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支持率0%の男が、日本を作り直すまで  作者: 霜月 七日
総理大臣・黒崎玲司

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第63話 総理、減税を決断する――連立崩壊まであと一票

所得税減税に必要な財源は、年間六千二百億円。

歳出改革を進めても、確実に確保できる金額はまだ足りなかった。

年内に判断するという約束を守るため、黒崎玲司はついに一つの決断を下す。

しかし、その決断は連立政権の内部に新たな対立を生み、国会を思いもよらない方向へ動かし始める。

2036年12月1日、午前8時30分。

首相官邸、総理大臣執務室。

「総理。最終案がまとまりました」

森田悠介(もりたゆうすけ)が、一冊の資料を差し出した。

黒崎玲司(くろさきれいじ)は、表紙を見た。

『所得税負担軽減策・最終比較』

当初案。

年間減収見込み、約六千二百億円。

財源の確保は未了。

修正案。

中低所得者に対象を絞った所得税控除の拡大。

年間減収見込み、約二千百億円。

実施時期、2037年分の所得税から。

黒崎は、ページをめくった。

「……年収四百万円の人は?」

「単身の給与所得者というモデルでは、年間約一万二千円の負担軽減です」

「当初案の二万円より、小さくなりますね」

「はい」

森田は、そこで言葉を切った。

「ただし、総理。問題はそこではありません」

黒崎は顔を上げた。

「……財源ですか?」

「はい」

森田は別紙を示した。

「二千百億円に縮小しても、現時点で恒久財源を全額確保できたわけではありません」

黒崎は、しばらく数字を見つめた。

「……では、決めます」

森田が姿勢を正す。

「どうされますか?」

「六千二百億円の当初案は、今回は見送ります」

森田は、静かにうなずいた。

黒崎は続けた。

「二千百億円の修正案を、来年度税制改正の優先項目にします。ただし、財源を確保できない限り、成立を前提にした約束はしません」

「……つまり、年内に法案を成立させるという話ではない」

「はい」

黒崎は資料を閉じた。

「でも、何を目指すのかは、はっきりさせます」

* * *

午前11時。

首相官邸、連立与党協議室。

「……六千二百億円を、二千百億円に縮小する?」

東条正臣(とうじょうまさおみ)の声が、会議室に響いた。

黒崎は、うなずいた。

「はい」

「それを、減税の実現と呼ぶんですか?」

「当初案より効果が小さくなることは、認めます」

東条は、机に資料を置いた。

「国民は、そんな説明を求めていません」

向かいに座る神谷蒼士(かみやそうし)が口を開いた。

「東条代表。では、六千二百億円の財源をどこから確保するお考えですか?」

東条は神谷を見た。

「予算全体を見直せば、選択肢はあります」

「具体的な金額を示してください」

「神谷君。君は政府の一員でしょう。なぜ総理を追及するようなことを言う?」

神谷は、表情を変えなかった。

「私は、数字を確認しているだけです」

東条は、鼻で笑った。

「……数字、数字。君たちは数字ばかりだ」

黒崎は、静かに答えた。

「その数字が、国民のお金だからです」

東条の顔から笑みが消えた。

「総理。よく考えてください」

黒崎は、東条を見た。

「何をでしょうか?」

「我々、新政改革連合は五十三議席です」

会議室が静まり返った。

「その意味を、お忘れではありませんよね?」

黒崎は答えた。

「忘れていません」

東条は立ち上がった。

「では、明日までに再考してください」

そう言い残し、会議室を出ていった。

* * *

2036年12月2日、午後1時。

衆議院本会議場。

黒崎は、総理大臣席から議場を見渡していた。

議題は、補正予算案だった。

災害復旧と、既存制度に基づく生活支援の追加経費。

所得税減税とは別の法案だったが、連立政権の結束を確かめる採決として注目されていた。

議長が採決を告げる。

議場に緊張が走った。

結果は、賛成多数。

補正予算案は、衆議院を通過した。

黒崎は、静かに息を吐いた。

しかし、その直後だった。

秘書官が、メモを差し出した。

『新政改革連合、連立政策協議の一時停止を発表』

黒崎は、文字を見つめた。

「……来ましたか」

* * *

午後3時20分。

首相官邸。

「東条代表が、記者会見を開いています」

片岡誠司(かたおかせいじ)が、テレビをつけた。

画面には、東条が映っていた。

『我々は、国民生活を守るために連立政権へ協力してきました』

東条は、ゆっくりと話した。

『しかし、減税の規模を大幅に縮小し、実施時期も確約しない政府方針には、強い疑問があります』

記者が尋ねる。

『連立離脱を検討しているのですか?』

東条は、間を置いた。

『あらゆる選択肢を排除しません』

片岡が、テレビを消した。

「……完全に圧力をかけてきましたね」

黒崎は、うなずいた。

「はい」

「総理。東条代表に譲歩しますか?」

黒崎は、首を振った。

「財源のない約束はできません」

片岡は、深く息を吐いた。

「……では、政権が倒れるかもしれません」

黒崎は、しばらく黙った。

そして、答えた。

「その可能性も、受け止めます」

* * *

2036年12月4日、午後6時。

首相官邸、記者会見室。

「所得税減税について、政府の判断をご説明します」

黒崎は、壇上に立った。

「当初検討していた年間約六千二百億円規模の控除拡大については、現時点で必要な財源を確保できていません」

記者たちが、一斉にキーボードをたたく。

「そのため、当初案の年内法案提出は見送ります」

会場がざわついた。

黒崎は続けた。

「一方で、中低所得者に対象を絞った年間約二千百億円規模の案を、来年度税制改正の優先項目として検討します」

記者が手を挙げた。

「総理。それは公約違反ではありませんか?」

黒崎は、すぐに答えなかった。

やがて、口を開いた。

「当初想定した規模を実現できていないという点では、期待に応えられていません」

会場が静かになる。

「その責任は、私にあります」

別の記者が尋ねた。

「連立離脱の可能性については?」

黒崎は、カメラを見た。

「政策について意見が異なることはあります」

そして、続けた。

「ただし、連立を維持するためだけに、財源の裏付けがない法案を提出することはしません」

* * *

2036年12月6日、午後8時。

都内の小さな飲食店。

黒崎は、久しぶりに桐生美月(きりゅうみづき)と向かい合っていた。

「……最近、顔色悪いよ」

美月が言った。

黒崎は、苦笑した。

「そうかな」

「ニュース、毎日見てる」

美月は、箸を置いた。

「減税、難しいんだね」

黒崎は、うなずいた。

「うん」

「会社でも話題になってるよ。結局、いつ安くなるのって」

黒崎は、黙った。

美月は続けた。

「でもさ」

「うん?」

「できないことを、できるって言われる方が困ると思う」

黒崎は、顔を上げた。

美月は、少し笑った。

「期待して待って、後から違いましたって言われたら、もっと嫌だから」

黒崎は、しばらく彼女を見つめた。

「……ありがとう」

美月は、首を振った。

「別に、励ましてるわけじゃないよ」

そして、続けた。

「ちゃんと結果は出してね。私も税金払ってるんだから」

黒崎は、思わず笑った。

「……はい」

* * *

2036年12月9日、午前9時。

国会議事堂。

「総理。東条代表から正式な回答がありました」

小野寺が、文書を差し出した。

黒崎は、ページを開いた。

『新政改革連合は、政府の税制方針について合意に至らなかったため、連立政権への政策協力を終了する』

黒崎は、静かに読み終えた。

「……正式に離脱ですか」

「はい」

小野寺は、続けた。

「所属議員五十三人は、今後、法案ごとに賛否を判断する方針です」

黒崎は、うなずいた。

「分かりました」

その時、片岡が入ってきた。

「総理。野党側が動き始めています」

「……何が起きていますか?」

片岡は、厳しい表情で答えた。

「国政自由党が、内閣不信任決議案の提出を検討しています」

黒崎は、窓の外を見た。

「……そうですか」

片岡は続けた。

「東条代表が賛成に回れば、情勢が変わります」

黒崎は、うなずいた。

「はい」

* * *

2036年12月11日、午後4時。

衆議院議員会館。

「……総理。会っていただき、ありがとうございます」

神谷が、黒崎に頭を下げた。

黒崎は、うなずいた。

「こちらこそ」

神谷は、資料を差し出した。

「立憲未来党の内部でも、議論が始まっています」

黒崎は、顔を上げた。

「……不信任案についてですか?」

「はい」

神谷は、少し間を置いた。

「黒崎政権を支えるべきか。それとも、国民に信を問うべきか」

黒崎は、黙って聞いていた。

神谷は続けた。

「私は、あなたの政策すべてに賛成しているわけではありません」

「分かっています」

「ですが、財源がないことを理由に減税を縮小した判断は、間違いだとは思いません」

黒崎は、神谷を見た。

「……ありがとうございます」

神谷は、首を振った。

「ただし、それだけで政権を支える理由にはなりません」

黒崎は、うなずいた。

「はい」

神谷は、はっきりと言った。

「次の選挙で、国民に判断してもらうべきだと思います」

黒崎は、しばらく黙った。

「……解散総選挙ですか」

神谷は、うなずいた。

「はい」

* * *

2036年12月14日、午前10時。

首相官邸。

「総理。国政自由党が、内閣不信任決議案を提出しました」

秘書官の声が、執務室に響いた。

黒崎は、資料から顔を上げた。

「……提出されたんですね」

「はい」

片岡が、議席数を記した紙を広げた。

国政自由党、百六十二。

新政改革連合、五十三。

その他、九十五。

立憲未来党、百二十四。

国民会計党、三十一。

「国政自由党と新政改革連合だけなら、二百十五議席です」

片岡は続けた。

「不信任案が可決されるには、出席議員の過半数の賛成が必要です。欠席や棄権によっても数字は変わります」

黒崎は、うなずいた。

「立憲未来党は?」

「党内で意見が分かれています」

片岡は、黒崎を見た。

「総理。ここからは、一票単位の戦いになります」

黒崎は、静かに答えた。

「……分かりました」

その時、秘書官がもう一枚の文書を差し出した。

「総理。東条代表から、連絡です」

黒崎は、受け取った。

そこには、短い文章が記されていた。

『不信任案への賛否について、総理と直接協議したい』

黒崎は、文書を見つめた。

片岡が尋ねた。

「……会いますか?」

黒崎は、うなずいた。

「会います」

「何を話すんですか?」

黒崎は、静かに答えた。

「……最後まで、政策の話をします」

* * *

2036年12月15日、午後7時。

首相官邸、総理大臣執務室。

東条との協議は、決裂した。

「……総理。最後にもう一度だけ聞きます」

東条が、立ち上がった。

「所得税控除の当初案を復活させるつもりは、ありませんか?」

黒崎は、首を振った。

「財源を確保できていない以上、約束できません」

東条は、しばらく黒崎を見つめた。

そして、静かに言った。

「……残念です」

黒崎は、頭を下げた。

「これまでのご協力には、感謝しています」

東条は、何も答えなかった。

扉が閉まる。

黒崎は、一人になった執務室で、机に置かれた議席表を見つめた。

政権を守るために、減税を約束することもできた。

しかし、それは黒崎が政治家になった理由とは違っていた。

「……ここまで、ですかね」

小野寺が、静かに答えた。

「まだ、採決は終わっていません」

黒崎は、うなずいた。

「……そうですね」

そして、窓の外を見た。

国会議事堂の明かりが、夜の闇に浮かんでいた。

翌日。

黒崎政権の運命を決める採決が行われる。

総理大臣になって、わずか五か月。

黒崎玲司は、初めて政権を失う可能性と向き合っていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

今回は、所得税減税の規模縮小と、新政改革連合の離脱を描きました。

減税を実現するには財源が必要ですが、財源を重視する判断が必ずしも政治的な支持につながるとは限りません。

少数与党による政権運営では、連立相手との合意が崩れると、内閣そのものが危機に陥ります。

次回は、黒崎政権の命運をかけた内閣不信任決議案の採決です。

黒崎は政権を守ることができるのか。それとも、国民に信を問う決断を下すのでしょうか。

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