第69話 支持率98.4%――国民は、独裁者を求めた
衆議院三百二十一議席。
圧倒的な議席を手にした黒崎政権は、政策を進める力と同時に、その力を制限する責任も背負うことになった。
黒崎は、野党の質問権を守る国会改革に着手する。
しかし、改革を支持する国民の中から、まったく別の要求が生まれ始めていた。
「黒崎総理に、もっと権限を与えるべきだ」
その声は、やがて日本中を揺るがす。
2037年2月17日、午前9時。
衆議院議院運営委員会。
「与党側の提案を確認します」
委員長が、資料を手に取った。
議題は、国会審議の運営に関する与野党協議だった。
提案したのは、国民会計党。
衆議院で三百二十一議席を持つ、圧倒的な与党である。
その内容は、異例だった。
重要法案について、野党側の質問時間を一定程度確保する。
政府提出法案の審議日程を、与党だけで一方的に短縮しない。
審議を打ち切る場合は、その理由を明示する。
ただし、国会法や各院の規則に関わる事項は、それぞれ必要な手続きを経て決定する。
神谷蒼士は、資料を読み終えた。
「……本当に、これを与党が提案したんですか?」
向かいに座る片岡誠司が答えた。
「はい」
「三百二十一議席もあるのに?」
「総理の意向です」
神谷は、少し笑った。
「普通は、審議を早く終わらせたがるものですが」
片岡は肩をすくめた。
「私も最初はそう思いました」
神谷は、資料の一項目を指さした。
「ただし、ここは修正したいですね」
「どこでしょう?」
「野党の質問時間を『十分に確保する』では曖昧です」
片岡は、うなずいた。
「具体的な基準が必要だと?」
「はい。政権が変わった途端、解釈も変わるようでは意味がありません」
片岡は、少し考えた。
「……持ち帰ります」
神谷は、資料を閉じた。
「黒崎総理に伝えてください」
「何をですか?」
「本気で制度にするなら、私たちも本気で修正を求めます」
片岡は、苦笑した。
「……そのつもりで、協議を始めています」
* * *
2037年2月19日、午後1時。
首相官邸。
「総理。国会改革案について、党内から反対が出ています」
小野寺航が報告した。
黒崎玲司は、顔を上げた。
「……どんな反対ですか?」
「審議に時間がかかり、減税関連法案の成立が遅れるという意見です」
黒崎は、うなずいた。
「もっともな懸念ですね」
小野寺は続けた。
「新人議員を中心に、野党への配慮が過剰だという声もあります」
黒崎は、少し考えた。
「……では、公開で議論しましょう」
「公開、ですか?」
「はい。党内で賛否を出してもらいます」
小野寺は、驚いた。
「総理。党内の意見が割れていることが、外部に伝わりますよ」
黒崎は、静かに答えた。
「実際に割れているんですから、隠す必要はありません」
* * *
2037年2月22日、午後3時。
国民会計党本部。
国会改革に関する党内討論会。
三百人を超える議員が、会場とオンラインで参加していた。
最初に発言したのは、初当選の男性議員だった。
「私は、今回の改革に反対です」
会場がざわつく。
男性は続けた。
「国民は、黒崎総理の政策を実現するために、三百二十一議席を与えたんです」
黒崎は、黙って聞いていた。
「それなのに、野党に時間を与えて法案成立を遅らせるのは、国民の期待に反するのではありませんか?」
何人かの議員が拍手した。
次に、宮原奈緒が立ち上がった。
「一つ、確認させてください」
男性議員が振り向く。
「何でしょう?」
「もし、次の選挙で国民会計党が負けたら、どうしますか?」
男性議員は、少し驚いた。
「……負けるとは思いませんが」
宮原は、首を振った。
「可能性の話です」
そして、続けた。
「別の政党が三百議席を取って、私たちの質問を打ち切るようになったら?」
男性議員は、黙った。
宮原は、会場を見渡した。
「制度は、今の総理のためだけに作るものではありません」
黒崎は、ゆっくりとうなずいた。
宮原は最後に、こう言った。
「黒崎総理が正しいかどうかではなく、黒崎総理が間違えたときに止められるか。それを考えるべきです」
会場は、静まり返った。
* * *
2037年2月25日、午前10時。
首相官邸。
「総理。国会改革案について、与野党で基本合意に至りました」
片岡が報告した。
黒崎は、顔を上げた。
「……まとまったんですね」
「はい。ただし、細部は引き続き協議します」
片岡は、合意文書を差し出した。
重要法案の審議時間を、与野党で事前に協議する。
少数会派の質問機会を確保する。
審議日程と打ち切りの理由を、可能な範囲で公開する。
法案の修正提案を、審議の早い段階で受け付ける。
黒崎は、資料を読み終えた。
「……ありがとうございます」
片岡は、少し笑った。
「総理。これで、国会運営は以前より面倒になりますよ」
黒崎も笑った。
「……そうでしょうね」
「それでも、いいんですか?」
黒崎は、うなずいた。
「はい」
そして、続けた。
「面倒な手続きを省いていいなら、国会そのものが必要なくなってしまいます」
* * *
2037年3月1日、午後7時。
東京都内、テレビ局。
ニュース番組では、黒崎政権の国会改革が特集されていた。
『圧倒的多数の与党が、野党の質問権を守る』
『黒崎総理、権力を自ら制限』
『国会改革に与野党が基本合意』
コメンテーターが語る。
「非常に珍しい取り組みですね。通常、大きな議席を持つ与党は、審議を効率化しようとします」
別の出演者が続けた。
「ただし、重要なのは実際の運用です。合意文書を作っただけで終わっては意味がありません」
そのとき、画面に速報が表示された。
『黒崎内閣、最新支持率98.4%』
スタジオがざわついた。
司会者が、驚いた声を上げた。
「……九十八・四パーセント?」
画面には、調査結果が表示された。
黒崎内閣支持率、98.4%。
不支持率、0.9%。
分からない・無回答、0.7%。
調査会社は、回答者の構成や質問方法によって結果が変動する可能性があると説明していた。
それでも、異例の数字だった。
* * *
同日、午後8時。
首相官邸。
「……九十八・四パーセント?」
黒崎は、資料を見つめた。
小野寺がうなずいた。
「はい」
黒崎は、眉をひそめた。
「……本当に、こんな数字になるんですか?」
「調査結果としては、そうなっています」
黒崎は、しばらく黙った。
「……不支持が一パーセント未満」
小野寺は、うなずいた。
「はい」
黒崎は、資料を置いた。
「でも、国民のほぼ全員が私を支持していると断定するのは危険ですね」
「……そうですね」
黒崎は続けた。
「質問の仕方や調査対象で変わりますし、選挙で私たちに投票しなかった人も大勢います」
小野寺は、うなずいた。
黒崎は、静かに言った。
「この数字を、何でも許された証拠にしてはいけません」
* * *
2037年3月3日、午後2時。
東京都内、民間団体の記者会見。
『国民改革推進会議』
そう名乗る団体が、新たな提言を発表した。
代表の男性は、五十代。
元企業経営者だった。
「私たちは、黒崎総理の改革を全面的に支持しています」
記者たちがカメラを向ける。
「しかし、現在の政治制度では、改革に時間がかかりすぎます」
男性は、資料を掲げた。
『国家改革加速構想』
そこには、いくつもの提案が並んでいた。
内閣提出法案の審議期間短縮。
行政改革に関する首相権限の強化。
国会の審議手続きの簡素化。
そして、最後の項目。
『国民の圧倒的支持を受けた首相について、任期途中の交代を困難にする制度の検討』
記者が手を挙げた。
「それは、総理大臣を辞めさせにくくするということですか?」
男性は、うなずいた。
「はい」
会場がざわついた。
「黒崎総理のような指導者が現れたとき、政党内部の事情で退陣させられることは、国民の利益に反します」
別の記者が尋ねた。
「それは、議院内閣制の仕組みを変えることになりませんか?」
男性は、少し笑った。
「必要なら、憲法改正も議論すべきでしょう」
そして、はっきりと言った。
「国民が望む指導者を、国民の意思で守るべきです」
* * *
2037年3月4日、午前9時。
立憲未来党本部。
神谷は、前日の記者会見の映像を見ていた。
「……これは、まずいですね」
秘書が言った。
「黒崎総理の支持団体ですか?」
神谷は、首を振った。
「正式な関係があるかは分からない」
そして、続けた。
「ただ、言っていることは危険だ」
秘書が尋ねた。
「総理大臣の任期を守ることが、ですか?」
神谷は、うなずいた。
「日本の総理大臣は、国民が直接選ぶ大統領ではない」
神谷は、机に置かれた憲法の条文を指さした。
「国会の信任を基礎に内閣が成り立つ。その仕組みを変えるなら、慎重な議論が必要だ」
秘書は、黙って聞いていた。
神谷は、静かに言った。
「……黒崎総理本人が、これをどう考えているか確認したい」
* * *
2037年3月5日、午後1時。
衆議院予算委員会。
「黒崎総理に質問します」
神谷が立ち上がった。
黒崎は、答弁席に向かった。
「昨日、一部の民間団体が、総理大臣の権限強化や任期途中の交代を困難にする制度を提案しました」
神谷は、黒崎を見た。
「総理は、この提案をどう考えていますか?」
黒崎は、静かに答えた。
「現時点で、そのような制度変更を進める考えはありません」
神谷は続けた。
「国民の圧倒的な支持を受けていることが、理由になってもですか?」
黒崎は、首を振った。
「支持率が高いことと、制度を変える必要があることは別です」
神谷は、うなずいた。
「では、もう一つ確認します」
黒崎は、顔を上げた。
「総理ご自身が、国民のために必要だと考えた政策でも、国会が反対した場合は?」
黒崎は、少し考えた。
「……説明し、合意を得る努力をします」
「それでも反対されたら?」
黒崎は、はっきりと答えた。
「制度に従います」
神谷は、静かにうなずいた。
「……分かりました」
そして、最後に尋ねた。
「総理。もし国会が、あなたを総理大臣として選ばなくなったら?」
黒崎は、迷わず答えた。
「辞めます」
委員会室が静かになった。
黒崎は続けた。
「総理大臣は、私個人のものではありません」
神谷は、少しだけ笑った。
「……その言葉、覚えておきます」
* * *
2037年3月7日、午後6時。
国民会計党本部。
「総理。少し困ったことになっています」
片岡が、険しい表情で言った。
黒崎は、顔を上げた。
「……何でしょう?」
片岡は、党内の意見集約資料を差し出した。
『総理大臣の権限強化に関する意見』
賛成、百八十七人。
反対、八十四人。
判断保留、五十人。
黒崎は、目を見開いた。
「……百八十七人?」
片岡は、うなずいた。
「はい」
黒崎は、しばらく資料を見つめた。
「……党内でも、過半数が賛成しているんですか?」
「意見照会への回答では、そうなっています。ただし、具体的な制度案に賛成したわけではありません」
黒崎は、うなずいた。
「……それでも、多いですね」
片岡は、静かに言った。
「総理。皆、改革を早く進めたいんです」
黒崎は、首を振った。
「だからといって、総理大臣の権限を無制限に強くしていいわけではありません」
片岡は、黙った。
黒崎は続けた。
「私が辞めた後、その権限を誰が使うか分からないんですよ」
片岡は、深く息を吐いた。
「……総理。問題は、そこなんです」
黒崎が顔を上げる。
片岡は、静かに言った。
「皆、総理が辞めることを想像していないんです」
* * *
2037年3月9日、午後8時。
東京都内、桐生美月の自宅。
「……最近、ちょっと怖い」
桐生美月が、電話越しに言った。
黒崎は、顔を上げた。
「……何が?」
「玲司のことを、何でも正しいって言う人が増えてる」
黒崎は、黙った。
美月は続けた。
「会社でも、政治の話になると、黒崎総理に反対する人はおかしいって言う人がいるの」
黒崎は、静かに答えた。
「……そうなんだ」
「私が、減税まだ実現してないよねって言ったら、すごく怒られた」
黒崎は、眉をひそめた。
「……それは、困るね」
美月は、少し笑った。
「困るどころじゃないよ」
そして、真剣な声になった。
「玲司」
「うん」
「私が、玲司は間違ってるって言っても、怒らない?」
黒崎は、すぐに答えた。
「怒らないよ」
美月は、少し間を置いた。
「……本当に?」
黒崎は、静かに言った。
「うん。むしろ、言ってほしい」
美月は、小さく息を吐いた。
「……なら、よかった」
* * *
2037年3月12日、午前10時。
首相官邸。
黒崎は、党内の意見資料をもう一度読み返していた。
三百二十一議席。
支持率、九十八・四パーセント。
そして、総理大臣の権限強化に賛成する党内の声。
そのとき、宮原が執務室を訪れた。
「総理。少しお時間をいただけますか?」
黒崎は、うなずいた。
「もちろんです」
宮原は、椅子に座った。
「……最近、党内の雰囲気が変わっています」
黒崎は、黙って聞いていた。
「以前は、総理の政策に反対する議員もいました」
「はい」
「でも、今は反対しにくい空気があります」
黒崎は、顔を上げた。
「……どうしてですか?」
宮原は、静かに答えた。
「総理の人気が高すぎるからです」
黒崎は、黙った。
宮原は続けた。
「総理に反対すると、国民から批判される。次の選挙で不利になる。そう考える議員が増えています」
黒崎は、ゆっくりとうなずいた。
「……そうですか」
宮原は、黒崎を見た。
「総理。このままだと、誰もあなたを止められなくなります」
黒崎は、しばらく考えた。
そして、静かに答えた。
「……それなら、止められる仕組みを作りましょう」
宮原が顔を上げた。
「……仕組み?」
黒崎は、うなずいた。
「私が間違えたとき、党内からでも、国会からでも、止められる仕組みです」
宮原は、少し驚いた。
「……本気ですか?」
黒崎は、はっきりと答えた。
「はい」
そして、続けた。
「私が総理大臣でなくなっても、日本が困らないようにしたいんです」
宮原は、しばらく黒崎を見つめた。
やがて、静かにうなずいた。
「……分かりました」
* * *
同日、午後11時。
首相官邸、総理大臣執務室。
黒崎は、一人で机に向かっていた。
目の前には、白紙のメモが置かれていた。
そこに、ゆっくりと文字を書いた。
『総理大臣の権限を制限する』
『党内での自由な反対意見を保障する』
『党代表の選出を透明化する』
『総理大臣が交代しても、政策が継続できる仕組みを作る』
黒崎は、ペンを置いた。
そして、窓の外を見た。
日本中が、自分に期待している。
自分なら、日本を変えられると信じている。
しかし、黒崎は知っていた。
一人の人間に、国の未来を任せてはいけない。
どれほど支持率が高くても。
どれほど多くの議席を持っていても。
総理大臣は、いつか辞める。
そのとき、日本が困るようでは、改革は成功したことにならない。
黒崎は、静かにつぶやいた。
「……俺がいなくても、続く国にしないと」
その言葉は、誰にも聞かれることなく、夜の執務室に消えていった。
しかし、この夜に書かれた四つの項目が、やがて黒崎自身の運命を大きく変えることになる。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、支持率98.4%という異例の状況と、総理大臣の権限強化を求める動きを描きました。
圧倒的な支持を受ける政治家が現れたとき、民主主義は強くなるのか。それとも、一人の人物に依存する危険が高まるのか。
次回は、第3章の最終話です。
黒崎は、自らの権力を制限するための具体的な改革に踏み出します。
そして、その決断が、次の章で始まる大きな対立の引き金となります。




