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祝!!幸せ!パン食べ放題!?

 緑がある生活というのは、これ程までに心を癒してくれるものなのか。報酬金で金に余裕が出来たので、さっそく小さな観葉植物を買ってみたのだが、大正解だったらしい。

「可愛いなぁこの野郎」

 恐らくこの世で最も優しい「この野郎」宣言だったことだろう。じょうろからこぼれる水が太陽の光を反射してキラキラと輝く。植物が潤うように、俺の財布も潤ったわけだ。

 穏やかな時間を過ごしていると、どんな理不尽な出来事も笑い飛ばせるような気がしてくる。

 そんなことを考えながらニヤニヤしていた、その時だった。

「…スー。このにほい…」

 俺の鼻腔が妙な匂いを検知した。

 香ばしくて優しいのだけど、凶悪なまでに濃厚な小麦とバターの匂い。

「パンだ」

 決して動物の「パンダ」ではないことをここに明記しておく。しかし近所のパン屋が焼き上がりを迎えたとか、そういう生ぬるいレベルではない。なんつぅか、この建物自体がパン屋にでもなったかのような、嗅覚を物理的に圧迫してくる程の圧倒的質量。

 フィーリングによりいつもより重たい扉を開け、吹き抜けになっている手すりに手を掛けた。

 見下ろしてみたものの、再び部屋へと戻り、鍵を掛け、見た光景を忘れ去りたい気持ちに駆られた。

 視界の8割は茶色い紙袋の山で埋め尽くされている。修繕しきれていないオフィスの雰囲気も相まって、まるでアンティークなパンの流通倉庫のようだ。部屋中に立ち込める熱気とバターの匂いはもはや軽い兵器の域に達している。

 茶色い山脈の中心で、我が上司が絶望に打ちひしがれている顔で立ち尽くしていた。辺りは照明で明るいのに何故かアイツの顔だけ暗い影がかかっていて、哀愁を漂わせている。

 うん、状況を整理しよう。まずあの袋に印字された可愛らしい小麦マークは、テッドが日々パトロールと称してストーキングしている例のパン屋のものだ。そして、男のポケットから覗く空っぽの給料袋。

 さしずめ、いつものように色目を使った結果、なんらかの見栄を張って「店のパン全部買う」とでもタンカを切ったのだろう。そして、姉ちゃんに身ぐるみ全部剥がされ、大量のパンの山と共にここへ強制送還された――といったところだろう。

 面倒事に巻き込まれない内にちゃっちゃか身を隠そう。

「ショウ、そこにいるのか」

 部屋に帰ろうとドアノブに手を掛けたところで呼び止められる。付き合ってやる義理はないので無視してドアノブを捻る。

「待ってくれ」

 今度の買い物では肥料でも買っておこうか?

「パン屋の姉ちゃんにまつわるイイ話を聞かしてやる」

「なんだ?」

 テッドは椅子に座り手を組み真剣な面持ちで語り出す。

「聞いてくれ、俺が店に入ったらよぉ、やけに仕立てのいいスーツを着たいけ好かねぇ男がいたんだ。そしたらソイツが『今日の分のパン、全部買い占めたい。君を早く帰らせてあげたいからね』ってな」

「ほーーん?」

 俺はドアノブから手を離し、腕を組んだ。十中八九嫌な予感しかしなかったけど…。

「あんなカッコ付けてよぉ、対抗意識燃やしたわけじゃねぇけど、なんとなく俺が『んな男の怪しい誘いなんてビリビリに破いて捨ててやる!俺が買う、倍の値段でな!!』って言ってやったんだ…」

 途中まで自分が正義のヒーローかのごとく胸を張っていたが、だんだん元気がなくなり縮こまる。小っさい背中だ。惨めさで言えば全世界探してもこれ以上の逸材はいなさそうだと確信する。

「…で、オチは?」

「スーツの男はフッて笑ってそのまま店を出ていきやがった。姉ちゃんは『ありがとうございます!ヒーローみたいです!』って言ってくれたんだけどよぉ、そん時は良かったんだ。これで好感度爆上がりってな?んでも後々考えたらアイツの顔パン屋のカウンターで見た気がするんだ」

 マッチポンプ。今の状況を表す言葉としてシンデレラフィットしたのがこの言葉だ。探していた最後のピースがハマったような感覚が押し寄せ、ドーパミンが分泌される。

「まぁなんだ、ドンマイ」

「なぁにが『ドンマイ』だ!このパンどぉすんだよ!金無くなったよ!全部全部無くなっちゃったよぉ!!」

「うっせぇ!元はと言えばテメェのクッッソショウもねぇ下心と見栄のせいだろ!逆ギレしてんじゃねぇ!」

 もうメチャクチャ。今俺にできる嫌がらせとしてはこうして上からツバを飛ばしてやるくらいだろう。

「な、なんとかしなくてはっ!そうだ!その辺のヤツに食わして在庫処理はどうだ?」

「あーうん、いいんじゃね?ほな俺はこれで」

「ショウ様ぁ~そこをなんとかぁ~。俺たち仲間だろ?」

「確認する程の仲なら聞く義理は無い!グッバイさよなら!」

(バァン!!)

 軽快な音を立てて扉を閉める。扉の奥から何かほざいてるっぽいが、もー知らん。俺には大切な植物ちゃんがいるんだもんねー。

「お待たせベイビーたち。ほら、水だよ」

 とんだ邪魔が入って来たけど、じょうろを傾け水を注ぐ。やっぱりこれだ。心穏やかな波に包まれていく。

 だが、その平穏も3分と続かなかった。

「んぁ?んだこれ、うわ!臭!」

 さっきのような焼きたての香りではない。時間が経ち脂が回り始めたちょっと重くて、少し湿気たあの匂いだ。

 部屋の空気がじわじわとバターの湿気で侵食されていく。このままでは俺の聖域がパン屋のゴミ箱一歩寸前になってしまう。

「こうなってしまっては…やむを得んッ!」

 重い腰を上げ、再び扉を開ける。ずっと強い匂いが襲い掛かってきたが、もう怖いことなんて無い。全ては俺の植物ちゃんの為に。

 悠然と階段を下りるその姿は、まるで恋愛ゲームの主人公さながらだった。

「おぉ!戻ってきてくれたのか!」

 テッドは神でも崇めるような目で見つめてきた。まぁそうだろう、実際助けを求める迷える子羊を助けに来たのだからな。

「他のメンツは…パトロールか…」

 今週の当番が当たっていたベルトとミリーはいない。

 人手が足りないか?そう思っていた頃、入り口の扉が開く。

「ただいま戻りまし――うわぁ!?なんですかこれ!」

「あー…テッド君、これはどういうことだい?」

 パトロールから帰ってきたメンバーたちが、目の前の衝撃映像に目を見開く。焼きたてのタイムリミット、そしてメンバーの帰還。ピースは揃った。

「ちょうどよいところに帰ってきたな」

 2人の前に仁王立ちする。

「えと、ショウさん?状況を説明してください」

「説明している暇は無い。各自水分を確保しろ。これより全財産を賭けたブレッド・デスマッチを開始する!」

「動揺している場合じゃなさそうだね。やれやれ、言われた通り水を汲んでこよう。あとショウ君、キャラがぶれてるよ」

 呆れ顔のベルトはすぐさま台所へ向かい、遅れて状況を理解したミリーが悲鳴を上げる。

「えー!ちょっと待ってください!全財産ってなんですか?っていうかこのパンの山は?私さっき外でクレープ食べちゃったんですけど!」

「黙れ。言い訳なんぞ胃袋にでも叩き込め。戦いはもう始まっている」

 俺は容赦なく、一番近場にあった調理パンの袋をミリーの胸元に放り投げた。

 そこへ、グラスに並々と注がれた水を抱えたベルトが戻ってくる。その足取りは無駄に洗練されていて、どこに出しても恥ずかしくない一流のバーテンダーのようだ。

「さぁ、準備はできたよ。僕たちは何をすればいいんだい?」

「まずは外周からだ。冷めると固くなるフランスパン系と、脂が回ると凶器に変わる揚げ物系を片付ける。テッド、お前は中央の巨大カツサンドの山だ。自分の犯した業の深さを、パンと一緒に噛み締めろ」

「やってやらぁ!」

 半泣きで自分の顔程もあるカツサンドに食らい付く。それを合図に、俺たちの防衛戦が本格的に幕を開ける。

 ガサガサと激しい袋の音が響き、オフィスは一瞬にして地獄の配給所と化した。

 必死の形相でフランスパンをかじる俺、直前のクレープの後悔を涙ながらに訴えつつ惣菜パンを詰め込むミリー、そして顔面をソースまみれにして巨大なカツサンドと死闘を繰り広げているテッド。

「…うん、やっぱりここのクロワッサンは、冷めかけててもバターの風味が素晴らしいね」

 皆が地獄に真っ向から勝負をする中、1人だけ優雅な実食レポートのような声を漏らす男がいた。

 俺は咀嚼(そしゃく)を一度止め、視線を横に向ける。

「おいベルト、なんだそれは?」

 振り返ると、ベルトは手元のグラスに並々と注がれた水を俺たちの前にそっと差し置き、自分のマグカップを持っていた。

 ふわりと、小麦の熱気を押しのけて漂ってくるのは、淹れたてのブラックコーヒーの高貴な香りだ。

「僕はこの後も仕事がびっしり詰まってるからね。こんなところで戦闘不能になるわけにはいかないんだ。ということで、ここからはみんなを応援させてもらうよ」

「そりゃあズルぃだろぉ…」

 仕事を引き合いに出されてはこれ以上何も言えない。しかし、ベルトの優雅なティータイムは、俺たちの咀嚼音と、喉を鳴らして水を流し込む音でかき消されていく。

 そこからは時間との戦いだった。

 あまりの苦痛にダウンしかけたとき、お互いに肩を支え合い励まし合った。

「テッド、まだ立てるか?」

「…へっ、…余裕、だぜ…。ミリーは?」

「吐いていいですか?」

「全員満身創痍か、でも見てみろ。もうすぐだ!」

 泥臭く、美しく繋がれるパンというバトン。自然と仲間意識が芽生え、フォローに回るその姿はまぎれもなく1つのチームだった。背景に鳴り響くのは幻のブラスバンドの応援歌。甲子園のマウンドに立つ球児たちの熱い汗が、今、このパンまみれのオフィスで飛び散っている。

「これが、俺たちの……全力だぁぁーー!!」

 最後の塊となった塩パンを3人がかりで掴み、一気に口へと放り込んだ。

「…終わった、のか?」

 誰かが呟いた。

 視界の8割を埋め尽くしていた茶色い紙袋の山は消え去り、そこにはただ、もぬけの殻となった大量の空き袋が散乱しているだけだった。

「見事な戦いぶりだったね。面白いものを見せてもらったよ」

 特等席でコーヒーを飲み干したベルトがフレッシュな笑顔を見せる。その笑顔すらぼやけているわけだが…。

 他2人は声すら出す余裕すらなく、死んだ魚のような目をしてぶっ倒れている。

 ホントに勝ったんだよな?そう疑う程に俺たちはボコボコだった。

 大量のパンを完食するというミッション自体はクリアできたのなら、勝ったと言って差し支えない。しかし、それにしては失ったものが多すぎる気がするんだ。

 とりあえず、俺の聖域を取り戻す新しい戦いは明日から始まりそうだってのは確かだった。



 誰もいない自室。僕はタンスの引き出しの中から1枚の硬貨を取り出した。なんの変哲もないただの硬貨ならどれ程いいことかと思うが、残念ながらこれは偽金だ。

「君…いや、君たちはこれで何をしようとしているんだい?」

 指の先でつまみ、日にかざす。

 不安を煽るかのように光を反射しソ(・)レ(・)は、妖しく光っていた。



 ~続く~




ご一読ありがとうございます!

この話を執筆している途中で感情移入しすぎたのか、謎の胃もたれに襲われてしまいました(笑)。

実を言うとテッド君が一番の大食いかと思いがちですが、ミリーちゃんの方がテッド君の3倍は食べます。そんなミリーちゃんがあの体たらくでしたので、外食の量は相当なものだったことでしょう。

どんな量でも絶対残さないその姿勢、キュンです♡

おや?誰か倒れたようだ……。私のせいじゃないですよね?

では、また来週~。

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