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第72話 廃太子

・書籍版挿絵の一つを公開です! 今話はアドリアン回なので、ボロボロアドリアンの挿絵ということで。

挿絵(By みてみん)

※書籍版の挿絵を、出版社様より許可をいただいた上で掲載しています。

 かんかんと照らす太陽の下、枯れた川の縁に、一抱えほどもある大きな御影石を積んでいく。情けなく大きく股を開いて石を持ち、ぬかるみと乾きが交互にある不安定な足場を行き、その隣を、木製のクレーンで運ばれた大きな大きな岩が通過し、耳の横で風とも言えぬ暑くてぬっとした空気が動く。


「七番! 遅れているぞ! 進め!」


 アドリアンという名前を剥奪され、ここでは俺はそう呼ばれていた。

 足には枷。指示してくるのは看守。


 ここは、場所は知らされていないが、おそらく王国中部のセナ川の中流である。護送された時間と、ざっくり星から位置を見るやり方をたまたま知っていたこともあって、そうだとわかった。


 俺はほかの重罪人に混じって、ここで建設作業に従事することになっていた。

 現在は掘削が終わり、石壁で川べりの補強工事をする段階だ。


 これがまた、危険も危険。

 石壁にするための岩は、多くは人力では運べないため、クレーンを使って縄で持ち上げて下ろすことになっている(魔力を使える者がいればこういう場面では重用されるが、罪人でそれは望めない)。

 それを補助し、あるいは隙間に人力で石を詰めていくのが、命の価値が低い罪人の仕事だ。俺たちは最初に岩の避け方、命の守り方だけを教えられて、あとは俺たちがいることなんてお構いなしに大岩が前後左右を行き交った。気を抜けばあっという間にその岩に押し潰されるか、当たるだけでも、医療設備もなく水も足りないこの場じゃ命取りだ。


「──番! おい、七──」


 ぼんやりと下から、積み重なった御影石と、不安定に解かれていく縄、絶えず梃子の原理で動いていく木製のクレーンを眺める。


 ──この岩が崩れてきたら、俺は死ぬだろう。


とぼんやり思う。


「おい七番! 聞こえてんのか! 死ぬぞ!」


 そのとき俺は後ろにいた囚人に肩を掴まれ、ぐっと後ろに引かれた。


 持っていた石を落とす。足にぶつかりそうになって思わず引く。右膝に当たって激痛が走り、たぶん出血したような傷がついたが、それよりも足に落とさなくて済んだと安堵する。


 次の瞬間、目の前に大岩が行った。

 止められていなければ、死んでいたかもしれない。


 俺は振り返って、助けてくれた囚人を見た。


「ちっ! どこの坊ちゃんか知らねえが、どんくせえ、本当に」


 体格の良い、傷だらけの中年。

 たしか十二番と呼ばれている男だ。


「……礼もねえのかよ」


 俺が黙っていると、その男はそれだけ呟いて、自分の持ち場に戻っていく。


 それを呼び止めようとして、諦める。


 七番、と言われることにまだ慣れちゃいない。そう言われても聞こえないことのほうが多い。

 そして、自ら礼を言うということも、すぐにできない。そんなことはしたことがない。


「おい! 七番! 早く落とした石を持て!」


 呆けていると、いつの間にか俺の背後に来ていた看守の一人が、俺を鞭打った。


「あ゛っ」

「貴様に怠ける暇などあるかっ!」


 二度、三度と背中を打たれた。さっき石を掠らせた右膝など比べものにならない痛みがくる。出血するだろう。痕も残る。


 こんな下級の、看守などという地位の者に嬲られる屈辱が胸の中でくすぶった。今すぐ俺は王族だぞ、と言って従わせたくなってしまう。


 だが、それを言えば、逆に俺は殺されるだろう。この干ばつによる飢饉を招いた張本人がこそが、この元王太子アドリアンに他ならないからだ。


 王太子と名乗りたいのに、名乗ったら殺されるから、名乗らないで虐げられるままでいる。


 とんだお笑い草だが、そう思えば必然、


 ──そもそも“王太子”、などという地位は、どんなものだったのだろうか。


という疑問も湧いた。


 無様に石を抱えて、指定された場所に登り、石を置き、もうボロボロになった掌で押し込む。するとすぐに石置き場に戻ってもう一往復。それを延々繰り返す。遅れたら鞭で叩かれる。


 現場の最高責任者以外は、看守も囚人も、俺が元王太子アドリアンということは知らない。


 俺にそういう刑罰を与えたのはおそらく父上だが、その意図はわからない。

 俺は光の聖女とともに諸侯を謀り、国王と対決する派閥を作り、この干ばつの中にあって王国中の小麦を水を枯らした重罪人だ。あるいは殺されても文句は言えない。……まあ、だからこそ、誰が殺したということが発生しないまま殺せるよう、死ぬような労働に従事させられているのか。


 あるいは父上は俺に、ここで生き残ったうえでの反省を促しているのか。


 この労働の中じゃ娯楽もない。過去のことを思い出すばかり。王太子とはなんぞやという問いと、自らが過去に行った言動を顧みて、誰に、どんな気持ちで、なにを言ったかなどを反芻する。


 そうするとたまに、噴き出しそうになるときがある。

 たとえば、あ(・)の(・)女(・)に対して、心底反省したつもりで言った、あの言葉だ。


 ──君を、妃に召し上げてやってもいい!!!


 さすがにアレはないだろ、と自分でも思って、笑った。



◇



 作業が一段落すると、褒美として煙草の箱が支給された。

 囚人たちは大喜びして、川辺の日陰で火をもらって吸っている。作業上の意味としては、これでちゃんと覚醒して、夜まで通して作業しろということだと思う。


 俺は煙草を吸わないから、こういったものは獄中での物々交換に使うための通貨として貯めこむことにしている。

 しかし今日は、先ほどのこともあるから、さっき助けてくれた十二番──囚人の輪の端にいる──のところまで行くことにした。


 俺は十二番がしゃがんで煙草を吸っている前に、ふと、立つ。


「……んだよ」

「これを。さっきの礼だ」


 さっさと支給された煙草の箱を丸ごと渡す。

 彼は少し驚いて目を丸くする。


「……気前良いじゃねえか坊ちゃん。騎士道精神ってか?」

「そんな殊勝なものじゃない。礼を言い損ねた利子が入ってると思ってくれ」


 それだけ言って去ろうとする。

 だが十二番は、


「待てよ」


と言って呼び止めてきて、俺が渡した煙草の箱を開け、一本こちらに寄越してきた。


「てめえも吸え」

「……煙草は嫌いだ」

「いいから、吸え」


 彼は囚人の中では気の良いふうの男だが、ここにいるということは相当の罪を犯しているから、警戒するに越したことはない。


 煙草の吸い方自体は知っていたから、俺も彼の隣に座って、一服をした。肺に煙を入れるのは気分が悪いので、ただ吹かすだけに留める。


 そうなると不思議と、俺は勝手に囚人の輪の中に入ってしまった。

 看守が遠くから見守る中で、こいつらは下品な談笑をする。賭け事の話に、下町で喧嘩をした武勇伝、捕まる前に抱いた女の話など。


 嫌悪感を抱く手前になって、美人局(ハニートラップ)の部隊なんぞを使ってのし上がろうとした自分が嫌っていい話ではないな、などとも思う。


「──意味わかんねぇよな。干ばつのときに堤防作るなんて」


 ふと、そういう話題が出た。

 ずっと黙っているつもりだったのが、俺は反応してしまった。


「……それは、未来のためだ」

「あ?」


 十二番が怪訝に声を上げた。

 後から考えれば、別に普通に話せばよかったのだが、俺はこの下品なやつらと同じ輪にいるのが嫌だったから、また矜持(プライド)が邪魔して、


「下賤の者にはわからんか?」


と返してしまった。


 当然のごとく俺は、十二番に首を掴まれた。

 周囲の囚人の数人がさりげなく立ち上がって、俺たちを看守の目から隠す。


「おい坊ちゃん。ここは外でも牢獄の中だ。舐めた口聞いてっと、ぶっ殺すぞ」


 もう、以前の俺なら縮み上がってしまうほどの力で、俺の首は絞められていた。


 刑期が始まってからこういう場面は何度もあった。

 たぶん、常人なら平謝りするんだろう。だが俺に人に謝る習慣はないし、やり方もわからない。刑期というなら、こういうことを含めて罰なのかもしれないと思って、殴られるがままに受け入れている。


 ……いいや。


 ただ、自棄になっているだけかもしれない。


 すべてが終わってから、考えることが多すぎた。

 犯した罪とかいた恥、それでも変えられない己の性と、向き合いたくないことだらけ。正直もう、さっさと死んでしまった方が楽なくらいだ。


 俺は締まる喉から、淡々と声を出す。


「……川が干上がるのは、工期を前倒しできるチャンスでもある」

「あ?」

「川の流れがないから工事が圧倒的にしやすくなる。それは干ばつが終わったあとの生活に大きな利益をもたらすんだ」


 俺はもう、知っていた。

 人間というのは、災害とか、自分に変えられない運命に、ただ抗うだけの生き物じゃない。負けないだけのままではいられない。どんな逆境にいても、より良い未来に希望を繋ごうとする。


「だが水が足りない中で王国民を動員して工事をさせるのは人道に反する。そこで、俺たちみたいな罪人が使い時なんだよ。使い潰されるのは癪だがな」


 俺が言い終わっても、十二番はしばらく俺の襟首を掴んだままだった。

 だが、急にすとん、と力を抜いて、俺を下ろし、彼はただ素朴に言った。


「……なるほどな」


 そこから先は、どういう文脈だったのか、俺にはよくわからない。

 俺は元の輪に戻されて、黙っていることは許されず、囚人たちの談笑に参加させられた。身元だけは明かせないから適当に相槌を打って、それっぽいエピソードを継ぎ接ぎして、実体験を混ぜて話す。それでも俺の話はどうにも浮世離れしているらしく、なにか変なことを言うたび、囚人たちは腹を抱えて馬鹿にしてくる。


 ひとしきり笑ったあと、十二番は言った。


「おまえ、坊ちゃんの癖に案外、タフだよな」

「……そうか?」

「このクソ暑いのによ。水も少ねぇ。俺はあのお日様が憎くて仕方がねえのに」


 彼は俺の足元を指さす。


「そこ、日なただぜ」


 言われて気づく。俺だけずっと、木陰に入らず日なたで煙草を燻らせている。

 確かに渇きと暑さは辛い。意識は朦朧とする。水も足りない。


 だが、日が照ることについてはどうにも、嫌な気持ちがしていないのだ。


「……俺は、陽の光が好きなタチでな」


 空を見上げる。

 煙草の煙が、ほんの少し、太陽をかざしていた。

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