祝!!在宅ワー苦!?
今日も今日とて、我々には平和という名の巨大な退屈が居座り続けていた。
窓から差し込む日差しは無駄に暖かく、オフィスに響く音といえば、壁の時計が針を刻む音と、自分の部屋ではなくわざわざオフィスで事務仕事にいそしんでいる、ベルトのペンを走らせるカリカリという静かな摩擦音くらいだ。
それ以外の者は重力に負けてソファーで溶けているか、デスクに突っ伏したりする等、各々のやり方で惰性を謳歌している。
(ジリリリリリリンッ!)
そんな流れる時間が外の半分くらいの空間であくびをしていると、1通の電話が届く。
「ばぁうっ!?」
1番電話に近かったミリーが、急な爆音に跳び跳ねる。体感1.5メートルは飛んだね。
「あーびっくりした!もしも~し。第三部隊警察署受付係のミリーちゃんで~す」
一呼吸置いてから、心配になるようなユルさで対応する。…のだが、受話器から発せられる声を聞いている内に、ミリーの表情がどんどん固くなる。
「はい、はい…え!?ビクともしないんですか?…ふむふむ、わー!ダメですダメです!それは危険です!ちょっと待っててください。緊急出動します!」
「お!なんだなんだ、危ねぇ仕事か?金になりそうじゃねぇか」
テッドが美味しそうな話を聞いてムクリと起き上がる。なんて悪い顔だ。
「その賊っぽい発言と顔をやめろ。俺まで悪者みたいになるだろ」
「はっ!正真正銘、俺たちは正義の味方だ。安心しろ」
自分の胸をドーンと叩いてふんぞり返る。なにが『正義の味方』だ。『悲劇の味方』の間違いだろ。はい、大嘘こいた罪で逮捕っと。
「ほいで、通報の内容は?」
テッドは期待に満ちた目をギラつかせ、今にも飛び出しそうな勢いで乗り出す。
「えーっと、近所のおばあちゃんからなんですが、缶詰めが全然開かないらしくて…『こうなったら包丁でこじ開けるしかない』って言い出したんです」
「はぁ?んじゃあ緊急出動ってのは?」
「だって刃物ですよ?一歩間違えれば大惨事です!だから私がサクッと行って、サクッと解決してきます!」
胸を張るミリーに、テッドが力なくソファーに沈み込む。
「なんでぇ、金儲けじゃねぇのか…」
「そんなうまい話、中々お目にかかれないからね」
奥で書類に目を落としたまま、ベルトは冷静に付け足す。
「そういうわけなので、行って参り――」
カバンを持ち敬礼を1つかましてなんか言おうとしてたが、途中で自動ドアがすうっと静かに閉じ、彼女の声はガラス1つ隔てた向こう側へと吸い込まれていった。
パタリ、と途切れさせた余韻を残して。
嵐が去り、野郎3人になったオフィスは再び静まり返る。
部屋に残されたのは、時計が刻むチクタクという規則正しい音と、ベルトのペン先が書類を滑る摩擦音だけ。
さっきまでの熱気が嘘のように、静寂がじわじわと空間を埋め戻していく。
嵐の去った空を眺めるような気持ちで、俺は静寂に身を委ねようと意識を沈めようとした。
すると、視線の先で首を悪くしそうな角度でこちらを見つめるテッドと目が合った。
「なぁ、世の中の男を2分する究極の2択ってあるじゃん?お前なら『美人系』か『可愛い系』、どっちを取る?」
「あ?…あー…」
なんの脈絡もないというのは百も承知で思考する。悩ましすぎるなぁ。友達として関わっていくなら『可愛い系』、恋人として関わっていくなら『美人系』になるのか?いや、それじゃあ『美人系』であった場合毎日の生活はどうなっていくんだ?いやいや、そもそも『可愛い――
「――おいショウ、戻ってこーーい」
ガックンガックンと肩を揺さぶられ、俺の脳みそは強制的に思考の波から引き上げられた。
目の前には、至近距離でこちらを覗き込むテッドの顔。
「あーあー俺が悪かった。まさかここまでガチで悩むとは思ってなかったんだ。…んで、結局どうなんだ?ほら言ってみろ、美人か、可愛いか!?」
全然反省していない顔でグイグイ距離を詰めてくる。
キスでもされようもんならあの世に逝ってしまうことだろう。そんなこと、あってはならないが…。
悪意のないウザさに当てられ、俺は深く溜め息をついた。
その時だった。
さっきからずーっと規則正しく響いていた、ペンの摩擦音が、不自然にピタッと止まったのは。
ピリッ。
それと同時に背後からとてつもない気配を感じる。殺気?のようなものすごい感情が後ろから覆い被さるようになだれ込み、思わずテッドを押しのけ立ち上がる。
「動かないで」
突き刺すような言葉に、その場で動けなくなる。
実際俺の足に釘でも刺されてるかもしれないが、首の角度的に確認しようがない。
「なーに?」
小声の時特有の、細くかすれた声で問い掛ける。
「見て」
視線だけ動かし、まずベルトの方を見やる。
ベルトはなぜか腰の剣に手をかけ、いつでも居合いを放てるような極限の低い姿勢を取っていた。顔は、麺の茹で上がりを見極める職人のような険しい表情で、その鋭い視線は間違いなくデスクへ注がれている。何と戦うつもりなんだ?
その視線を追って、デスクの上の書類に目を向ける。
「…ハッ!?」
息が止まった。
デスクの中央、真っ白な書類の上にそいつはいた。
油を煮詰めたような濁った黒光り。細長い胴体からは、関節があらぬ方向へ折れ曲がった複数の脚が生え、紙面にベッタリと張り付いている。
背中に浮かび上がる不気味な斑点模様と、意思でも持っているかのようにうごめく2本の長い触覚。
本人はほんのアクセントかのようにしているかもしれないが、脚の先から生える細かい産毛がなにより激キショだった。
うっひぃ~、なんちゅう造形してやがんだ。もはや神様が製造段階で悪ふざけしたとしか思えない。
心の中で悲鳴を上げながら、俺の身体は大の字になったままの情けない体勢で硬直する。
「下手な刺激は止めてね」
後ろから聞こえるベルトの声はいつもの数段低く、切実だった。
しっかしベルト程の者ならスパッと切り飛ばして終わりなもんかと思うんだが、なぜそうしないのか?そのような思考がよぎる。
俺の疑問を察したのか、ベルトは細く息を吐きながら、苦渋に満ちた声を絞り出した。
「あの虫が乗っているのは、僕が1週間不眠不休で書き続けてる『今期予算申請書兼活動報告書』なんだ」
「おぅっぷす…」
「普通に切れば体液が付いちゃって終わり。かといって紙を揺らしたりして追い払おうとすれば、危険を察知したヤツは分泌液を撒き散らすんだ。ホント、たちが悪いよね」
詰んだ。完全なるチェックメイトだ。
なんという策士、彼は書類の上に乗っているだけでベルトの集大成とも言える超重要書類を人質に取っているのだ。
今ここでミスれば、書類は汚物にまみれベルトの1週間の努力とメンタルが崩壊してしまうことだろう。
なるほど、だからこその必死さだったというわけだ。
はて、でも待てよ?
そんな緊張感の漂う中で、ふと横にいる男の存在を思い出してしまった。
さっきまで美人系か可愛い系かというこの世で最も不毛な議論を大声で押し付けてきた男の気配が、不自然なくらい完全に消えている。
息づかいすら聞こえない。ショックで泡吹いて倒れたか?
…気になる。そりゃあもう猛烈に。
でも俺はわかる。多分向いちゃいけない。そのようなことを、俺の脳内の警報が必死に訴えかける。
この状況で未知の領域へ踏み入れるのはリスクが高すぎる。もしアイツが妙なことをして俺が反応しようものなら、その振動で虫がパニックを起こし、全てが終わる。
絶対に見るな。前だけ見てベルトの邪魔にならないよう徹するんだ。
そう自分に言い聞かせる。言い聞かせたのだが――
俺の知らないところでダウンする?…嘘だ。あの男が素直に大人しくしているハズがない。なにも聞こえないその「静けさ」そのものが、恐ろしいほどの違和感を放っている。
気になりだしたら最後。人間、確認しなければいてもたってもいられないってもんさ。
心の葛藤とは裏腹に、吸い寄せられる磁石のように俺の目玉はじわじわ横滑りし始める。
だんだんと視界の端が開けていく。
じわり、と捉えたソファーの光景。
「――ンンッ!?」
そこにいたのは、俺の想像を遥かに越える、不条理な光景だった。
テッドは肘を付いて、悠々とこちらを見つめている。
ポーズ自体はまぁ、よくある寝っ転がりながらテレビを見ているような、くつろいだものだ。
問題は、その顔面だ。
…誰だアイツ。
普段のニヤニヤした表情はどこへやら。まるで古いアメコミから飛び出してきたかのような、劇画調の超絶渋い男がいた。
照明の影が不自然な程濃く落ち、彫刻のように深い眉間の皺。ギリッと噛み締められた顎のラインは岩のように頑強で、瞳の奥には何千もの戦場を潜り抜けてきたかのような、重苦しい虚無が宿っている。
「――ンククッ…!」
とっさに下唇を噛んで込み上げる笑いを押し殺す。ついついブレーキ音みたいなのが漏れるのは致し方ないだろう。
なぜ…なぜ今、その無駄なクオリティのハードボイルドをぶち込んできたんだ!?
落ち着け、冷静に、深く、息を吸ってー吐いてー。
ダメだ。一向に収まる気がしない。むしろ目をそらそうとしたのが裏目にでた。脳裏に焼き付いた作画コストの高い顔がリフレッシュされず、網膜の裏で自己主張を続けている。
あぁヤバい。腹筋が痙攣を始める。あの顔で『BAAANG !!』とか『DOOOOM!!』とか背負って戦うところなんて想像したもんなら即終わりだな。
そう考えただけでダメだった。グルグルと脳内を回る言葉の渦の中から派手なコスチュームに身を包んだテッドの姿が――
「っブフォwwwッッ!…おっと」
無理だ。思いっきり吹き出してしまい、慌てて口を押さえる。
幸いにも黒い悪魔は動くことなく、わしゃわしゃと見せびらかすように触覚を動かしている。
「はぁ…」
ベルトが安堵に満ちた溜め息を吐く。
「悪い…」
小声で謝罪する。いやこれ俺悪くなくね?テッドが余計なことしやがったせいでなっちまったんだし。後でシバこう。
「なんとか、刺激せずに済んだみたいだね」
息を潜めながら、ゆっくりと反対側の手でコップと下敷きを取り出してきた。これら由緒正しい撃退方法だ。さすが、手慣れているな。
「タイミングを計って確実に捕獲するよ」
死闘のカウントダウンが始まる。ベルトの目は真剣そのものだ。コップを握る手がわずかに震えている。
じりじりと間合いを詰め、コップを標的の真上へと掲げる。
息を呑む緊張感。空間がピキピキと凍り付くような静寂――
「たっだいまーー!!サクッと解決してきましたよぉーーっ!」
「!?」
突如として開いた自動ドア。そこから飛んできたミリーの元気すぎるハイトーンボイスが、オフィスの静寂を容赦なく粉砕した。
その瞬間、爆音に驚いた黒い悪魔の全身の毛が逆立った。
(カササササッ!)
パニックを起こした悪魔が超高速で駆け出し、暴走を始める。
「やるしかない!」
振り下ろされるコップ!スライドする下敷き!
だが、あまりの速度と焦りによるものか、精密動作性が狂う!
(プチッ)
「あっ」
コップのふちが、悪魔の身体にジャストミート。
静かな、しかし決定的な音がオフィスに響き渡る。
恐る恐るコップを持ち上げると、鮮烈で禍々しい暗緑色の体液が、まるで呪いのように憑いてきた。うへぇーキッショ。
「あれあれ?なんですかこの空気。ベルトさん、どうしてそんな暗い顔してるんですか?ほら、ハッピーハッピー!!」
ぜーったいそんなノンキなこと言ってる場合ではないのに、空気の読めない彼女は愛想を振り撒いている。
「ミリー…」
「な、なんですか?」
「今日は夕飯抜きだね」
「えぇー!?なんでですか!そんな理不尽認められません!!」
絶望的なタイミングで入室してしまったせいで、夕飯抜きという理不尽が降りかかる。
「ねぇーテッドさんもなんとか言ってくださいよぉー」
「…え?あ、あぁ俺の夕飯分けてやるよ」
「ホントですか!やったぁー!!」
今回一番の戦犯は、バツが悪そうに頬を掻いて答える。本来飯を抜かれるべきなのはコイツなのに…。
「もちろんショウも分けてくれるよな?一蓮托生って言うだろ?」
「なに言ってんだ。ボスの粋な計らいを無下にすることなんてできゃーしません。わたくしのことはどうぞ、お気になさらず」
やっぱり飯を分けるのが嫌になったのか、俺にそれとなく助けを求めてきたが、しっかり罰ゲームは受けてもらうぜ。
「ミリー?やっぱ無しにしてくんね――」
「テッドさん、大大だーい好き!!」
そう言って、ミリーはテッドの腕にしがみ付き顔をうずめる。
うわぁ、キッツー。あんなことされたら今さら断るのは至難の技だ。もしくはそれをわかってやっているのか?だとしたら相当な悪女だぜ。
「は…はは。うん…俺も…好き…だぜ…はは」
まぁなんだ、お疲れ。
命拾いした俺と、無惨にも汚染されてしまった書類を拾い上げ虚ろな目で見つめるベルト、そして悪女に骨抜きにされてしまったテッド。
「さぁて、俺は部屋に戻って寝るか」
比較的ノーダメージな俺は、巻き込まれる前に独り言を呟くと、静かで平和な退屈の中へと戻っていった。
~続く~
ここまでお読みいただきありがとうございました!!
お家でゴロゴロ過ごすような話にしようと思ったのですが、どうしても知らない間にバタバタした展開になってしまいます(泣)。執筆中、なぜ急にテッド君が劇画調の顔面になってしまったのか不思議でたまりません。
功労者であるベルト君には、後で美味しいものでも奢ってあげようと思いますね。
では、また来週~。




