【外伝】いつか、あの真っ赤な花畑で
これはまだ、ショウがこの世界に転生してくるよりも、ミリーが第三部隊に配属されるよりも、昔々のお話――。
今の第三部隊を見れば誰も信じないだろうが、当時はミリーの元気な声やショウの鋭いツッコミもなかった。たった二人きりの第三部隊が出張先の王国で直面した悲劇の記録である。
その日、俺たち二人は新しくできた第三部隊を一目みたいと王国に招待され、今はその歓迎式の最中だ。いやになるほど豪華なお出迎えに耐えきれず隣を歩くベルトに苦言する。
「なんだよこの歓迎式。なんでもかんでもキンピカにすりゃいいってもんじゃねぇぞ。」
俺の言葉に困ったように苦笑したベルトは優しい口調で諭してくる。
「気持ちは解るけど、今ここでそんなこと言えば即刻打首だろうね。」
「おぉ、怖ぇ。」
軽口を叩き合いながら兵士たちでできた壁の内側を歩いていく。城の中へ入ると今度は顔も知らねぇ貴族や大臣どものくっだらねぇ話がダラダラと続けられ、国王の話に関しては一時間は喋り続けた。仰々しい儀式が終わりようやく休める部屋へと案内される。持っていた荷物を全部投げ捨て、ふかふかのソファーにダイブする。
「だぁー、クソ!肩凝って死ぬかと思ったぜ。なんであのオッサンどもはあぁ話したがるんだ?」
「お疲れ様。僕はこれから各科の代表と少し資料のすり合わせに行ってくるよ。」
「えーえーどうぞ行ってください。俺ぁー城んなか探索してメイドさんとでも遊んでくらぁ。」
背中越しに手を振ってベルトにGOサインを送る。「くれぐれも羽目を外しすぎないようにね。さっきも言ったけど打首にされちゃうからね。」
お前はおかんか!何度も何度も念押しするベルトの言葉をシャットアウトしてアイツが部屋から出ていくのを待つ。覗きのために身につけた空間把握能力でベルトが退出したのを感知するやいなやソファーから降り立ち、部屋を飛び出した。
「うし!可愛いメイドさんとの出会いが俺を待っている!」
部屋の外を歩き出すと、どこを見ても大理石の床や金の装飾やらがこれでもかと並んでいる。さっきの歓迎式といい、金持ちはピカピカするものを置きたがる。おそらく人間のフリをした鳥かなにかだろう。すれ違うメイドさんは俺の着ている制服を見るなりお辞儀をしてそそくさと通りすぎるせいで声すらかけられない。こうなっては先手必勝!前方20メートル先にあるメイドさんにロックオン!
「おーうい、そこなのメイドさーん。俺暇なんだよぉ、遊ばねぇ?」
廊下に響く俺の軽い声に、ロックオンされたメイドさんはピタッと足を止めた。背筋をピンと伸ばしたまま、ロボットみたいに滑らかな動作でこちらを振り返る。年齢は二百歳そこそこってところか。顔立ちは悪くない。いや、むしろ結構可愛い。よし、当たりだ!と心の中でガッツポーズを作ったのも束の間。彼女は一切の感情を排した、完璧なビジネスマイルを顔面に貼り付けた。
「今回ご招待された第三部隊のテッド様とお見受けいたします。当城へのご滞在、心より歓迎申し上げます。」
鈴を転がすような綺麗な声。だけど、温度が絶望的に足りねぇ。氷点下だ。
「あ、いや、そんな堅苦しいのはナシにしてさ。城の中案内してくれたりなんか――」
「恐れ入りますが、私はこれより、あちらの謁見の間に飾る花瓶の交換、および回廊の清掃任務がございます。その後も夜会への備え、各部屋の寝具の確認と、分刻みで予定が詰まっておりまして、申し訳ございませんがテッド様のお相手をする時間は一秒たりともございません。」
早口言葉みたいな流れるようなお断り。一切噛まないプロの技だ。言い訳の隙をこれっぽっちも与えねぇ。
「そこをなんとかさぁ、ちょっとサボるくらい……」
「では、本件をそちらのベルト様、もしくは当城の侍従長にお伝えし、私の業務を一時免除していただくよう許可を取ってまいりましょうか? テッド様直々のご命令であれば、上層部も動くかと存じます。」
ニッコリと微笑みながら、懐からメモ帳を取り出すメイドさん。
「あ、待って。ベルトの名前出すのやめて。アイツにバレたら俺マジで首が飛ぶから…」
「左様でございますか。それでは失礼いたします。良いご滞在を」
俺が引き下がったのを確認するやいなや、メイドさんは深々とお辞儀をし、次の瞬間には流れるような足取りで角の向こうへと消え去っていった。残されたのは、冷たい大理石の床と、完全に振られた俺一人。
「……ちぇっ、ガードが固ぇなぁおい。さすが王宮のメイドさんだわ。お高くとまりやがって。」
愚痴をこぼしながら頭をガシガシと掻く。だが、こんなことで折れる俺ではない。手負いの狼となった俺は、次なる獲物――じゃなくて癒やしを求めて、再び城の奥へと歩き出した。
気付けば城の端っこまで来たようで、外へと繋がるこれまた眩しいくらいの光沢を放つ両開きのドアが俺の前に立ち塞がった。いざ次のステージへ!ドアの先は息を飲むくらい綺麗なお花畑でついつい野心を忘れてしまうところだった。危ない危ない、ここへは俺の欲求を満たすために来たんだ。そうでなければこんな堅苦しい場所へなんて死んでもこねぇ。
「…お!あれは?」
真っ赤な花が咲きほこっている場所の真ん中で一人ポツンと立っている女性を見つけた。メイドさんたちの服とは明らかに違う、上質で、それでいてどこか軽やかな純白のドレスを着ていた。風が吹くたび、上質なシルクと思わしき柔らかな生地が波打つようにフワリと揺れた。袖口や裾のあたりには、素人目に見ても気の遠くなるような細かさのレース刺繍が施されており、この国特有のキンピカな成金趣味とは違う、本物の「気品」ってやつが服の形をして浮いているかのようだ。ぎゅっと引き締まった細い腰回りはリボンで優雅に結ばれており、そこから足元にかけて緩やかに広がる裾のラインが、彼女のスタイルの良さをこれでもかと強調している。そして頭には、柔らかな白いクラシカルなキャペリンハット。風で飛ばされないようにだろう、強めの風が吹いた時には白く細い指先を帽子の端っこに添える。まるで壊れやすいガラス細工に触れるかのような、しなやかで無駄のない動き。完璧!ナンパ相手としてこれ以上にないだろう。
「へへ、お宝は宝物庫じゃなくて、こんなところにあったみてぇだな。」
喉の奥で小さく呟き、俺は襟元を正してからわざとらしく大きな足音を立てて近づいていく。元々草花は大事にする派だが、花を踏んでしまうとイメージダウンなので細心の注意を払いながら歩く。
「やぁ、今日は、とても、ン、良い天気だね。」
自分で言うのもなんだが、我ながら完璧な声音とタイミングだった。俺の声に驚いたのか、帽子を押さえる指がピクッと跳ねる。ドレスの裾を揺らしながらゆっくりと振り替えると――
「……え?」
彼女の美貌を見た瞬間俺の脳内は完全にフリーズしてしまった。陽の光に透き通るような白磁の肌に、まるで宝石を嵌め込んだかのように輝く大きな瞳。風に揺れる髪は、一本一本が絹糸のように繊細で、お花畑のどの花よりも圧倒的に目を引く美しさだった。整いすぎている。今までいろんな街でいろんな女を見てきたが、次元が違う。おとぎ話の絵本からそのまま抜け出してきたって言われた方が、まだ納得がいくレベルの美貌がそこにあった。ダメだ落ち着け、ここでキョドると俺が童貞みたいじゃないか!※彼は童貞です。
「あら、その制服はご招待された第三部隊の方ですね?いかがなさいました?」
太陽のように明るい微笑みを見せる彼女に軽くめまいを覚えたがなんとか持ちこたえ口を開く。
「ふっ、城内を散歩していたらこの綺麗な花の中により一層綺麗な花が咲いていたものでね。ついついここまで来てしまったよ。
「まぁ、お上手ですこと。」
口に手を当てクスクス笑う。いい調子だ!これまでで最大の手応えを感じて喜んでいると後ろから死人のような声が聞こえた。
「…テッド…君?」
「あぁ?なんだよベルト、俺は今いい調子なんだ。邪魔しないでくれ。」
ホントに死んでんじゃねぇか?青ざめた顔、なんて言葉では収まらないくらい青い顔をしてベルトが口を開く。
「この方は、この国の次期女王様なんだよ…?」
「へぇあ!?」
自分の声とは思えない情けない声が花畑に響き渡った。次期…女王…だとッ!「今ここでそんなこと言えば即刻打首だろうね。」先程のベルトの発言が俺の脳内でこだまする。これまでにない危険信号が大音量の警報となり鳴り響く。次の瞬間俺は脳の命令を待たずに動いていた。
(ズザァァア!!)
綺麗な花畑の土を盛大に撒き散らしながら、俺は滑り込みの姿勢のまま地面に額を擦り付けた。人生最速、人生最高のフォームの土下座だった。
「大変申し訳ございませんでしたぁぁぁ!!! 知らなかったとはいえ、次期女王陛下ともあろう御方に不届き千万、言語道断、破廉恥極まりない軽口を叩き、このテッド、万死に値します!! 打首だけは! 打首だけはなにとぞご勘弁をぉぉ!!」
「テッド君…もう終わりだ…僕たち第三部隊は新設初日にして解散、いや国家間で歴史的犯罪者として処刑されるんだ……。」
後ろをみるとそんなことをぶつぶつ呟きながら膝から崩れ落ちるベルトの姿があった。なに言ってんだ相棒!こんなとこで、しかもこんなしょうもない死に方してたまるか!しかしどうしようもない、冷や汗が文字通り滝のように流れる。今まさに生殺与奪の権は彼女に一任されているのだ。あぁ、俺は人生、可愛いメイドさんとイチャイチャするはずが…どこで道を間違えたのだろう。終わった……どれくらい経っただろうか、無限とも思える地獄の空気が場を支配するなか、頭上から「ふふ……」という小さな声が聞こえた。
「あはははは!」
笑い声にビクッ!と身体を跳ねさせた後、恐る恐る顔を上げると、次期女王陛下は腹を抱えて少女のように笑い転げていた。
「あー面白い!こんなに笑ったのは生まれて初めてよ!お二人とも、大丈夫です。顔を上げてください。」
「ふぇ?」
助かった…のか?その事実に俺たち二人は狂喜乱舞して喜んだ。
「やった!やった!俺たち生きてるぞベルト!」
「ハハハ!本当だ!夢じゃないよね?頬をつねってよ。…痛い!夢じゃない!僕たち生きてるんだ!」
肝心の次期女王陛下は男二人がばか騒ぎしている様子を後ろでクスクス笑いながら見守っている。
「ふふふ、本当に面白い方たちですね。でもこの事は私たち三人だけの秘密ですよ?お父様にバレでもすれば打首どころでは済まされないでしょうから。」
「なんとお優しきお方。ご自愛に感謝いたします。では、これで。」
上手い!ベルトはこれ以上事態がゴタゴタしない内にさっさとその場を後にした。俺もそれに続いて歩いて行く。
「えぇ、ではこれから少しの間ですが、王国生活を楽しんでください。」
ありがとう。優しくて本当にありがとう。ここでベルトは「あいさつ回りの続きに行ってくるよ。」と言ってまた一人になった。寿命が一気に千年は縮んだことだろう。完全に気力が抜けてアンデッドモンスターのような足取りで自分の部屋に戻る。今回すれ違うメイドさんたちは「お体の調子が悪いんですか?」と顔を覗き込んでくれた。さっきまでの俺ならこれをきっかけにお茶でもどうかと誘っていただろうが、今はそんな気分ではなく、「あぁ、大丈夫だ…。それより、男の執事を呼んでくれ。」と力無く答えることしかできなかった。
「はい、ただいまお部屋に執事を呼びつけますので少々お待ちください。」
早歩きでその場を後にするメイドさんの後ろ姿を見送り、俺は自室のベッドに倒れ込む。数分経つとドアがノックされる。
「お呼びでしょうか?テッド様。」
「…どうぞ。」
おしとやかに開かれたドアの前にはスーツをビシッと決め、綺麗に整えられた髭を提げた初老の執事だった。その安定の執事姿にひどく安心感を覚え、ついつい油断してしまった。
「名前は?」
「タールと申します。」
執事は自分の胸の前に手を当てると丁寧にお辞儀をしてそう言った。
「タール、聞いてくれるか?」
「えぇ、なんなりとお申し付けください。」
三人だけの秘密と言われたこと何ざすっかり忘れて今日の出来事をペラペラと喋ってしまった。俺は運が良いらしい。タールはその話を聞いて怒るでも王様に報告しに行くでもなく、笑い声を上げた。
「ハッハッハ、それは驚かれたでしょう。テッド様のお相手をしたのは、我が国の次期女王様であらせられるアルテミシア様であったとは。しかし意外ですね、あのお方がそのように大笑いするなど。」
「へぇ、あんまり笑わないヤツなのか?」
「はい、私もアルテミシア様があまり笑わない方なのでなんとか笑顔にしようとしたのですが上手くいかなかったのです。さしずめ自らがやんちゃのできない立場にあることを理解しているのでしょう。悲しいことですが王族に生まれるということはそういうことなのかもしれませんなぁ。」
遠い目をして語るタールに対して掛ける言葉が見つからずモジモジしているとタールが立ち上がり、「もう遅い時間ですので私はこれで、テッド様もよくお休みになられるよう。」と言って部屋から出ていった。入れ替りで今日の仕事が終わったベルトが帰ってくる。
「いやぁ、大変だった。ずっと座っていたせいで身体が凝り固まってしまったよ。」
そういって伸びをするベルトにタールとの会話を話した。
「待って、話したのかい?他の人には内緒って話だっただろう?」
「あ…。」
「はぁ、タールさんが気さくな人で良かったね。くれぐれも気を付けてくれ。君のうっかりで僕の首まで飛ぶかもしれないんだから。」
「悪い、気を付けるよ。」
自分の危機管理能力の無さに一抹の反省を覚えた後、ポツリと呟く。
「でもさ、タールが言ってたんだけど…あの女王様、普段笑わないらしいぜ。王族だからって、色々我慢して生きてるのかもな。」
俺の言葉にベルトは少し考える様子を見せ、直ぐに答えた。
「一国の運命を背負うってことは、僕たちの想像を絶する重圧なんだろうね。…でも、その彼女をあそこまで笑わせたんだ。良くも悪くも、君の物怖じしない姿勢が、彼女の助けになったのかもね。」
「なぁ、それって褒めてんのか?」
「いいや、皮肉だよ。さぁ、もう寝よう。僕は明日も仕事がミッチリ詰まっていてね。君がうらやましいよ。」
「へーへー、お休みオカン。」
ベルトの「オカンじゃない!」という小さな突っ込みを背中で聞きながら、俺はゆっくりと目を閉じた。脳裏に浮かぶのは、真っ赤な花畑の中で、腹を抱えて少女のように笑っていたアルテミシアの姿。
「アルテミシア、か……」
その名前を小さく口の中で転がしながら、俺は深い眠りへと落ちていった。
翌日、俺は鳥のさえずりと窓から差し込む朝日で目が覚めた。ベルトは既に仕事に行ったようで、ベルトのベッドはもぬけの殻だった。起き抜けに「グゥウウウウ~」と盛大な音を立てて腹がなる。まずは飯だ!部屋を出るとタイミングを見計らったかのようにタールが廊下に立っていた。
「おはようございます、テッド様。本日は私が城内を案内いたします。まずはどちらへ?」
「俺は今猛烈に腹が減っている。この城で一番美味しい飯が食える場所へ連れてってくれ!」
「お任せください。では、特級の料理人の揃う食堂へご案内しましょう。」
案内された食堂は相変わらずピカピカしていたが、俺はそんなものよりテーブルに並べられた料理に釘付けだった。
「おいおい…最っ高じゃねぇか…!これ全部食って良いのか?」
「もちろんです。いくらでもお召し上がりください。」
タールの頼もしい返事を聞くやいなや俺は席に飛び付き、本能のまま注文を済ませ、片っ端から口に放り込んだ。じっくり煮込まれた分厚い肉を骨ごとかぶり付き、山盛りのパンをスープに浸して胃袋へと流し込む。
「ガハハハハハ!!ウンめぇなぁおい!さすが王宮のシェフだぜ!!おいタール、シェフを呼んでくれ。お礼がしたい。」
「お安いご用でございます。」
タールは厨房に入っていくとすぐに縦に長い帽子を被った恰幅の良いおっちゃんが出てきた。
「オメェがシェフか?今まで食った料理の中で一番ウマイぜ!俺から星三つを授けよう。」
「恐悦至極の極みでございます。」
地面に頭がついちまうんじゃないかと思うくらい頭を下げるとそのまま厨房に戻っていった。それからも俺は大量の飯を口の周りをソースだらけにしながら王宮のお上品さなんて知るかとばかりに平らげる。大抵の執事ははしたないと顔をしかめるだろうが、タールは満足そうな顔をしていた。
「素晴らしい食べっぷりですな。これなら料理人たちも作り甲斐があるというものです。…おっと、そちらの肉料理にはこの辛みのあるソースが合いますぞ。」
「マジか!どれどれ…うぉ!マジだ!タールお前話がわかるじゃねぇか!」
歳の差、身分、そんな垣根を越えて俺たちは友情を芽生えさせた。完全に腹が満たされ息を吐きながら背もたれに体重を預ける。
「いやぁ、食った食った。ありがとうタール、助かったぜ。」
「お粗末さまでございます。さて、お腹も満たされたところで次はどこへ案内いたしましょう。」
「そうだな、腹ごなしにブラブラ歩くか。」
自分の腹をポンと叩き、再びだだっ広い城内を散策し始めた。
どこへいっても同じような景色で自分たちが同じ場所をぐるぐるしているのではないかと心配し始めた頃、どこからかピアノの音が聞こえてきた。
「タール、この音は?」
「ここの角を左に曲がった先にある娯楽室で誰かがピアノを弾いているようですな。」
娯楽室、ちょうど何かで遊びたかった気分だ。
「よし、行ってみようぜ。」
楽しそうな明かりがついたドアを開けるとピアノを弾いている主の背中が見えた。赤いドレスを着こなし、あらわになった背中はかなり俺を刺激した。長い髪を右側に回して細い腕と指を器用に動かしてピアノを弾いている。
「あれは誰だ?極上じゃねぇか。」
声は潜めているものの俺の目は既にロックオン状態だ。食堂での暴飲暴食ですっかり気を取り戻して内なる本能が暴れだす。
「あれはこの城専属のピアニストですな。恐らく練習をしているのでしょう。勤勉ですねぇ。」
専属のピアニストまでいるのか、しかもあんな極上の女を。金持ちのすることはつくづくいけすかねぇが、センスのよさは称賛に値するだろう。
「なるほどな、よぉし俺が観客として盛り上げてやろう!」
演奏の邪魔にならないようにそっとドアを閉めてピアノの近くに座る。ひとしきり演奏が終わったようで、ピアノを弾くてが止まる。
「いいぞいいぞぉ!もう一曲!そうじゃなかったら一緒に遊ぼう!」
手を叩きながら声をかけるとそっと振り返り微笑みかけてきた。
「テッド様、いらっしゃったんですね。ご声援ありがとうございます。それではご要望にお答えしてもう一曲。」
優しい音色が俺の耳を癒し、お姉さんのバツグンスタイルが俺の目を癒す。う~ん最高!もうここに住んじゃおうかな?楽しい時間はすぐに過ぎるもので、お姉さんにピアノを教えてもらったりしていたらすっかり二時間もそこにいた。俺としては一週間くらいいてもよかったけど、お姉さんは別の用事があると言って帰ったので、俺たちもそこで切り上げることにした。新たな出会いを求めて廊下を歩いていると、「テッドさんですよね?」と声をかけられた。声のした方に目をやると先日俺が死を覚悟した相手である次期女王様、アルテミシアがそこにいた。心拍数が一気に上がる。マズい!昨日はたまたまベルトが通りかかったからあれ以上悲惨な結果にならなかったが今回は居ない。俺の一ミスで全てが終わるッ!
「あっアルテミシア様、いかがなさいました。」
「ふふふ、敬語はいらないし呼び方だってアルテミシアでいいのに。…あタールいたんですね。」
城の者にはこういう明るい面は見せたくないのだろう。タールの存在に気付くとすぐに表情を改めた。
「アルテミシア様、私はこれから城内の掃除に取り掛かりますのですみませんがこれで失礼いたします。」
空気の読めるヤツだ、自分の存在が邪魔になると一瞬で判断しありもしない理由を告げてその場を後にする。できる男だよ、お前ってヤツは…。ここからは俺の力の見せ所だ、お貴族様ってのは何が地雷になるか解らん。言われた通りにするのがとりあえずアンパイだろう。
「アルテミシア様…じゃない、アルテミシアも散歩か?」
「う~んそうねぇ。散歩と言えば散歩なんだけど、ずーっとここにいるからもう飽きちゃった。お話し相手になってくださる?」
「喜んで…。」
ひきつった笑顔でそう答えると俺はアルテミシアに手を引かれて彼女の部屋まで連れていかれた。
「うぉお…なんちゅう、デカイ…。」
俺たちが寝かせてもらっている部屋の五倍はあるだろう。過剰なくらいデカイ部屋にこれまた過剰なくらいデカイベッドがあった。アルテミシアはベッドに乗っていかにもフカフカそうな枕を抱えてこっちにこいと言わんばかりに自分のとなりをポンポン叩いた。ベッドに腰を掛けると思った三倍身体が沈み込み、少し焦った。なんだこのベッドは!雲にでも乗ってるのかと思ったぜ。横をみればアルテミシアは枕をギュッと抱き締めたまま、俺の顔を覗き込んでくる。近いなぁ…昨日の今日でこれだと彼女の将来が疎まれる。
「テッドさんっていつもどんな生活をしていらっしゃるのですか?」
上目遣いでそう訪ねられる。なにせ顔が良いせいでドギマギした。助けてくれぇベルトォ…。
「そーだなぁ、結構刺激が強いからまだ早いかもなぁ?」
「むぅ~そんなことありません!お話ししてください!」
怒ったように頬を膨らませるアルテミシアは輝くように可愛い。失礼のないようにしよう、なんて気持ちはすっかり消え去り俺はいつも通りの口調で喋りだした。自分は第一部隊でブイブイ言わせていたこと、食い逃げやセクハラのやり方、はたまた上手な仕事のサボり方まで。俺のありとあらゆる悪行、悪知恵を純粋なアルテミシアの脳に叩き込んだ。
「いいか?大事なのは仕事をしていると相手に錯覚させることだ。だからいくらでも溜まる書類を壁にして寝るんだ。なかなか気付かれねぇぜ?」
自慢するかのように語る俺に対して「えぇ!?書類を壁にするんですか?」と実に良い反応をしてくれるので完全に調子に乗ってしまう。あーだーこーだ言っているとアルテミシアはある提案をしてきた。
「私、今日の夜会サボってみたいわ!」
なんて流されやすい子なのでしょう。目を輝かせながらそう詰められたし、若い頃なんてのは一瞬。遊べるうちに遊べばいいし、信用なんざいくらでも取り返せる。
「へへ、オメェも悪ガキになったなぁ。よし!俺に付いてこい!」
「ラジャーキャプテン!」
部屋にいたらすぐ呼ばれてしまうだろうし、俺はすぐさま彼女を連れて夜会の飯をつまみ食いしにいくことにした。食堂ではこれから運ばれる予定の豪華な料理がところせましと並べられ、この前は食えてなかったスイーツが光って見えた。
「一気に食っちまうとバレちまう。だからほんのちょっとだけ食うのがポイントだぜ。」
「なるほど、勉強になります。」
常人ならこんなに素直に悪行を学ぶヤツがいたら良心が邪魔をして動作を止めるだろうが俺にそんなブレーキは存在しない。アルテミシアと一緒にスイーツを食いながら、俺は空間把握能力を使って誰か来ないかを探知していた。ピコン!誰か近付いてくる。この感じはメイドさんだろう。誰であれここにいるのがバレればたとえアルテミシアと居ても少なからず怪しまれるだろう。幸せそうにスイーツを頬張るアルテミシアの肩を叩き囁く。
「誰か来る…。」
すると「え…。」と少し困ったような顔をするがここでみすみすバレてしまう俺ではない。
「こういうときはなぁ。逃げるんだよぉ!」
「きゃあ!」
アルテミシアを小脇に抱えて足音を殺しながら颯爽と反対側へ走った。誰も通らないからなのか明かりが消えて月光が大理石の床を反射しなんとも姫拐いでもしているようだ。
「ぷぷぷ、こんなに楽しいの初めてです。」
声を押さえつつ子供のように笑った。アルテミシアを降ろしてからもひとしきり走っていると巡回中なのか、暗い廊下を歩くタールと出くわした。
「おや、テッド様とアルテミシア様。どうされたんです?このような暗い中をお歩きになさって。」
やべ、どう言い訳したもんか。ここでアルテミシアのせいにすることもできた。しかし、そんなのは俺の男気が許さねぇ。タールならきっと許してくれるよね。
「タール、お前になら言ってもいいだろう。実は俺がアルテミシアにつまみ食いしようぜって提案して今逃げてるとこなんだ。」
後ろから「あ...っ。」と自分を庇ってくれたことを察したのか、アルテミシアが申し訳なさそうな声を上げた。アルテミシアにヘイトが集まる可能性もあるが、あくまで全て俺が仕組んだことであることを伝えた。
「なるほど、それでお夜会にいらっしゃらなかったのですね。アルテミシア様もさぞ息抜きになったことでしょう。それではアルテミシア様、夜会へ参りましょう。皆さんあなたのことをお探しです。」
「ごめんなさいタール、今行きます。」
少しうつむいてそう言うと俺の前まできて手を握ってタールには聞こえない声で語る。
「今日はとても楽しかったです。私、普段あんないたずらみたいなことしなかったから胸がドキドキしました。また明日もお話しできますか?」
月光に照らされ微笑む彼女は王女たる美貌を放ちいささか心臓が高鳴った。
「おっおう、明日も暇だからな。良いぜ。」
そう答えるとアルテミシアは「ふふっ」と笑い来た道を戻っていった。タールと二人きりになったがなんとなく気まずい雰囲気を感じていると、先にタールが口を開いた。
「実は少々お二人の様子を見ていたのですが、あれほど楽しそうなアルテミシア様は見たことがありません。テッド様、あなたには大変感謝いたします。」
深々と頭を下げるタール。悪いことして逆に感謝されると思ってなかったのでとんだ不意打ちだ。
「ちょちょちょい!やめてくれよ。俺はアルテミシアに悪知恵を吹き込んだんだぜ?もっとなんかこう…怒ったりしないのか?」
「確かに純粋無垢なアルテミシア様に変な知識を付けることはいただけないかもしれません。ですがあのお方はその知識を使ったりはしないでしょうし、今日ぐらいは羽目を外したってバチは当たらないでしょう。」
「タール…。」
本当にできる男だ。子を思う父親のようなタールに心の中で敬礼をして俺も夜会とやらに参加することにした。
「なぁタール、夜会に参加したいんだが、どこ行けばいいんだ?」
「承りました。」
その日はうまい飯を食いながら話の解る貴族のおっちゃんと酒を交わしてメイドさんにちょっかいを掛けてまわった。部屋に戻ると完全に酔った俺はベルトの帰りを待たずに眠ってしまった。
ぐっすり眠れたお陰で今日はベルトが制服に着替えている辺りで起きることができた。
「おはようテッド君。もう仕事が終わったから僕も休みをもらえることになったんだ。そうそう、アルテミシア様から僕たちに指名が入っているから、君も着替えてすぐに行くよ。」
ご指名…です…か。昨日の悪行はベルトに伝えてないのでアルテミシアがうっかりバラしてしまうと後でベルトに怒られてしまうだろう。その場合どうするべきか今のうちに考えとこう…。
案内されたのは、昨日とは違う、城の最上階にある見晴らしの良い空中庭園だった。
白いテーブルを囲むようにして、純白のドレスを着たアルテミシアが嬉しそうに手を振っている。
「テッドさん、ベルトさん! お待ちしておりました!」
「アルテミシア様、本日はお招きいただき光栄です……って、テッド君、何そんなに引きつった顔をしてるんだい?」
ベルトが不思議そうに俺の顔を覗き込んでくる。そりゃそうだ。俺の脳内は今、「昨日サボったことがいつバラされるか」のチキンレース状態なんだから。
「あ、いや、なんでもねぇよ! なぁ、アルテミシア!」
「ふふ、そうですね。昨日はとっても刺激的で楽しいお散歩でしたものね、テッドさん?」
いたずらっぽくウインクを投げてくる次期女王陛下。心臓に悪すぎる。幸い、生真面目なベルトは「お散歩? ああ、昨日テッド君が迷子にでもなったのを助けていただいたんですか。すみません、手が焼ける相棒で」と勝手に解釈してくれた。命拾いしたぜ……。そこからは、本当に夢のような時間だった。
タールが運んできた絶品の紅茶と特製スイーツを囲みながら、三人で他愛のない話に花を咲かせる。ベルトが真面目な顔で第三部隊の今後の展望を語れば、俺がそれに茶々を入れ、アルテミシアが鈴を転がすように笑う。昨日俺が教えた「書類の壁」の話を彼女が少しアレンジして話すたびに、俺はベルトに見つからないよう冷や汗を拭い、タールは後ろで満足そうに髭を蓄えた顔を綻ばせていた。
「私、お二人が来てくださって本当に良かったです。このお城は少し、広くて静かすぎましたから。」
遠くを見つめるアルテミシアの横顔は、昨日よりもずっと柔らかく、年相応の少女のそれだった。
「いつでも呼んでくれよ。俺たちがまた、退屈をぶっ飛ばしに来てやるからさ。」
「ええ、約束ですよ?」
いつのまにか夕日が庭園を真っ赤に染め上げていく。キンピカでいけすかないと思っていたこの王国が、この時ばかりは、どうしようもなく美しく見えたんだ。――だが、その光が完全に沈み、夜の帳が下りた、まさにその時だった。
(ドガァアン!!)
凄まじい衝撃が走り地面が揺れる。
「なっ何?」
「うぉ!?何だ!」
俺たちが動揺しているとノックもされずドアが開かれ、衛兵がとてつもない剣幕でまくし立てる。
「皆様!襲撃者です!襲撃者が出ました!すぐに避難してください!」
「僕が見てくるよ、テッド君はアルテミシア様をお守りしなさい。」
「解った。」
衛兵と共に走って行くのを見送ったはいいものの、どうやって避難するんだ?
「それで、避難っつってもどこ行きゃいいんだ?」
「いざというときのための隠し通路がございます。そこを通ってこの城から逃げおおせるでしょう。」
すぐさまその提案ができる冷静さ、やはりこの執事はただ者ではないないだろう。一端の目標はそこへ行って姫様を安全に避難させることだな。
「よし、行くぞ!」
タールの案内で隠し通路に急ぐ俺たちだが、とてつもない気配が二つ感じられた。一つはベルトのところから、もう一つは――
「あなたが王女様?悪いけど、死んでもらうわ。」
見上げれば頭上で崩落した天井にの縁に一人の女性が浮いていた。カチリ、と夜闇の中で知的な赤ぶちの眼鏡が怪しく光る。夜風に揺れているのは、波打つようにきれいに巻かれた金髪のポニーテール。その身を包んでいるのは、ゆったりとした漆黒のローブだ。だが、その前開きになったローブの隙間から覗く戦闘服は、夜の闇でもはっきりと分かるほど、彼女のしなやかな身体のラインを完璧に強調していた。金属的な鎧の硬さは一切ない。しっとりとした毛糸の編み目のような、独特の風合いを持つ柔らかな衣装。まるで蜘蛛の糸で編まれたかのように身体に吸い付くその服は、セクシーでありながら、一歩動くたびに恐ろしいほどのしなやかさと、底知れない魔力を放っている。いつもの俺なら飛び付いていただろうが、今はそんなことをしている場合ではない。戦闘の準備をしていると、タールが一歩前へ出た。
「ここは私が。」
「タール、お前―」
「テッド様、男には引けない夜があるのです。」
「…ッ!」
俺の「無茶だ」という気持ちを察したのだろう。安心させるようにそう微笑む。彼も解っているはずだ、「確実に勝てない」と。
「タール?」
何がなんだか解らない様子で不安そうにアルテミシアは名前を呼んだ。
「アルテミシア様、しばらくまっすぐ進めば行き止まりにたどり着きます。壁に触れれば隠し通路の道が開けるでしょう。この国の未来を…お頼みします。」
ここでタールの気持ちを無下にすることなどできはしない。これ以上もたつくと時間切れになってしまう可能性もある。俺は頷きアルテミシアの手を引き走り出した。
「タールは?大丈夫ですよね?」
泣きそうな顔でそう聞いてくる。ここでパニックを起こすのが一番マズい、安心させるべく笑い、かつ優しい声音で話しかけた。
「大丈夫だよ、アイツは強ぇ。俺が言うんだ、間違いねぇよ。」
「そうですか…。」
完全に納得できるわけがない、しかし彼女は頷き走るペースを上げる。
「多分あれだ!」
突き当たりにつくと、他の場所となんら変わりない壁があった。触れると小さい穴が開き、先にアルテミシアを行かせる。後から俺が入ると、入り口が閉じて通路の明かりが付いた。隠し通路は城の廊下とは打って変わり、全てが石で作られており、気温が数段低く感じられた。不気味さを感じたのだろう。アルテミシアが俺の裾を握る。
「早く行こう。」
時々声をかけながら数分走ると先程の女とは比にならないゾッとするような気配を感じて急停止した直後、ものすごい轟音を立てて壁が爆発し、破片が飛び散った。
「きゃああ!」
とっさにアルテミシアを庇い土煙に目を凝らす。ゆっくり土煙が晴れていく中、そこに見えたのは俺たちと同じような帽子と服のシルエット―だが、放つ禍々しさが次元違いの男だった。顔には、内側の瞳を完全に隠す青みがかった灰色のサングラス。雰囲気は似ているものの決定的に違うのが、その身に纏っているまさに災厄を形にしたような、顎のあたりまで鋭く切り立った高い襟を持つ、深い深海のような色をした青色のロングローブだった。内側は同じ色のカッターシャツのようなものが黒ボタンで留められていた。黒で縁取られたその衣装の表面は、まるで大蛇の鱗のように精緻に敷き詰められており、隠し通路のわずかな明かりを反射して、ぬらぬらとした独特の不気味な光沢を放っている。
「ふむ、目標発見。」
サングラスの奥から冷徹極まりない声が響く。幾度となく強敵と相対してきたがこれまでで最大の威圧感が感じられた。敵の力量を測るため最初は相手の気を確かめるのだが、俺のセンサーが「この男を測るな、死ぬぞ」と拒絶している。
「アルテミシア、俺の後ろに隠れろ…。コイツはやべぇ。」
冷や汗が頬を伝う。ヤツが歩く度にバスン!バスン!と特徴的な音が鳴る。距離が縮まりお互いの拳が届くところになった瞬間―。
「らぁあッ!!」
じり貧な空気をぶち破るように顎めがけて右ストレートを放つ。
(スパァン……!!)
手応えはあった。やや不意打ち気味で人生最速の突きを放ったのだが、俺の拳はヤツの左手に吸い込まれていた。
「やるな。」
「ぐぉお!?」
ほとんど見えない速度で近距離から前蹴りが飛んできた。とっさに左腕でガードをしたが腕が砕けるんじゃないかと思う程の衝撃が俺の腕を襲った。
「そこらの有象無象とは違うようだ。名を聞いておこう。」
「はは、なんだ?ナンパかよ?俺はテッドだ。お前は?」
「ビートだ。」
そう言うと今度は向こうから攻めてきた。鋭い踏み込み、かなり距離があったにも関わらず一瞬で間合いを詰められる。稲妻のような蹴りを避けカウンターで膝を横腹に入れようとするがあり得ない体勢でそれを躱すと飛び上がった状態で裏拳が飛んでくる。あまりの速度に反応できず後頭部にクリーンヒットして吹き飛ばされる。壁に大きく叩きつけれ咳き込んだ。
「ゲホッ、ゲホッ、はぁ…はぁ…ハハハ…こりゃあ、マズい。」
「悪いが、ターゲットを優先して始末する。」
離れた場所で怯えたように震えるアルテミシアに向きを変えると踏み込んだ。ヤバい!全ての力を振り絞りアルテミシアの前まで走るとビートの振りかぶった拳を受け止める。両腕を交差させ全力で受け止めると骨が軋むような音が鼓膜の裏で響く。全身の血管が弾け飛ぶような鋭い痛みが身体中を駆け巡った。
「見事だ。」
ビートは拳を俺の腕に当てたまま踏み込み直し、至近距離で大爆発が起こった。
「どわぁあぁあ!?」
恐らく後ろにいるアルテミシアごと消し去ろうとしたのだろう。懸命に上へ力を逃がすが、無理だ!最終手段として俺はアルテミシアを強く抱きしめ盾になるようにして衝撃の渦に飲み込まれた。視界が完全に白に染まる。背中に受ける強烈な風圧と衝撃。幾重もの強固な防壁を突き破り、俺たちの身体は夜空へと投げ出された。どれ程の時間宙を舞っただろうか。
「がはっ……!」
激しい衝撃と共に地面へと叩きつけられ、口から盛大に血を吐き出す。全身を襲う、経験したことのないような激痛。感覚が麻痺しかける頭を無理やり揺らし、うっすらと目を凝らす。そこは――城の地下通路のはるか先、最外周に位置する「監視砦」の最上階だった。頬を打つ夜風が冷たい。痛む身体を引きずりながら視線を上げると、そこには信じられない光景が広がっていた。ついさっきまで、あれほど嫌になるほどキンピカに輝いていた美しい王城が、あちこちから激しい炎と黒煙を噴き上げ、内側から崩壊していく。優雅にピアノを弾いていたお姉さんの娯楽室も、美味い飯を食わせてくれた食堂も、すべてが赤黒い炎に包まれていく。
「う、あ……嘘……お父様、お母様……タール……みんな……ッ!」
俺の腕の中で、アルテミシアが血の気の引いた顔で燃える城を見つめ、絶望に声を震わせて涙を流していた。どうしてこうなった?俺たちが何をした?理不尽に振るわれた暴力により俺たちの輝かしい日常は破壊された。
「よもやまだ生きていたとは、君には驚かされる。」
声のする方向へ目をやると遠く離れた場所からビートが近付いてくる。悲鳴を上げる身体に鞭打って立ち上がり、アルテミシアにそっと囁く。
「アルテミシア、お前だけでも逃げろ。」
するとアルテミシアは首を横にふった。
「どうしてだ!悔しいが、多分俺はアイツに勝てねぇ。だから時間を稼ぐ。頼むから…逃げてくれ…頼むッ!」
震える声でそう言うが、アルテミシアはまたしても首を縦にふらずなにか決心したような顔で微笑むと、ポツリポツリと喋り始めた。
「ねぇ、テッドさん、聞いて?」
「…なんだ?」
「私ね、あなたと出会えて本当によかったと思ってるわ。だってあんなに楽しかったことないもの。」
「…あぁ。」
ダメだ…多分、聞いちゃいけない話だ。
「テッドさんに教えてもらった、書類の壁で仕事をサボる方法……あれね、お父様に内緒でいつか絶対にやってみようって、本当にワクワクしていたんですよ?」
やめろ。
アルテミシアは、涙で濡れた顔にいつもの輝くような微笑みを浮かべながら、ポツリポツリと続ける。
「夜の食堂で、一緒に隠れて食べたあの甘いスイーツの味も……。誰かさんに見つかりそうになって、テッドさんに小脇に抱えられて走ったあの冷たい廊下の景色も……。私、一生忘れない。窮屈だった私のお城に、テッドさんがたくさんの宝物をくれたの。」
やめてくれ…。
「私ね、次期女王だから、自分の命が一番大切だってずっと教えられてきたわ。でも、違ったのね。私、大好きな人を護るために、この力を使いたい。」
「やめろ…。」
彼女の身体から、今まで見たこともないほどに純粋で、圧倒的な光の魔力が溢れ出し、俺の身体を優しく包み込んでいく。
「私、魔力が少ないから一度しか使えないけど、十分です。私の分まで生きて、たくさん楽しいことを経験してください。外の世界はとても広いんでしょう?」
この感じ、知っている。俺が昔出禁になった店で使われた転移魔法。まさか…。
「やめろ!何しようとしてる!その魔法は自分に使え!俺はいい!お前は女王様になるんだろ?ダメだダメだ!絶対ダメだぁ!」
抵抗しようとするが、光の障壁に阻まれて彼女に触れることすらできない。奥でビートが冷酷に手をかざすのが見えたまさにその瞬間。
「ありがとう。私のキャプテン。」
「あ…あぁ……そんな…。」
「愛してる。」
ビートが放った光線により彼女の胸に穴が空いたと同時に俺は転移前の光に包まれた。
「嘘だ!アルテミシアァアアアアア!!」
気が付けばそこはいつも昼寝をしている平原だった。王国は火の海になっているのにこの平原ときたらうんざりするほど平和そのものだった。虫のさざめきや美味しい空気。
「ぐぅううッ!なんだってんだチクショウ!クソ!クソぉおおおお!!」
地面に爪を立て上げた俺の悲痛な叫びは、美しく光る夜空に吸い込まれていった。
(キィイイイン…!)
刃と刃がぶつかり合う不快な金属音が響き渡り、僕は大量のアンデッドモンスターを率いる悪魔のような角に金色の刺繍が入った紫色のマントが付いてある鎧を着込んだ巨大なアンデッドモンスターと対峙していた。周りの衛兵たちもかなり疲弊しており芳しくない状況だ。
「ボォオオオォオ!!」
アンデッドモンスターの咆哮が衛兵たちの精神を恐怖で埋め尽くしていく。
「ふぅ、これはマズいね。まだ大丈夫かい?」
後ろで衛兵たちを率いて大立ち回りをしている隊長に声を掛ける。
「我々のことは気にせず、目の前の敵に集中してください!」
「いやはや、頼もしいかぎりだ。」
剣を持ち直し構えると大将の巨大な斧をいなす準備をする。
「ゴァアア!!」
嵐のように近付いてくる斧を弾く。怪物が大きく怯んだ。
「ハァアアッ!」
気合いと共に首に向けて剣を振るう。完璧な角度で刃が入ると派手に首が飛んだ。一部始終をみていた衛兵たちは大きく歓声を上げた。ようやく終わったのか…そう安堵した時だった。
「なっ!?」
首を失った身体が動き空いている手で頭を持ち上げると自分の首につけ直した。首もとから黒い煙のようなものが出ているのを見るに恐らく実体を持たない幽霊の類いなのだろう。これでは浄化魔法が使えるものでなければ倒すことができない。どよめきが広がり脳内には「絶望」の二文字が浮かんだころ、怪物の動きがピタリと止まり放心状態になった。
「……?」
しばらくすると怪物は後ろに振り返り虚空に向かって斧を振るうと、次元が割けゲートが開き、そのなかに大量のアンデッドと共に消えていった。
「終わった……?」
全身の力が抜け、その場にへたり込み呆然と天井を見つめた。もはや聞こえるのは生き残ったわずかな衛兵たちの荒い呼吸と、パチパチと城を焼き尽くしていく炎の音だけだった。敵がなぜ引き揚げたのか、その理由は分からなかった。ただ、僕の魔力探知にはもう、あの大袈裟なほどに輝いていた王国の気配も、優しく微笑んでいた彼女の気配も、何一つ引っかからなかった。
――数日後。
僕たちは、文字通り「灰」となった王国を後にした。怪我が酷く、「後の事は第一部隊と第二部隊が担当する。」と言ってくれたので、今は自宅療養をしている。出張先の悲劇、国家規模の災厄。新設されたばかりの第三部隊が持ち帰ったのは、そんな重すぎる記録だけだった。平原に強制転移させられたテッド君と合流した時、彼はボロボロの身体のまま、ただ泥のように眠っていた。いや、現実から逃げるように目を閉じていただけかもしれない。それからのテッド君は、絵に描いたように抜け殻だった。いつもなら「可愛いメイドさんは〜?」とか「サボりてぇ〜」とか軽口を叩くはずの口を完全に閉ざし、自室のベッドでただ天井を見つめる日々。
「テッド君。ご飯、ここに置いておくよ」
声をかけても、返ってくるのは微かな呼吸の音だけ。テッド君が命がけで護ろうとしたもの、そして彼を護るために散っていった人たちの重さが、テッド君の細い肩にすべてのしかかっているのが分かった。自分の無力さをこれほど呪った日はなかった。
「……なぁ、ベルト」
数日ぶりに、テッドがひび割れた声で口を開いた。
「なんだい?」
「俺さ……。もっと強くなるわ。あんな理不尽に、二度と何も奪わせねぇくらいに。……あいつがくれたこの命、絶対に無駄にしねぇ。」
ぎり、と布団を掴むテッドの拳が白く震えていた。その瞳には、絶望の底から這い上がろうとする、かつてないほど鋭い執念の炎が灯っていた。
「うん、そうだね。僕も手伝うよ。なんてったって、仲間なんだから…。」
失ったものは戻らない。刻まれた傷跡は消えない。だけど、彼の背中には、確かにあの夜「キャプテン」と呼ばれた男の誇りが、そして「愛してる」と遺した少女の願いが、血のように脈打っていた。
――あれからどれくらいの月日が経っただろうか。
「ねーえーテッドさーん、今月のお小遣い増やしてー!お願ーい!」
「うるせぇ!今月特に金欠なの知ってるだろ!テメェのしょうもねぇことに金なんて掛けてられっか!」
「あぁあんひどい!私にとって命より大切なことなのにぃいー!!」
ミリーのわがままをいなして俺は新作ゲームの攻略に打ち込んでいた。
「なぁテッド、人の趣味をそう悪く言うもんじゃねぇよ。可哀想だ。」
「ぐすっ…ショウさ~ん!」
ミリーが顔面をぐちゃぐちゃにしたままショウにまとわりつく。
「ギィイイヤァア!?きったねぇなチクショウ!庇うんじゃなかった!ベルトー!助けてくれ~!!」
本を読んでいたベルトが自分に突撃していくショウに苦笑して、ミリーを引き剥がす。
「やれやれ、また洗濯物が増える。」
困ったようにしているが、なにやらこの状況を楽しんでいるみたいだ。
金欠だが、まぁ久々にベルトが事務作業に追われていないみたいだし、奮発しちまうか!
「しゃあねぇなーお前ら、よぉし!皆で甘いもんでも食いにいくか!今日は俺の奢りだぁあい!」
「やったー!」と跳び跳ねるミリー、「詐欺か?」とジト目で俺を睨んでくるショウ、「それじゃあお言葉に甘えて。」とすんなり立ち上がるベルトを連れて、俺は先頭を切って歩き出す。
背中越しに小さく呟かれた、誰にも聞こえない、だけど大切な約束の言葉を携えて。
~完~
ここまで見てくださり、ありがとうございます!
今回はミリーちゃんやショウ君が来る前の、テッドとベルトの「始まりの悲劇」を描いた外伝でした。いつもはサボり魔でナンパなテッドが、極限状態で大切な人を護るために見せる執念や、ベルトの泥臭い死闘など、普段の本編では見られない二人の「本気」を込めて書きました。
感想等いただければ大変嬉しいです!
それでは、また来週~。




