第59話 やさぐれ聖女③
掃除をしたら掃除をしたで元の場所に戻されると、彼女はまた煙草に火を点け、ぷはぁ~、と吸い始めた。
「……あなたそれ、男性が吸う銘柄じゃないの?」
「おこちゃまね~。肺は汚してなんぼよ。早く死にたい。ああ命の味。吐いたら吸うキャパ戻っていいわ~」
「そんなこと言っていざ死刑とか言われると喚くんでしょう、あなたは」
「……けっ! 早く要件を言いなさいよ。あたし、あんたの顔なんて一秒たりとも見たくないわ」
傍から見れば、今のこのやり取りは、聖女ミレイユが暴言を吐いているだけ、に見えるだろう。
しかし驚くなかれ、これはかなり会話が成立しているほうである。背後の看守にちらりと目を遣ると小さく頷いて返してくれる。
私は奇跡的に、このやさぐれ聖女と会話が成立するほうだった。たぶん、かつての怨敵だった私と相対すると、彼女の背筋が伸びるところがあるんだろう。
「で、元王太子妃殿下。聖女の権能についてだけど」
「……なによ」
「魔力は使っていないって言ってるらしいわね。代わりにその……これは本当なんですの?」
手元の書類を捲りながら私が問うと、彼女は口の端から煙を吹き出して、私の記憶とはびっくりするほど異なるダミ声で答える。
「本当よー。ラブの大きさで全部決まるわ」
「権能は愛に比例するということですか?」
「ひれい? 難しい言葉使わないで」
「……愛が大きいほど、あなたはよく空を晴らすことができたのかということです」
「あーうん。ラブがでっかければでっかいほどフルパワーになる」
「ちなみに、あなたはその、フルパワーとやらを十としたら、どのくらいの出力を出せていたわけ?」
「そりゃ、九か十よ。光の聖女ってラブの化身だもん。ラブにおいて私たちはさいきょー」
どうも、本人的には筋が通っていることらしい。
「まあ、特別なことがなかったらね」
ただ、ふと、聖女ミレイユは付け加えてきた。
「特別なこと?」
「うん。儀式で手助けするとか、特別な場所に行くとか。あとは──」
それを口にすることについて聖女ミレイユは、今の彼女らしからぬ躊躇い方をした。自分でも荒唐無稽なことを言い出す自覚があるようだった。
「──真実の愛、とか?」
「は?」
一応彼女の表情を見る。
無表情だ。真実味の有無は読み取れない。
「なんですのそれ。あなた、やっぱりふざけてます?」
「あんたがそう思うのは勝手だけど、ほんとよほんと。最も強い魔法は真実の愛。これにはどんな儀式魔法も敵わないわ。トゥルーラーブ、てやつ。実在するかは知らないけどね。ぷはー」
……与太話だろうか?
一応ヴィクトールに報告をしておこう、と記憶する。
「まあ、一応受け取っておきましょう。じゃあ、あなたの中にいるらしい、先代の聖女たちについてですが──」
「しらねー! 答える義理はないわ。けっ! あーいっぱい喋って疲れた」
聖女ミレイユは拗ねたようにして、私との会話を拒否するようにまた新しい煙草を取り出し、火を点けて吸い始める。
その後もいくつか、私はなんとか、このやさぐれきった聖女ミレイユから新情報を取ろうとしたのだが、次第に彼女は私との対決じみた緊張に飽きたようで、黙って酒を煽り始めてしまった。これ以上は、どうしようもなさそうだ。
もう帰ってやろうかと思ったころ、私はふと、立ち止まって考えた。
思うに、この聖女の聴取がうまくいっていないのは、私たちが勘所を外しているからかもしれない。
たとえば、実際に彼女が今、何を考えているか、ということに、誰もフォーカスし得ていない。聴取を試みれば試みるほど、彼女の支離滅裂さばかりに目が行って、まともに会話をして話を聞こうとする気が失せてくる。
そういう相手に話したくならないのは、想像力を働かせればちょっと理解できた。私と聖女ミレイユが少し話すことができたのも、もしかすると、そういう理解と対等さが一因にあるかもしれない。彼女は人の心の機微から、自分に向けられる感情を察知することに長けているから。
──ひとつ、確かめたいことがあるのよね。
私は看守の方に振り向いて、言った。
「少し、席を外してちょうだい」
「え? いや、それはしかし」
「扉の外に出るだけでいいわ。十分後に扉を開けて。そのときに私の様子がおかしかったら、トリスタンではなくヴィクトールに手順どおりにしてと言ってください。あの子ならやってくれます」
看守は少し逡巡したのち、敬礼をして、言う通りにしてくれた。
二人きりになったことで、私と聖女ミレイユの間にちょっとした、かつての緊張が漲る。私はおもむろに立ち上がって、あえて格子の前まで行き、彼女との顔と顔の距離を近づけた。
「元王太子妃殿下。あなた、そんなに反抗的でいいのかしら?」
「ふん!」
「残念ですわねぇ。罪は濯げないでしょうが、あなたがちゃーんと反省してみせれば──」
「なによ。私はヤニと酒があればもういいの」
私はもったいつけて、次のように言った。
「──元殿下との面会も、叶うやもしれませんのに」
すると聖女ミレイユは、てん、と固まった。
「え、嘘」
そして彼女は檻のむこうで、おそらくは無意識に、自身の金の髪に触れて、人差し指と中指を手櫛にして、すっと解いた。
「アドリアンが、来るの……?」
──おっと。
「え、嘘! 嘘、準備なんて、ああ! もう、ベタベタ! ああ!」
聖女ミレイユは急に立ち上がって、自分の木綿の囚人服を手で撫でつけて払って、周囲を振り返って探し──きっと鏡を探してるんだと思う──、袖を伸ばして、なんとか自分の手首の傷が隠れないかしながら、そんなことでは今の自分の醜態をどうにもできないとようやく痛感したようだ。
──ここまでとは、予想外だった。
彼女は半狂乱になって叫んだ。
「香水! 香水を、あんた、持ってるでしょ!?」
「落ち着きなさいな」
「早く出して! 着替えも! こんな姿でアドリアンに会えるわけない! ああ、もう、ヤニ臭い! お化粧も、えっと、えっと、傷跡が、えっと、時間も、えっと、白紛はないの? あるでしょ!? あるわよね!? どうしようどうしよう。ああもう早く言いなさいよどうしてそんな意地悪を。もう一回会えるなんて思ってなくて、私、私」
「元殿下が来るなんて言ってないわ。面会も叶うやもしれぬと言っただけです」
私が少し声を張って補足すると、聖女ミレイユはもう一度、てん、と固まる。
そして、彼女は自身が犯した失態を知る。
ヴィクトールが言ったことの種明かしが、今、為された。
本来の貪欲な光の聖女なら、あらゆる状況で男を利用しようとしないことはあり得ない。歴史上も彼女たちはいつだって、自身の中であらゆる理屈を合理化し、女という武器を使ってしぶとく世界を渡り歩いてきた。
その彼女が計算なく自らの武器を封印したということはきっと、心情的にそれができなくなったということを意味している。そして、その心情は今、彼女が荒れに荒れていることと無関係じゃない。
──たとえば一生、想い人に会えなくなったことの苦しみとか。
私は確信を持って、格子の向こうに言ってやる。
「あなた、本気でアドリアンさまに惚れたのね」
聖女ミレイユは気まずそうに背中を曲げ、頭を腕の中に埋める。
その頬と耳は、燻る煙の中でもわかるくらい、真っ赤に染まっていた。





