第57話 やさぐれ聖女①
まず向かったのは、王都のもう一つの中心部と言える場所、北の学院。
私たちはその学院図書館で、ヴィクトールと落ち合うことになっていた。
王妃殿下との交渉が終わる時間が読めない、と言ったときに、
──なら資料がある場所で時間を潰してるから。
ということで彼にここを指定されたという流れ……なんだけども。
図書館に行ってみると、諦観の目をした司書さんに地下書庫の一角に案内され、そこで崩れた積もった本の山を指さされた。
「ぐ、ぐえぇぇ……」
その本の山から、聞き覚えのある男の声がする。
あと、足だけが山の中腹に出てピクピクと動いている。
「まったく、この子は……」
私は額に手を当てて、大きくため息をついた。
「この子、って君、兄だろう?」
「いつからかあれを年上だとは思えなくなりましたわ」
トリスタンが諫めてきたので、私は自身の前腕を持ち上げて親指だけ立て、醜態を晒している我が兄を指した。
「その声は! おっと、あっ! ぐえっ! 助けて、ヴィヴィエンヌぅ……あと、可愛くて大きな義弟のトリスタン君!」
呼ばれたトリスタンに目を遣る。彼は頭をがしがしと掻き、
「はいわかりました、兄上」
と言って、本の山からヴィクトールを引っ張り出し、肩に担いだ。
「さっすが~、頼りになるねぇ我が義弟は」
「兄上。本は水よりも重いんです。こんなことを繰り返していたらいつか笑い話では済まなくなりますよ」
「……へーい」
妹の夫に諫められたのがさすがにバツが悪かったのか(あと司書さんに謝っておけと説教したのも効いたのか)、ヴィクトールはしばし静かになり、そして、大人しく地下書庫の一角の机に座った。
人払いはしてある。ここなら誰にも聞かれないだろう。
「さて、まあ、光の聖女ミレイユについて、前回からの進展なんだけども」
ヴィクトールはそう言って懐から資料を取り出し、あとさっきの本の山から古書を取り直してきたあと、あの日罪を犯して幽閉された、聖女ミレイユのその後について話し始めた。
「──って感じで、彼女の供述から、調べたことの裏付け自体はかなり取れたよ。やっぱり光の聖女の正体は神聖娼婦で間違いないし、この分だと王国の歴史上急に変なことをした権力者の動機にも説明がつきそうだ。もう教科書の記述にいくつか注釈が付くくらいのところまでは来てる」
先の王太子夫婦の醜聞において判明した、光の聖女の黒い歴史。その秘密を解き明かしたのはドルナクであり、全国の遺跡を回ってせっせと解析に励んだのはヴィクトールだ。
なので、聖女ミレイユを逮捕して以降の一年、重要な参考人として、そして聴取を行う研究者として、ヴィクトールはより詳細な“聖女”という存在の研究に邁進している。
あの教会の地下についても、少なくとも第五聖堂については光の聖女の当人の記録ということもあり、残存する巨大な教会勢力を押し切って調査を開始することができた。それによって、今まで禁忌だった聖女という存在の詳細へも踏み込むことができるようになっている。
歴史の解体は順調。
そして次なる課題は、聖女の権能と、転生という超常現象について。これは聖女という政に甚大な被害をもたらす存在に人生を変えられてしまった、私にとって中心的な関心事である。
しかし、ヴィクトールはそれについては苦々しい顔をした。
「でもねぇ、聖女の権能と転生については、やっぱり聖女ミレイユ本人からの一次情報がないと難しいところがあってねぇ」
「聞けばいいじゃありませんの。何か問題がありますの?」
彼は言いにくそうにした。
じれったいのと、肉親の私としては概ねなにが問題なのか察することができたので早く言うように促すと、彼は参ったように続けた。
「頭の弱い女と会話するのが、辛い」
「……なるほど。その問題がありますか」
そう、ヴィクトールはこういうところがある。
「あなた、そんなだから婚約者に逃げられるんですよ?」
「……やめてそれは。まだ古傷にもなってない」
諜報のドルナクの跡継ぎらしく、基本的にヴィクトールは優秀で人当たりも悪くないのだけど、興味や情熱が偏っているばかりに、会話の速度が噛み合わない相手とはひどく相性が悪い。
それは間違いなく社会性のなさ、だったり、人間性に問題がある、ということに換言される。彼も彼なりにそれを悪癖だと認め、直そうとはしてきているのだが、どうしても性根と結びついているために、気を抜くとシンプルに他人に対して無礼な態度を取ったりしてしまう。
そして、そういう性質は聖女ミレイユとは相性最悪である。
「彼女、そもそも言っていることが一貫しないんだよ。昨日喋ったことを『忘れた』とか言って撤回したりするし、拗ねて嘘ついたりするし、過去の供述と照合して違うんだけどって確認したら肯定も否定もせずに泣き始めたりする。で、関係が悪化したらわざと支離滅裂な供述に切り替えて意地悪をしてくる」
「……それについては、苦労してますわねぇ」
「女性の研究員に聴取を任せたらそれはそれで気位が高いのか舐めてくるみたいだし、かなりお手上げ状態だ。聞いての通り彼女個人はもう荒れるに荒れてて、僕としてはもうあのくっさい空間に行きたくもない。もうヴィヴィエンヌだけが頼りさ。彼女と会話できるのはもはや君だけだから」
「なるほど」
不満たらたらの様子に相槌を打つ。
「ちなみに、前回から脱獄の気配はありますの?」
「……不思議と、それはないんだよね」
「来訪者を誘惑したりは?」
「それもないんだ。法的な手続きとか、学者を呼ばなきゃいけないときはどうしても男が行くシチュエーションがあって、すごく警戒しながら臨んだんだけど、なんかそういう素振りもない」
あら。それは不思議だ。あの“女”の総体みたいな色情魔が、女と武器を使おうとすらしないなんて。
「僕も誘惑はされなかったしねぇ」
「そりゃあ、そもそも、ヴィクトールみたいな男が嫌いな女は少数派ではないですから」
「へいへい。悪うござんしたね」
ぶうたれるヴィクトールの前で、一通り考える。
肝心の聖女の権能や転生についてわからないのはすっきりしないし、遠い未来に別の聖女が現れたときにも対策しづらくなる。個人的にはもう少し学びがほしい。
それに、未だに脱獄しようとしていないのが引っかかる。
反省をしているのならそこが突破口になるだろうし、違う理由があるのならまさしくそこが勘所だろう。
これ以上は考えても出たとこ勝負にしかならないので、私は席を立ち、
「……とりあえず予定通り、私もまた聖女ミレイユと会ってみましょう」
と言った。
*
場所は少し変わり、中央軍本部近くの監獄塔。
聖女ミレイユを捕えるため、新設されたものである。
美人局に特化した人間を閉じ込めるには、男の世界である軍の本部及び宿舎に近いのは、少々リスクが高かった。そこで、軍の敷地内でもっとも人が少ない演習場に塔を新設し、原則的に男子禁制の空間を作って、そこの最上階を監獄とすることに相成った。
一応、塔の近くまではヴィクトールと話しながらトリスタンと三人で行ったが、さっき言ったように、ここは男子禁制である。
途中からは二人とは分かれ(そもそもトリスタンは中央軍から呼ばれていたのでここで別行動の予定だった)、女性の看守とともに塔に入って螺旋階段を上がっていく。
ここに来るのはもう三回目くらいだ。
そして来るたびに、というか今じゃ階段を上がるたびに、様子が変わる。
──やっぱりもう、臭いなぁ。
ヴィクトールが嫌がるのも正直わかる。
上に行くほど、むせかえるような酒と、煙草の匂いが香ってくるのだ。
最上階に着いて扉を開けると、格子の向こうに、その女は見えた。
同時に葉巻の甘い煙が部屋の中から噴き出てくる。
「あら、新しいおしゃけぇ~? そこ置いといて」
女は気の抜けたダミ声でそう言ったあと、煙の中に私たちの姿を認めると、わざと聞こえるように大きな舌打ちをして、言った。
「あんたかよ。けっ! つまんなー」
「……お生憎様。私も面白くはないわ」
私は充満する煙の中、格子の前に置かれた椅子に座った。
かつて私を負かし、そして私が断罪し返して捕えたその女は、口の中の痰を牢獄の中に吐き、何やら悪態をついたあと、葉巻を吸って、ぷふぅ~と煙を吐く。
敵ながら見惚れるほど美しかったあの金髪は今や、見る影もない。
そこにはやさぐれきった元王太子妃、光の聖女ミレイユがいた。





