第74話 首相官邸に届いた最後通告
金融、物流、製造業へと広がったサイバー攻撃。
海外の攻撃組織との関連が疑われる一方、黒崎政権は慎重な調査を続けていた。
しかし、見えない敵は、政府が結論を出すまで待ってはくれなかった。
日本の経済を揺さぶった攻撃は、今度は人々の恐怖を利用し始める。
そして、黒崎玲司のもとに、一通の封筒が届けられる。
2037年4月15日、午前7時12分。
東京都千代田区。
「……何だ、これ」
出勤途中の会社員が、スマートフォンを見て足を止めた。
画面には、一本の動画が表示されていた。
暗い背景。
日本語の字幕。
そして、機械で加工された声。
『日本政府は警告を無視した』
『次の標的は、国民の生活そのものだ』
動画は、わずか二十七秒。
最後に表示されたのは、一行の文字だった。
『黒崎玲司に告ぐ。改革を止めろ』
会社員は、眉をひそめた。
「……また、変な動画か」
しかし、動画の再生回数は急激に増えていた。
コメント欄には、不安と怒りが入り混じっていた。
『本当に攻撃されるのか?』
『政府は何をしている』
『黒崎総理を守れ』
『外国の工作だろ』
誰が投稿したのか。
誰が拡散しているのか。
その時点では、誰にも分からなかった。
* * *
午前8時05分。
首相官邸。
「総理。新しい脅迫動画が確認されました」
小野寺航が、タブレットを差し出した。
黒崎玲司は、画面を見た。
二十七秒の動画。
最後に、自分の名前が表示される。
黒崎は、再生が終わるまで黙っていた。
「……前の声明と同じ人物ですか?」
「現時点では不明です」
「動画に、具体的な攻撃予告は?」
「場所や時刻は示されていません」
黒崎は、うなずいた。
「では、脅迫として警戒しながら、出所を調べてください」
小野寺は、少し迷ったように言った。
「総理。警護担当から、当面の外出予定を見直すよう提案が来ています」
黒崎は、顔を上げた。
「……どの予定ですか?」
「明日の企業視察と、来週の地方訪問です」
黒崎は、予定表を見た。
明日の企業視察は、今回の障害で操業に影響を受けた中小企業を訪ねるものだった。
「明日の視察は、現場の状況を聞くために必要です」
「承知しています。ただ、脅迫が続いていますので」
黒崎は、少し考えた。
「警護担当と相談します。安全が確保できないなら、方法を変えましょう」
小野寺は、うなずいた。
「ありがとうございます」
黒崎は、静かに付け加えた。
「……私が行くことで、現場の人を危険にさらすわけにはいきませんから」
* * *
午前9時40分。
東京都内、立憲未来党本部。
神谷蒼士は、新聞を机に置いた。
見出しには、こう書かれていた。
『黒崎総理への脅迫相次ぐ』
神谷は、しばらく記事を読んでいた。
そのとき、若手議員が入ってきた。
「神谷さん。今日の記者会見ですが、総理への脅迫について質問が来ると思います」
「そうでしょうね」
「どう答えますか?」
神谷は、迷わず答えた。
「政治家への脅迫は、立場に関係なく許されない。それだけです」
若手議員は、うなずいた。
「ただ、一部の支持者からは、黒崎総理が狙われているのは強引な改革のせいだ、という声もあります」
神谷の表情が険しくなった。
「……それは違う」
「ですが――」
「政策を批判することと、脅迫を正当化することは別です」
神谷は、はっきりと言った。
「私は黒崎総理の政策に反対することがある。でも、黒崎さんが脅されていい理由にはならない」
若手議員は、黙った。
神谷は、窓の外を見た。
「……政治家が脅迫で黙る国になったら、次は誰も反対意見を言えなくなる」
* * *
午前11時15分。
愛知県豊田市。
サイバー攻撃の影響を受けた自動車部品工場では、一部の製造ラインが再稼働していた。
「よし、第三ライン動いた!」
作業員たちから、小さな歓声が上がる。
工場長は、胸をなで下ろした。
「……ようやくか」
しかし、システム担当者は慎重だった。
「まだ、完全復旧ではありません。外部システムとの連携は、段階的に戻しています」
工場長は、うなずいた。
「分かった。無理に全部動かすな」
そのとき、事務担当者が駆け寄ってきた。
「工場長!」
「どうした?」
「会社の代表メールに、脅迫文が届いています!」
工場長の表情が変わった。
「……何?」
事務担当者が見せた画面には、短い文章が表示されていた。
『日本政府への協力を続ける企業には、相応の代償を払ってもらう』
工場長は、しばらく黙った。
そして、静かに言った。
「……警察に相談しよう」
「はい」
工場長は、製造ラインを見た。
ようやく動き始めた機械。
働く従業員たち。
「……俺たちは、ただ部品を作ってるだけなんだぞ」
その声には、怒りがにじんでいた。
* * *
午後0時30分。
首相官邸。
「総理。民間企業にも、脅迫メールが届き始めています」
小野寺が報告した。
黒崎は、資料を受け取った。
「……今回の障害と関係があるんですか?」
「現時点では不明です。ただ、政府への協力をやめるよう求める内容が含まれています」
黒崎は、眉をひそめた。
「企業が復旧のために情報を共有することまで、妨害しようとしている……」
小野寺は、うなずいた。
「その可能性があります」
黒崎は、少し考えた。
「警察と関係省庁に、企業への相談窓口を案内するよう依頼してください」
「承知しました」
「それから、脅迫文の内容をそのまま広く拡散しないよう、発表の仕方には気をつけてください」
小野寺は、うなずいた。
「はい」
黒崎は、静かに言った。
「……恐怖を広げることが目的なら、政府がそれを手伝うわけにはいきません」
* * *
午後2時10分。
首相官邸、国家安全保障に関する会議。
「総理。今回の脅迫動画について、分析結果をご報告します」
担当者が説明を始めた。
「動画の公開に使用されたアカウントは、過去に政治的な偽情報を拡散していた複数のアカウントと、関連する可能性があります」
黒崎は、尋ねた。
「……同じ組織ですか?」
「まだ断定できません」
「分かりました」
担当者は、続けた。
「また、動画が公開された直後、複数の言語で似た内容の投稿が確認されています」
黒崎は、資料を見た。
「……最初から海外向けにも発信するつもりだった?」
「その可能性があります」
会議室が静かになった。
黒崎は、ゆっくりと言った。
「……今回の攻撃は、システムを止めるだけが目的ではないのかもしれませんね」
担当者は、うなずいた。
「はい。社会不安を拡大させる意図も考えられます」
* * *
午後4時35分。
東京都内、国民会計党本部。
「総理。党内から、警護強化を求める意見が出ています」
片岡が、資料を差し出した。
黒崎は、うなずいた。
「警護担当の判断に従います」
片岡は、少し驚いた。
「……反対されないんですか?」
黒崎は、苦笑した。
「反対する理由がありません」
そして、続けた。
「私一人の判断で、警護の専門家を困らせるわけにはいきませんから」
片岡は、うなずいた。
「分かりました」
そのとき、別の議員が口を開いた。
「総理。今回の事件を受けて、総理大臣への脅迫に対する罰則を強化すべきだという声もあります」
黒崎は、顔を上げた。
「……総理大臣だけですか?」
議員は、少し戸惑った。
「え?」
黒崎は、静かに言った。
「脅迫されているのは、私だけではありません。企業の従業員も、一般の国民も、不安を感じています」
そして、続けた。
「必要な法整備があるなら検討します。ただし、私だけを特別扱いする制度にはしないでください」
* * *
午後6時20分。
東京都内、桐生美月の勤務先。
桐生美月は、仕事を終えたところだった。
スマートフォンには、黒崎への脅迫に関するニュースが並んでいた。
美月は、ため息をついた。
「……また」
同僚が、声をかけた。
「美月、大丈夫?」
「え?」
「ニュース、見た?」
美月は、うなずいた。
「うん」
同僚は、少し心配そうに言った。
「黒崎さん、危ないんじゃない?」
美月は、スマートフォンを見た。
「……そうかもしれない」
そして、少し考えた。
「でも、私が心配しても、玲司は仕事をやめないと思う」
同僚は、苦笑した。
「……総理大臣だもんね」
美月は、小さく笑った。
「うん」
しかし、その笑顔は、どこか寂しそうだった。
* * *
午後8時05分。
首相官邸。
「総理。警護担当から、明日の視察について正式な提案が来ています」
小野寺が、資料を差し出した。
黒崎は、目を通した。
「……現地訪問は延期ですか」
「はい。現時点の脅威情報を踏まえ、警護上のリスクが高いと判断されています」
黒崎は、少し考えた。
「分かりました」
小野寺が、顔を上げた。
「では、延期で調整します」
「はい。ただし、企業の方々との意見交換は、オンラインで実施できるようにしてください」
小野寺は、うなずいた。
「承知しました」
黒崎は、静かに言った。
「……会いに行けないなら、別の方法で話を聞けばいい」
* * *
午後9時30分。
首相官邸、総理大臣執務室。
黒崎は、オンライン会議の資料を確認していた。
そのとき、内線電話が鳴った。
「黒崎です」
『総理。警護担当から、至急ご報告したいことがあるそうです』
黒崎は、顔を上げた。
「……分かりました。通してください」
数分後。
警護担当の責任者が、執務室に入ってきた。
「総理。お時間をいただき、ありがとうございます」
黒崎は、うなずいた。
「どうしました?」
責任者は、少し緊張した表情で答えた。
「本日、首相官邸宛てに届いた郵便物の中に、不審な封筒が確認されました」
黒崎の表情が変わった。
「……不審な封筒?」
「はい。所定の安全確認を行ったうえで、内容を確認しています」
黒崎は、尋ねた。
「危険物ですか?」
「現時点で、危険物は確認されていません」
黒崎は、うなずいた。
「……中身は?」
責任者は、資料を差し出した。
「総理宛ての手紙です」
黒崎は、受け取った。
そこには、短い文章が記されていた。
『黒崎玲司殿』
『あなたが進める改革は、日本だけの問題ではない』
『これ以上、国民に数字を見せるな』
『あなたが何を変えようとしているのか、我々は理解している』
黒崎は、眉をひそめた。
「……数字を見せるな?」
責任者は、黙っていた。
黒崎は、さらに読み進めた。
最後の一文。
『次は、警告では済まない』
黒崎は、しばらく手紙を見つめた。
そして、静かに尋ねた。
「……差出人は?」
「不明です」
「投函場所は?」
「調査中です」
黒崎は、うなずいた。
「分かりました」
責任者は、続けた。
「総理。今回の手紙と、インターネット上の脅迫との関連も調査しています」
黒崎は、手紙を机に置いた。
「お願いします」
* * *
午後10時45分。
東京都内、桐生美月の自宅。
美月は、黒崎からの電話を受けていた。
『……ごめん。今日も遅くなる』
「うん。ニュース見たよ」
『そうか』
美月は、少し黙った。
そして、静かに尋ねた。
「……玲司、本当に大丈夫?」
電話の向こうで、黒崎が少し笑った。
『大丈夫だよ』
美月は、首を振った。
「……そういう答えじゃなくて」
黒崎は、黙った。
美月は、続けた。
「怖くないの?」
数秒の沈黙。
そして、黒崎が答えた。
『……怖いよ』
美月は、息を止めた。
『でも、怖いからって、何もしないわけにはいかない』
美月は、静かに言った。
「……無理だけはしないで」
『うん』
「約束して」
『約束する』
美月は、少し笑った。
「……じゃあ、ちゃんと寝てね」
『ありがとう』
電話が切れた。
美月は、しばらくスマートフォンを見つめていた。
そして、小さくつぶやいた。
「……絶対、帰ってきてよ」
* * *
午後11時50分。
首相官邸。
黒崎は、執務室で一人、手紙の写しを見つめていた。
『これ以上、国民に数字を見せるな』
その一文が、頭から離れなかった。
黒崎が政治を始めた理由。
それは、国民が自分たちの税金の使い道を知ることだった。
隠されていた数字を見えるようにする。
説明されなかった支出を説明させる。
それだけのことだった。
黒崎は、静かにつぶやいた。
「……それが、そんなに困ることなのか」
そのとき。
執務室の扉がノックされた。
「総理。失礼します」
小野寺だった。
黒崎は、顔を上げた。
「どうしました?」
小野寺は、少し緊張した表情で言った。
「先ほどの手紙について、追加情報が入りました」
黒崎は、立ち上がった。
「……何か分かったんですか?」
小野寺は、資料を差し出した。
「封筒の差出人情報に、実在しない会社名が使われていました」
黒崎は、眉をひそめた。
「……偽名ですか」
「はい」
小野寺は、続けた。
「ただし、その会社名には、気になる点があります」
黒崎は、資料を見た。
そこには、架空の会社名が記されていた。
『東亜戦略調査機構』
黒崎は、首をかしげた。
「……聞いたことがありません」
小野寺は、うなずいた。
「実在は確認できていません」
そして、静かに続けた。
「ただ、過去に海外で発生した政治的な情報工作に関する資料の中に、似た名称が登場しているそうです」
黒崎は、しばらく黙った。
「……偶然かもしれませんね」
「はい」
黒崎は、資料を閉じた。
そして、静かに言った。
「……でも、調べる必要はあります」
小野寺は、うなずいた。
「承知しました」
黒崎は、窓の外を見た。
東京の街には、まだ明かりが灯っていた。
見えない敵。
正体の分からない脅迫。
そして、政府の改革を止めろという要求。
黒崎は、静かにつぶやいた。
「……誰が、何を守ろうとしているんだ」
その問いの答えは、まだ見えていなかった。
しかし、翌日。
黒崎は、これまでの事件とは異なる、ある人物からの接触を受けることになる。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、サイバー攻撃に続いて、黒崎総理や民間企業への脅迫が広がる展開を描きました。
国家への攻撃は、システムを停止させるだけではありません。
恐怖を与え、人々の行動を変え、政治的な判断に影響を及ぼすこともあります。
次回は、黒崎政権に対して新たな人物が接触を試みます。
その人物が持つ情報によって、事件は大きく動き始めます。




