2通目 戦地帰りの伯爵様
私は、自由だーっ!
なんて言っている暇はなかった。
順風満帆に自由を謳歌しようとした矢先に、新しい縁談のお話が持ち上がった。
早くない? おかしくない?
私は自分の手で婚約者の浮気情報をかき集めて、婚約解消を叩きつけた女よ?
流石に貴族の令嬢がするには度が過ぎていると、社交界ではあまり評判が良くないのよ?
お相手は十歳も年上のお方。
セドリック・ブライアント(28)。
昨年末まで戦闘状態にあった隣国との戦場から帰ってきた、人呼んで『鮮血の伯爵』。
私の情報網――正確にはフローラ様からの情報――によれば、婚約していた相手が、帰りを待たずに別の殿方と結婚して子供までいるそうだ。
待つか、婚約を断るか、どっちかにしないさいよ。
確かに戦場になんて行ったらいつ亡くなってもおかしくないけれど、不誠実にもほどがあるわ。
我がエヴァンス家の階級は子爵。伯爵家との縁談を会う前から一方的に断るわけにもいかない。
会うだけ会おうということになり、週末に学校から近い我が家へ来ていただくことになった。
本来ならこちらが出向くべきなのだろうが、私が学生という身分であることを考慮してくださったのだ。
と、言うわけで週末。
我が家を訪れたのは、長身で体格のいい男性だった。短く整えた髪と鋭い黄色の眼差しは猛禽類を連想させた。
軍服ではなく、フォーマルなスーツを着こなしているが、鍛えられた身体は窮屈そうに見えてしまう。
精悍な顔の頬に大きな傷がある。戦地でついてしまった傷かしら。
深そうで、縫われている糸がはっきりわかる。見ているだけでも痛々しい。
寡黙な方なのか、付き添ってきた御父上しかお話にならない。
御父上は息子がいかに武功を上げてきたかを熱心に説明されている。
時折、セドリックさまの眉間にしわが寄った。事実と違うところがあるのかもしれない。
私の両親は機嫌を損ねぬよう、愛想笑いを浮かべている。
まったく口を開こうとしない息子に御父上がしびれを切らしているようだ。ちらちらと何度も視線をセドリック様に送っている。
「セドリック様、せっかくですので我が家の自慢の庭をご覧ください」
私は立ち上がってセドリック様を促した。御父上が行ってこいとセドリック様の背中を押す。
立ち上がったセドリック様の隣に立つと、背の高さがよくわかった。彼と目を会わせるには、少し上を見上げねばならない。
でも、そんなことは些細なことだわ。
私は「こちらです」と促して、部屋を出る。両親の空気が気持ち悪くて部屋を出たかったからちょうどいい口実だった。
中庭に出て、庭師が丁寧に剪定をしている花壇を見て回る。
肩より少し長い髪を今日は結っていなかった。風で顔にかかる。結っておけばよかった。眼鏡に引っかかるわ。
花の時期ではない低木は綺麗に整えられて、緑を咲かせている。
今の季節は紫色のラベンダーが香りを漂わせていた。
「お花の匂いは気になりませんか?」
私はセドリック様に尋ねた。花の匂いに敏感な人は香りが強い花を嫌がることがある。
セドリック様はゆっくりと首を縦に振った。平気らしい。良かった。
「すまない、気を、遣わせて、しまって」
ボソリと声が聞こえた。セドリック様の声? 身体に似合わないほど小さな声だった。
見上げると、申し訳なさそうに眉を寄せる顔があった。
「構いませんわ。私、あの空気が嫌だったもので、逃げる口実にしてしまいました」
セドリック様が悪いわけじゃない。私が逃げる口実にしたのだ。
「見合いの件は、断ってもらって、構わない。父が、勝手にしたこと、なんだ」
セドリック様は歯切れ悪く言った。何だか、声を出すのが大変そうに聞こえる。言葉がもごもごしていた。
見合いの件は、まあともかく。どこか具合でも悪いのかしら?
見上げた私の目に留まったのは、深そうな頬の傷跡だった。
セドリック様はそこを指で触る。
「このケガが、治るまで、話しにくいんだ」
「そうでしたのね」
これでようやく合点がいった。病気とかじゃなくて良かった。
「お命にかかわるケガでなくて、本当に良かったですわ」
セドリック様がいた戦場は、激しい場所だったと聞いている。そんなケガだけで済んだのは、幸運だったのかもしれない。
亡くなった方だって、たくさんいるのだろうから。
セドリック様は驚いている。
「キミは、俺が、怖くない、のか?」
怖い? セドリック様が?
ああ、『鮮血の伯爵』の件かしら?
猛禽類のように鋭かった目が、猫のように丸くなっている。
ちょっと可愛らしいと思ってしまった。
「お話にならない時は機嫌が悪いのかと思いましたが、本当に不愛想な方は、ここに来ても何もお話しになりませんよ」
ビクター様は不愛想を通り越して、早く帰りたいだの、遊びに行きたいだのと騒いでいた。
それに比べたら、ずっとまともである。さすが大人の男性。いや、アレが幼稚すぎたのか。比べたら失礼だわ。
「そうだ。お話しできないなら、お手紙でやり取りしませんか?」
「いい、のか?」
セドリック様の声が少し嬉しそうなものになった。
「婚約者を陥れたような女でよければ」
私は澄まして言った。私がやったことを、セドリック様も知っているはずだ。
もう、簡単に縁談は舞い込まないだろう。
セドリック様は口元に小さな笑みを浮かべた。
「気を付けよう」
交渉は成立のようだ。
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