第71話 日本の心臓が止まった日
衆議院三百二十一議席、内閣支持率98.4%。
黒崎玲司は、国民から圧倒的な支持を集めながらも、自らの権力を制限する改革に踏み出した。
しかし、国内の政治改革が進む一方で、日本の外側では新たな脅威が動き始めていた。
ある朝、全国各地で原因不明のシステム障害が発生する。
それは、黒崎政権にとって初めての、本格的な国家安全保障上の危機だった。
2037年4月12日、午前6時17分。
東京都内、金融機関のシステム監視センター。
「……おかしいな」
夜勤担当のエンジニアが、監視画面を見つめた。
複数の決済処理で、応答時間が急激に増加していた。
最初は、一部の通信障害だと思った。
しかし、数分後。
別の監視画面にも、赤い警告が表示された。
「……何だ、これ」
担当者は、隣の席に声をかけた。
「決済系、遅延してない?」
「え?」
同僚が画面を確認する。
「……こっちもだ」
その直後だった。
警告音が鳴り響いた。
『決済処理タイムアウト』
『外部接続異常』
『一部サービス停止』
エンジニアは、立ち上がった。
「……責任者を呼んで!」
* * *
午前6時31分。
大阪府内、大手物流会社の配送管理センター。
「配送指示が送れません!」
担当者が声を上げた。
「何だって?」
管理者が駆け寄る。
「一部の配送拠点に、配車データが届いていません!」
「通信回線は?」
「つながっています。でも、管理システムから応答が返ってこないんです!」
管理者は、眉をひそめた。
「……サーバー障害か?」
「分かりません!」
そのとき、別の担当者が叫んだ。
「東京のセンターでも、同じ障害が起きているそうです!」
管理者の表情が変わった。
「……同時に?」
* * *
午前6時48分。
首相官邸。
黒崎玲司は、秘書官からの電話で目を覚ました。
「……はい、黒崎です」
『総理。緊急のご報告があります』
電話の向こうは、小野寺航だった。
「どうしました?」
『国内の複数の金融機関と物流企業で、大規模なシステム障害が発生しています』
黒崎は、上体を起こした。
「……同時にですか?」
『はい。原因は調査中ですが、サイバー攻撃の可能性があります』
黒崎の表情が引き締まった。
「被害の範囲は?」
『まだ把握できていません』
「分かりました。すぐに向かいます」
電話を切った黒崎は、時計を見た。
午前6時49分。
窓の外には、朝の光が差し込んでいた。
黒崎は、静かにつぶやいた。
「……今度は、何が起きた」
* * *
午前7時12分。
首相官邸、危機管理センター。
黒崎が入室すると、すでに関係省庁の担当者が集まっていた。
「総理、おはようございます」
「状況を説明してください」
黒崎は席に着いた。
内閣官房の担当者が、資料を表示した。
「現在、国内の複数の民間事業者で、システム障害が確認されています」
画面には、日本地図が表示されていた。
東京。
大阪。
名古屋。
福岡。
札幌。
各地に、赤い印が点灯している。
「金融機関の一部で決済処理の遅延。物流企業では配送管理システムの一部停止が発生しています」
黒崎は、尋ねた。
「電力や水道は?」
「現時点で、全国規模の供給停止は確認されていません」
「病院は?」
「医療機関への影響は調査中です」
黒崎は、うなずいた。
「……まず、人命に関わる影響を優先してください」
担当者が、資料をめくった。
「なお、複数の事業者で、不審な通信が確認されています」
黒崎が顔を上げる。
「……攻撃ですか?」
「可能性はあります。ただし、現時点では断定できません」
黒崎は、静かに答えた。
「分かりました」
そして、続けた。
「原因が分かるまでは、推測で発表しないでください」
* * *
午前8時05分。
東京都内、コンビニエンスストア。
「……え? カードが使えない?」
会社員の男性が、レジの前で立ち止まった。
店員は、申し訳なさそうに頭を下げた。
「現在、一部の決済サービスが利用できない状態です」
男性は、スマートフォンを確認した。
ニュース速報が表示されていた。
『国内各地で決済システム障害』
『複数の金融機関でサービスに影響』
『政府、原因を調査中』
男性は、眉をひそめた。
「……またシステム障害か」
しかし、そのとき。
隣にいた女性が、別のニュースを見せた。
「これ、見ました?」
画面には、短い動画が表示されていた。
『日本政府の財政情報公開システムが攻撃された』
『黒崎政権の行政改革が原因か』
男性は、驚いた。
「……本当ですか?」
女性は、首を振った。
「分からないですけど、もう広まってるみたいです」
* * *
午前8時42分。
東京都内、民間企業のオフィス。
高瀬直樹は、パソコンの画面を見つめていた。
「……うちのサイトまで?」
高瀬が運営する民間の財政情報整理サイト、JAPAN LEDGER。
政府から独立したサービスだった。
しかし、朝からアクセスが急増していた。
その一部には、通常の閲覧とは異なる不自然な要求が含まれていた。
高瀬は、監視画面を確認した。
「……アクセスが集中してる」
隣のエンジニアが尋ねた。
「攻撃ですか?」
高瀬は、首を振った。
「まだ分からない。ただ、通常の利用とは違う」
「政府に連絡しますか?」
高瀬は、少し考えた。
「まず、利用しているクラウド事業者に状況を確認する」
そして、続けた。
「政府のシステムじゃないんだから、混同されないようにしないと」
* * *
午前9時30分。
首相官邸。
「総理。海外の一部メディアが、今回の障害について報道を始めています」
外務省の担当者が説明した。
黒崎は、顔を上げた。
「……どのような内容ですか?」
「日本の金融システムに対する大規模な攻撃の可能性を指摘しています」
「根拠は?」
「現時点では、確認できていません」
黒崎は、うなずいた。
「……では、まだ断定できませんね」
そのとき、防衛関係の担当者が口を開いた。
「総理。国外のネットワークを経由した不審な通信が確認されています」
黒崎は、尋ねた。
「……どこの国ですか?」
担当者は、慎重に答えた。
「複数の国・地域を経由しています。経由地が、そのまま攻撃主体を意味するわけではありません」
黒崎は、うなずいた。
「分かりました」
そして、はっきりと言った。
「証拠がない段階で、特定の国を名指ししないでください」
* * *
午前10時15分。
国会議事堂。
立憲未来党の神谷蒼士は、緊急の党内会議に出席していた。
「政府の対応を追及すべきです!」
若手議員が声を上げた。
「金融機関と物流が同時に止まっているんですよ!」
神谷は、資料を見た。
「……政府が何を把握しているか、まず確認しましょう」
「ですが、黒崎政権の危機管理能力が問われています!」
神谷は、うなずいた。
「そのとおりです」
そして、続けた。
「ただし、今は被害を抑えることが最優先です」
若手議員は、黙った。
神谷は、静かに言った。
「政府が必要な対応を取っているなら、協力する」
そして、顔を上げた。
「対応に問題があれば、国会で追及する」
「……どちらも、野党の仕事です」
* * *
午前11時40分。
首相官邸。
「総理。被害状況の速報です」
小野寺が、資料を差し出した。
金融機関の一部決済サービス。
物流企業の配送管理システム。
複数の民間ウェブサービス。
いずれも、障害が継続していた。
黒崎は、尋ねた。
「……復旧の見込みは?」
「事業者によって異なります。現時点では、全国一律の復旧時刻は示せません」
黒崎は、うなずいた。
「分かりました」
そして、続けた。
「国民向けの説明を準備してください」
小野寺が、顔を上げた。
「記者会見ですか?」
「はい」
黒崎は、はっきりと言った。
「分かっていることと、分かっていないことを、分けて説明します」
* * *
午後1時。
首相官邸、記者会見室。
黒崎は、壇上に立った。
「本日、国内の複数の民間事業者において、システム障害が発生しています」
カメラのシャッター音が響く。
「現在、政府は関係機関と連携し、被害状況の把握と復旧支援を進めています」
黒崎は、少し間を置いた。
「なお、今回の障害について、サイバー攻撃の可能性も含めて調査しています」
記者が手を挙げた。
「総理。外国勢力による攻撃という情報がありますが?」
黒崎は、首を振った。
「現時点で、攻撃主体を特定できる情報は確認されていません」
別の記者が尋ねた。
「総理。日本政府は報復を検討していますか?」
黒崎は、静かに答えた。
「まず、何が起きているのかを正確に把握する必要があります」
そして、続けた。
「根拠のない推測で、国民の不安を広げることは避けなければなりません」
黒崎は、まっすぐカメラを見た。
「皆さんには、公式な情報を確認し、未確認の情報を安易に拡散しないようお願いしたいと思います」
* * *
午後3時25分。
東京都内、国民会計党本部。
「総理の対応は、かなり評価されています」
片岡が、ニュース記事を確認しながら言った。
黒崎は、首を振った。
「……まだ、何も解決していません」
片岡は、黙った。
黒崎は続けた。
「評価は、復旧してからでいいです」
そのとき、電話が鳴った。
小野寺が応答する。
「……はい」
数秒後。
小野寺の表情が変わった。
「……総理」
黒崎が顔を上げる。
「どうしました?」
「新しい情報です」
小野寺は、静かに続けた。
「複数の事業者で、似た特徴を持つ不正なプログラムが確認されたそうです」
黒崎の表情が引き締まった。
「……共通の攻撃ですか?」
「その可能性が高まっています。ただし、詳細は解析中です」
黒崎は、うなずいた。
「分かりました」
そして、続けた。
「関係省庁と、もう一度会議を開きましょう」
* * *
午後6時10分。
首相官邸、危機管理センター。
「総理。新たな報告があります」
サイバーセキュリティ担当者が、資料を表示した。
「今回の障害が発生した事業者の一部で、共通する不正な活動の痕跡が確認されました」
黒崎は、画面を見た。
「……攻撃の目的は?」
「現時点では不明です。業務妨害の可能性がありますが、情報窃取の有無も調査中です」
黒崎は、うなずいた。
「……復旧を優先してください」
担当者は、続けた。
「ただし、一点、気になることがあります」
黒崎が顔を上げる。
「……何でしょう?」
担当者は、別の画面を表示した。
そこには、複数の時刻が並んでいた。
午前6時17分。
午前6時31分。
午前6時42分。
午前6時48分。
黒崎は、眉をひそめた。
「……これは?」
担当者は、静かに答えた。
「各事業者で、不審な活動が確認された時刻です」
黒崎は、画面を見つめた。
「……近いですね」
「はい」
担当者は、続けた。
「複数の事業者で、短い時間帯に活動が始まっています」
黒崎は、しばらく考えた。
「……偶然ではない可能性がある」
「はい。ただし、同一の攻撃主体かどうかは、まだ確認できていません」
黒崎は、うなずいた。
「分かりました」
そして、静かに言った。
「……日本全体を狙った攻撃かもしれませんね」
* * *
午後9時。
東京都内、桐生美月の自宅。
桐生美月は、テレビを見ていた。
画面には、黒崎の記者会見が流れていた。
『政府、サイバー攻撃の可能性を調査』
美月は、スマートフォンを手に取った。
『玲司、大丈夫?』
しばらくして、返信が届いた。
『大丈夫。今、対応してる』
美月は、少し考えてから送った。
『ちゃんと休んでね』
黒崎から返信が来た。
『ありがとう。落ち着いたら連絡する』
美月は、画面を見つめた。
そして、小さくつぶやいた。
「……無理しないでよ」
* * *
午後11時45分。
首相官邸。
黒崎は、まだ執務室にいた。
机には、最新の被害状況がまとめられていた。
金融機関の一部サービスは、復旧が進み始めていた。
物流企業も、代替手段による配送を続けていた。
しかし、すべてが元に戻ったわけではなかった。
黒崎は、資料を閉じた。
「……明日も、長くなりそうですね」
小野寺が、うなずいた。
「はい」
そのとき。
執務室の電話が鳴った。
小野寺が応答する。
「……はい」
数秒後。
小野寺の表情が、明らかに変わった。
「……総理」
黒崎が顔を上げた。
「どうしました?」
小野寺は、受話器を置いた。
そして、静かに言った。
「……新しい報告です」
黒崎は、立ち上がった。
「何が起きました?」
小野寺は、一度だけ息を吸った。
「政府関係機関の一部でも、不審な通信が確認されたそうです」
黒崎の表情が引き締まった。
「……政府にも?」
「はい。ただし、侵入の有無は調査中です」
黒崎は、窓の外を見た。
東京の街には、まだ多くの明かりが灯っていた。
電車は走り、車は行き交い、人々は日常を送っている。
しかし、その日常を支えるシステムの裏側で、何者かが動いていた。
黒崎は、静かに言った。
「……明日の朝を待たずに、確認しましょう」
そして、執務室を出た。
日本の総理大臣として、初めて直面する国家規模のサイバー危機。
それは、まだ始まったばかりだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回から、最終章「独裁者の最後の決断」が始まりました。
第71話では、金融・物流など複数の分野で発生したシステム障害と、それに対応する黒崎政権を描きました。
次回は、政府関係機関への不審な通信が確認されたことを受け、事態がさらに緊迫します。
果たして今回の障害は、偶然重なったものなのか。それとも、日本を標的にした組織的な攻撃なのか。
黒崎は、国家の安全と国民の生活を守るため、難しい判断を迫られることになります。




