられた。
熱さに悪戦苦闘しながら、慣れない指遣いで殻を剥いていたフォル。一生懸命に俯く光景を思い出しながら、エイルはエビにかぶりつく。もう「おいしいね」と直接言い合えないけど、記憶の中のフォルの残像が柔らかく微笑む。その唇が、「おいしい」と記憶をなぞるようにゆっくり形を作り、フッと音もなく消えた。
* * *
フォルが王宮に帰ったのは、秋の終わり、もしくは冬の初めあたりの頃だった。やがて森には雪が降り積もり、今はもう雪解けの季節を迎えている。冬に閉じられた森は、冷たさの残る春風に誘われるように開かれ、木々の隙間にできた陽だまりの中では小さな芽吹きが始まっていた。
エイルは街にある贔屓にしてくれている魔法薬店で、素材を納品中だ。カウンターに今回分を並べ、数を確認して納品書と照らし合わせる。
「雪月照樹の種油の納品は、今期はこれが最後かな」
「もうそんな季節になったんだな」
「数もちゃんと合ってたし、そろそろ行くね」
「おぉ、気をつけてな!」
王都は森よりも一足早く春の気配が濃くなり、本格的な春の到来に期待を膨らませている。料理屋の店先には、冬にはなかったテラス席が次々と設けられ、春の種蒔きに備えて買い出しに来る農家の人々、軒先の植木鉢の花はもう蕾をつけていた。
何もない平穏な日常に身を置き、大きく変わり映えしない日々を繰り返す。フォルと過ごしていた時間も、一時の夢のように一日ずつ過去へと遠ざかっていく。
エイルは足を止めて振り返る。その視線の先には、空の青を背負ってそびえ立つ王宮がある。歩いていくには少し遠い距離に……あの場所に、フォルはいる。
フォルに呪いをかけたファーヴェルとレジーナも、『黒薔薇の呪術師』だったマルフェももういない。見える限りの危険な敵は消え、王宮も安全な場所になったはずだ。
フォルは、元気にやってるかな?
私はいつも通り元気にやってるよ。
一緒に暮らしてたから、知ってると思うけど。
街に来たときには、王宮を眺めながら記憶の中のフォルに声をかける。それがいつの間にか習慣になっていた。いつまでも気にかけてしまうのは、もう二度と会えなくても大切な人だからなのか、忘れたくないほどの未練が残っているからなのか、エイルにはわからなかった。
街で軽く買い出しを済ませてから、森の中にある家へと帰る。通い慣れた林道を歩き、少し道を逸れた先の開けた場所にエイルの家はある。あるのだが──
ん……何あれ、人?
玄関の前で、誰かがしゃがみ込んでいる。紺色のコートを着た、恐らく男性だ。
基本的に、エイルの家を訪ねてくる人は滅多にいない。極稀に魔法薬師が直接素材を買いに来たり、曾祖母時代の「どうしても治らない病があったら、森の智者に一度診てもらうといい」という噂を頼りに相談に来る人くらいだ。それも、病ではなく呪いだったときに限ってしか治してはあげられない。
「あのー……大丈夫? 体調悪いの?」
歩きながら声をかけると、男性はハッと頭を上げる。髪色が見え、それが銀糸のように柔らかく光を照り返した瞬間、思わず期待が口から零れ落ちる。
「……フォル?」
男性は立ち上がると、こちらへ振り返って……懐かしさすら感じる優しげな笑みを浮かべた。
「久しぶりだね、エイル」
夜の泉の水底を掬い上げたような深い瑠璃色の瞳が、光を照り返す川面のように煌めいている。見つめる眼差しは、陽だまりのような温もりをとろりと溶かした熱っぽさを宿していた。
「なんで、フォルがこんなとこに……」
「ずっと……君に会いたかった。だから、会いに来た」
夢だったように感じていたものが、今再び現実として目の前にある。会いに来てくれたことが嬉しくて、駆け寄って飛び込みたいくらいなのに、できなかった。
フォルがサラリと着こなしている紺色のコートは、生地も作りも上等で、とても庶民が手にできるような代物ではない。すっかり高貴な『王子様』になってしまったフォルは、なんだか全然知らない人になってしまったような、本当に同じ『フォル』なのだろうかという戸惑いがある。改めて住む世界の違う人なのだとつきつけられたようで、胸の奥が軋んだ気がした。
エイルの知っているフォルは、きっともう、あの日々の夢の中に閉じ込められて……置いていかれてしまったのだろう。




