第76話 ランキエールの花嫁④
ランキエール式の婚礼では、挙式の当日に、花嫁と花婿がそれぞれの実家から婚礼の衣装を着て出発し、母なる石の前で合流することになっている。
私とトリスタンはすでに一緒に住んでいて、さすがに私もドルナクの実家から衣装を着て歩いてくるわけにはいかないので、当日の朝には顔を合わせないようにして、それぞれ時間をずらして屋敷を出発する、ということにした。トリスタンには先に出てもらって、少し回り道をして領地を歩いてもらい、その間に私たちが花嫁の催しごとをする算段である。
早朝にトリスタンたちランキエールの男衆が出るのと前後して、裁縫室では最後の作業──私の花嫁衣裳の着付けである──が行われた。
台の上に乗り、されるがままシャツから着て、ひだが寄せられた羊毛の黒スカート(裾には黄色い針金雀枝の刺繍)を段々になるように重ねて着て、コルセットでお臍の周りを締めてシルエットを作る。
その上から、いっぱいに刺繡された黒のロングドレスを着ると、ふわりと広がった体の下半分に、きゅっと締められたお腹と、すかすかした上半分が残る。
次に着るのは、帯のような刺繡とヤドリギの蔓の模様が交互に刻まれた胴衣。袖まで艶やかな真っ黒な生地に、光るような黄色の絹糸が、埋め尽くすように模様を描いている。そこに白いエプロンを巻くように重ね、首に十字架のネックレスを垂らしたあと、花模様の飾り紐が通った瑪瑙のビーズをかける。
これらの意匠と瑪瑙のビーズは、亡き義母、ローゼン=ランキエールが結婚式で身にまとったものだ。
侍女たちが細かな調整をしたあとには、お母さまが針を持って私の前に立ち、最後の胸元の刺繍を始めた。花嫁衣裳は式の当日に完成しないといけない、とされているので、前日までにほかの飾りの刺繍はすべて縫い終わり、今朝のために、ドルナクの紋章の最後の一パーツだけが残されている。
「……これで、どうでしょうか」
お母さまは作業を終えたあと、うしろの監督者に尋ねる。
見てくれているのは、ロゼットの祖母。ランキエールの生き証人であり、作業を主に手伝った侍女の、その頭の祖母という流れでお願いすることになった。
ロゼットのお婆さまは、沈黙したまま、うん、と頷く。良いということなので、侍女たちが歓喜に湧く。
ここから最後、頭飾りの糊付け。
頭飾りについては、ランキエールでは各家ごとに受け継がれるデザインを使用する習わしだけれど、ドルナクから嫁ぐ場合は出せるものがない。
そこで、ローゼンさんの実家に伝わる頭飾りのデザインを、借りることになった。
慎重に侍女たちが糊付けしてくれて出来上がったのは、小さなティアラのような、控えめな白色の頭飾り。
出来を見て、お母さまとロゼットのお婆さまが頷く。
私は最後に、一番うしろで作業を見守ってくれていたロゼットに目を遣った。
彼女はうんうんと頷いて、優しく、
「綺麗です。奥さま」
と言ってくれる。
トリスタンが出てからもう十分な時間が経っている。
みなが道を開けてくれたのを見て、私は台を降り、屋敷の玄関へ向かった。
玄関の扉の前では、お父さまとお母さまが静かに私の後ろについてきてくれた。
執事のエルドが扉に手をかけたとき、お父さまは、
「ヴィヴィエンヌ」
と呼びかけてくれて、次のように言った。
「三年前は、祝うとか、そういう話ではなかったな。抗いがたい大きな力に呑まれて、ただ、事の行く末を見守って耐えるしかなかった」
お父さまは優しく微笑んで言った。
「それがこうして、良い結婚式と相成ったことを、嬉しく思っている」
屋敷の扉が開かれる。
すると歓声と共に、多くの領民がこの屋敷の周りに集まり、この花嫁の行列を見にきていたことがわかる。
門をくぐると、一人の大男が道を塞ぐように立っていた。
トリスタンの部下、フェンリクである。
「花婿の使いである! 花嫁を迎えに参った!」
彼はそう言って、腰から剣を引き抜いた。
観衆から歓声が上がる。
そして私たちの後ろから、ヴィクトールがレイピアを持ってフェンリクの前に馳せ参じる。
「花嫁は渡さない!」
その声を合図に、路上での二人の剣戟が始まった。
もう観客は大盛り上がりだ。
これは伝統の催しごと。
花婿からの使いが花嫁の実家を訪れ、それを花嫁の家族が一度拒んで、娘は渡さないという演技をし、対決をする。
対決の内容は様々だ。花嫁が屋敷のどこかに隠れてかくれんぼをすることもあるし、弁論で使いと家族が言い合うこともある。少し趣を変えて、挙式へ向かう行列の途中で花嫁が逃げ出してみせて、それを花婿の手の者が捕まえて花婿に引き渡す、ということもあるそう。
意味合いは伝わっておらず、古くはこうしていた、ということ以上のものはわからないそうだ。源流も不明。略奪婚や誘拐婚のような物騒な由来があるのやも、と感じさせるようでもあるし、それにしては平和的かつ儀礼的でもある。
今回は花婿が武人であることを踏まえて、かつての伝統に則って、こうして殺陣を行うことになった。
フェンリクが長大な長剣を振り回し、ヴィクトールはそれを華麗に避けて、レイピアで鎧の部分を狙って刺し続ける。
ただの演技をすると聞いていたのだけれど、その白熱ぶりは真に迫っていて、二人は本当に鋭い火花を散らしながら一進一退の攻防を見せた上で、鍔迫り合いにまで持っていった。
そこでなんと、ヴィクトールが、フェンリクを止めて見せたのである。
決まっていた流れだろうか、と思ったけれどそうじゃない。
ヴィクトールの足は地面を引きずっている。間違いなく、二人の間で巨大な力が行き来している。
フェンリクは剣越しに、純粋に対戦相手を讃えるために呟いた。
「驚いた。ヴィクトール坊ちゃん、あんた、魔力が使えるようになったのかい?」
「……いやぁ! 元婚約者に、死の際を見せられたもんでねっ!」
もう観客は大盛り上がりである。
そうして存外に盛り上がった剣戟は、最後には、押し合いへしあいとなって、さすがに魔力を使えるようになったヴィクトールと言えどどうしようもなく、彼が後ろに飛ばされ、
「ぐえっ」
と腹から声を出して、決着した。
フェンリクが対戦相手を讃えて手を差し伸べると、ヴィクトールも立ち上がる。
二人で一緒に観客へ礼をすると、今日一番の歓声があった。
そしてフェンリクは私たち一団に向き直って、言った。
「では行きましょう、奥さま」
*
いつもの母なる石までの道。けれど行くのは私の花嫁行列。
手回し弦盤や風袋笛、そしてヴァイオリンが陽気な音楽を奏でていた。
道の脇では領民たちが列になって見守っていてくれていて、いろんなかけ声をくれる。綺麗だとか、お幸せに、だとか、ちょっと露骨な安産祈願まで。
そしてこの花嫁行列でも、かつて行われていた伝統がある。
それは音楽に合わせたかけ声で、花嫁を泣かせる、ということ。
どうも、家を出るという儀礼の意味と、女の涙を使った魔除けの意味も含むらしい。花嫁を泣かせられた者は披露宴で景品が出るそうだ。近年は廃れていた習慣だったけれど、せっかくなので復活させた。
記録を見る限り、使われていたフレーズはけっこう苛烈で、二度と家には戻れないぞ、とか、村の踊りにはもう参加できないぞ、ここから先は地獄だぞ、娘時代が恋しいなぁ、とか、そんなことを言っていたらしい。夫はよく悪魔や処刑人や死神に喩えられたとか。
実は今日、これをけっこう期待していたのだけれど、私にそう言ったことが言いづらいのと、ドルナクから来た私には、村のなんたら~は当てはまらない関係上、どうにも遠慮がちな印象だった。
そこでみんなが取ったのが、フレーズはあくまで歌詞として、音楽に乗せて涙を誘うというもの。
聞こえてきた歌詞は、たぶん、こんな感じ。
──おいで、おいで、不幸な娘。楽しい暮らしは終わりだよ。
──死神が迎えにきたよ。故郷に別れを告げなさい。
歌詞のわりに音楽があまりにも明るいから、二律背反な感じが醸し出て、なんだか変に感性が揺さぶられてしまった。
良い情緒だとは思ったけれど、
──あらあら、これじゃ泣けないわよ。
だなんて、心中で余裕をかましてみる。
そんなとき、道の脇のどこからともなく、
「なあ奥さま!」
と若い声が聞こえてきた。
「俺たち、みーんな! 奥さまに感謝してる!」
よく通るその若い声は、陽気な音楽と同じ声量と明るい声色ではっきりと轟く。
「ランキエールに来てくれて、ありがとう!」
まだきっと若い彼が、一度は廃れたランキエールの伝統を知っていたかはわからないし、その言い様から、そもそも花嫁を泣かせる競争に参加したというつもりすらないのかもしれない。
でも景品は、彼のものということになった。
私たちが行くたび、音楽は盛り上がっていったけれど、本当に式場が近づけば今後は逆に音量が落ちてきて、荘厳な雰囲気に変わる。いよいよ式場が近づくと、来賓の列も目立つようになっていく。
そして母なる石とその向こうに、トリスタンが見えた。





