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支持率0%の男が、日本を作り直すまで  作者: 霜月 七日
第4章『独裁者の最後の決断』

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第79話 失われた左目

2037年4月21日。

愛知県豊田市で、黒崎玲司首相が刃物を持った男に襲撃された。

左顔面と胸腹部に重傷を負い、意識不明のまま緊急搬送。

深夜になっても手術は続き、日本中が総理の容体を見守っていた。

そして、病院には、東京から駆けつけた桐生美月の姿があった。

一方、総理不在の首相官邸では、ある危険な動きが始まろうとしていた。

2037年4月22日、午前0時17分。

愛知県内、救命救急センター。

「血圧、九十二まで回復しています」

「……よし」

執刀医は、ようやく小さく息を吐いた。

手術開始から、十時間近くが経過していた。

黒崎玲司(くろさきれいじ)の身体には、複数の深刻な損傷があった。

左顔面の裂傷。

左眼球の重度損傷。

胸部から腹部にかけての刺傷。

特に腹部の損傷による出血が深刻で、手術中も循環状態が不安定になっていた。

「腹部の止血は?」

「確認できています」

「胸部は?」

「こちらも処置を終えています」

執刀医は、モニターを見つめた。

心拍数。

血圧。

酸素飽和度。

数字が、一つずつ安定し始めていた。

「……よし。集中治療室への移送を準備してください」

看護師が顔を上げた。

「先生、手術は……」

医師は、ゆっくりとうなずいた。

「命に関わる損傷への処置は、ひとまず終わりました」

手術室に、安堵の空気が流れた。

しかし、医師の表情は晴れなかった。

「……まだ、予断は許しません」

そして、黒崎の左顔面に目を向けた。

「眼科の先生を、もう一度お願いします」

* * *

午前0時46分。

病院、待合スペース。

桐生美月(きりゅうみづき)は、時計を見つめていた。

午後十時に病院へ到着してから、ほとんど動いていなかった。

手元には、冷めた紙コップのコーヒー。

一口も飲んでいない。

そのとき、廊下の向こうから足音が聞こえた。

美月は、顔を上げた。

スーツ姿の男性が、こちらへ歩いてくる。

小野寺航(おのでらわたる)だった。

「……桐生さんですね」

美月は、立ち上がった。

「はい」

小野寺は、深く頭を下げた。

「総理秘書官の小野寺です」

「……玲司は?」

美月は、挨拶も忘れて尋ねた。

小野寺は、静かに答えた。

「先ほど、命に関わる損傷への手術が、ひとまず終了したと連絡を受けました」

美月の目が、大きく開いた。

「……助かったんですか?」

小野寺は、慎重に言った。

「今すぐ命を失う危険は、手術前より低くなったと聞いています。ただ、まだ集中治療が必要です」

美月は、両手で口を覆った。

「……よかった」

膝から、力が抜けそうになった。

小野寺が、そっと椅子を示す。

「お座りください」

美月は、椅子に腰を下ろした。

涙が、次々とこぼれた。

「……本当に、よかった」

小野寺は、何も言わずに待った。

しばらくして、美月が顔を上げた。

「……会えますか?」

小野寺は、少し表情を曇らせた。

「今は集中治療室への移送中です。面会については、病院側と確認しています」

美月は、うなずいた。

「……分かりました」

そして、震える声で続けた。

「待ちます」

* * *

午前1時12分。

病院、医師説明室。

小野寺と官邸の医療連絡担当者が、医師から説明を受けていた。

「まず、胸腹部の損傷についてです」

医師が、画像を示した。

「複数の刺傷があり、腹部の臓器と血管の一部に損傷が認められました」

小野寺は、黙って聞いていた。

「手術によって止血と必要な修復処置を行いました。ただし、出血量が多く、術後の合併症にも注意が必要です」

「……意識は?」

「現在は鎮静管理を続けています。すぐに意識を確認できる状態ではありません」

小野寺は、うなずいた。

「分かりました」

医師は、少し間を置いた。

「それから、左眼についてです」

小野寺の表情が変わった。

「……はい」

眼科医が、資料を開いた。

「左眼球に、極めて重い損傷があります」

室内が静かになった。

「可能な処置は行っていますが、視力の回復は見込めません」

小野寺は、しばらく動かなかった。

「……それは」

声がかすれた。

「……左目が、見えなくなるということですか?」

眼科医は、静かにうなずいた。

「はい。残念ですが、左眼の視力は永久に失われると判断しています」

小野寺は、資料を見つめた。

つい昨日まで、黒崎は両目で資料を読んでいた。

細かな数字を確認し、誤字を見つけ、何度も修正を求めていた。

その左目が、もう見えない。

「……総理には」

小野寺は、ようやく言葉を絞り出した。

「……いつ、伝えることになりますか?」

医師は答えた。

「意識が戻り、身体の状態が安定してからです」

小野寺は、深くうなずいた。

「……分かりました」

* * *

午前2時30分。

東京都千代田区、首相官邸。

緊急閣僚会議が開かれていた。

黒崎が意識不明となったことで、政府は総理大臣の職務をどう継続するかという問題に直面していた。

「総理は、現在も集中治療中です」

官房長官が説明した。

「職務を行える状態ではありません」

会議室が静まり返った。

「内閣法に基づき、あらかじめ指定された国務大臣による臨時代理の体制に移行します」

閣僚たちが、うなずいた。

そのとき、一人の大臣が口を開いた。

「……国民への説明は、どうしますか?」

官房長官は、資料を見た。

「医療情報については、本人の尊厳とプライバシーにも配慮し、必要な範囲で発表します」

「総理が意識不明であることは?」

「現時点で職務を行えない状態であることは、明確に説明します」

官房長官は、続けた。

「政府の機能は止めません」

そして、少し声を落とした。

「……それが、総理の望むことだと思います」

* * *

午前6時40分。

東京都内、国民会計党本部。

宮原奈緒(みやはらなお)は、一睡もしていなかった。

机の上には、各地から届いたメッセージが積み上がっていた。

『黒崎総理を助けてください』

『早く回復してほしい』

『国民会計党は、これからどうなるんですか』

宮原は、一つずつ目を通していた。

そこへ、森田悠介(もりたゆうすけ)が入ってきた。

「……宮原さん」

「森田さん」

森田は、椅子に座った。

「総理の手術、終わったそうですね」

「はい」

「……よかった」

二人は、しばらく黙った。

やがて、森田が口を開いた。

「党内で、妙な話が出始めています」

宮原は、顔を上げた。

「……何ですか?」

「総理が回復するまで、党の代表選挙を凍結すべきだと」

宮原は、眉をひそめた。

「代表選挙は、来年の春でしょう」

「そうです」

森田は、続けた。

「ですが、今回の事件を受けて、総理の地位を長期的に保障すべきだという声まで出ています」

宮原は、しばらく黙った。

そして、静かに言った。

「……黒崎さんが聞いたら、怒るでしょうね」

森田は、苦笑した。

「間違いなく」

宮原は、机の上の資料を見た。

三月に改正したばかりの党規約。

代表任期は二年。

代表への異議申し立て手続きも明文化された。

その規約を、事件を理由に変えようというのか。

宮原は、資料を閉じた。

「……今は、総理の回復を願うべきです」

そして、続けた。

「でも、それと党のルールを壊すことは、別です」

* * *

午前8時15分。

東京都内、立憲未来党本部。

神谷蒼士(かみやそうし)は、記者会見の準備をしていた。

秘書が、原稿を差し出した。

「神谷さん。声明案です」

神谷は、目を通した。

そして、一か所に線を引いた。

「……ここ、削ってください」

秘書が、顔を上げた。

「どこですか?」

神谷は、原稿を指さした。

『今回の事件を契機に、与野党の対立を超えた政治体制の構築が必要である』

秘書は、少し驚いた。

「……問題がありますか?」

神谷は、うなずいた。

「あります」

そして、静かに言った。

「総理が襲撃された直後に、政治体制の話をする必要はありません」

秘書は、黙った。

神谷は、続けた。

「まず、暴力を否定する。そして、総理の回復を願う。それで十分です」

「……分かりました」

神谷は、窓の外を見た。

「……黒崎さん」

小さく、つぶやいた。

「まだ、話したいことがあるんですよ」

* * *

午前10時25分。

愛知県内、病院。

美月は、待合スペースで朝を迎えていた。

ほとんど眠れなかった。

小野寺が、温かい飲み物を持ってきた。

「桐生さん。少しでも休んでください」

美月は、首を振った。

「……大丈夫です」

小野寺は、椅子に座った。

「総理は、今も集中治療を受けています」

美月は、うなずいた。

「……はい」

しばらく沈黙が続いた。

そして、美月が尋ねた。

「……小野寺さん」

「はい」

「玲司って、いつもあんな感じなんですか?」

小野寺は、少し笑った。

「……どんな感じでしょう」

「自分のことより、仕事のことばかり考えてる」

小野寺は、苦笑した。

「そうですね」

美月は、視線を落とした。

「……昔から、そうなんです」

「そうなんですか?」

「はい」

美月は、少し笑った。

「困ってる人を見ると、放っておけないんです」

小野寺は、黙って聞いていた。

「でも、自分が困ってるときは、あまり人に言わない」

美月の声が、少し震えた。

「……だから、心配で」

小野寺は、静かにうなずいた。

「……私も、同じです」

美月は、顔を上げた。

小野寺は、続けた。

「総理は、誰かに頼ることが、少し苦手なのかもしれません」

美月は、小さく笑った。

「……本当に」

そして、涙を拭った。

「……目が覚めたら、文句言ってやります」

小野寺も、少し笑った。

「ぜひ、お願いします」

* * *

午後0時05分。

東京都千代田区、首相官邸。

臨時代理体制のもと、政府の会議が続いていた。

サイバー攻撃への対応。

外交協議。

国内の捜査。

企業支援。

黒崎がいなくても、行政は動いていた。

しかし、政治の空気は変わっていた。

記者会見では、総理への襲撃に関する質問が相次いだ。

「犯人は、外国勢力と関係があるんですか?」

「華龍人民共和国の関与は?」

「総理への脅迫との関連は?」

官房長官は、慎重に答えた。

「現在、警察が捜査を進めています。現時点で、背後関係について断定できる情報はありません」

別の記者が質問した。

「政府は、今回の事件を受けて、非常事態宣言を出す考えはありますか?」

官房長官は、首を振った。

「今回の事件だけを理由として、政府が一般的な非常事態宣言を出す法的制度はありません」

そして、続けた。

「政府は、現行法の範囲で必要な対応を行います」

会見場が、静かになった。

* * *

午後2時20分。

東京都内。

国会議事堂の前には、多くの人々が集まっていた。

手には、白い花。

そして、小さな紙。

『黒崎総理、戻ってきてください』

『暴力に負けないで』

『どうか、生きて』

誰かが呼びかけたわけではなかった。

SNSで呼びかけが広がり、人々が自然に集まり始めたのだ。

その中には、黒崎の政策を支持する人もいれば、批判してきた人もいた。

一人の高齢男性が、花を置いた。

記者が、声をかけた。

「黒崎総理を支持されているんですか?」

男性は、少し考えた。

「……全部じゃないよ」

「といいますと?」

「税金の話なんか、まだ納得できないところもある」

男性は、国会議事堂を見た。

「でもな」

そして、静かに言った。

「意見が違うからって、殺されていいわけがないだろ」

記者は、黙った。

男性は、花に目を落とした。

「……生きて、また国会でけんかしてくれればいいんだよ」

* * *

午後4時45分。

愛知県内、病院。

医師たちは、黒崎の状態を慎重に確認していた。

「循環状態は安定してきています」

「感染の兆候は?」

「現時点では認められません」

医師は、うなずいた。

「……よし」

そして、看護師に指示した。

「鎮静を少しずつ調整しましょう」

看護師が、顔を上げた。

「意識の確認ですか?」

「はい。ただし、無理はしません」

医師は、黒崎の顔を見た。

左眼には、保護のための処置が施されていた。

右眼は、閉じられている。

「……黒崎さん」

医師が、声をかけた。

「聞こえますか?」

返事はない。

医師は、もう一度呼びかけた。

「黒崎さん」

そのとき。

黒崎の右手の指が、わずかに動いた。

看護師が、息をのんだ。

「……先生」

医師は、黒崎の手を見た。

「……もう一度、呼びかけます」

そして、静かに言った。

「黒崎さん。聞こえたら、手を動かしてください」

数秒の沈黙。

そして。

黒崎の指が、もう一度、動いた。

* * *

午後5時12分。

病院、待合スペース。

美月は、椅子に座っていた。

そのとき、小野寺が足早に近づいてきた。

「桐生さん!」

美月は、顔を上げた。

「……何かあったんですか?」

小野寺は、少し息を切らしていた。

そして、笑った。

「……総理が」

美月の心臓が、大きく跳ねた。

「……玲司が?」

小野寺は、うなずいた。

「呼びかけに、反応したそうです」

美月は、立ち上がった。

「……本当ですか?」

「はい」

小野寺は、続けた。

「まだ意識が完全に戻ったわけではありません。でも、医師からは、良い兆候だと聞いています」

美月は、両手で口を覆った。

そして、涙を流した。

「……よかった」

声が震えた。

「……本当に、よかった」

小野寺も、目を潤ませていた。

* * *

午後6時30分。

東京都内、国民会計党本部。

宮原と森田は、黒崎の容体に関する連絡を受けていた。

「……反応があったそうです」

宮原が言った。

森田は、深く息を吐いた。

「……よかった」

そのとき、党職員が入ってきた。

「宮原さん。少し、よろしいでしょうか」

「どうしました?」

職員は、資料を差し出した。

「国民改革推進会議が、新しい声明を発表しました」

宮原の表情が変わった。

国民改革推進会議。

黒崎政権を強く支持する一方、総理大臣の権限強化を求める民間団体。

国民会計党の公式組織ではない。

宮原は、資料を読んだ。

『黒崎総理への襲撃は、国民の意思に対する攻撃である』

『国民の圧倒的支持を受ける黒崎総理の地位は、制度的に保護されるべきだ』

『非常時における総理大臣の権限強化を求める』

宮原は、資料を机に置いた。

「……始まったわね」

森田は、眉をひそめた。

「……何がですか?」

宮原は、静かに答えた。

「黒崎さんを守るという名目で、黒崎さんが守ろうとした制度を変えようとする動きです」

森田は、黙った。

宮原は、続けた。

「……総理が目を覚ましたら、まずこれを説明しないといけませんね」

* * *

午後8時05分。

愛知県内、病院。

黒崎は、まだ集中治療室にいた。

しかし、状態は少しずつ改善していた。

医師が、慎重に確認する。

「黒崎さん。聞こえますか?」

黒崎の右手が、わずかに動いた。

「……いいですね」

医師は、うなずいた。

「今は無理に話そうとしなくて大丈夫です」

そして、続けた。

「手術は終わりました。今は病院で治療を受けています」

黒崎の右手が、少しだけ動いた。

医師は、静かに言った。

「……あなたは、生きています」

その言葉を聞いた瞬間。

黒崎の右眼のまぶたが、わずかに震えた。

* * *

午後9時40分。

病院、面談室。

美月は、小野寺とともに、医師から説明を受けていた。

医師は、慎重に言葉を選んだ。

「黒崎さんの命に関わる状態は、徐々に改善しています」

美月は、うなずいた。

「……はい」

「ただし、重い外傷を負っています。回復には、長い時間が必要です」

「……分かっています」

医師は、少し間を置いた。

「それから、左眼についてです」

美月の表情が変わった。

「……左目?」

医師は、静かに答えた。

「左眼に、極めて重い損傷があります」

美月は、黙った。

「視力の回復は、見込めません」

美月は、医師を見つめた。

「……それって」

声が震えた。

「……もう、見えないってことですか?」

医師は、うなずいた。

「はい」

美月は、しばらく動かなかった。

そして、静かに尋ねた。

「……右目は?」

「右眼の視機能については、現時点で重大な異常は確認されていません」

美月は、うなずいた。

「……そうですか」

医師は、続けた。

「今後、左眼の状態によっては、追加の処置が必要になる可能性があります」

美月は、視線を落とした。

「……玲司には、もう伝えたんですか?」

「いいえ。本人が十分に説明を理解できる状態になってから、お伝えします」

美月は、うなずいた。

そして、静かに言った。

「……分かりました」

* * *

午後10時25分。

病院、集中治療室。

医師の許可を得て、美月は短時間だけ黒崎のそばに入った。

室内には、医療機器の音が響いていた。

ベッドの上に、黒崎が横たわっている。

顔には、傷を保護する処置。

胸元から腹部にかけて、手術後の管理が続けられていた。

美月は、足を止めた。

「……玲司」

返事はなかった。

しかし、モニターには、規則的な心拍が表示されていた。

生きている。

それだけで、涙が出そうになった。

美月は、ベッドの横に立った。

そして、そっと右手に触れた。

「……来たよ」

黒崎の手は、温かかった。

美月は、涙をこらえながら続けた。

「……本当に、びっくりしたんだから」

返事はない。

「ニュース見て、何が起きたのか分からなくて」

声が震えた。

「……もう、会えないかと思った」

美月は、黒崎の手を握った。

「……ねえ、玲司」

そして、小さく笑った。

「来週、ご飯行く約束したでしょ」

涙が、頬を伝った。

「……まだ、お店も決めてないんだよ」

美月は、黒崎の顔を見た。

「……だから」

声が、詰まった。

「……ちゃんと、元気になってよ」

そのとき。

黒崎の右手が、わずかに動いた。

美月は、息をのんだ。

「……玲司?」

黒崎の指が、美月の手に触れた。

強く握り返すことはできなかった。

ほんのわずかな動きだった。

それでも。

美月には、十分だった。

「……聞こえてるの?」

涙が、あふれた。

「……玲司」

黒崎の右眼のまぶたが、ゆっくりと動いた。

そして。

ほんの少しだけ、開いた。

美月は、息を止めた。

右目が、こちらを向いていた。

焦点は、まだ定まっていない。

それでも、確かに開いていた。

「……玲司!」

美月は、涙を流しながら笑った。

「……おかえり」

黒崎は、何も答えられなかった。

ただ、右眼から一筋の涙が流れた。

* * *

午後11時55分。

東京都千代田区、首相官邸。

小野寺からの報告が、官房長官に届いた。

『黒崎総理、意識回復の兆候』

官房長官は、深く息を吐いた。

「……よかった」

そして、窓の外を見た。

東京の街は、いつもどおりに明かりが灯っていた。

総理が倒れても、政府は動いている。

国会も、行政も、国民の生活も続いている。

それは、黒崎が目指してきた国家の姿でもあった。

しかし。

官房長官の机には、もう一つの報告書が置かれていた。

『総理大臣の権限強化を求める集会、全国各地で拡大』

『一部団体、総理の地位を保障する制度の創設を要求』

官房長官は、資料を見つめた。

「……総理」

そして、静かにつぶやいた。

「……あなたが戻ってきたとき、日本は少し変わっているかもしれません」

* * *

2037年4月23日、午前0時12分。

愛知県内、病院。

黒崎は、再び眠りについていた。

美月は、病室を出る前に、もう一度だけ振り返った。

左目を覆う保護材。

顔に残る深い傷。

そして、規則的に動く医療機器。

美月は、静かに言った。

「……玲司」

その声は、眠っている黒崎には届かなかったかもしれない。

それでも、美月は続けた。

「……私、ちゃんと待ってるから」

そして、小さく笑った。

「……今度は、私の話も聞いてね」

美月は、病室を出た。

扉が、静かに閉まった。

黒崎玲司。

日本を変えようとした男。

その命は、かろうじて救われた。

しかし、彼はまだ知らない。

自分が左目の視力を永久に失ったことを。

そして、自分が眠っている間に、日本中で新たな政治運動が広がり始めていることを。

翌日。

黒崎は、医師からその事実を告げられることになる。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

第79話では、黒崎玲司の緊急手術と、美月が病院で彼の回復を待つ姿を描きました。

命は救われましたが、黒崎には左目の失明という大きな代償が残りました。

また、総理の不在中にも政府は機能を維持する一方、一部では権限強化を求める動きが広がり始めています。

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