生きて行く
夕方、搬出が終わった親父が顔を出した。
正本教授と挨拶を交わしてから、俺に声をかけた。
「どうだ」
「無事、終わりそう。あとは片付けだけ」
「そうか、じゃあ若いもんを呼んでおく」
ちらりと学生の中にいる彼女を見て、親父は小さく溜め息をついた。
「話は、したか?」
「…挨拶ていど」
「そうか。そうだな」
俺よりも親父の方が『一柳真紀の話』と触れる時間は長かったのだ。感慨、なのだろうか。親父の複雑な表情に、俺は何も応えられず、片付けを始めた彼女の小さな背中を見つめていた。
出してあった古書を片付け、正本教授と学生たちをコーヒーでもどうぞと、親父が御殿に誘導したあと、俺は御蔵の戸締まりを始めた。ふと気づくと、壁を見つめて佇む彼女の姿があった。
「……えっと、一柳さん?」
俺の声にも反応を示さないので、近寄って見て俺は思わずぎょっとする。
彼女が見つめていたのは、壁にかけた一幅の掛軸。夕べ、親父が見せてくれた『一柳真紀』所縁の品の一つだ。
しまい忘れていたか。
内心、溜め息を落としたが、その掛軸が一見して『一柳真紀』だと分からないものだったことに感謝する。
「一柳さん」
再びの呼びかけに彼女はようやく振り返る。
「あ、ごめんなさい。もう終わりですよね。思わず見惚れてしまって」
「名のある画家のものではないですよ。画家としてヨーロッパに留学した元家臣に、容保公が書かせたものらしいですけど、その元家臣も有名な画家ではなかったらしいから、名前も落款もないでしょう?」
掛軸の所縁も、夕べ親父に聞いたものだ。当たり障りがないように言葉を選んで説明すれば、彼女は頷く。
「そう、ですね。というか、この女の人は?」
その掛軸には、赤子を抱く、打ち掛けを羽織った女性の後ろ姿が描かれていた。
白藤色地に桜枝と鶯の刺繍が散りばめられた打ち掛けはとても華やかだ。片外しに髪を結い上げた女性が抱く赤子はこちらを向き、懸命に何かを掴もうと右手を伸ばし、僅かに横顔が見える女性が乗り出す赤子を支えようと赤子の背に右手を回している。
「容保公の側室だった女性で名前も伝わっていません。容真公の傅役も勤めたとは聞いていますが」
「そうなんですか……なんか、とても幸せそうですね、この女性」
ふと気になって彼女を見ると、頬を一筋の涙が伝うのが見えた。
驚いて、ハンカチを差し出せば彼女は何回も瞬きする。
「え?」
「泣いてますよ?」
「え、え?」
ハンカチではなく、自分の手で涙を拭って、彼女は苦笑する。涙はホロリホロリと流れ続ける。
「あれ? ごめんなさい、時々こんなことがあるんです。なんていうか、あたしの知らないあたしの中の感情に左右されるっていうか……変ですよね」
「感情に身体が素直に反応するだけでしょう? ハンカチ、使ってください」
「あ、あります。ありがとうございます」
ハンカチで次々溢れる涙を拭って、彼女はまた掛け軸に目を向けた。
「表情は分からないけど、この女性、とても幸せそうにあたしには見えます」
「そうですか……」
「名前も伝わっていないんですよね」
「はい」
「……でも、容保公はこの掛軸を残されたんですね」
「最晩年にはこの掛軸を私室に飾られていたと聞きます」
描かれている打ち掛けは、『一柳真紀』が実際に使ったもので、親父の話では幼い容真を養子として迎えると藩士一同に披露した時のものだという。『一柳真紀』を側室に迎えることも同じ時に披露されたので、容保公にとっては思い出深い品を懐かしむよすがだったのだろう。
我が子や孫に囲まれて安息の最期を迎えたその部屋にも、この掛軸はかかっていたという。
「穏やかな気持ちになります、この掛軸を見ていると。何となくですけど、形として残らなくても、心に残る。そんな気分になります。幸せそうに見えます」
彼女の言葉に、俺は微笑んだ。
「そうですか、そこまで言っていただけると、絵のモデルも喜んでくれるでしょう」
門の前に立つと、眼下に広がる猪苗代湖が夕日を浴びて、キラキラと光る。
子供の頃から、この眺めが好きだった。目を射抜くほどの光じゃないけれど、黄金色に輝く湖面がキレイで、夕日が沈むまでの僅かな時間だけど、よく門の前に座って黄金色から灰黒色に変化していく湖面を見ていた。
「まぁたここにおったんか」
よく知る声と同時に、タバコの匂いが届き、俺は振り返らずに声をあげた。
「はる兄」
「ん?」
「俺、当主、継ぐことにしたから」
息を飲む気配に、初めて振り返る。
はる兄が口をぽっかりと空け、火の点いたタバコが地面に落ちていた。その向こうには、同じく目を丸くした敦士さんがいる。
「の、のり。お前」
「もう決めた。来年の容保公の百年祭は俺が代理で動くこともあると思うから、その時はよろしくお願いします」
深々と頭を下げれば、我に返ったはる兄がどもりながら頭を下げる。
「あ、いや、こちらこそ宜しくお願いします……ってどういう心境の変化だ?」
「ん?」
俺は再び湖面に目を向ける。
色褪せた黄金色に変化した湖面。
親父によれば、『一柳真紀』は本人の希望で当時としては珍しく火葬され、その遺灰は猪苗代湖に撒かれたという。いつまでも会津を見守りたいからと言っていたそうだ。
いや、それでなくても俺の中には『一柳真紀』がいる。
『形として残らなくても、心に残る』
さらりと言われたその言葉が、俺の胸に残った。
そんな人の、子孫だから。
「内緒」
「は?」
「教えない」
「………何だよ、女子高生みたいな答え」
「ははっ、確かに。でも内緒。いつか言える時が来たら言うさ」
灰黒色になり始めた湖面の一部が、いつもないような輝きを見せたような気がしたのは、誰にも言わなかった。
それから少しして、彼女の消息が京都の俺に届いた。
彼女の家族が連絡がつかないことで京都の彼女のマンションに来て、失踪が発覚した。
失踪届けを受けて警察が捜索したが、何も分からなかった。関係者として事情聴取を受けた正本教授は事件にでも巻き込まれたのだろうかと案じていたが、結局警察の捜索では何も分からず、捜索が打ちきりになったらしいと正本教授から聞いたのは、年を越して容保公の百年祭が終わり、たか姉とはる兄の結婚式が済んでしばらくしてからだった。
「よかった、んだよな、親父」
俺の言葉に、親父は微笑みながら、頷く。
「ああ、『一柳真紀』が望んだことだ。よかったんだ」
俺は掛軸を見つめる。
彼女が幸せそうだと何度も繰り返したその打ち掛け姿の女性に、俺は小さな声で囁いた。
「あなたが護ったここを、俺は引き継ぐ。護って、次の世代に引き継ぐ。ずっとなんて言えない。でも、俺は護りたい」
答えはない、あるはずもない。
けれど、俺は微笑んだ。
保科正之が開き、松平容保が守り抜いた、この会津、この松平家。
そして、ずっと寄り添い続けた、一柳真紀。
彼らによって与えられ、そして受け継がれた想いを、俺が引き継ぎ、繋いでいく。
そう、決めた。そしてそう決めることが出来たことに誇らしさを感じて。
生きて行く。
彼らの想いを胸に秘めて、会津松平家14代当主として、生きて行く。
俺の心は、定まった。
な、長かった……。
いやいや、長すぎる!
大好きな作家さん、有川浩さんの『図書館戦争』シリーズの後書きに、文章の書き方で分けると作家は『ライブ派』『プロット派』に別れるというお話があります。
なみさやは基本『ライブ派』。ただし、『ライブ派』に徹すると、途中で集中力が枯渇するので、出来る限りプロットを作ってから、その範囲内での『ライブ派』なんです。
ですが。
この作品、途中で完全ライブになりました。
本当は、伏見の戦いまでは史実に添っていて、そのあとを少しだけ捏造する予定だったんです。
ところが、真紀さん、暴走しました。
真紀さん、もっと『待つ女』のはずが、待ってられるか、自分で動くんや! と走り始めちゃいました。
書いてるこっちが振り回された気分で書き終わった瞬間、どっと疲れました。
やってくれたな、真紀さんよぉ……。
さて。
なみさやは、高知出身です。
北関東の血が少し入ってますが、育ちは100%高知です。
何が言いたいかと言うと、高知の人間は『幕末イコール坂本龍馬』なんです。
他にも中岡慎太郎やら、武市半平太やら、後藤象二郎やらいるんですけど、坂本龍馬リスペクトで完結しちゃっているので、幕末志士から見た幕末の見方をする人がほとんどです。
だから、例えば一橋慶喜さんから見た幕末とか、福井春嶽から見た幕末とか、そういう違う見方をすることが出来ない、というかしようとしない。
なみさやもその一人だったことに気づいたのは、最近のことです。
そんななみさやの考え方を変えたのが、綾野剛さんが演じた松平容保でしたね。
勿論、大○ドラマですからいろいろと史実とは違うとか、明らかにそんなことあるんかい?って描写もありましたが、容保のイメージ、ガラリと変わりました。それまで、新撰組の親玉ぐらいのイメージしかなかったから、余計衝撃的だったんです。
なので、考えたんです。
官軍、国賊、逆転させるのは難しいけど、会津を国賊扱いしない為には、どうすればいいのか。
そうすると、幕末をマルっと変えなくちゃいけない。
会津の基礎を作った、藩祖・保科正之から変えた方がいいかな、じゃあ正之さんから容保さんまで絡んでいる人がいた方がいいな、なら……ちょっと待てい、そうなるとその人、一体何歳になるの?
そして、『時知らずの身』を持つ設定の真紀さんが生まれたんです。
幕末の流れをマルっと変えてしまったので、近い内に整理して短編として考察、入れようとは思ってます。あとはその後の人たちのお話を何本か同じく短編で書いたら、本編の修正に入ろうかとも思ってます。本にしてみては?というお話を頂きましたが、う~ん、それはもうちょっと考えさせて下さいね。
とにもかくにも、30万文字近い連載におつきあい下さった皆様に何よりも感謝します。
なみさや。




