7通目 王太子の誕生日パーティ
来てしまった。
やって来てしまった。
王城で開催される夜会。
王太子レオンハルト殿下の誕生日パーティに!
平凡子爵令嬢の私が参加できるのは、単にセドリック様の婚約者だからである。
お願いしたいこととは、このパーティへの同伴だった。
ブライアント伯爵家からドレスも新調してもらって、メイドさんから髪も綺麗に結い上げてもらった。
御母上のセレナ様しか女性がいないから、若い女性の身なりを整えるのが楽しそうだった。
私はただ、されるがまま身を任せるしかなかった。
今はもう緊張なんてものじゃないわ。身体が震える。
「エイミー、大丈夫だから」
優しい声でセドリック様が声をかけてくれる。それすら聞き取れるか怪しいくらい、緊張している。
そうよ、大丈夫よエイミー。
隣にはセドリック様がいらっしゃるんだから。
背筋を伸ばして、堂々と。セドリック様の婚約者として恥ずかしくなく振る舞うのよ。
セドリック様のエスコートで広間へ入る。
広々としたフロアには大勢の紳士淑女が会話に花を咲かせている。
その間を給仕たちが淀みのない動きで動き回る。
フロアの片隅で演奏する楽団の音は大きすぎず、小さすぎず。洗練された技術が光る。
天井を見上げれば、煌めくシャンデリアがフロアを照らしていた。
フロアの奥にはレオンハルト殿下と王太子妃メアリー様が来客の挨拶の対応に忙しそうだ。
「見て、アレが浮気をした婚約者を蹴落としたエヴァンス子爵のご令嬢じゃない?」
誰の声が聞こえた。女性は耳が早い。蹴落としたという表現は心外だけど、まあ、事実だし。気にしても仕方ない。
「若いのに、やるわね」
「ええ、相手の浮気癖が酷かったらしいわ。それくらいしたって罰は当たらないんじゃなくて?」
おっと? 意外と心象悪く受け止めてる女性は少ないみたいね。あれか、もしかして悪く言っているのは男性だけか。
「ブライアント伯爵はよくあんな怖い女を婚約者によくできたな」
「年下の女しか、婚約者にできるのがいなかったんだろ」
聞こえてるわよ、そこ。
あなたたち、セドリック様のことバカにするほどいい男なの?
セドリック様をちらりと見上げるが、何食わぬ顔でレオンハルト殿下の方を見てらっしゃる。
気にしていないならいいわ。私にとっては最高の婚約者様だもの。
王太子様に近づくと、目を見開いて手を振ってくれた。
セドリック様はレオンハルト殿下の一つ年上で、学校に通っていた頃はよく顔を合わせていたらしい。
「王太子殿下、お久しぶりです」
セドリック様が頭を下げるのに合わせ、私もお辞儀をする。
「セドリック、無事に帰って何よりだ」
王太子様は安心した声色で声をかけた。顔を上げると、金髪碧眼の美男子がこちらを見ている。
「そちらが、噂の婚約者殿か?」
「え、エイミー・エヴァンスと申します」
「そう緊張しないでくれ」
声がカタコトになる私にレオンハルト殿下は笑いかけた。
無理です。王太子様の前で緊張しないほうが無理です。
「あなたの武勇伝は聞いています。よく頑張りましたね」
慈悲深い言葉をかけてくださったのはメアリー様だ。
なんということ。王太子妃様にまで私のやらかしが届いていたなんて。
「私の力だけではありません。友人たちの協力あってこそです」
「力を貸してくれるご友人は大事ですよ。良いご友人に恵まれましたね」
メアリー様もフローラ様たちを褒めてくださった。
本当に、あれだけ力を貸してくれた三人には感謝をしてもしきれない。
「セドリック、聡明な婚約者を得ましたね。大事にするのですよ」
メアリー様はセドリック様を見上げた。
「もちろんです」
セドリック様は力強く頷いた。
そこまではっきり言われると、ちょっと照れる。それがバレたのか、レオンハルト殿下は小さく笑っている。
レオンハルト殿下たちへの挨拶を済ませると、フロアの端へ移動する。
ああ、緊張した。
「あら、セドリック。随分と若い婚約者に乗り換えたのね?」
高飛車な物言いが飛んできた。
乗り換えたとは、違うんじゃないかしら?
声をかけてきたのは波打つ濃い紫の髪を背中に流した女性だった。腰はほっそりしているが、出るところはこれでもかと言わんばかりに突き出ている。
私とは正反対の体型だ。言ってて悲しい。
彼女の隣には気まずそうな顔をする男性の姿があった。
「ミランダか。何の用だ?」
セドリック様の言葉に棘がある。
お知り合いみたいだけど、なんか空気が悪い。
「元婚約者に随分な言い方ね」
ミランダ様はフンと鼻で笑った。
この人、セドリック様から他の男に乗り換えた元婚約者!?
えー、夜会で声をかけてくるとかどんな神経してるのよ。しかも喧嘩腰に。
ミランダ様はジロジロと私をつま先から頭のてっぺんまで値踏みをするように見る。
居心地がいいとは言えない視線だわ。
「こんな小娘しか婚約者に出来ないなんてお気の毒に」
いや、あなたが勝手に乗り換えたからでしょう。
「彼女を侮辱するような言い方はやめてもらおうか。聡明な女性だ」
セドリック様がミランダ様の視線から私を守るように前に出た。
ああ、なんか険悪ムードが悪化している。他の参加者も野次馬根性丸出しで聞き耳を立てているのがわかる。
社交の場なんてそんなものよね。
「いつ死ぬかもわからない軍人の婚約者になるなんて、どうせ伯爵家の財産目当てでしょう?」
ミランダ様は小馬鹿にしたように言って、口元を扇子で隠す。
財産かあ、考えたこともなかったわ。
うちも裕福ってわけじゃないけど、生活に困らないくらいの収入はあったし。
お金の計算はキッチリすることとお父様から言われてたからそこはちゃんとしている。
というか、戦死する前提で婚約者になるのはかなり失礼では?
とにかく、この険悪ムードで場を乱すことは避けなければ。
「だから――」
私はセドリック様の袖を軽く引いた。気付いたセドリック様が言葉を止める。
ひょこっと、セドリック様の背中から私は顔を出した。
「ミランダ様。今、幸せですか?」
私の問いが意外だったのか、ミランダ様はちょっと目を見開いた。それから扇子をパチンと閉じて勝ち誇ったような顔になった。
「ええ、幸せよ。優しい夫がいて、子供もいて、最高よ」
優しい夫って、言うこと聞いてくれるって意味に聞こえるわね。
旦那様、ずっとおどおどしっぱなしだもの。止めなさいよ、自分の妻の暴走よ。
まあ、それは夫婦の問題だから放っておこう。
「セドリック様。今、幸せですか?」
私はセドリック様を見上げた。セドリック様は戸惑った表情を一瞬だけ見せたが、優しい笑顔で頷いた。
「ああ、幸せだ」
「ならいいではありませんか。お二人の過去は私にはわかりません。でも、今、お互いが幸せなら、それは良いことですわ」
ニッコリとミランダ様に笑顔を見せた。
これ以上、何か言うならあなたの評判は下がりますよ、と。小娘の考えることなんて、大人の女性にはお見通しだろうけど。
ミランダ様はフンと鼻を鳴らして身を翻した。「行くわよ」と夫に告げて去って行く。
旦那様はそそくさとそれについて行った。
王女様と従者みたい。
「どちらが子供かわからないわ」
「聡明な子ね」
ひそひそとご婦人たちが囁き合うのが聞こえてきた。
とりあえず、場が治まって良かった。
「すまない、エイミー。気を遣わせてしまって」
「いいえ。ミランダ様の言い方は、ちょっと気に食わなかったので抵抗してみただけです」
セドリック様が申し訳なさそうにする必要なんてないわ。喧嘩を吹っかけてきたのはあっちだし。
私はここではまだ子供扱い。ちょっとくらいイタズラのようなことをしたって、誰も気にしないわ。
それどころか、子供じみたことをするミランダ様のほうが呆れられるもの。
その様子を、楽しげにレオンハルト殿下が見ていたことを、私は知らなかった。
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