第64話 若君の受難①
ソラン殿下? と俺が呟くと、それが聞こえた上官たちも当惑したあと、にわかに全員がこちらに駆けつける。
俺は甲冑を押さえていた右脚を緩めてただちに立ち上がり、ソラン殿下の背を起こして甲冑の革帯を緩め、兜を脱がせた。
まずは俺が、殿下の背を支えながら言った。
「ソラン殿下、であらせられますか。驚きました」
「失礼。そうです。ソランです。潜り込んじゃいました。はははは」
「お怪我は」
「……防御は間に合いましたが、ええ。人生で一番キツい一撃でした。さすがです。トリスタン殿」
集まってきた上官たちは、ソラン殿下が本人と確認しても当惑するばかりで、どうすればいいかも見当がついていないようだった。
──これは、周囲も知らなかったのか?
というか、マズいのは俺だ。
経緯はいったん忘れて、俺は今、王位継承権第一位の王子を殴っている。もしも後遺症が残る怪我をさせていたら、ランキエールの存続に関わるかもしれぬ。
「先ほどは殿下と知らずに失礼いたしました。すぐに治療させますので」
「あーいや、こんな妙なことをしたんだから、僕に説明責任がある」
ソラン殿下はあくまで軽く返してきて、心配する周囲を手で制し、すっくと甲冑とともに立ち上がった。防御が間に合ったというのは本当らしい。
殿下は驚く周囲を見て、朗々と話し始めた。
「みなさん失礼いたしました。ソランです。この度は勝手ながら、みなさんの訓練にお邪魔させていただきました──」
俺は背中にじんわりと流れる冷や汗を感じながら、殿下が本当に無事なのか見定める。さっきにどこぞの間者だと疑い、半ば本気で打ったことは事実だからだ。
そして、疑問も湧きあがる。
それにしても、あの殺気はなんだったのだろうか。
快活な笑顔で話すソラン殿下からは、先ほどの“怨み”の剣の源は見受けられない。
「──つまり、僕は立太子が迫っている身です。そうなればもはや危険は冒せない。しかし王国最強の戦士と手合わせした経験がどうしても欲しかったのです。それは今しか得られないものですから」
殿下が話し終わったときに、それに対処できる者はいなかった。
軍という規律の組織で、権力を用いてこんなイレギュラーなことをされて対応できるわけがない。
なら、この場を収められるのは、俺しかいるまいか。
「魔力の扱いは見事。はっきり言うと、ここにいる兵士の誰よりも見込みがある。次代の王がここまでお強くあらせられるのは、臣下として誇らしゅうございます」
俺はそう言い、次のように結ぶ。
「我々は素晴らしい王を迎えられそうだ」
兵士たち・上官たちの目をあえて見る。こういう話の流れで進めてこの場を乗り切ろうという提案である。
「しかし! 危ういところもあります。しかし殿下はまだ若い。特に──」
だが、これだけでは殿下の奇行の責任を我々が被らねばならないので、勇気をもって続ける。
「──軍を謀って危険な訓練に参加しようなど、肝が冷えます。本当に。二度となされませぬよう」
今度はそう言って、軽く佇むソラン殿下の目を見た。
「はは! 違いない! 諸君には多大な心労を! 始末書などにはならぬよう、王宮にも口添えします!」
──これにて、収まったか。
このあとの膨大な処理を思えばみな頭が痛かったが、着地点は見えたので、一同心の底から安堵する。
「そして、トリスタン殿。実際に王国最強の戦士と戦ってみて、心底安心しました。あなたになら、東の国境を守りきることなど造作もないでしょう」
ソラン殿下は静かに右手を差し出してくる。
「姉さんをよろしくお願いします。次期ランキエール公爵、トリスタン殿」
その握手を、俺が断れるはずもなかった。
◆
訓練が終わり、あてがわれた軍宿舎の客室で着替えたあと、俺はソファーに座って、物思いに耽っていた。
指南に集中していたはずなのに、思わぬトラブルに見舞われてしまった。
俺にしてはよく対処した方だと思うのだが、あとでランキエールに不利益がないかどうかが心配である。
……いや。
そうではない。おそらく対応は悪くない。
問題は、あの“怨み”の剣の由来である。
──ソラン殿下は、あれを好機と、本気で俺を殺しに来ていた。
ソラン殿下に対し、殺意を向けられるようなことをした覚えはない。干ばつ以後、王都に行く度に顔を合わせ、言葉を交わしたこともあるが、ごくごく事務的で、数えられる程度のものだ。
すべて仰々しい敬語を使っているし、万全の緊張をもって臨んでいるから、間違えたこともおそらくない。あっても言い訳が効く類い。
なら、王宮とランキエールの対立の延長か?
それがあったとして、あの“怨み”が俺個人に向けられていた説明はつかない。あれは尋常ではない魔力だった。体格や経験でランキエール兵に大きく劣るとはいえ、まだ十七歳の青年が出せる執着ではない。
まったくもって見当もつかない。どういうことだろうか?
……いや。
正直に言うと、実は一つだけ、心当たりがあった。
もしかしたらなぁ、くらいの予感だ。
本当に怨みを抱かれているとすれば、個人の関係を辿ればいいわけで。
となると必然、俺とソラン殿下に共通する人間を洗い出して、消去法的に検討すればいいわけで。
そんなものは、一つくらいしか残らないわけで。
……俺とソラン殿下の間にいる人物など、ヴィヴィエンヌしか、いないわけで。
──いやいや。
──いやいやいや。
しかし、なんだかあの殿下は、とても快活であらせられて、頭脳明晰・才気煥発であらせられるのに、なんだが、こう、ぬめっとしたところがあるというか。
ずっと引っかかる物言いはあったのである。
先ほどの、去り際の握手の一言だってそうだ。
──『姉さん』を、よろしくお願いします。
殿下は頑なに、ヴィヴィエンヌをそう呼んだ。
そもそも王位継承権一位に繰り上がった者が、血縁でもない者に「姉さん」などと言っていいわけがない。特別な関係を匂わすあだ名や、フレンドリーな言い方だって、王族がするには意味を持ってしまう。
そしてわざわざ周囲に重要人物が多くいる中で、しかも彼女の夫である俺がいる場で、大きな声で「姉さん」と呼ぶ意義、あるいは自意識とは。
その自意識が、俺への“怨み”に繋がりうるほどになる経緯とは。
それはヴィヴィエンヌの夫であり、彼女に心の底から惚れている俺であるから気づくことでも、あるかもしれない。
不敬であり飛躍しているが、検討すべき仮説として、まず結論から先に出すことにした。
──ソラン殿下はおそらく、ヴィヴィエンヌに惚れている。





