第71話 夫婦の決断④
戻って、今。
ヴィクトールとサンドラさんが去ったあと、トリスタンから聞かされたのはもう、とんでもない展開で。
ソラン殿下が訓練に紛れ込んだこと、そしてマリネット殿下に妙な求婚をされたこと、王妃殿下に魔報を打って、返信をもらうまで気が気でなかったことなど、もう盛りだくさんである。
「……なにか、マズかったかな? ヴィヴィエンヌ」
「いえ。最善を打ってくれました。マリネット殿下についてはもうやれることはやっているでしょう。誰もそれ以上はうまくできないでしょうし、魔報で王妃殿下にいち早く伝えたのは良い判断でした」
「左様か。よかった」
心底ホッとするトリスタンを見て、そんなに心配しなくていいのに、と思った。
こういう貴族同士の折衝について、彼は幼少から経験を積んできたわけでもないのに、知識を吸収しさえすれば即座に妥当な対処をやってみせる。もともと頭の回転が速い、というところがやはり大きくて、交渉の場でも、どんなに私が主導で話を進めたとて、一テンポさえ置けば、次にはすぐに追いついてきてくれる。
彼はあまり気づいていないけれど、これは尋常ではないことなのだ。さすが我が夫、といったところ。
……気になるのは、ソラン殿下のことだ。
トリスタン曰く、殿下は殺意を持ってトリスタンに挑んできたらしい。心当たりはないか、と聞かれたが、どうにもすぐには出てこない。ソラン殿下は繊細なところがある方なので、それについてはどこかでなにか変な無礼を働かなかったか、検討が必要だということになった。
次は私から、多少はわかった聖女のことについて共有する。
これについては短いもので、転生という荒唐無稽だが世界の秘密に繋がりそうな話にちょっとした浪漫も感じつつ、今後に期待、という話になった。
……さて。
そうやって事務的な報告をしていたのだけれど、どうにも私とトリスタンは互いに、上ずるのを抑えていた節がある。
私の頭の中では、かつての怨敵に言われた言葉が何度も反響していた。
──ちゃんと言っとかないといつか後悔する日が来るわよ。
正直、是非もない。私がまさに引き裂いた夫婦の片割れが、心の底から素朴に言ってくれたアドバイスだ。これを蹴とばせるほど私の心は機械的にできていなかったし、後ろめたさも多分にある。
もうこの丸三年。王妃殿下が提示してきた縁談を断り、トリスタンと添い遂げることを決めたあとですら、ずっと、ずっと、後ろめたい。
それはなにより、こんな私に絶えず愛情表現をしてくれている、夫に対して。
たった一言。たった、一言である。
それでこの憂いも後ろめたさも取り除かれる。
見上げると、トリスタンと目が合った。
お互いに抱えている言葉が、同じことに言及するものであると共有される。トリスタンは喉に言葉がつっかえている私を見て、
「同時に、言うか」
と言ってくれた。
私は息を呑んで頷いた。
もうすでに右手が扇子を取り出して、顔の前で広げそうになっている。それをなんとか耐えて、たとえ頬が紅潮しても俯くまい、と強い決意で自分の首を固めにいく。
カイルとロゼット夫婦も、この干ばつの中で子を為した。もう、言い訳はできない。
「なあ、ヴィヴィエンヌ──」
「ねえ、トリスタン──」
言い出そうとして、にわかに心臓が拍動する。途中で無理だと思う。でも己の意気をなんとか吹かして、吹かして、肩に力を入れ、乗り越えるような感じで、勇気を大きく振り絞る。顔はもう、絶対に隠さない。
私とトリスタンは息を合わせて、同時に言った。
「──ちゃんと、式を挙げないか」
「──ちゃんと、子を為しましょう!」
私たちは二人して、ぽかん、と固まった。
先に噴き出したのはトリスタンのほうで、私はもう、言うべきはずだったところから信じられないくらい自分が大きく出て、趣旨を逃してしまったことを知って、カッと全身が熱くなる。
「えー、その、くくっ……す、すまん、えー」
彼は笑いながら、なんとか私を揶揄う雰囲気にならないようにしつつ、淡々と語調を抑えて言ってくれる。
「意図としてはだな。こう、始まりは西からの印象のことを考えてだ。東が勝ちすぎるのが良くない、ということなら、帰りに困窮した農家の家畜や物資などを高い値段で買っていってみせる、というのはどうかと考えてな。対外的なアピールに留まるが、代表者がそういう姿勢を見せるのは大事だし、となれば、購入したものでなにをしようか、という頭になった。それで、ちゃんとした俺たちの式はいつか挙げる予定だったから、良い機会だと思ったわけだ」
「な、なるほど」
「あと、巡礼祭だ。土地の夫婦が世話役をやらねばならんだろう。それは俺たちになるだろうし、ならまあ、祭りの前に一区切りというかな、うん」
「確かに、良い、機会だとは、思いますわ。ええ。いつかやることだった、ということなら。呼ぶ人によっては西へ逆に牽制も、はい。できるでしょうし」
「ああ。そういうわけだ」
「……は、はい」
話してもらい、同意していく中で、体の熱がいったん落ち着く。
トリスタンは少し間を置いて、私の言葉に答えてくれた。
「子のことは、そうだな。それについても、その……なんだ。式は良い機会になると思うんだが、どうだ」
「そ、そうです、わね。なにもかも、良い機会です。元々の予定でしたから」
ああ、やっぱり、トリスタンは優しい。
いつも必要な言葉をくれる。私が言っていないことまで汲み取ってくれる。
私はもう今だって、扇子に手が伸びそうで仕方ない。それは計画通りだから、織り込み済みだったから、と口でぺらぺらと喋って誤魔化してしまいたくなる。
「トリスタン! 私、その! それだけでは、なくて」
でも止まった。ずっと甘えていては駄目だと思った。
言わねばならない。彼が言ってくれたことの、ほんの一部でも。
顔を隠しても、変に大きく出てもいけない。理屈に訴えたって駄目。ちゃんと、私の気持ちを、等身大で伝えなきゃいけない。
勇気を振り絞る。慣れた大見得じゃなくて、ただ本心を言うために、もう一度拍動する心臓を押さえる。
そして、私はなんとか、口火を切った。
「式ではっ! そのっ! いい加減私もちゃんと! 伝えねば、ならない、ことが、あるので……」
しかし、いくら頑張っても私ができたのは、問題の先送りに過ぎなくて。
──なんだこのザマは。
と、自分でも思う。
それでもトリスタンは地面に膝をつき、私と同じ目線になって、静かに微笑んで言ってくれる。
「ああ。待ってる」
……これでも、これでも勇気を振り絞ったのだ。私にしては。
このあと結局彼の目を見ていられなくなって、扇子を開いてしまったことはどうか、非難しないでほしい。
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