第18話 ノルン・フェーリは、解呪専門の呪術師である
現王妃、『黒薔薇の呪術師』マルフェが命と引き換えに発動した死の呪い。何人もの騎士がいても、彼女の口を止めることはできなかった。視界を埋め尽くすほどの無数の黒い手が、正面から迫る。騎士たちは黒い手やマルフェ自身を斬ったが、全て影のようにすり抜けてしまい勢いを落とさない。
「ノルン……!」
鋭く叫ぶフォルの声が聞こえ、気づけば庇うようにきつく抱きしめられていた。連れていかせない、そんな声が彼の体の熱から伝わってくる気がした。
「あら、お熱いこと。でも残念だったわねぇ……お別れを存分に楽しみなさいな」
もうすぐ死ぬというのに、マルフェは下卑た笑い声を上げながら、この状況を楽しんでいるようだった。
けれどそんな彼女の思惑通りにはいかない。無数の黒い手は、フォルの背中に触れる寸前でピタリと一斉に動きを止めた。
「なぜ……どういうこと……? わたくしは名を捧げたのよ……早くノルンを殺しなさい……!」
「フォルティス殿下、大丈夫ですから」
「本当、なのか……?」
フォルの腕が弱まり、離れる。彼は不安で瞳を揺らめかせながら、口を固く引き結んでこちらを見下ろしていた。ぐっと何かをこらえるように。
「呪術師は、決して死者を呪ってはならない。『影の隣人』の領域を侵せば、怒りを買うから」
「あらあら、お前は自分が死者だとでも言うのかしら?」
「いいえ。ノルン・フェーリは、あなたが殺したヴィダル・フェーリの妻……私の亡き母の名前です」
マルフェは驚愕したように目を見開く。彼女はたった今、呪術師の禁忌を二つ犯した。一つは死者を呪うこと、もう一つは呪う相手の名前を誤ってはならないこと。
「偽名……!? 名を偽れば、呪術師は……永遠に人を呪う力を失う! そんなこと……!」
「私は父を奪った呪いを憎み、呪いに対抗するために呪術師になることを選んだ。だから、誰かを呪う力なんて、そもそも必要ないんです」
「呪う力をわざわざ捨てる……? あり得ない……!」
呪術師は『影の隣人』と契約したあと、一度でも名を偽れば永遠に人を呪うことを許されなくなる。ノルン・フェーリという、亡き実母の名前を使ったことで、呪術師になったその日に誰かを呪う力を捨てた。
復讐心は呪いのようなものという曾祖母の言葉。両親を奪われて、憎いという気持ちがないと言えば嘘になる。
だからこそ、人を呪う力を得た自分が、それを復讐に使うことのないように。揺らぐことなく、最初に抱いた信念を貫くために。
「私、ノルン・フェーリは……解呪専門の呪術師ですから」
無数の黒い手が、じろりと矛先を変えるようにマルフェの方へ向きを変える。そして矢を放つような速度で彼女へと向かい、喰らいついた。騎士たちは異様な光景に怯え、マルフェから一斉に距離を置く。
膝から崩れ落ちるように床に倒れ込んだマルフェは、体を貪られ、引きちぎられていき、肉片が黒い灰のようになって崩れて消えていく。
父さん、母さん、これって……仇を取ったぞって言っていいのかな?
耳を覆いたくなるような凄惨な断末魔の叫びを上げ、マルフェは『影の隣人』に喰らい尽くされていった。全てが終わったあと、マルフェの痕跡は一切残らなかった。
まるで最初からそこに、『マルフェ・アンヴァナート』という人間は存在しなかったかのように。
* * *
その後、念者であったファーヴェルとレジーナは捕らえられ、速やかに地下牢へと投獄された。彼らの黒変した肌はもう二度と戻らないが、マルフェが自身の呪いで自滅して亡くなったことで、呪いの進行もそこで止まったことだろう。
国王からは、フォルティスの呪いを解いたこと、そして長年王宮に巣食ってきた陰謀を解決したことでかなり感謝された。父のヴィダルが、国王から厚く信頼されていたというのが大きい気はしたが、褒美をくれると言ってくれたので楽しみにしている。
「まさか『黒薔薇の呪術師』の件まで、今日で片がつくと思わなかったよ」
「確かに。私もさすがにそこまでは厳しいかもなーって思ってた」
国王がマルフェに契約紋があることを覚えていなかったら、こうはいかなかっただろう。正体が王妃であっただけに、早く終わらせられて良かったと心底思う。誰が『黒薔薇の呪術師』かわからないままに、フォルを王宮に一人置いていかなければならなくなるのだから。
「さてと、私の仕事は終わったし、家に帰ろうかな」
「……王宮は広くて迷うといけない。城門前まで僕が送るよ」
「そういう雑務は従者に命じるもんじゃないの?」
こんな騒動があったばかりで、当事者であり第一王子でもあるフォルは、きっとやらなければならないことが山積みのはずだ。平民ごときを城門まで送っていくような暇もなければ、こんなところで雑談している場合でもない。
「英雄の自覚が足りないみたいだね。君はもう十分、第一王子に丁重に見送られるだけのことをしてるんだよ」
「うーん……そうなの?」
「そうだよ。それに偉業があるとかないとか関係なく、君は僕の命の恩人で、大切な人だからね」
「まぁ、そういうことなら」
フォルはどうにも引く気はなさそうだ。おとなしく案内されて別れた方が、彼も無駄な時間を使わなくて済むだろう。
王宮はフォルの言う通り広い。来たときと恐らく同じ順路で帰っているとは思うのだが、緊張していたせいで全く覚えていない。もっと素直に案内されておけば良かったかな、と反省した。
ようやく城門まで辿り着くと、門を通り抜けて人気のないところまで案内された。フォルと会えるのはこれが最後になる。忙しいのは承知で少しだけ話していきたいのかもしれない、そう思った。
「フォル、短い間だったけど、結構楽しかったよ。平民にはなかなか味わえない刺激的な体験もできたし? 父さんの職場が見られたのも面白かった」
「あぁ、僕も。君のスープはおいしかったし、エビのニンニク炒めが僕にとっては刺激的だったよ」
朗らかに笑うフォルの声が、心地良く耳に届く。王宮で第一王子に戻っても、こうやって憂いなく笑っていてほしい。今日もきっと笑顔で頑張ってるんだろう……そう思えたら、もう二度と会えなくても安心できると思ったから。
「今度料理人に頼んで作らせてみようかな」
「手掴みで食べだしたら卒倒するんじゃない?」
宮廷料理人的に、エビのニンニク炒めとあの食べ方は問題ないのだろうか。それとも貴族風に工夫を凝らして出してくるのだろうか。上品に食べられるよう工夫されてしまったら、きっと指はおいしくない。ちょっと損だ。
「フォルティス殿下!」
フォルの名前を呼び、文官のような雰囲気の男性が足早に駆けてくる。あまり運動はしないのか、彼は息を切らせていた。
「へ、陛下が、お呼びです。できるだけ……早く、お戻りいただければと」
「わかった、すぐに行く。君は下がってくれ」
文官はすぐに引き返し、彼が城門をくぐるのを見届けてから、フォルは改めてこちらへ向き直った。
「君には、本当に感謝している。ありがとう」
「いえいえ、こちらこそ。フォルも、第一王子の仕事、頑張ってね。あなたが平和な国を作ってくれれば、私ものんびりできるんだから」
「それは責任重大だな」
「じゃあ元気でね、フォル」
ひらひらっと手を振り、フォルに背を向けた。王都の街の中はもう十分に知り尽くしている。道に迷うことなく、まっすぐ家に帰れる。いや、褒美ももらえることだし、今日は甘いお菓子を買って帰るのも良いかもしれない。そんなことを考えていると、腕を掴まれて引き止められた。
「ごめん……君の、本当の名前が知りたい。僕だけの秘密にするって、約束するから」
どこか縋るような必死さを宿した瑠璃色の瞳が、こちらの姿を水面のように映している。
そういえば、ノルンは母さんの名前だってバレてたんだっけ。
呪術師になった日から、ずっとノルン・フェーリとして過ごしてきた。呪いに命を奪われた父を想い続け、呪いを憎みながら、追いかけるように体を壊して亡くなった。その母の無念を継いだ、誰も呪えない呪術師の名前で。
もうこの世に『黒薔薇の呪術師』はいないし、呪われる心配ももうほとんどないんだろうな……
そう気づいたとき、呪術師ノルン・フェーリとしての役目が一つ、終わりを告げる。ようやく本当の意味で、過去に区切りがついたと思えた瞬間だった。
「私の本当の名前は……エイル。エイル・フェーリ」
エイルとして生きていくかは、まだ決めていない。けれどフォルになら、本当の自分の名前を教えてもいいと思えた。彼の中にだけでも「本当の私」が息づいて生きていってくれるなら、それは素敵なことだ。
「エイル……そっか、エイル……エイル──」
フォルは喜びを噛みしめるように、エイルの名前を何度も呼んだ。まるで彼自身の心の中に、名前ごと刻みつけていくように。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます!
この話をもって第一章完結となります。
次回から第二章に変わり、二人の恋の行方とその後までを書きますので、よろしければ最後まで見届けていただけると嬉しいです。
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