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支持率0%の男が、日本を作り直すまで  作者: 霜月 七日
第4章『独裁者の最後の決断』

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第85話 四十八人の標的

総理大臣襲撃事件の捜査は、新たな局面を迎えていた。

政治意識調査に参加していた四十八人。

削除された記録。

そして、調査の資金を提供していた民間団体。

一見すると無関係に見える情報が、少しずつ一つの線につながり始める。

一方、黒崎玲司のもとには、東京への転院に関する知らせが届こうとしていた。

2037年5月2日。

午前9時18分。

警視庁の会議室に、一人の男が入ってきた。

安藤圭介(あんどうけいすけ)。

三十七歳。

東都政策研究センターの元データ管理担当者。

四月二十四日に退職した男だった。

「安藤さん。今日はありがとうございます」

捜査主任の滝沢修一(たきざわしゅういち)が椅子を勧めた。

「……こちらこそ」

安藤は落ち着かない様子で席に着いた。

膝の上には、黒い鞄が置かれている。

滝沢は、早速本題に入った。

「四月二十二日、午前二時十三分。センターの共有フォルダーから、複数のファイルが削除されています」

安藤はうなずいた。

「はい」

「操作には、あなたのアカウントが使われていました」

「知っています」

「削除したのは、あなたですか?」

安藤は、はっきりと首を横に振った。

「違います」

滝沢は、表情を変えなかった。

「では、誰が?」

「……分かりません。ただ、あの時間に私が操作していないことは証明できると思います」

「どうやって?」

「その日は自宅にいました。会社の端末は持ち帰っていません。それに、アカウントへのアクセス記録を見れば、普段とは違う端末から操作されているはずです」

滝沢は、隣の捜査員に目を向けた。

捜査員がうなずく。

「端末の識別情報は、現在確認中です」

安藤は、少し安心したように息を吐いた。

滝沢が尋ねた。

「昨日の電話で、削除されたデータの中身を一部知っているとおっしゃいましたね」

「はい」

「説明していただけますか?」

安藤は鞄を開けた。

中から、小さな外付け記憶装置を取り出す。

「……これです」

滝沢は、それを見た。

「何が入っていますか?」

「調査データのバックアップです。正式な保管場所とは別に、集計結果を照合するための作業用コピーが残っていました」

「会社の許可を得て持ち出したものですか?」

「……いいえ」

安藤は視線を落とした。

「退職するとき、消しておくべきだったのかもしれません。でも、あの事件のあとでデータが削除されたと知って……」

滝沢は、安藤を見た。

「分かりました。保存の経緯も含めて確認します。こちらで複製と解析を行ってもよろしいですか?」

「はい」

「元の装置は、改変されないように保全します」

安藤は、深くうなずいた。

「お願いします」

* * *

午前11時06分。

警視庁の解析室。

安藤が持参したデータには、四十八人分の調査記録が残っていた。

氏名、年齢、職業、居住地域。

政治に対する関心。

政策への賛否。

そして、提供された情報に対する反応。

滝沢は、画面を見つめた。

「……四十八人全員の記録があるのか?」

「基本情報は全員分あります」

解析担当者が答えた。

「ただし、接触履歴は途中までです。四月中旬以降の更新は、一部欠けています」

「三枝の記録は?」

「あります」

画面に、対象者番号が表示された。

A-17 三枝直人

四十二歳。

元物流会社員。

政治的不満度、高。

情報受容傾向、高。

その下には、三月から四月にかけての記録が並んでいた。

三月五日。

『現政権への不満を表明。失職の原因を政府政策に結びつける傾向あり』

三月十八日。

『黒崎政権への否定的評価が強まる。特定の記事に対し強い反応』

四月九日。

『提供情報を事実として受容。関連投稿を自主的に検索』

四月十八日。

『個別情報提供後の反応確認へ移行』

滝沢は、最後の行を指さした。

「この『個別情報』というのは?」

安藤が答えた。

「……調査対象者ごとに内容を変えた情報です」

「同じ記事を全員に送っていたわけではない?」

「はい」

安藤は、画面を見ながら続けた。

「政治に強い不満を持っている人には、その不満に関係する情報を送る。逆に、政治に関心のない人には、生活に身近な話題から関心を持たせる。そういう設計でした」

滝沢は、別の分類を見た。

A群。

B群。

C群。

「A群は?」

「政治への不満が強い人です」

「B群は?」

「情報を疑ったり、確認したりする傾向が強い人」

「C群は?」

「政治への関心が低い人です」

滝沢は、腕を組んだ。

「……同じ政治情報でも、相手によって反応が違うかを調べていた」

「最初は、そう説明されていました」

滝沢が顔を上げた。

「最初は?」

安藤は、少し迷った。

「……途中から、調査の方向が変わったんです」

「どう変わった?」

「情報を信じるかどうかだけじゃなく、そのあと何をするかを予測するようになりました」

「何をするか?」

「投稿する、誰かに話す、集会に参加する、政治家へ抗議する……そういった行動です」

滝沢は、画面に並ぶ項目を見た。

そこには、確かに行動を分類する欄があった。

『閲覧』

『共有』

『発言』

『参加』

『接触』

滝沢は、最後の項目を指さした。

「……接触とは?」

安藤は、表情を曇らせた。

「政治家や関係者に、直接会おうとする行動です」

会議室が静かになった。

滝沢は、三枝の記録に目を戻した。

四月十八日。

『個別情報提供後の反応確認へ移行』

襲撃事件の三日前だった。

「安藤さん」

「はい」

「三枝が黒崎総理を襲うと、調査側は予測していたんですか?」

安藤は、すぐに首を横に振った。

「そこまでは分かりません。少なくとも、私が見た資料に襲撃を指示する内容はありませんでした」

滝沢はうなずいた。

「分かりました」

そして、続けた。

「ただ、三枝が総理に直接接触する可能性を、誰かが評価していたかもしれない」

安藤は、静かに答えた。

「……はい」

* * *

同じころ。

愛知県内の病院。

黒崎玲司(くろさきれいじ)は、リハビリを終えて病室に戻ったところだった。

胸腹部の傷に負担をかけないよう、歩く速度は以前より遅い。

左側の距離感にも、まだ慣れなかった。

それでも、昨日よりは身体が動く。

「……よし」

椅子に腰を下ろすと、秘書官の小野寺航(おのでらわたる)が入ってきた。

「総理、お疲れさまです」

「お疲れさまです。何かありましたか?」

「東京の受け入れ先について、医療機関同士の調整が進みました」

黒崎が顔を上げた。

「本当ですか?」

「はい。受け入れ可能との回答がありました」

「そうですか」

黒崎の表情が明るくなった。

小野寺は続けた。

「ただし、移動できるかどうかは、こちらの担当医による最終判断になります」

「もちろんです」

「移送中の医療体制と警護についても、これから調整が必要です」

「分かりました」

黒崎は、少し考えた。

「……小野寺さん」

「はい」

「美月には、日程が決まってから伝えようと思います」

小野寺は、少し笑った。

「桐生さんも、きっと喜ばれますね」

「そうだといいんですけど」

「総理が戻られることを、待っていらっしゃると思いますよ」

黒崎は、照れくさそうに笑った。

「……そうですね」

小野寺は、持っていた資料を机に置いた。

「それから、政府からの報告です」

黒崎は資料を手に取った。

サイバー攻撃に関する被害状況。

物流事業者の復旧支援。

行政支出の検証に向けた与野党協議。

黒崎は、順番に目を通した。

「……神谷さんとは、話が進んでいるんですね」

「はい。第三者による検証の仕組みについて、具体的な協議に入っています」

「それはよかったです」

黒崎は、資料を置いた。

「政府が言っていることを、政府だけで正しいと決めても仕方ないですから」

「はい」

「減税だって、財源がなければ続けられません。できることと、まだできないことは、ちゃんと分けて説明したいですね」

小野寺はうなずいた。

「宮原議員にも、その方針は伝わっています」

黒崎は、少し笑った。

「なら、安心です」

小野寺は、黒崎を見た。

「総理。東京に戻られても、最初は治療を優先してください」

「分かってますよ」

「本当でしょうか」

黒崎は、苦笑した。

「……信用されてないなあ」

「これまでの実績がありますので」

二人は笑った。

* * *

午後1時42分。

警視庁。

滝沢は、安藤への聴取を続けていた。

「調査内容を変更するよう指示したのは、誰ですか?」

安藤は、少し考えた。

「真鍋さんから指示が来ることもありました。でも、途中から別の担当者が直接連絡してくるようになりました」

「名前は?」

「榊原俊哉(さかきばらとしや)です」

滝沢は、その名前を書き留めた。

「所属は?」

「東亜政策開発機構です」

「何を担当していた?」

「調査の委託元との調整です。分析項目の追加や、対象者の選定について指示を出していました」

「三枝も、榊原が選んだんですか?」

安藤は、うなずいた。

「最終的な対象者一覧に、榊原さんの承認がありました」

「理由は?」

「……分かりません。ただ、三枝さんについては、何度も個別の確認が入っていました」

滝沢は顔を上げた。

「何を確認していた?」

「政治への不満が強まっているか、情報を信じているか、それから……」

安藤は、少し言葉を止めた。

「……何ですか?」

「行動する可能性があるか、です」

滝沢は、椅子に深く座り直した。

「……その記録は残っていますか?」

「一部だけなら」

安藤は、画面を指さした。

三枝の記録の右端に、短いコメントがあった。

『A-17について、接触行動の可能性を継続評価』

その下には、担当者の名前が記されていた。

榊原俊哉。

滝沢は、画面を見つめた。

「……これが、四月十八日以前の記録ですか?」

「はい」

「三枝が黒崎総理の訪問予定を知る前ですね」

「……そうです」

滝沢は、しばらく考えた。

「安藤さん。四月十八日のあと、三枝にどんな情報が送られたか、分かりますか?」

安藤は首を横に振った。

「そこから先のデータは、私のバックアップにはありません」

「そうですか」

「ただ……」

安藤が続けた。

「情報を送る仕組みは、センターの内部だけで動いていたわけではありません」

滝沢が顔を上げた。

「どういうことですか?」

「委託元が管理する配信システムも使っていました」

「東亜政策開発機構の?」

「はい」

「記録は残っている?」

「契約が続いていれば、向こうに残っている可能性があります」

滝沢は、捜査員に目を向けた。

「保存を求めよう。削除される前に、記録を確保する必要がある」

捜査員は、すぐに動き始めた。

* * *

午後3時25分。

東京都内の喫茶店。

高瀬直樹(たかせなおき)は、ノートパソコンの画面を見つめていた。

三十二歳。

民間のセキュリティアナリスト。

高瀬が調べていたのは、四月十二日以降に発生したサイバー攻撃と、その前後に拡散された政治的な投稿だった。

『黒崎政権のせいで物流が止まった』

『政府は被害を隠している』

『黒崎を止めろ』

似た文面が、複数のアカウントから繰り返し投稿されていた。

高瀬は、投稿時刻を並べた。

一部の投稿は、障害が広く報道される前に公開されている。

ただ、それだけで攻撃者と同一人物だとは言えない。

内部情報が漏れた可能性もあれば、偶然の投稿だった可能性もある。

高瀬は、配信元のリンクを調べた。

すると、ある特徴に気づいた。

「……また同じところか」

複数の投稿が、同じ短縮URLサービスを利用していた。

その先には、政治に関する記事を装ったページがある。

高瀬は、過去の記録と照合した。

ページの一部は、黒崎政権に関する虚偽の情報を掲載していた。

そして、アクセス先の管理情報には、共通する識別子が残っていた。

「……これ、調査用の配信ページと同じ仕組みじゃないか?」

高瀬は、画面を見つめた。

まだ、誰が運営しているかは分からない。

しかし、サイバー攻撃の混乱に乗じて拡散された政治情報と、特定の対象者に送られた政治情報が、同じ配信基盤を利用している可能性が出てきた。

高瀬は、確認できた範囲を整理し始めた。

憶測ではなく、記録で示すために。

* * *

午後5時08分。

警視庁。

滝沢は、捜査員から報告を受けた。

「主任。四十八人のうち、三枝以外の調査対象者に連絡が取れました」

「何人だ?」

「七人です」

「何か分かったか?」

「複数の人が、調査期間中に政治情報を送られていたと話しています」

「内容は?」

「対象者によって異なります。ただ、同じ政策について、正反対の内容を送られた例がありました」

滝沢は、顔を上げた。

「正反対?」

「はい。ある対象者には『政府は雇用を守るための対策を進めている』と送り、別の対象者には『政府は雇用対策を放棄した』と送っていました」

「……同じ時期に?」

「はい」

滝沢は、資料を見た。

「それは、何のためだ?」

「受け取った情報によって、反応がどう変わるかを比較していた可能性があります」

滝沢は、腕を組んだ。

「……調査としても、かなり問題があるな」

捜査員はうなずいた。

「対象者には、虚偽の情報を含む実験だという説明がなかったようです」

「分かった。ほかの対象者にも確認しよう」

そのとき、別の捜査員が入ってきた。

「主任。連絡が取れた対象者の一人から、重要な情報がありました」

「何だ?」

「調査終了後も、匿名のアカウントから政治情報が届いていたそうです」

滝沢は顔を上げた。

「……調査終了後?」

「はい。しかも、内容が変わっていました」

「どう変わった?」

捜査員は、スマートフォンの画面を示した。

そこには、次の文章が表示されていた。

『政治家は、国民の声を聞こうとしない』

『声を届けるには、直接行動するしかない』

『あなたにも、できることがある』

滝沢は、画面を見つめた。

「……これは、いつ届いた?」

「四月十九日です」

黒崎襲撃事件の二日前。

滝沢は、静かに尋ねた。

「送信者は?」

「まだ特定できていません。ただ……」

「何だ?」

「三枝に匿名メッセージを送っていたアカウントと、同じ短縮URLサービスを使っています」

滝沢は、目を細めた。

「……同じ送信者だと分かるか?」

「いいえ。現時点では、そこまでは」

「分かった」

滝沢は、捜査員たちを見た。

「関連を疑う理由はある。ただし、証拠がないうちは決めつけない」

そして続けた。

「送信経路と配信記録を調べよう」

* * *

午後7時14分。

東京都内。

真鍋宗一郎は、東亜政策開発機構の事務所を訪れていた。

応接室に現れたのは、榊原俊哉だった。

四十代半ば。

落ち着いた物腰の男だった。

「真鍋さん。急にどうされました?」

真鍋は、椅子に座らずに言った。

「……三枝の件で、聞きたいことがあります」

榊原は、表情を変えなかった。

「警察の捜査についてですか?」

「そうです」

真鍋は、スマートフォンを取り出した。

「このメッセージを見てください」

榊原は、画面を見た。

『三枝は、想定より早く行動した』

しばらく沈黙があった。

「……これが、どうかしましたか?」

榊原が尋ねた。

真鍋は、声を強めた。

「どうかしましたか、じゃないでしょう」

榊原は、真鍋を見た。

「落ち着いてください」

「落ち着けるわけがない」

真鍋は、スマートフォンを握りしめた。

「三枝は、総理大臣を刺したんですよ」

「知っています」

「それなのに、誰かが『想定より早く行動した』と言っている」

榊原は、黙っていた。

真鍋は続けた。

「……あの調査は、何だったんですか?」

榊原は、少し考えた。

「政治情報への反応を分析する調査です」

「それは、最初に聞いた説明です」

「今も変わりません」

真鍋は、榊原を見つめた。

「……嘘でしょう」

榊原の表情が、わずかに変わった。

真鍋は続けた。

「途中から、対象者ごとの行動予測が始まった。特定の人物にだけ、違う情報を送っていた」

「分析上、必要な手法です」

「だったら、なぜ三枝の記録が事件の翌日に消されたんですか?」

榊原は、答えなかった。

真鍋は、一歩近づいた。

「……あなたたちは、三枝が何かすることを知っていたんですか?」

榊原は、ゆっくりと口を開いた。

「真鍋さん」

「……何ですか」

「私たちは、誰かに暴力を振るうよう指示したことはありません」

真鍋は、榊原を見つめた。

「……では、なぜ行動予測を?」

榊原は、静かに答えた。

「人間は、情報によって行動を変えます」

真鍋は、黙った。

「何を信じるか。誰を支持するか。何に怒るか」

榊原は続けた。

「それを理解することには、大きな価値があるんです」

「……何のために?」

榊原は、少し笑った。

「政治のためですよ」

真鍋は、その笑顔を見た。

そして、ようやく気づいた。

自分と、この男とでは、調査という言葉の意味が違う。

「……警察に話します」

真鍋が言った。

榊原は、静かにうなずいた。

「どうぞ」

真鍋は、驚いた。

榊原は続けた。

「ただし、事実だけを話してください」

「……もちろんです」

「あなたが責任者として承認したことも、すべて」

真鍋は、言葉を失った。

榊原は、机の上の資料を整えた。

「私たちも、必要な説明はします」

真鍋は、何も言わずに応接室を出た。

* * *

午後9時32分。

愛知県内の病院。

黒崎は、桐生美月(きりゅうみづき)と電話をしていた。

『東京に戻る話、どうなった?』

「受け入れ先は決まりそうだよ」

『本当?』

「うん。あとは先生の判断と、移動の準備だね」

『よかった』

黒崎は、少し笑った。

「まだ日にちは決まってないけど」

『それでも、前に進んでるじゃない』

「そうだね」

美月は、少し間を置いて尋ねた。

『……体調は?』

「今日は結構歩いたよ」

『どれくらい?』

「病棟の廊下を何往復か」

『すごいじゃない』

黒崎は笑った。

「そんなに褒められることでもないけどね」

『褒めるよ。頑張ってるんだから』

黒崎は、少し照れくさそうに笑った。

「……ありがとう」

しばらくして、美月が言った。

『東京に戻るときは、私も行くからね』

「うん。お願いするよ」

『一緒に帰ろう』

黒崎は、窓の外を見た。

「……うん」

少し間を置いて、続けた。

「帰ったら、まず美月に会えるのが楽しみだよ」

電話の向こうで、美月が笑った。

『私も』

黒崎は、静かに息を吐いた。

東京に戻る。

その決断は、もう変わらなかった。

* * *

午後11時18分。

警視庁。

滝沢は、捜査員から一枚の資料を受け取った。

「主任。東亜政策開発機構の配信システムについて、確認できたことがあります」

「何だ?」

「政治情報を配信するための外部サービスを利用していました」

「契約先は?」

「国内の事業者です。ただ、実際の管理には海外のサーバーも使われていたようです」

滝沢は、資料を見た。

「海外?」

「はい。ただし、海外のサーバーを使うこと自体は珍しくありません」

「分かっている」

滝沢は、続きを促した。

「問題は、その配信システムに、四月のサイバー攻撃に関連して調査されている情報発信サイトと共通する識別情報が見つかったことです」

滝沢の表情が変わった。

「……どの程度の一致だ?」

「まだ技術的な確認が必要です。共通のサービスを利用しているだけかもしれません」

滝沢は、資料を読み込んだ。

サイバー攻撃。

政治的な偽情報。

四十八人への個別の情報提供。

そして、総理大臣への襲撃。

これらが同じ人物によって実行されたと判断するには、証拠が足りない。

しかし、調べるべき接点が見つかった。

「……解析担当に確認を依頼しよう」

滝沢が言った。

「通信記録の保存も急いでくれ」

「はい」

捜査員が部屋を出ていく。

滝沢は、四十八人の名簿を見た。

その中に、三枝直人の名前がある。

そして、ほかにも四十七人。

この人々は、単なる調査対象者だったのか。

それとも、誰かが政治的な影響を与えるために選んだ人々だったのか。

滝沢は、三枝の記録をもう一度開いた。

A-17。

四月十八日。

『個別情報提供後の反応確認へ移行』

その三日後。

黒崎玲司は、刃物で刺された。

滝沢は、静かに息を吐いた。

「……偶然かどうか、必ず確かめる」

* * *

同じころ。

都内の事務所。

榊原俊哉は、一人で電話をしていた。

「……真鍋が警察に協力するつもりです」

電話の向こうから、低い声が聞こえた。

『問題は?』

「調査内容について、説明を求められる可能性があります」

『契約上の記録は?』

「残っています」

『なら、事実を説明すればいい』

榊原は、少し黙った。

「……それだけで済むでしょうか」

相手は、すぐには答えなかった。

やがて、声が聞こえた。

『三枝の行動は、こちらが指示したものではない』

「……はい」

『その点は、変わらない』

榊原は、窓の外を見た。

「ただ、警察は配信記録を調べ始めています」

電話の向こうが静かになった。

『……そうか』

「どうしますか?」

少し間があった。

そして、相手は言った。

『日本側の調査記録だけでは、全体像は分からない』

榊原は、顔を上げた。

「……どういう意味ですか?」

『君が知る必要はない』

通話が切れた。

榊原は、スマートフォンを見つめた。

自分もまた、すべてを知らされているわけではない。

その事実を、初めてはっきりと意識した。

東京の夜は、静かだった。

しかし、黒崎襲撃事件の捜査は、すでに国境の外へと伸び始めていた。

第85話では、削除された調査記録の一部が復元され、四十八人がどのような目的で選ばれていたのか、その実態が明らかになり始めました。

また、黒崎の東京への転院も具体的に進展しています。

次回、第86話『国境を越えた工作』。

サイバー攻撃と政治情報の操作に、共通する資金と通信経路が見つかります。

一方、美月は黒崎を迎える準備を始め、物語は東京帰還へ向けて大きく動き出します。

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