第72話 見えない敵――日本政府への宣戦布告
金融機関、物流企業、そして政府関係機関。
日本各地で相次いだシステム障害は、単なる偶発的なトラブルでは説明できない広がりを見せていた。
黒崎政権は、国民生活への影響を抑えながら、攻撃の実態解明を急ぐ。
しかし、政府が調査を進める中、インターネット上に一通の声明が公開される。
そこには、黒崎玲司の名前が記されていた。
2037年4月13日、午前0時18分。
首相官邸、危機管理センター。
「政府機関への侵入は確認されたんですか?」
黒崎玲司の質問に、サイバーセキュリティ担当者は首を振った。
「現時点では、確認できていません」
「では、不審な通信というのは?」
「政府関係機関が利用する公開サービスに対して、通常とは異なる大量のアクセスが発生しています。一部では、認証を試みる不審な動きも確認されています」
黒崎は、うなずいた。
「……被害は?」
「公開サイトの応答が遅くなっている機関があります。ただし、内部の重要システムに侵入された証拠は、まだありません」
黒崎は、机に置かれた資料を見た。
金融機関。
物流企業。
政府関係機関。
異なる組織で、異なる障害が起きている。
それらが同じ攻撃によるものなのか。
あるいは、偶然が重なっているだけなのか。
まだ、結論は出ていなかった。
「……一つ確認したいんですが」
黒崎が顔を上げる。
「はい」
「金融機関で発生した障害と、政府機関への不審なアクセスは、技術的につながっているんですか?」
担当者は、少し考えた。
「現時点では、直接的な関連を示す証拠はありません」
黒崎は、うなずいた。
「分かりました」
そして、はっきりと言った。
「関連が確認されるまでは、別々の事象としても調査を続けてください」
担当者は、深く頭を下げた。
「承知しました」
* * *
午前2時40分。
東京都内、大手金融機関のシステム対策室。
「……一部の決済サービス、復旧しました!」
エンジニアの声に、室内から安堵の息が漏れた。
しかし、責任者は表情を緩めなかった。
「原因は?」
「調査中です。ただ、外部からの不審な要求が大量に届いていたことは確認できています」
「それだけでシステムが止まったのか?」
「いえ。内部の処理遅延も発生しています。直接の原因は切り分け中です」
責任者は、うなずいた。
「……復旧したからといって、原因が分かったわけじゃないな」
「はい」
「なら、監視を続けてくれ」
そのとき、別の担当者が声を上げた。
「責任者! 海外のニュースサイトに、妙な記事が出ています!」
責任者が振り向く。
「……何だ?」
画面には、英語の記事が表示されていた。
『日本の金融システム、黒崎政権の改革によって脆弱化』
責任者は、眉をひそめた。
「……そんな事実、確認されてないぞ」
記事には、具体的な技術的根拠が示されていなかった。
それでも、すでに多くの人が共有していた。
* * *
午前6時15分。
東京都内、民間企業のオフィス。
高瀬直樹は、眠そうな目でパソコンを見つめていた。
昨夜から、ほとんど休んでいなかった。
「……ようやく落ち着いたか」
民間の財政情報整理サイト、JAPAN LEDGER。
前日からアクセスが急増していたが、サービスは維持できていた。
隣のエンジニアが、コーヒーを差し出した。
「高瀬さん、少し寝た方がいいですよ」
「ありがとう」
高瀬は、カップを受け取った。
そのとき、画面に新しい通知が表示された。
『JAPAN LEDGER、政府の機密情報を海外へ送信か』
高瀬は、目を見開いた。
「……は?」
記事を開く。
そこには、政府の財政情報公開システムとJAPAN LEDGERが同一のものであるかのような説明が書かれていた。
高瀬は、思わず声を上げた。
「……全然違うだろ!」
JAPAN LEDGERは、政府から独立した民間サービスだった。
政府の内部システムにアクセスする権限もなければ、機密情報を扱う契約もない。
しかし、記事はそれらを混同していた。
高瀬は、すぐに公式サイトを開いた。
「……訂正を出す」
隣のエンジニアが尋ねた。
「政府にも連絡しますか?」
「必要なら事実関係を伝える。ただ、まずは自分たちのサービスについて正確に説明する」
高瀬は、キーボードを打ち始めた。
* * *
午前8時30分。
首相官邸。
「総理。少し気になる動きがあります」
小野寺航が、資料を差し出した。
黒崎は、ページをめくった。
海外の複数のニュースサイト。
匿名の投稿アカウント。
動画共有サービス。
そこには、似た内容の情報が短時間で拡散されていた。
『黒崎政権の行政改革が、日本の金融システムを危険にさらした』
『財政情報の公開によって、外国勢力に弱点が知られた』
『日本政府は、すでに攻撃者と秘密交渉している』
黒崎は、眉をひそめた。
「……どれも、確認されていない情報ですね」
小野寺は、うなずいた。
「はい」
「発信元は?」
「一部は海外のサーバーを利用しています。ただし、誰が情報を作成したかは不明です」
黒崎は、しばらく考えた。
「……情報工作の可能性は?」
小野寺は、慎重に答えた。
「否定できません。ただし、現時点では組織的な工作と断定する証拠はありません」
黒崎は、うなずいた。
「分かりました」
そして、続けた。
「事実関係を整理して、国民に説明できるようにしてください」
* * *
午前10時05分。
衆議院、特別委員会。
「総理。今回の障害について、政府は外国勢力の関与を疑っているんですか?」
神谷蒼士が質問した。
黒崎は、答弁席に立った。
「現在、さまざまな可能性を調査しています。ただし、特定の国や組織が関与したと判断できる段階にはありません」
神谷は、うなずいた。
「では、もう一つ」
「はい」
「政府が攻撃元を特定できない場合、国民にどこまで説明するつもりですか?」
黒崎は、少し考えた。
「捜査や防御に支障がない範囲で、確認できた事実を公表します」
神谷は続けた。
「国民の不安が高まれば、政府は早く犯人を示したくなるものです」
黒崎は、黙って聞いていた。
「しかし、誤った国を名指しすれば、外交問題に発展する可能性もあります」
黒崎は、うなずいた。
「そのとおりです」
神谷は、静かに言った。
「総理。支持率が高い今だからこそ、慎重な判断をお願いします」
黒崎は、はっきりと答えた。
「はい。根拠のない断定はしません」
* * *
午後0時42分。
首相官邸。
「……総理、緊急です」
小野寺が、執務室に入ってきた。
黒崎は、顔を上げた。
「どうしました?」
「インターネット上に、犯行声明とみられる文章が公開されました」
黒崎の表情が変わった。
「……犯行声明?」
「はい」
小野寺は、タブレットを差し出した。
画面には、黒い背景に白い文字が並んでいた。
『日本政府への警告』
黒崎は、ゆっくりと読み始めた。
文章は、英語と日本語で書かれていた。
『日本政府は、国民の情報を利用して国家の統制を強めている』
『黒崎政権が進める情報公開政策は、国家による監視の第一歩である』
『我々は、日本政府に対して警告する』
黒崎は、眉をひそめた。
「……情報公開が、監視?」
小野寺は、黙っていた。
黒崎は、さらに読み進めた。
そして、最後の一文で手を止めた。
『黒崎玲司が改革を続ける限り、日本の混乱は終わらない』
黒崎は、しばらく画面を見つめた。
「……私の名前が、書かれていますね」
小野寺は、うなずいた。
「はい」
黒崎は、尋ねた。
「この声明が、実際の攻撃者によるものだという証拠は?」
「現時点では、ありません」
黒崎は、静かに答えた。
「……では、まだ犯行声明と断定できませんね」
小野寺は、うなずいた。
「はい」
* * *
午後2時。
首相官邸、国家安全保障に関する会議。
関係閣僚と担当者が集まっていた。
「今回の声明について、海外の情報機関との情報共有を進めています」
担当者が説明した。
黒崎は、うなずいた。
「分かりました」
別の担当者が続けた。
「ただし、声明に記載された内容と、実際の障害との関係は確認されていません」
黒崎は、資料を見た。
「……攻撃を行っていない人物が、便乗して声明を出した可能性もあるということですね」
「はい」
黒崎は、少し考えた。
「では、国民への説明では、その点も明確にしてください」
担当者は、うなずいた。
「承知しました」
そのとき、外務省の担当者が口を開いた。
「総理。海外の一部メディアでは、特定の国家が関与したという憶測が広がっています」
黒崎は、顔を上げた。
「……政府として、その情報を確認できていますか?」
「いいえ」
黒崎は、はっきりと言った。
「では、政府はその憶測に乗らないでください」
会議室が静かになった。
黒崎は続けた。
「必要な外交ルートで情報を確認し、証拠を積み上げてください」
* * *
午後4時20分。
東京都内、国民会計党本部。
「総理。支持者の間で、強い反応が出ています」
片岡が報告した。
黒崎は、資料を見た。
『日本を攻撃した国に報復しろ』
『黒崎総理を守れ』
『外国勢力を排除しろ』
『政府にもっと強い権限を与えるべきだ』
黒崎は、眉をひそめた。
「……まだ攻撃元も分かっていないのに」
片岡は、うなずいた。
「はい」
黒崎は、静かに言った。
「国民の不安は分かります」
そして、続けた。
「ただ、恐怖や怒りだけで判断してはいけません」
片岡は、黒崎を見た。
「……総理。支持者の中には、今回の事件をきっかけに、政府の権限を強化すべきだという声もあります」
黒崎は、少し考えた。
「必要なサイバー防御体制の強化は進めます」
片岡が、うなずく。
「ただし、それは国民の権利を無制限に制限していいという意味ではありません」
黒崎は、はっきりと言った。
「安全保障を理由に、何でもできる政府にしてはいけません」
* * *
午後6時45分。
東京都内、民間企業のオフィス。
高瀬は、ようやく椅子に深く座った。
JAPAN LEDGERのアクセス状況は、落ち着き始めていた。
しかし、偽情報の拡散は続いていた。
「……参ったな」
高瀬がつぶやく。
隣のエンジニアが尋ねた。
「どうします?」
高瀬は、画面を見た。
「事実を出し続けるしかない」
「それだけですか?」
高瀬は、少し笑った。
「それだけだよ」
そして、続けた。
「俺たちができるのは、確認できる数字を、確認できる形で出すことだから」
* * *
午後9時10分。
首相官邸。
黒崎は、最新の被害状況を確認していた。
金融機関の一部サービスは、復旧が進んでいた。
物流企業も、代替運用によって配送を継続していた。
政府関係機関への不審な通信については、調査が続いていた。
黒崎は、資料を閉じた。
「……少しずつ、戻ってきていますね」
小野寺が、うなずいた。
「はい」
そのとき、電話が鳴った。
小野寺が応答する。
「……はい」
数秒後。
小野寺の表情が変わった。
「……総理」
黒崎が顔を上げる。
「どうしました?」
小野寺は、静かに答えた。
「海外の協力機関から、新しい情報が届きました」
黒崎は、立ち上がった。
「……どんな情報ですか?」
小野寺は、資料を差し出した。
「今回の不審な活動の一部について、過去に別の国で確認された攻撃と、共通する特徴があるそうです」
黒崎は、資料を見た。
「……同じ組織ですか?」
「その可能性があります。ただし、まだ断定はできません」
黒崎は、うなずいた。
「分かりました」
そして、続けた。
「詳しく確認してください」
* * *
午後11時35分。
首相官邸、総理大臣執務室。
黒崎は、一人で机に向かっていた。
目の前には、今回の障害に関する資料が積まれていた。
金融機関。
物流企業。
政府関係機関。
そして、黒崎自身を名指しした声明。
黒崎は、静かにつぶやいた。
「……何が目的なんだ」
日本の政治改革を止めたいのか。
政府を混乱させたいのか。
それとも、別の目的があるのか。
まだ、分からなかった。
そのとき、スマートフォンにメッセージが届いた。
送り主は、桐生美月。
『今日も遅いんでしょ?』
黒崎は、少し笑った。
『うん。もう少しかかりそう』
すぐに返信が来た。
『ちゃんと食べてる?』
黒崎は、机の上を見た。
冷めたコーヒー。
開封していない弁当。
黒崎は、苦笑した。
『今から食べる』
美月から返信が来た。
『絶対だよ』
黒崎は、小さく笑った。
『分かった』
スマートフォンを置き、弁当のふたを開ける。
そのとき。
執務室の扉がノックされた。
「総理。失礼します」
小野寺だった。
黒崎は、顔を上げた。
「……どうしました?」
小野寺は、少し緊張した表情で言った。
「今回の声明について、追加の分析結果が届きました」
黒崎は、箸を置いた。
「……何か分かったんですか?」
小野寺は、資料を差し出した。
「声明を公開した人物が、過去に複数の国で発生したサイバー攻撃に関連する情報を発信していた可能性があります」
黒崎は、資料を見た。
「……つまり?」
小野寺は、静かに答えた。
「少なくとも、今回の声明は、単なるいたずらではない可能性が高まっています」
黒崎は、しばらく黙った。
そして、窓の外を見た。
夜の東京。
多くの人々が、いつもどおりの生活を送っている。
しかし、その日常を守るための戦いは、すでに始まっていた。
黒崎は、静かに言った。
「……明日、関係機関を集めてください」
小野寺が、うなずいた。
「承知しました」
黒崎は、資料を閉じた。
そして、もう一度つぶやいた。
「……相手が誰でも、国民の生活は守る」
その言葉は、静かな執務室に響いた。
しかし、黒崎はまだ知らなかった。
今回の攻撃が、日本の政治だけでなく、黒崎自身の人生を大きく変える事件へとつながっていくことを。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、国内のシステム障害に加え、黒崎総理を名指しする声明が公開される展開を描きました。
攻撃元が不明な段階で、政府がどのように判断するべきなのか。
また、国民の不安や怒りが、政治にどのような影響を与えるのか。
次回は、海外の協力機関から届いた情報をもとに、政府が攻撃の実態解明を進めます。
そして、黒崎政権の対応をめぐり、国内外で新たな対立が生まれ始めます。




