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奥さまと野兎 ④

 それからは数日おきかできれば毎日、仕事が終わったあとに、私がリューヴの毛づくろいと餌やりをすることになった。休日はたまに散歩も。トリスタンが来られない日は厩務員が手伝ってくれた。


 しかし、このリューヴという馬は、暴れこそしないものの、言われた以上に捻くれているようだった。中途半端に言うことを聞くものの途中で反抗してくる感じがあるというか、それであえて「おまえなんて相手にしていない」と示してくるかのような。


 馬草も、なんだか、私がやったものはすぐに食べない。私が馬房の桶に草を入れると、


 ──こっち見んな。


みたいな目つきで睨んできて、ちょっと離れたらわざとらしく食べる。

 最初の数回は、餌を食べてくれるなら、とそれを許していたけれど、だんだん腹が立ってきて、我慢比べをしてみたときがあった。私は桶に馬草を入れるだけ入れて、扉を挟んでどしっとしゃがみ、


「お腹が空いているのなら、大人しく私の前で食べなさいな」


と言った。ここまできたらもう意地だから、仕事はあらかじめ早く終わらせておいて、時間を確保し、外では影の向きが変わるまでの時間を待った。


 それで、ついにリューヴは観念して、私の前で草を食んだ。


「よしっ!」


 それに対する視線は、たぶん、


 ──しつこいんだよ。


みたいな感じだったと思う。


 それで嬉しくなって、まだやってやれることはないかしら、と思い、水桶が空になっていたので、私は急いで水を汲んできた。草を食んで喉が渇けば、無様に私の手に持った水桶から飲んでくれるかもしれない、なんて予感した。貴重な水よ、心して飲みなさい、だなんて。


 けれども、水を汲んだはいいものの、厩舎の通路を走っている途中で私は転げてしまって、私のほうが無様な醜態を晒した。

 そのときの格好といったら、粉になった馬糞と混じった枯れ草が濡れて私の体全体に染み込んでるみたいな感じで、桶が面白おかしく頭の近くにカランと転がっている。


 リューヴは当然のごとく、そんな私の姿を見下ろして、


 ──おまえ、ポンコツか?


という舐め腐った目線を送ってきた。


 そんな日々を二か月ほど繰り返したとき、ふと、厩務員がいるわけでもないのに、リューヴはもう面倒くさくなったのか、投げやりに私の毛づくろいを受け入れたときがあった。


 そうなればもうどんなに態度が反抗的だろうとこっちのもので、ざーしゅっ、ざーしゅっ、という拍子でどんどんと抜け毛とフケを落とし、ついでに毛並みも余計に整えちゃったりなんかしてみる。


「……ふう。ようやく観念しましたわね」


 しかし、私が機嫌よくそう呟くと、それは嫌だったのか、あえてしゃがんだり下がったりして逃げようとした。この類いの抵抗はそこまで真剣なものではない、とわかっていたので、私は馬房の柵に追い詰めつつ、自分のやり方を変えないように、毛づくろいを進めていく。


「あなたねぇ。されるがままにされると決めたのなら、大人しく服従するのが潔いのよ? 誇りを守ろうとして醜態を晒すんじゃ本末転倒じゃない」


 そう説教してやると、リューヴはこちらを向いてまた、いっ! と歯を見せてきた。


 挑発だ。


 でも、そこまで逃げた感じでもない。


「……まあ、その反骨心は認めましょう」


 それは気にせずに、とにかく毛並みを一方向に揃える遊びをしながら、このくすんだ栗毛が綺麗に見えるよう整えていった。


*


 不服そうにだけど、割に勢いよく馬草が減っていく桶の中を見ながら、呟く。


「あのねぇ。そんな憎らしそうに食べているけれど、この馬草は、領民たちが貴重な水を使って育てたものなのよ?」


 それにリューヴは顔を前に傾かせたまま、目つきの悪さだけはなにやら保って、耳でぱたんと返事をしてくる。


「あなたにはわからないかもしれないけれど……いえ、動物のほうが敏感よね。とにかく、今は雨が降ってないの。今はなんとかなってるけど、なにかが違ったら水がなくなってしまって、みんなとーっても困っちゃうわ」


 言っている途中で、リューヴははたと顔を上げて私を見た。


 ──たまにバケツひっくり返すくせに。


 たぶん、そんな感じの温い目を送ってきた気がする。


 そういう日々が続いていき、季節が変わったころ、今まで私とリューヴを見守ってくれていた厩務員が、ぽつりと、


「そろそろ、リューヴも乗せてくれるかもしれませんな」


と言った。


 厩務員の監視の下、厩舎前の牧場(干ばつ中だから残念ながら全面青々としてるわけじゃない)で、私は久方ぶりに、馬の上に乗った。ちょくちょく練習用の木馬にも跨ってバランスを取る練習をしていたから、その動作自体はスムーズ。


 そして、リューヴの背中の上は、前にトリスタンに乗せてもらった馬よりも目線が低かった。

 けれど十分高くて、余裕があるからか、なんだか遠くの、ランキエールの景色が際立って広く見えた。


「じゃあ、奥さま。常脚(パ)へ、十歩ほどいったら、停止しましょう」


 厩務員は特に間を置くことなくそう言う。


「で、でも、私、ずっとうまくいってなくて」

「トリスタンさまから伺っています。騎手にお怪我をさせないことについては、儂は素人じゃねえです」


 厩務員はランキエール人の大きな手で、リューヴに触れ、ちゃんとコントロールできるぞと見せつけてくれる。

 にわかに私にとって重要なチャレンジをしなきゃいけなくなって、焦った。ここでミスしたらまた一からやり直しかもしれないなんて考えた。


「はい! まず、常脚(パ)から!」


 そう言われる。

 やらなきゃ、と思う。


 前を見据えると、リューヴがちらりと耳を動かした。


 ──たぶん、からかわれている。


 反発する勇気をもらった。普通にやればいいだけだ。私はそのまま脚を一度、きゅっと閉じて緩める。


 リューヴはゆっくり動きだす。常脚(パ)にしてはちょっと速めかも? 個体差ということかもしれない。

 癖のある馬だと言われた意味を理解する。やや崩れた四拍子で歩いていて、本当は初心者向きの馬ではないというのもよくわかった。


「はい奥さま、停止!」


 手綱を引こうとする。


 ただ、それだけのはず。


 でもそのとき、今まで繰り返してきた失敗が頭を過って、繰り返してしまった分、逆の練習をしてしまったからか、私はまた落ちないようにすることと、腰を安定させることを取り違えて、手綱を引く前にリューヴのお腹に脚でしがみついてしまった。


 言うことを聞かない私の体と裏腹に、これからなにが起こるかは、瞬時に予感があった。走り出されてしまう。そしてまた耐えようとして、加速をさせて、暴走させてしまう。


 ──まずいっ。


 思わず目を瞑った。


 でも、然るべき衝撃が来なかった。それどころか、体が慣性の力で前に揺れた。


 目を開ける。


 手綱を引くのが間に合わなかったのに、なんと、リューヴは停止してくれていた。


 リューヴはあの捻くれた目つきで私に振り返る。彼はきっと、舐め腐った目で、こう言った。


 ──変な指示出すな、ポンコツ。


 私はそれでむっとして、目で、


 ──失礼しちゃうわ。


と返す。


 そしてそのあと、急に嬉しくなって言う。


「ありがとう、リューヴ」


 厩務員は隣で緊張させて浮かせていた手を下げ、うん、うんと頷いていた。



◇◇◇



 屋敷の門を潜りながら、出迎えてくれたロゼットに尋ねる。


「ロゼット。ヴィヴィエンヌは」

「今日も乗馬です。お仕事を終わらせたら、すぐにどこでもいいから走りたいと。ほら、あそこです」


 見れば、ヴィヴィエンヌがリューヴに乗って、屋敷の影から、中庭から前庭にかけての石畳の小道を速歩(トロ)で、と、と、と、とと進んでいた。リューヴのほうは「めんどくせえなぁ」という顔をしているが、しぶしぶ従い続けていて、反抗するつもりはないようである。


 彼女がなにかのきっかけで乗馬のコツを掴んだらしい、ということを聞いてから、一週間ほど、ずっとこんな調子だ。


「乗れるようになったのがよっぽど嬉しかったんですねぇ」


 ロゼットは微笑んで言う。

 どうも、屋敷の周りでも乗っているあたり、そもそも屋敷の中庭で練習するのは恥じらっていたゆえだったようでもあって、みなに馬に乗れるようになったことを見せびらかしたいらしい。


 そして、彼女が俺を認めると、 いたずらっぽい目でリューヴに指示を出した。


「いくわよっ!」


 リューヴが急加速する。

 駈足(ギャロ)だ。危なっかしいが、拍子は合っている。もうそこまで習得していたことが意外なくらいだ。


「トリスタン! 見て!」


 でも、途中で彼女が、嬉しさを押さえられなくなったのか、俺の方に向いてしまった。

 すると案の定、拍子を崩して馬体の上下と合わなくなり、ついにだぁん、とリューヴの背中に打ち付けられて、彼女の体は宙に浮いた。


 俺は叫んだ。


「よそ見をするなっ!」


 手綱を握ったまま、ぶらんぶらんと旗のように揺れる彼女の方へ、ロゼットと二人して駆けだすことになった。



掌編終わり

これにて掌編完です。

繰り返しになりますが、ぜひぜひ、10/15発売の書籍をお買い求めくだされば幸いです。書泉さん・アニメイトさん・メロンブックスさん・ゲーマーズさん等の専門店で紙で買っていただくと、一番特典がつくと思います。

※詳細は筆者の活動報告(https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1952664/blogkey/3712699/)や、GA文庫公式ブログ(https://ga.sbcr.jp/bunko_blog/t/20260924t5/)にてご確認ください。

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