第75話 ランキエールの花嫁③
式の一週間前になって、ランキエールの屋敷に続く街道に、荘厳だが質素な馬車の一団が見えた。車に刻まれているのは、かつて見慣れていた猟犬のマーク。
ドルナクの家族の到着である。
先頭の馬車が停まって、そこからお父さまが降りてくるかと思ったら、それより先に後ろの馬車がガタガタと変に揺れ、完全に停止する前に、一人の青年が何やら紙束を持って降り、
「少しぶり! ヴィヴィエンヌ!」
と言って走ってきた。
無論、ヴィクトールだった。
「す、少しぶりですわね」
「報告は山ほどあるよ! えーまずはヴィヴィエンヌが知りたいことからだけど」
彼は手元の紙をぱらぱらとめくって、途中で止め、話し出す。
後ろでは両親が呆れてゆっくり馬車を降りていて、ちょっと時間がかかりそうだったので、私もまあ興味があるし、話を聞くモードに入った。
「火と風の聖女の権能がわかった。火は大気を乾燥させる権能で、風は風向きを変える権能。火は文字通り、鍛冶や調理で重用されたみたいだね。戦では敵地に送り込んで作物を枯らしたり、火矢の効果を上げることができたらしい。風はもっと直接的に強力で、天気次第で風向きを変えて帆船を進めるということができたようだ。古代のリスヴァロンが海戦にやたら強かった時期っていうのがそれで説明つくかも」
「……それはまあ、なんと壮大な」
──大気を乾燥させられるし、風向きを変えられる?
そんな大規模かつ有用な魔法となると、聖女という存在の脅威について捉え直さないといけない。
というか、これなら光の聖女ってかなり弱い方だったんじゃない? とすら思ってしまうくらいだ。
「君のおかげだよ、ヴィヴィエンヌ。おかげさまで聖女の前世の聴取の仕方ってのがわかってきた。年代が古いほど抽象的な情報しか取れないし、新しくても具体的な個人名とかをむこうから聞くのはやや難しい、って感じなんだけど、こちらから具体的な個人名と事件・現象とかを出してリアクションを聞く形なら相当絞れる」
「……ああ。となると、具体的な名前を頑張って引き出したら、あとは印象や事実関係の是非をぼんやり聞くだけでよい、ということにもなりますか」
「そゆこと。まあ、具体的な情報を引き出せるのは数日に一回だし、それもねー、古代までいくと聖女本人も、まったくの無理、と言ってくるようになった」
「まったくの無理、ですか」
「うん。『古い私ってなに言ってるかわかんないのよ』だそうだ」
「……なるほど」
彼女は古い私ほど広がっていっている、というふうに言っていたけれど、たとえば初代までいくと広がりきって意識が薄くて、具体的な情報が手に入らない、ということだろうか?
「まあそんなわけで、はい! これまとめ資料。あと読んどいて。あ、でもでも、個人的には歴史についてまだまだ話したいことがあって──」
紙束を渡され、話が終わるかと思ったら、ヴィクトールはまた思い出したとばかりに意気揚々と続けようとする。
「こら、ヴィクトール。今、仕事の話はやめなさい」
それを後ろから、母オルミアが首根っこを掴んで引き留めた。
へーい、と引っ張られるヴィクトールと入れ替わりに、父オーギュストと母が並んで、私たちはトリスタンとお義父さまと一緒にそれを出迎える。
そうしてランキエール家とドルナク家が並び、後ろにお互いの家の使用人も揃う。
最初に口を開いたのは、お父さまだった。
「結婚おめでとう、ヴィヴィエンヌ」
私とトリスタンはそれに礼をし、双方の使用人たちは、温かな拍手で迎えた。
*
ドルナク家の到着のあと、父オーギュストとお義父さまは二人で会議室に行き、トリスタンは花婿の方の準備に行った。
……どうも、狩ってこなければならない魔獣などがいるらしい。披露宴ではそれをふるまうのだとか。
そして私はここ数週間ほど、ずっと花嫁の準備にも勤しんでいる。
行くのは普段は使用人たちも使っている、裁縫室。やることは、夫に婚礼用のシャツを縫うこと。ロゼットがそうやっていたように、ランキエールでは式の前に花嫁が花婿にシャツを送らなければならない。
これがもう、丸ごとトリスタンの体格の服を作らなければいけないわけだから一苦労で、そもそもまず材料から選んで平織りの生地を織っていかなきゃいけなかった。生地を織って漂白するのと並行に、練習の生地から始めて、なんとか補助ありで服を縫えるようにシミュレーションして、そのうえで本番の生地が上がってきても図面とにらめっこして四苦八苦。
そして、裁縫室の隣ではまた別の、当日の私の花嫁衣裳の刺繍が縫われている。
母なる石の前での挙式は、ランキエール伝統の、黒のロングドレスに、白のエプロン、そして頭飾りで行うことに相成った。
ランキエールでは本来、黒のドレスには花嫁の母が黄色い絹糸で家紋を刺繡し、一族の女が飾り立てるのだけれど、ドルナクにその伝統はなかったので、これは折衷案を取ることになった。
すなわち、飾りつけは屋敷の侍女がして、私の母オルミアが家紋をドレスに施す。
刺繍は時間がかかるけれど、式の当日まで完成してはならないものでもあるので、お母さまも屋敷の侍女やその祖母たちからランキエール式の指導を受けつつ、ゆっくりと作業を始めた。
お母さまは到着した疲労も抜けないままに、裁縫室に来てくれて、私と並んで作業をしていた。最初こそ侍女にあれやこれやを聞き、慣れないやり方に困惑していたようなところもあったけれど、慣れている作業なだけあってお母さまはすぐ吸収してしまって、自分で図面を書き直しつつ、もう本番の黒ドレスにしつけ糸を通し始めている。
しばらくするとお母さまはもう、一人で黙々と作業できる段階に入ってしまった。
窓から見てる日が傾いて沈んだころ、侍女たちは作業を一時的に止め、夕飯の用意に行ってしまった。暗くなって蝋燭に火を点け、裁縫室は私とお母さま二人だけになる。
そんなとき、お母さまはふと、刺繡をしながら、
「……長い、時が経ちましたね。ヴィヴィエンヌ」
と言った。
私は声の方を振り向いたけれど、お母さまはこちらを見てはいなくて、ただ粛々と針を進めながら、静かに続ける。
「あなたは優秀で、手のかからない子でした。王宮に通って王妃殿下の手ほどきを受けるようになったのも早くて、私が母親らしいことをしてやれたことは、終ぞありませんでした」
「……私はお母さまから、いろんなことを教わりました。ドルナクの伝統だって、ちゃんと」
「そう、でしたかね」
決して、決してなにも教わってないわけがない。
諜報のドルナクの勘所、魔力紋を始めとしたあらゆる秘術を、お母さまは、いずれ嫁に行く身の私にも伝授してくれた。
「……一度だけ」
また沈黙があったあと、お母さまは静かにそう始めて、
「一度だけ、あなたが七歳のときに、家庭教師に習った分数の問題がわからないと言って、私の部屋に来たことがありました」
と言った。
「覚えていますか?」
「……はい。私、きっと、大泣きしていました」
私はそう答える。
お母さまは手元から目を離さず、くすりと笑う。
忘れるわけがない。
なにがわからなかったのかは、もうよく覚えていない。小さなころの私は算数を他の子たちよりもずっと速く進めていて、得意になっていたのに、急にわからないことが出てきて、悔しくて癇癪を起してしまったことがある。
そんなときに私は、もうどうにでもなれって気持ちと、物心ついてからお母さまに甘えられなかった寂しさが爆発して、仕事中のはずのお母さまの部屋に押し掛けたことがあった。
お母さまは静かで厳しい人だった。
教えるべきことは教えてくれたけど、王太子の婚約者と定まって以後の私については、あえて距離を取ってくれていた節もある。
そういう壁のようなものが、かつての私は寂しくて仕方がなかったんだと思う。
お母さまは続けて、零すように始めた。
「実は私、あのときちょっと、嬉しかったの。あなたの勉強は家庭教師と王妃殿下にまかせっきりで、順調だとは聞いていて、それはそれでとても嬉しかったのだけれど、それなのに、なんて言うんですかね──」
恥ずかしそうにそう、滔々と語る。
「──我が子に置いていかれたような気が、していたのかも」
それは、私が初めて聞いた、あの無口なお母さまの本心だった。
「あのときの私は、ちゃんと教えられていましたか?」
お母さまは静かに問うた。
私は息を呑んで、胸に温かい空気を溜めて、ただ、
「はい」
と答える。
お母さまはそれだけ聞くと、ちょっとだけ安心したように頬を緩めて、また針を進め始めた。





