第54話 伺候
「いってらっしゃいませぇー! 公爵さまー!」
父上の乗る馬車に向かって声援が飛ぶ。
俺とヴィヴィエンヌが乗る馬車にもだ。
干ばつが始まり、ランキエールが王都を支援するという格好になってから、俺たちが王都を訪ねる頻度は増した。
王都を支援することについて、領民からは概ね支持が得られている。良いふうに言えば、ちゃんと前々から計画して干ばつに備えてきた自分たちが王国全体を支えているのだ、という意識が芽生えているようである。
無論俺たちも無償で手助けをしているわけではなく、大量に債権を購入し、恩を売り、王国全体に権力が及ぶよう着々と勢力を拡大している。それは自分の土地を辺境扱いされてきた領民たちにとっては勝利でもあるから、出立のときにかけられる声も、
「王都の連中からふんだくってください!」
のように、勇ましいものも増えてきた。
それを聞いて、ヴィヴィエンヌが小さく呟いた。
「少し、良くないふうに加熱しているわね」
「かもしれんな。俺も、部下には考え方に気を付けるように言っておく」
「助かるわ」
王都と俺たち大陸東部の人間の関係を一言で言えば、今までは多少複雑だが健全だった、といったところだ。
そもそもの歴史として、かつてこの地には巨石信仰を抱いた先住民が住んでいたとされている。そこにリスヴァロン王室の先祖が入植し、いくつかの争いと婚姻による融和を経て、東の内陸地域は王国の傘下に参入した。俺たちランキエールの民特有の赤毛は、かつての先住民たちの名残だという。
争いがあった、とされるのはあくまで伝承にすぎず、五百年以上前、下手をすれば千年も前の話である。王国と東部地域に直接の禍根が残っているわけじゃない。東部の人間の意識としては、自分たちは王国民であり、赤毛の先住民の血を継いでいるだけ、という感覚の方が強いだろう。
どちらかといえば、東部の人間のアイデンティティや対抗意識はここ二百年ほどの新鮮な記憶──国境を超えたより東の異民族との争いに勝ってきたこと──にある。それは王国を守護することでもあるから、ルーツが多少特異で辺境呼ばわりされても、東の民たちは王国への帰属意識を保ったまま独自の文化を築き上げることができた。
……というのが、状況が変わるまでの話だ。
独自の文化と辺境扱い、というのは対抗意識にも変わり得る。それが地方同士持ちつ持たれつの健全な競争意識ならまだいいが、紙一重でもっと危険な方向に転んでしまう。
「いざとなったら水を止めちまいましょう!」
というような声が、ずっと聞こえ続けている。
街道をしばらく行ったところで、馬車が停まった。
そこには俺たちとは別の、豪奢な装飾の馬車の一団がいた。
装飾の中の家紋からするに、北西にあるブレヌエック伯爵領のものだ。人が降りた。ランキエール人ほどの体格はないが、同じ東部の人間の赤毛である。伯爵本人で間違いないだろう。その周囲にも何人かおり、全員が領地の重鎮だ。
貴族の礼として、馬車がすれ違うなら挨拶をせねばならない。
今や東部の主であるランキエールには、必然、先方は礼を尽くしてこようとする。こちらも失礼があってはならないので、父上、俺、ヴィヴィエンヌで確と応対することになる。
その途中で、自然と、あの話になった。
「そうそう、巡礼祭です。この前の交易品で、うちの村の十字架が一つ見つかりましてな。返してやったら、村民どもはたいへんに喜んでおりました」
「それはそれは」
伯爵がかっかと笑い、父上が答える。
──巡礼祭。
それは、かつてこの周辺地域で盛んに行われていた宗教行事だ。
先述した王国東部の特異な風土の中で形成されてきたのが、聖教を学んだ精霊司祭を教主とした、母なる石と聖教の戒律の二つを守る独自の宗教観である。
母なる石は肌感覚としては“精霊”に近く、神と言い出さない限りは聖教の唯一神とも対立しないし、なんなら聖教における“聖霊”という概念に合流できる。各地が恭順の姿勢を見せるなら、王国側もこれを取り締まる道理はなかった。
そうして、巨石信仰時代の日時計を用いた暦と、聖教の聖人を崇める文化が合流して誕生したのが、夏至に行われる巡礼祭──母なる石と聖人の墓を一緒くたに巡る旅である──だった。マデュアンの語源は『赦し』にあるそうだ。
それは土地の人間にとって非常に重要な行事だったが、実はここ数十年、王国東部ではほとんど巡礼祭が行われていなかった。
宗教弾圧があったわけじゃない。ただ、王都と王室の権力が強まり、経済的にも東部が圧倒されるうちに、王国全体として巨石信仰の成分が徐々に弱くなっていって、行事は王国伝統の聖教のものが多く行われるようになったということである。
しかし去年、聖女ミレイユの醜聞によって聖教の威信は地に落ちた。それに伴い、各地方の司祭も総入れ替えや、最悪の場合教会の取り壊しなどが行われ(中には王太子への抗議で壊された教会もあったらしい)、毎年やるようになっていた聖教の行事をやるにも少々具合が悪くなっている。
ならば、消えゆく運命だったかつての伝統を復活させよう、という機運が高まった、というのが事の次第だ。
今や交易で東部地域を統括しているランキエール公爵領としても、その音頭を取るということは、この地域において末長くリーダーシップを取っていくきっかけにもなる。
ただ、そのリーダーシップが翻す反旗に結び付けられるのは、良いことではない。
手早く情報交換をしながら、巡礼祭の話を交えつつ、伯爵は話を終える。そして彼は最後に、
「微力ながら、応援しております。我らの誇りを、取り戻してください」
と結んだ。
父上の反応に注意をしながら、ヴィヴィエンヌと横目で確かめ合う。
──この方向を肯定するのは、ちょっとまずいか?
「伯爵。そんなに肩の力を入れてはなりません」
だが父上は、さすがというべきか、あくまで穏やかに答え、続けた。
「誇りは今も昔も我らの胸に。奪われたことなど、一度たりとてないのですから」
◆
「なーにか、きな臭いですわね」
馬車に揺られながら、ヴィヴィエンヌは言った。
「誰かが東部と王都の対立を煽っている、ということか?」
「さすがね。この加熱具合は東の民の気性をちょっと超えている気がします」
「あるとすれば、外国か。しかし、王国の分裂を望む勢力は多いし、絞れんな」
「……まあ、そもそも、叛意があるのは間違っていませんし」
物騒なことを言われて、俺は咳き込んだ。
……それはもはや、冗談ですまないところまできている。誰かに利用される恐れがでてきているくらいには。
「でも少なくとも、今じゃない。ここでふるまいを間違えたら、足元を救われるわ」
ヴィヴィエンヌは眉を鋭く顰め、馬車の窓から零すように、そう言った。





