第66話 若君の受難③
第八王女マリネット。先王の大姪(弟君の孫)にあたる王女である。
見た目の特徴としては、青みがかった銀の髪。これは非常に珍しく、美しい髪色ではある。
それ以上の容姿はわからない、というか今は顔すらほぼ見えない。というのも、その髪は伸びるに伸びきってぼさぼさで、おそらくほぼ手入れがされておらず、若干の癖っ毛なのかぼふりと広がりきってるからだ。普段目にする大人の女性というのがみんなきちんと髪を手入れしているのだな、とかえってわかるほどである。
彼女の実際の人となりについて、市井に広がっている情報はほとんどない。彼女の声を聞いたことのある王国民は皆無で、なんと伯爵以上の高位貴族も同様である。
それは彼女が生まれついての引っ込み思案の出不精で、式典以外にはまず姿を見せないからだった。彼女は逆にそのことで有名になくらいだ。
ついたあだ名が、引きこもり王女。
元となる情報がない分、根も葉もない噂はさまざまあった。
曰く、実はとんでもない王家の秘密を抱え込んで一人で守っているとか。実はとんでもない才女であり、日夜魔法の研究を行って、禁忌の魔法にまで手を出しているだとか。
……ただ、不思議と、深窓の御令嬢という雰囲気の話は聞かなかった。
一番確からしい噂は、もともと内向的だった性格を直そうとした挙句に社交界デビューに失敗して引きこもったらしいということである。つまり単に人格に問題があるか、著しく社会性が低いか、ということに帰着しそうな気配を、王国民ならうっすら感じて口に出していない節があるようだ。
で、そんな彼女がなぜ、俺の目の前に側近ごと押し掛けて、絨毯なんぞにくるまって現れ、「プレゼントはわたし」などとのたまい、(本人的にはきっと)可愛らしく膝の内側を地面につけてぺたんと座り、
「うぇ、うぇへへへへ? トリスタン、さま? その、わたしをあげる、みたいな。えへへへへへ」
などという妄言を吐いているかというと。
心当たりとしては、先の元王太子アドリアンの結婚式にて、俺が彼女をほんのちょっと、助けたことにある。
反王太子派に狙われた彼女が逃げ遅れてこけていたので、ほんのちょっと何人かの刺客からお守りして、護衛がいる場所まで届けただけだ。
しかし、それがきっかけで、王妃殿下曰く、彼女は俺を気に入ったらしく、一度は婚姻を提案されたということがあった。そのときはその縁談は流れたのだが、後に彼女はランキエールまで数多の手紙を送りつけてくるようになった。
内容は……おそらく、恋文だったと思う。しかし、あまりにも妄執的なのと、虚実入り混じった(たぶん圧倒的に虚の方が多い)自分語りの大長文であるからして、俺が見聞きしてきた愛や恋とはなんだか異なるような気がしている。
そもそも俺は既婚者であり、妻であるヴィヴィエンヌをただ愛しているわけで、そんな手紙を送られても困る一方だった。というか既婚者であることを無視して妄執的な恋文を送り続けてくる王族など怖くて仕方がないし、仮に俺が独身でもこちらから願い下げである。手紙が届くたび、あの縁談を受けなくてよかったと何度も胸をなでおろした。
結局は王妃殿下にとりなしていただき、なんとか手紙を止めていたのだが、手を変え品を変え経路を変え、その手紙は届き続けていたのである。
一応、少し前に本格的に王妃殿下に陳情したことがあり、その成果もあってか、ここ半年ほどは手紙が来ていなかったので、ついになにかしらの決着があったのかと思っていたのだが。
「……あれ? トリスタンさま、わたしのこと、わかり……ます、よね?」
俺がただただ困惑していると、マリネット殿下はそう呟く。
おそるおそる俺が頷くと、彼女は俯いてから顔を歪めて──どういう表情かわからない。もしかすると笑っているのかもしれない──、話し始める。
「むふっ。そ、そうです、よね。その、わたしって……助けた姫、だし。ってかそもそも、自分で言うのもなんだけど、わたしってその、すぅーーーーー、有名人、みたいな。むふっ。で、わたし実はちょっと推理しちゃってて」
──推理?
「あの日トリスタンさまがわたしを助けてくれたのも、もしかしてわたしのこと知っててあわよくばなにかあったら助ける気でいてくれたのかなーなんて。あ、いいんですよ。殿方のそういうのって、うぇへっ、なんて言えばいいんでしょう? 言っちゃっていいです? 失礼かな。でも相互理解ってすごく尊いわけで、うぇへへへへへ。すぅーーーーーーー」
のっけから様子がおかしかったマリネット殿下は、話す度もじもじして自分の髪を触り、しかし笑う頻度は増え早口になり、声もより高低が不安定になっていくのに合わせて、だんだん大声になっていく。
そして俺は、戦慄した。
「えっとですね。はい。お手紙読んでくれたと思うんですけどね。あの結婚式でトリスタン様すっごく格好良くて。ほら、わたしを命を懸けて助けてくれたじゃないですか。ほら、わたしのために来てくれたっていうか。運命だったっていうか。あの日わたしってほんとに久しぶりに外に出てて。本当に嫌だったんだけど、王太子? あ、元か。アドリアン兄さまが結婚っていうなら断れなくて、むふっ。すぅーー。あ、でもあのお手紙ってものすごく迫真で、わたしがすごい運命に導かれた恋する乙女でめちゃくちゃ辛い人生歩んできたみたいな感じに見えちゃうと思うんですけど、あ、それは間違ってないな。でもあんまり本気にしないでほしいっていうか。はい。だって読んでもらってすぐわかったと思うんですけど、わたしってすごい文豪の卵じゃないですか。自分でもあの文章力ぅ……ちょっと怖いな! って思ってて。才能ある者の責任って言うんですかね? すぅーーーー、はい。あ、これもわかるの才能っていうか教養っていうかえへへへへへ。わたし本読むのすごく早くて。めっちゃ物語とか好きでわたし。自分でも書くんですよ。まだ本にはできてないんですけど、頭の中には設定いっぱいあるっていうか。今でも思うんですけど王女に生まれてなかったら大作家になってた女なんです。でもわたし社交界デビュー失敗しちゃったっていうか失敗されられたっていうか、はい。本当はああいう予定じゃなかったんですよ。なんて言うか、その……くくっ! 言っちゃっていいです? わたしって本当はすごく頭良くて。むふっ。周りが馬鹿に見えちゃうっていうか。だから会話の先々読んじゃって相手と話しあわないことも多いんですよね。結局学院とかの連中もお勉強しかできないからわたしみたいな本当に頭の良い人って理解できなくて。そういう状況ってもう詰んでるじゃないですか。だからもうわたしってある意味ずっと囚われの姫だったっていうか、誰かに助けてもらわないと羽ばたけない白鳥? みたいっていうか。あこれも文学的なセンス出ちゃっててぇ──」
……これは、本当にあの手紙のまんまだ。
正しく言うと、あの手紙はもう少し文に落とし込んでいるだけマシだったのかもしれない。あの手紙にはむふっという笑い声や息継ぎは入っていなかった。
気が触れているのか確認したくて彼女の側近に目を遣る。
全員、表情を変えていない。ならこれが平常運転なんだろう。
まだ話し続けているマリネット殿下の声が響くたび、より頭痛は加速していく。現在目の前で課題はより山積していっており、はたして今から挽回は叶うのか? と気が重くなっていく次第である。
とりあえず今はいったん、一度は持ち上がったこの女との縁談を受けなかった過去の自分を、褒めてやることにした。





