第67話 若君の受難④
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本話は投稿日の22~23時周辺に改稿しています。
とめどなく喋るこのマリネット殿下相手に、なにをどうすればいいのか、迸る緊張感の中思い悩んでいると、いつの間にか俺の隣に来ていた王宮の側近から、ふと、小物(ぱっと見は小石だった)を渡された。
「なんだこれは」
「マリネット殿下からの賜り物でございます」
軽く受け取ると同時にそう言われた。
受け取ることすらまずそうだ、と気付くことに、遅れてしまったのを知る。
マリネット殿下ははたと話すのをやめ、そういえば予定はそんな感じだった、と言わんばかりに言う。
「トリスタン様。それ、婚約指輪です。うぇへへへへへ」
その小石は物の一部で、宝石だった。これは国宝級に巨大な金剛石が煌めく指輪である。
「もちろん、私とお揃いで。えへへへへへへへ。どうすればいいか、トリスタンさまならわかりますよね……? むふっ」
なぜか噴き出しながら、期待いっぱいに言うマリネット殿下を見て、思う。
──わかるか、そんなもん。
依然困惑していると、俺の隣にいた側近が囁いてきた。
「これを交換して婚約してほしい、ということです」
ギョッとして前を見ると、マリネット殿下はぼはぼはの髪の中から左手を出し、その薬指に輝くもう一つの指輪を見せてきた。こちらにも国宝級に巨大な金剛石の指輪が嵌まっており、彼女はそれを外して、わくわくっとした視線を俺に注いでくる。
そのまま、あんたと婚約なんてごめんだ、と叫び出しそうなところ、ぐっとこらえて、側近に、
「俺は妻帯者だと言っておろうが!」
と囁く。
それが聞こえたのか、マリネット殿下はまたむふっ、と噴き出して、じいや、と側近に言う。側近はぱん、ぱん、と手を叩いて部屋の入口に目を遣った。
すると気まずそうに扉の枠を潜ってきたのが、法衣を身にまとった男である。
神父だった。
マリネット殿下は満足げに言う。
「準備できてるんでぇ、その、むふっ! 神父いたら、手続きできるし」
──まずい。
──まずいまずいまずいっ!
「聖教は離婚を禁じているのではないのか!?」
俺が問うと、現れた神父は拳を握りしめ、下を向いて返してくる。
「体制がっ……変わったので」
ああ、こいつも被害者なのか、と同情心すら湧いた。
一方で目の前のマリネット殿下は変わらず、ぼさぼさの銀髪の間からにんまりと笑みを見せつけてくる。
──この女、正気じゃない。
もはや、失礼があったとしても丁重に断るしかあるまいか。
「殿下」
俺はマリネット殿下の前にあえて近づいて跪いた。彼女は驚いたように引いてきた。ああもう、なんなんだと思ったが、そのまま言う。
「お気持ちは嬉しゅうございます。しかし、私は妻帯者であり、妻のヴィヴィエンヌを確と愛しております」
それに彼女はごくごく素朴に、ぽつりと返してきた。
「でも、子供、いません、よね?」
「……え?」
マリネット殿下は気味悪く笑いながら、次のように続けた。
「もう結婚して、三年なのに。むふっ。私、そういう関係がなんて言うかって、知ってます。すぅーーーーー。冷めてる、みたいな。無理やりの結婚だから相性良くなかったんですよね。知ってます。えへへへへへへ」
もう、心底、なんというか、呆れ果てて逆に腹も立たないというか。
──あまりに、あまりに無神経な。
これはもうだめだ。周囲を振り返る。
話がっ! 話が通じるやつはいないのか!?
神父を見る。駄目だこいつも被害者だった。
絨毯を持っていたやつらを見る。こいつらは心を殺して虚空を見ている。
ならばこのじいや、と呼ばれた側近殿しかもはや残っているまい、と縋る思いで個人として話しかける。
「な、なあ、そこの、側近殿……、だよな? 失礼があったらすまないが」
そのとき、彼の額に、たら、と汗が垂れたのを見た。
「聞こえているだろう? なんとかしてくれ!」
もう俺は普通に叫んでいたが、彼はぐっと一度目を瞑り、
「殿下はっ……! 殿下はっ……!」
と呟いて、感極まるように言った。
「ここ十年で初めてっ! 自分から人に会いに行きたいとおっしゃったのですっ! 我々はもう、それが、嬉しくて嬉しくてっ!」
「だからといって俺を巻き込むな!」
もう立って側近の胸倉を掴む。
するとその側近の目は急に据わって、静かに俺を刺すように言ってきた。
「ですがトリスタン殿。王族からの賜り物を返せるなど、ゆめ思わぬよう」
渡された指輪を見る。
たしかにそれは、多分にまずい。
どう見てもこれはマリネット殿下の問題行動だが、軽率に扱っては、王族に恥をかかせた、ひいてはランキエールは王室を舐めている、ということになりかねない。
現在リスヴァロン王国の東西が対立するやもしれぬという情勢の手前、それでは非常に好ましくない。
「側近殿。だが俺は事を荒立てたくない。至急、王妃殿下に連絡を取ってくれ」
「いえ、取りませぬ」
「……は?」
「マリネット殿下の勇気を、受け取ってくだされ」
あくまで頑な側近を前に、俺はもう無理だと思い、多少強引にでもこの場を離脱しようと考えた。もうマリネット殿下の方も無視して、扉の方へ行く。
「もういい。さっさと俺が王妃殿下に──」
「先のっ!」
すると、側近は大きな声で呼び止めてきた。
「貴殿がさっき、ソラン殿下を殴りつけていたという話をっ! 王宮の名で広めることも厭いませぬ!」
──最悪がすぎる。
「勇気を受け取るったって俺はなにをすればいいんだ!?」
「結婚してくださればいいじゃありませんか! マリネット殿下と!」
「正気か? さっきも言ったが俺は妻帯者だぞ!? というか俺は妻を本当に愛しているんだ! ぜんっぜん、別れたいとなんて考えたこともない!」
「王家の威光の前に、なにが障害足りえましょう!」
ああもうだめだ本当にどうにもならない。
とんでもない脅しを前に、マリネット殿下の前に引き戻され、俺はもう滝のように流れる汗の中、これ以上どうすればいいのか必死で思案した。
殿下は依然、期待いっぱいの目で俺を見ている。
俺が側近に「妻を愛している」と言ったのが聞こえていたはずなのだが、それすらもまったく耳に届いていないか都合の良い解釈で捻じ曲げているようだ。
この殿下は曲がりなりにも王族である。この方を軽率に扱ってしまっては、王宮とランキエールの対立を招きかねない。
思い出すのはやはり、ヴィヴィエンヌのことだった。
俺が彼女の邪魔になってはいけない。彼女ならどうするか、ということを手本に考えねばならない。
そして、直近の問題でもあった、ソラン殿下のことも思い出す。後に尾を引く厄介事をこれ以上増やしたくない。
──ならばリスクを取り、熟慮を持って、憂い事は断つしかあるまい。
俺は改めて、殿下の前に跪く。
そして出来あいの威厳というか男らしさというか、騎士らしさを取り繕って始めた。
「まずは、マリネット殿下。プレゼントはわたし、とのことでしたが」
彼女はこくこく、と頷いて返してくる。
「遍く天下の人は、国王陛下のものにございます。たとえマリネット殿下がご自身をどなたかにプレゼントしたい、などとおっしゃっても、陛下のご意思でなければ、我々臣下としては、とてもとても、受け取るわけにはいきません」
殿下の頷きが、いったん止まる。
「そして」
そこから先は、言うか言うまいかする。
言わねばならぬ。一切の誤解の余地もないよう、徹底的に。
「私とヴィヴィエンヌは、互いに愛し合っております。それゆえ、私の心は決して、殿下のところにはございません。また、私が先の結婚式で殿下をお助けしたのは、ただたた純粋に、臣下の忠義ゆえでございます」
俺はそれを一言一言、絶対に聞き逃されないよう正面から言った。
それを受けて殿下は、顔からすべての力が抜けて、絞り出すように、
「……嘘」
と呟いた。
「本当ですとも。私はヴィヴィエンヌを愛しておりますし、殿下を好いているということもありません」
「でも、子供は……」
「それは殿下の勘違いです。子供ができていないのは……その、たまたまです。干ばつ中ということもあります。私たち夫婦は人に言うのも恥ずかしいくらい、非常に仲睦まじい結婚生活を送っております」
俺を止めようとした側近を、跪いたまま、逆に手で制す。
殿下がどう言葉を受け取るのか、側近を含めて全員で固唾を呑んで待つ。
彼女は静かに、元々座っていたところから力を抜いて俯き、へたり込んで、自分の髪の毛で顔全体を覆ってしまった。
「……ぁ、ああ」
そして次第に、使い古したモップのような髪の隙間から、泣き声が漏れ始めた。
──これならさすがに、伝わっただろう。
「貴様、姫様にこのような無礼をっ……」
「待て」
剣を抜こうとした側近の手を押さえ、殺気をもって睨みつける。側近は腰を抜かしてへたりこむ。そのあとに俺はまた殿下の前に跪いて、おもむろに指輪を手に持ち、窓から差し込む光に反射させ、
「こちらの品は、改めて私から殿下に、献上する、という形にさせてください」
と言って、殿下の右手を取る。
「……ふぇ」
ふぇ。じゃない。こちとら生存がかかっている。
その右手に無理やり指輪を握らせた。喚かれる前にパッと手を離す。
「これはいつか、私以外の、マリネット殿下を本当に心から慕う方が現れたとき、改めてこの指輪で、殿下の幸せな結婚を彩ってあげてください。とても綺麗な指輪ですから」
これにて、着地をできないか。
横を見遣る。側近はすぐに文句を出してこない。
そしてマリネット殿下は、手を取られたことでにわかに期待が沸き立ち、それが逆に裏切られたことを理解して、一度、ぼうっとして、また虚空を眺め、今度は目に涙を溜め始めた。
「では、失礼。義理は果たした」
それ以上は呼び止められることもなく部屋を出られた。
背後で泣き声がしてきて、それすら遠ざかったあとは、もう胸の奥の奥、肺胞の一つ一つから、一気に空気が吐き出される。
早歩きでサンドラ殿に確認を取り、中央軍の魔報室へ行く。かなり高額の料金がかかるが背に腹は代えられない。ここから先は時間との勝負だ。捻じ曲げられた話が広がる前に、まずは俺から先んじて王妃殿下に魔報でメッセージを送る。
王妃殿下から魔報が返ってくるまで、部屋には緊張が漲っていた。
──委細了解。あとはこちらで処理する。貴殿におかれては今後、マリネットのことを気にかけぬようにされたし。
王妃殿下からその返事を受け取ったときはもう、サンドラ殿(加えて途中からはなぜか事情を聞いた周りの兵士も一緒に)と、安心して床にへたり込んでしまったくらいだった。
……ただ、そのときの俺は。
「嘘だ」
扉のむこうに置いてきた第八王女マリネットが、俺の想像すらはるかに超えた特大の地雷であることに、気づきようもなかった。





