第65話 若君の受難②
それ以上考えるか考えないか、という決断をする前に、まずは逡巡した。不敬だからである。
辿り着くべき結論は飛躍しているので、その結論は保留にし、逆算してその経路の妥当性を検証することにする。
想像通りなら、なんと言うか、えー殿下の一連のふるまいについては……
……なんと言うか、男がそういうことをするか? という感じもある。
しかし、殿下はまだ十七歳。そういう変なことをしてしまう気持ちは、なんとか想像力を働かせればわからないでもないというか。そこまで前ではないにせよ、俺だって十七の頃には変な自意識で父上に反抗したことだってある。今思い出すと赤面ものだが、若い男とはそういうものだ。
予防線を張りながら、想像の翼を羽ばたかせんとする。
まずは、ヴィヴィエンヌとアドリアン殿下が婚約していた。ソラン殿下はヴィヴィエンヌより歳下で、義理の姉になるのだから、『姉さん』と呼んでいた。
ここまではいい。次期王妃を第二王子が『姉さん』と呼ぶのは格として間違いではない。
そして、アドリアン殿下は昔からヴィヴィエンヌに酷い扱いをしていた。その愚痴をソラン殿下が聞くことがあった。
……まあ、貴族の親戚関係の幼少期、というところだ。そういうこともあろう。
ここまでは事実。ここから、想像を含めていくとしよう。
ソラン殿下はご聡明であらせられるので、ヴィヴィエンヌが酷い扱いを受けていることを理解しただろう。彼女から愚痴を聞かされた日には……その、なんだ。兄さん(ソラン殿下がアドリアン殿下をそう呼んでいたかは知らないが)は姉さんに酷いことを言う、という認識になってもおかしくない。
さらにソラン殿下は、特に後ろ盾もなく、王統のために生み出されたアドリアン殿下のスペアだ。周りの人間は基本的にアドリアン殿下の即位を望んでいた。
……これは、
『姉さんの言うことがわからない兄さん』
かつ、
『姉さんのことがわからないくらい愚かな兄さんのスペアが僕』
という図式になる気がする。
そしてその愚かな兄さんの愚行により、ヴィヴィエンヌは辺境であるランキエールへ実質的に追放された。
そうだ、その折に王妃殿下が後処理として提案してきたのが、ソラン殿下とヴィヴィエンヌの結婚だった。それについてことさらに気にしたことはなかったが、ソラン殿下とヴィヴィエンヌはあるいは結婚し得た関係なのである。
──仮に、その話が事前にソラン殿下に行っていたら、どうだろうか。
しかも、なにやら拗れた状況にいる、あのとき十四、五歳だった青年──いや、少年──に。
……異性として意識し始めることは、あるのか?
そこまで考えて、俺は素朴に思った。
──まずい、かなり生々しい。
この生々しさは、あの“怨み”の剣に至るようなねばねばとした感情に接続してしまうような気がした。ソラン殿下からすると、俺は幼馴染の姉上を搔っ攫っていた間男である。
……この考察は、どこまで現実的なんだろうか?
やはり飛躍しているか? ほかになにか、許せないような不敬があった?
いや、しかし俺の怨みの察知は外れていない。あれはちょっとした気に入らないだとか、そういう次元の怨みからくる魔力ではなかった。
俺が勘違いしている筋としては、どうだ。
仮にそういうことがあったのなら、想いを注がれている当のヴィヴィエンヌが気づき、殿下との距離感のようなものを測っていてもいいと思うが──
とまで考えて、それはできないだろうな、とも結論する。
アドリアン殿下に昔から否定され続けたせいで、ヴィヴィエンヌは、自分に向けられる好意というものにひどく鈍い。
そもそもいまだに自分が魅力的だなどとは露ほども考えていない節がある。だとしたら彼女からすると、ソラン殿下は依然、巡りあわせによって急に王にならざるを得なくなった、可愛い愚痴聞き係の弟分なのである。
……それはそれで、ソラン殿下からしたら残酷かもしれない。
ああもう、頭痛がしてきた。
──これはいつか、マズいことになるのでは?
なにがどう振れてどうなるか、具体的なことは思いつかない。
しかし、もし想像が合っているのなら、いずれこの国を取り仕切る者が、訓練に混じって俺を殺そうとしてきたことについて、暗澹たる想像が膨らまざるを得なかった。
◆
答えが出ず(出るわけもないのだが)、ただ唸るだけ唸っていると、目の前の扉がノックされた。
「トリスタン殿。至急、お伝えしたいことが」
開けてみるに、サンドラ殿だった。
彼女は額から汗をかいており、非常に焦った様子に見える。
「サンドラ殿か。どうした」
「貴殿に来客です。しかも王宮から。訓練の前に追い払った輩を覚えていらっしゃいますか。あれがその関係だったようで」
「……もしやあの者は、ソラン殿下の配下だったのか?」
まさか、先ほどの指南が不敬とみなされた?
いやいや、さすがに要請のあった指南をする中に勝手に混じられて、場を収めたのだから、文句を言われる筋合いはない。
幸いなことにサンドラ殿は首を横に振ってくれたが、不幸なことに彼女はより厳しく眉間に皺を寄せる。
「いえ、そうではないのです。私もわけがわかっていないのですが、まったくの別口からです。詳細は明かしてもらえなかったものの、王宮の使いに違いなく、急遽上の許可が下りてしまっています」
言葉を選んでいられない、とばかりに彼女は続ける。
「こちらも同席したいところでしたが、トリスタン殿以外の人払いを要求されました」
「あまりにも妙だな、それは」
「……厄介ごとの、恐れがあります。十分に気を引き締めて臨まれますよう」
サンドラ殿は苦々しい顔をしく言ったあと、凛とした顔に切り替えて、敬礼を返してくれた。
「感謝する。行ってくれ」
「はっ!」
彼女が去ったあと、ほどなくして扉がノックされた。外からは複数の足音がする。全員がおそらく男で……妙な音が混じっている。なにか、荷物を持って細かく歩調を合わせて動いているような音だ。
扉の向こうから、儀礼的だが宿舎の中にはそぐわない、ギョッとするような大声が響いた。
「トリスタン殿ぉー! お目通り願います!」
「……入ってくれ」
立って迎える。
扉が開いて見えたのは、壮年の近衛兵である。その数四名。
俺に直接声をかけた男は、俺の顔を確認するや否や言ってきた。
「さる方よりの、賜り物にございます。謹んでお受け取りください」
「……さる方?」
有無を言わさず、なにか縦長の大きな荷物を持った二人の近衛兵が、その荷物を扉の枠にぶつけないようにしながら、慎重に部屋に入ってくる。
縦長の大きな荷物は、巻かれた厚い布だった。
──これは、絨毯だろうか?
その二人の近衛兵は、俺に対して平行に立つと(妙なことに一定の距離を取って、俺の前の空間を確保するようである)、互いに頷き、口では言わず、せーの、と息を合わせる。
そうしてしゃがみ、慎重かつ勢いよく、巻かれた絨毯をごろん! と俺の足元に転がしてきた。
進むたび細くなる絨毯が、端まで開いて、出てきたのはなんと、人──
──の背中である。転がって床に出る塩梅でそうなったらしい。
見下ろすにその人は、絨毯を出てなお自身の長髪にぐちゃぐちゃに絡まって巻かれていた。女だ。そしてその髪色は、青みがかった銀色。
女は背を起こしてふらふらと座り直し、どうも目が回っているようで、ぷはぁ、と息を吐いたあと、周囲を見回す。そして俺を見つけると、両肩を急に上げてもじもじし始めたと思ったら、「むふっ……」と噴き出しながら不気味に笑って、次のように言った。
「……プレゼントはわたし、みたいな。うぇへへへへへ」
会うのは初対面以来、二、三年ぶりだが、王宮の使いということと、髪色から正体がわかった。
彼女は絶対王政を敷くリスヴァロン王国にて、当然の如く公爵より上の権力を持ち、あらゆる個人の意思が通され得る、ソラン殿下と同じ血統。
すなわち、王族である。
近衛兵はもはや俺の方にすら向かず、儀礼的に声を張った。
「マリネット殿下であらせられる!」
引きこもり第八王女マリネット。
王太子アドリアンの結婚式で助けて以来、俺に怪文書を送り続けてきた女だ。
俺は率直に、声にだけは出さないよう、己の心中で気持ちを吐露した。
──もう、勘弁してくれ。





