第13話 あり得たかもしれない、選べなかった未来
フォルはフォークを使い、にんじんのマリネ、ハムの盛り合わせ、豚肉の葡萄酒煮込みをそれぞれ一口ずつ口にする。どうやらお気に召したのか、表情を綻ばせている。慣れない空間で少し緊張した様子だったが、料理がそれをほどいてくれたらしい。
「久々のお肉の味はどう?」
「……おいしいな。柔らかく蕩けて、舌にじわっと馴染む感じがする」
「でしょ? この店は何食べてもおいしいよ。けど、もし口に合わないものが出てきても良いよね。それも面白いし、記憶に残ると思うよ」
「確かに……」
フォルは小さく息を呑むと、フォークを握っていた手をふと止める。テーブルの端、壁に立てかけたメニューへ視線を移した。
「じゃあ、このじゃがいもと玉ねぎのオムレツというやつを一つ頼んでみようかな……」
「オムレツ知らないの?」
「いや、卵だけで作られたものしか知らない。キッシュとは何が違うんだ?」
フォルは不思議そうに首を傾げ、興味深そうに『じゃがいもと玉ねぎのオムレツ』という字を見つめている。そんな細かいこと聞かれても、料理人でもない自分が正確に答えられるわけがない。
「……とりあえず食べてみたらわかるんじゃない?」
「それもそうだな」
すると、不意にフォルは小さく手を挙げる。それに気づいたカーラが、テーブルの傍まで来てくれた。
「じゃがいもと玉ねぎのオムレツ、それから……貝の酒蒸しとローストチキンもお願いしたい」
「いいね~、おいしそう!」
本当に頼んで良いのか、と目で訴えてくるフォルに頷いて答えると、安堵したように表情を和らげた。遠慮なんてしなくていいとは何度も言ってきたのに、それでも気にしてしまうようだ。
「オムレツ、酒蒸し、ローストチキンね。エビもそろそろ仕上がるから、すぐ持ってくるわね」
「エビ?」
「うん、エビ。お気に入りのやつ」
カーラは注文を小さな紙に書き込むと、足早にカウンターの方へと戻り、すぐに大きな皿を手に戻ってくる。テーブルの真ん中に置かれたのは、エビのニンニク炒めだった。
「わぁ~! これこれ!」
「殻、ごと……?」
殻がついたまま丸ごと一尾ずつ炒められたエビは、艶々と赤色に色づき、散らされたパセリの緑が鮮やかに映える。ニンニクとオリーブオイルの香りが、なんとも食欲をそそる。
「剥いてもいいし、殻ごと食べる人もいるよ。私は剥くけど」
熱々のエビをサッと一尾手で掴み、小皿に移す。その様子を見ていたフォルは、唖然とした様子で固まっていた。
「え、手掴み? 素手?」
「そうだよ。手で剥いて、そのままガブッと食べるの。熱いから火傷注意ね」
さすが王子。手掴みに凄まじい抵抗があるようだ。お手本を見せるため、火傷しないように指先を使い、エビの殻を剥いていく。そうして剥き終わったエビをパクッと一口で食べた。
エビの旨味とニンニクの香りがじゅんわりと口いっぱいに広がると、ふわふわと天にも昇れそうな心地になる。このプリプリの食感がまた、「食べてる~」という感じがしてたまらない。塩でシンプルに味つけされているからこそ、エビの良さが最大限に引き出されている……と、勝手に思っている。
「手が、汚れるが?」
「指までおいしい。手元の濡れタオルで拭いても良し」
「お、おぉ……」
一通り食べ方を見たフォルは、恐る恐る皿の上のエビへ指を伸ばす。サッと摘むと、自身の取り皿の上へと移した。そこから殻を剥こうとするが、なかなか上手くいかず悪戦苦闘している。
「熱っ……」
「頭取って、足側からベリベリーってするといいよ」
また一尾手に取り、フォルの速度に合わせて一緒に殻を剥きながら説明する。フォルもこちらの手元を見ながら、少しずつ殻を剥いていった。全て剥き終わったエビを、一緒に口にする。フォルは目を丸くしながらエビを咀嚼し、飲み込んだあと、指を口元に寄せた。
「おいしい。確かに、指までおいしいな……」
「でしょー?」
感激してくれているフォルの顔を見て嬉しくなり、エビのニンニク炒めと一緒に供された丸パンを手に取る。それを一口の大きさにちぎり、皿の隅の方のオイルをつけた。
「エビの旨味たっぷりのこのオイルがまたおいしいんだよね。こうやってつけると……パンが飲み物になる!」
「おいしいのはわかるが、さすがにパンはパンだな」
なんて言いながら、フォルも丸パンを手に取ると、オイルをつけて食べていた。彼の立場からすれば、品がないとか、野蛮だと言われたっておかしくなかったはずなのに。
だから、好きになっちゃったんだろうね。
フォルは驚きはしても、否定はしなかった。自分のやり方を頑なに貫くでもなく、こちらのやり方に合わせて同じ目線に立って、同じものを「おいしい」と味わってくれた。彼のあり方の温かさこそが、今日の料理により一層のおいしさを添えてくれていた。
* * *
街灯が明るく大通りを照らしている。王都は人も多く、始まったばかりの夜に人々が行き交っている。家路を急ぐ人、どこへ食べに行こうかと相談している人、店に呼び込みをしている人。いろんな人の声と気配、生活の音であふれている。
「はぁ~、お腹いっぱい。おいしかったー!」
「そうだな。面白い経験もできた」
「それは良かった、良かった~」
そんな音の一つになって紛れて、ほろ酔い気分で歩いていく。フォルは外套のフードを指で引き、さらに目深に被った。
「どうする? お金に余裕あるし、宿取ってそこから明日王宮行く? 近いし」
遠くに見える王宮を眺めながら、宿の玄関先で足を止める。けれどフォルは、静かに首を横に振った。
「遠くて構わない。君の家に帰りたい……僕は、フォルだから」
その瞬間、ほんの一瞬だけ音が消えたような気がした。ピンと糸を張ったような静寂に、フォルの声が木々のざわめきのように響いた。
フォルなら、私の家に帰るんだ。
フォルがフォルなら、一緒に暮らしていく未来もあったのかな。
ツンと染みるような微かな痛みを飲み込んで、笑う。弱気になってはダメだ。特に明日は、王宮での大勝負の日なのだから。
「寝台があまりにも粗末でカッチカチでも?」
「寝台があまりにも粗末でカッチカチでも」
まさか、言葉をそっくりそのまま返してくるなんて。フォルが可笑しそうに表情を崩すから、こちらまでふっと笑ってしまった。
「変わってるね。いいよ、帰りたいなら帰ろう」
王宮に背を向けて、二人は家へ向かって歩き出す。少しずつ王都の喧騒は遠ざかり、やがて二人の足音は音のない森の中へと吸い込まれていった。
家へと戻ったフォルは寝支度を整えても、寝ようとはしなかった。ただただじっと静かに、窓の外を眺めている。
「フォル~、まだ寝ないの?」
「寝たら明日になるから、もったいなくて」
「そう? じゃあ、私は寝るね。おやすみー」
寝室へ行こうと踵を返すと、ぐっと左腕を掴まれて引き止められる。
振り返ると、フォルはハッとして腕を下ろした。
「ごめん……おやすみ、ノルン……」
窓から差し込む月明かりを背に、フォルは泣いているように見えた。いろんなことを差し引いたって、自分を呪いで暗殺しにくるような人間がいる場所に帰りたいわけがない。
病に臥せっていることにされて、王位も婚約者も失って。術者は見つけられるかもわからないから、命の安全だって脅かされたまま。そんなの、心細いに決まってる。けれど彼は立場と責任のために帰り、こちらは送り出す。
明日は、フォルに呪いをかけた念者が誰なのか、確実に炙り出される。
それが誰だろうと、どんな思惑だろうと、疎まれている事実は……きっと悲しくて、傷つく。
「地獄になるってわかってて、腹括って行くんだよ。明日は私も隣で、地獄を歩いて、歩いて、歩ききって、最後は笑ってやるの。絶対」
「ノルンがそう言うと、本当に明日……最後は笑っていられるんじゃないかって思えるよ」
フォルは強がるように、弱々しく笑った。その弱さに気づかないフリをして、微笑み返す。絶対大丈夫、大丈夫にしよう……そんな祈りに近い思いを、胸の奥に忍ばせて。




