第68話 夫婦の決断①
夕暮れ。すべての処理を終え、ヴィヴィエンヌたちと合流するために中央軍本部の門の前へ向かう。
サンドラ殿も一緒である。
ソラン殿下及びマリネット殿下のことについての、中央軍サイドの見解をランキエールに伝えることを手伝ってくれるようだ。
……というのは建前で、どうやら、ヴィヴィエンヌと会いたいらしい。
「まあ、私からするとヴィヴィエンヌは、ちょっとした妹分、みたいなところがあったのです」
歩きながら、サンドラ殿はそう言った。
「……妹?」
「あ、それはなんと言いますか。親同士が仲良かったと言いますか」
「じゃあサンドラ殿は、昔のヴィヴィエンヌを知っているのか」
「はい。あの子は今とそんなに──と言っても私ももう三年会ってないですが──、変わらない感じでしたね。本当に小さな頃からずっと、頭一つ抜けた子でした」
「お、おう。そうなのか」
小さな頃からあんな感じ? それはいまいち想像がつかない。
「今との違いは、そうですね……童のころからああだったので、利発すぎて浮いていたところがあった、という言い方もできるかもしれません」
……そう言われると逆に想像がつくかもしれない。
「そして、その、トリスタン殿も承知かと思いますが、アドリアン元殿下のことで彼女はずっと苦労をしていて、たまに私に相談してきてくれたりもしました。でも私ではぜんぜん、彼女の役には立てず。最終的には件の婚約破棄騒動になって、そこから先はもう、傍から見ているだけでも怒涛、怒涛で……すべて私の想像を超えてきて……」
サンドラ殿は遠い目をする。
知己の妹分の数奇な運命に、中央軍まで動員した大結婚式、王都中と教会をひっくり返すほどの醜聞。
ヴィヴィエンヌに近いところにいて、なおかつ中央軍に所属した彼女には、別の景色も見えていたことだろう。
サンドラ殿ははたと俺の方を向く。
「しかし、ヴィヴィエンヌが嫁いだ先がトリスタン殿だったことは、なんと言いますか、回り回って良かったことのように思いました。ただの家柄が良い令息では、あの子の持つ……なんと言うのでしょうか、失礼。軍に入ってからあまり貴族の娘らしい言葉遣いができなくなっているもので」
彼女は改まって喉を整え、続ける。
「あの子の持つ“格”、のようなものに、トリスタン殿なら釣り合う気がします」
それは、ヴィヴィエンヌの知己の言葉であると同時に、武人としての言葉でもあるのだろうと思った。
心強く、有難い言葉である。
「そう言ってくれるとまあ、安心はするが」
「不敬を承知で言うと、アドリアン元殿下より、よっぽどお似合いに思いますよ」
「……左様か」
そのまま二人で門まで行く。
たかだか数刻離れただけだったが、その数刻で経験したことのせいで、なんだかこれからヴィヴィエンヌと顔を合わせるのに少し勇気が要っているように思う。
自分でも意外なことに、ソラン殿下の(推定の)恋慕という文脈を引いたうえで、マリネット殿下のあの一言が頭に過っていた。
──でも、子供、いません、よね?
なんと無神経な、とあのときは拒否反応すら出たが、指摘されたこと自体は事実である。だから今でも頭に過っているということは認めざるを得ない。
そして、抽象的だが、そこに至らない心当たりもある。
子を為していないのは本当に、たまたま……というところだと、いう、つもりだ。しかし、そもそもヴィヴィエンヌが大前提として世継ぎを残すことに乗り気なのに、三年もこのままなら、翻って考えるべきこともある。
彼女がランキエールに来てから怒涛の日々が続いているし、干ばつが来たあともずっととめどなく忙しさが押し寄せてきていたから、彼女が動けなくなる事態になるようなことは、夫婦として避けよう、という合意がなんとなくあった。それでもろもろが後回しになっていた感は否めない。
また、ヴィヴィエンヌ自身の性質も、なんというか。
……不満はない。不便もない。そして、あらゆることの責任は俺にあると考えているので、愛情表現などは、基本的にはこちらから、と考えているのだが。
彼女は、大きな勇気を奮うのは驚くほど鮮やかで得意でそつなくこなすのに、小さな勇気については急におっかなびっくりになって、自身が得意とする大きな勇気で覆い隠そうとする節があった。
それを汲み取るのが夫の仕事であるし、なにか彼女が表現したいことがあるのなら、待つのが務めだろうとは思っている。夫婦関係とはそういう思いやりと遠慮の狭間で、駆け引きという意識なくある種淡々と、ゆっくりと歩み寄って紡いでいくべきものである。
そうしていく中で確信した互いの愛情は疑うまい、というところなのだが──
──正直に言おう。不満も不便もないが、若干の、不安がある。
それが具体的になにかは、あえて心中でも言葉にしないが。
どうしても、あと一押しがあらゆる意味で足りないというか。
そもそも俺たちの結婚は経緯からして流れの中で決まったものである。肝心なところでちゃんと手を取り合えたからこそ俺たちの今がある、ということは誇っているが、始まりも途中にも外部要因が大きく働いたことは否めない。
なにかもっと、能動的なきっかけがほしい、というのも本当なのである。
それにあたって、実はずっと考えていたこともある。
カイルとロゼット夫婦もこの干ばつの中で子を為したのだ。もう、言い訳はできまい。
そんなことを考えていると門について、いつもの姿のヴィヴィエンヌと、ヴィクトール殿が立っているのが見えた。
「おーい!」
先んじて小さな勇気を使い、俺は二人に声をかけた。
二人は振り向いて手を振り返してくれる。
──ん?
にわかに、ヴィクトール殿がギョッとしたのが見えた。なんだろうか。
俺たちが門の前まで行くと、驚いた目をしたヴィヴィエンヌのほうから発話があった。
「サンドラさん! お久しぶりです」
「本当に久しぶりですね、ヴィヴィエンヌ。そして驚きました」
サンドラ殿は優しい目で微笑んだあと、ヴィヴィエンヌの姿を見て、騎士然としたふるまいで続ける。
「より美しく、気高く、賢く、それでいて、柔らかくなったように見えます」
「……光栄です。良い出会いと、経験をさせてもらいましたから」
礼を返すべく、今度はヴィヴィエンヌがサンドラ殿の姿を見る。
男ほど高い背、太い腕に、傷だらけの鎧。
なんなら俺との稽古の影響で、首元からは包帯が見えている。
「そして、サンドラさんは、えー」
ヴィヴィエンヌが言葉を濁したことを気取り、サンドラ殿はかっかと笑って、鎧で固めた胸を張った。
「強くなりました。えへん」
それで二人は噴き出して笑い合っていた。
振り返れば俺は、ヴィヴィエンヌが旧知の友人と話しているところを見たことがない。知らなかった妻の表情を見られたことに、ちょっと戸惑いの混じった新鮮さを覚えて、こちらまで嬉しくなる。
そのとき、ふと、ヴィクトール殿が俺たちとは反対方向に、抜き足差し足で距離を取ろうとしているところを見つけた。
「兄上! こちら、サンドラ殿だ! ああ、無論、ご存じかと思うが、訓練でご一緒したという次第で──」
俺が呼び止めようとしたところ、ヴィクトール殿はギョッとした顔をする。
「ええトリスタン殿。私とそこのヴィクトールは知り合いですよ」
そしてサンドラ殿が横から、俺とヴィクトール殿の間に入るように言った。
「それはちょうどいい。ぜひ貴殿らにも、旧交を温めてもらって」
「旧交どころかトリスタン殿。私、個人的に、ヴィクトールには深い、深い恩義がありまして。実は久しぶりに会えるかもしれないと少し期待をしていたのです」
「左様か! それはよかった」
「あ、いや、トリスタン。それはですね」
ヴィヴィエンヌが遅れてなぜか俺を止めようとしたところ、サンドラ殿がドスの聞いた低い声で、言った。
「そこのクソ野郎が私をフってくれたおかげで、私は武道に邁進することができ、この歳で大尉になれたんですよ。恩人と言わずしてなんと言いましょう?」
もう諦めたと言わんばかりに、ヴィクトール殿が強張った顔で呟く。
「別にフったわけじゃ」
「私の頭じゃ一生公爵家の名声を使って軍で剣を振ってるのがお似合い、って言ったのは誰でしたっけねぇ?」
「……そういう言い方はしてなかったじゃん」
「ああそうでしたね。私の理解力が足りなくて悪うございました」
先ほどの温かい雰囲気から一転、急に漲った緊張感の中、ヴィヴィエンヌが俺の耳に囁いた。
「サンドラさんは、ヴィクトールの元婚約者です」
──妹分とは、そういうことだったか。
やいのやいの言い合う二人(優勢なのは明らかにサンドラ殿である)を横目に、俺はヴィヴィエンヌに尋ね直す。
「こういう聞き方はなんだが、なんで破談? になったんだ」
「……破談、ということなら何度もそうなりかけていたのですが、八割方、ヴィクトールが悪いです。そして残りの二割はサンドラさんが我慢したのが悪い、とでも言いましょうか。でも妹目線、愛はあったものと思っています」
「なるほど。理解した」
言い合ってる二人の形勢は完全にサンドラ殿の方に傾ききり、ついに彼女はヴィクトール殿の腹を突いてはっ倒し、うずくまる彼を肩に担いだ。
「久しぶりに共に稽古をしましょう。ヴィクトール」
「そ、それだけは、許して」
「先刻トリスタン殿から魔力の取り扱いを習いまして。怨敵に対する魔力の扱い方、というのがあるらしいんですけどね──」
そう言って二人は、門の外ではなく中へ、姿を消していった。
残された俺たちは呆然としたあと、ふとしたときに、どちらかからはわからないが噴き出して、お互い笑い合った。
「……ヴィヴィエンヌ、その、君が止めなかったから俺もそうしたが、あれは、大丈夫なのか?」
「いやその……ふふっ。喧嘩別れとは聞いてたんですが、どうなんですかね。結局は会いに来たんだったら、あるいは、と考えられるかもしれません」
ひとしきり笑い終えて、向き合う。
そこで、さあ宿に帰ろうかと言う前に、なにか気まずさの混じった躊躇いが出て、一歩が踏み出せなかった。
それはヴィヴィエンヌも同じだったようだ。
たぶん俺たちは、互いに言いたいことができたのだと、察し合った。





