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支持率0%の男が、日本を作り直すまで  作者: 霜月 七日
総理大臣・黒崎玲司

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第57話 年収一千万円の壁――誰が社会保障を支えるのか

社会保険料の負担構造を調べ始めた黒崎政権。

所得が増えるほど負担も増える。

一見すると公平に思える制度には、複雑な仕組みが存在していた。

しかし、負担の公平性を追求すれば、別の誰かの負担が増える可能性もある。

黒崎は、社会保障を支える人々の間にある、簡単には埋められない溝と向き合う。

2036年9月25日、午前9時。

首相官邸、総理大臣執務室。

「……年収が高くなるほど、負担率が下がる場合がある?」

黒崎玲司(くろさきれいじ)は、資料から顔を上げた。

向かいに座る小野寺航(おのでらわたる)が、うなずいた。

「はい。ただし、社会保険の種類によって仕組みが異なります」

黒崎は、資料を読み進めた。

健康保険。

厚生年金。

介護保険。

それぞれに、保険料の計算方法があった。

「厚生年金には、標準報酬月額の上限がありますね」

「はい」

小野寺は、表を指さした。

「給与が一定額を超えると、月々の厚生年金保険料は、それ以上増えなくなります」

黒崎は、うなずいた。

「……だから、給与に対する保険料の割合は、下がることがある」

「そのとおりです」

黒崎は、別のページを開いた。

「でも、上限をなくせばいい、という単純な話ではないですよね」

小野寺は、少し驚いた表情を見せた。

「はい。厚生年金は、将来の給付額にも関係する制度です」

黒崎は、ペンを置いた。

「……負担だけを変えると、給付との関係も変わる」

「はい」

黒崎は、静かに言った。

「では、負担と給付を、両方見ましょう」

* * *

午前11時。

首相官邸、社会保障制度検討会議。

「総理。まず、誤解を避ける必要があります」

宮原奈緒(みやはらなお)が、資料を開いた。

黒崎は、うなずいた。

「お願いします」

宮原は続けた。

「高所得者の社会保険料負担率が一部で低下するからといって、必ずしも制度全体が不公平だとは言えません」

森田悠介(もりたゆうすけ)が発言した。

「年金には、負担と給付の関係がありますからね」

宮原は、うなずいた。

「はい」

黒崎は、資料を見た。

「……では、公平性は何を基準に考えるべきでしょうか?」

宮原は、少し考えた。

「難しい問題です」

そして、続けた。

「同じ所得なら同じ負担にするのか。負担能力に応じて多く負担してもらうのか。それとも、受けられる給付との関係を重視するのか」

黒崎は、うなずいた。

「……考え方が、いくつもあるんですね」

宮原は、静かに答えた。

「はい。だから、政治的な判断が必要になります」

* * *

午後1時30分。

首相官邸、政策調整会議。

「……高所得者の保険料上限を引き上げる案について、試算をお願いします」

黒崎が言うと、厚生労働省の担当者が顔を上げた。

「総理。対象となる制度は、どちらでしょうか?」

黒崎は、少し考えた。

「まず、厚生年金と健康保険を分けてください」

担当者は、うなずいた。

「承知しました」

黒崎は続けた。

「厚生年金は、将来の給付額への影響も確認したいです」

「はい」

「健康保険については、保険者ごとの財政への影響もお願いします」

担当者は、資料に書き込んだ。

その時、西園寺健(さいおんじけん)が発言した。

「総理。企業側の負担も忘れないでください」

黒崎は、顔を上げた。

「……そうですね」

西園寺は続けた。

「厚生年金も健康保険も、会社が保険料を負担しています」

「はい」

「上限を引き上げれば、従業員本人だけでなく、企業の負担も増える可能性があります」

黒崎は、うなずいた。

「……企業の賃上げ余力にも影響するかもしれませんね」

西園寺は、静かに答えた。

「そのとおりです」

* * *

2036年9月26日、午後3時。

東京都千代田区。

黒崎は、IT企業の経営者と意見交換を行っていた。

従業員数、約百二十人。

平均年齢、三十二歳。

経営者の男性が、資料を差し出した。

「総理。社会保険料の上限引き上げは、慎重にお願いしたいです」

黒崎は、うなずいた。

「理由を聞かせてください」

経営者は続けた。

「うちは、技術者の給与を上げることで、人材を確保しています」

「はい」

「給与を上げた時に、会社側の社会保険料負担も増えると、採用や賃上げの計画に影響します」

黒崎は、資料を見た。

「……なるほど」

経営者は、少し間を置いた。

「もちろん、社会保障を支える必要があることは理解しています」

黒崎は、うなずいた。

「はい」

「でも、頑張って給与を上げた企業ほど負担が増える仕組みになれば、賃上げをためらう会社も出ると思います」

黒崎は、静かに答えた。

「……その懸念は、理解できます」

* * *

2036年9月28日、午前10時。

首相官邸、社会保障制度検討会議。

「総理。所得階層別の負担構造について、追加資料がまとまりました」

宮原が、資料を配った。

黒崎は、ページをめくった。

そこには、給与所得者の社会保険料負担を比較した表があった。

年収三百万円。

年収五百万円。

年収八百万円。

年収一千万円。

年収一千五百万円。

宮原は説明した。

「社会保険料の負担率は、制度ごとの上限や加入条件によって変わります」

黒崎は、うなずいた。

「はい」

宮原は続けた。

「ただし、社会保険料だけを見ても、家計全体の負担は分かりません」

黒崎は、顔を上げた。

「……所得税や住民税も含める必要がありますね」

「はい」

森田が発言した。

「さらに、給付や控除も含めて、可処分所得への影響を比較する必要があります」

黒崎は、少し考えた。

「……では、社会保険料だけを切り離して判断するのは、やめましょう」

宮原は、うなずいた。

「その方がいいと思います」

黒崎は、資料に書き込んだ。

『税・社会保険料・給付を一体で比較』

* * *

2036年9月30日、午後2時。

首相官邸、連立与党協議室。

「……総理。高所得者の負担を増やすつもりですか?」

東条正臣(とうじょうまさおみ)が尋ねた。

黒崎は、首を振った。

「まだ、決めていません」

東条は、少し眉をひそめた。

「また、検討ですか」

黒崎は、うなずいた。

「はい」

東条は続けた。

「高所得者の保険料を引き上げれば、一定の財源を確保できるでしょう」

黒崎は、資料を見た。

「可能性はあります」

「だったら、早く決断するべきです」

黒崎は、顔を上げた。

「……ただし、企業側の負担も増える可能性があります」

東条は、少し黙った。

黒崎は続けた。

「賃上げを促進したい一方で、企業の負担を増やすことになるかもしれません」

東条は、腕を組んだ。

「……難しい問題ですね」

黒崎は、うなずいた。

「はい」

そして、続けた。

「だから、負担を増やす場合も、減らす場合も、影響を確認したいんです」

* * *

2036年10月2日、午前9時。

首相官邸、政策調整会議。

「……総理。社会保険料負担の見直しについて、複数の案を整理しました」

森田が、資料を配った。

黒崎は、ページをめくった。

第一案。

低所得者の保険料負担を軽減する。

第二案。

高所得者の保険料上限を見直す。

第三案。

中小企業の賃上げに伴う負担を支援する。

第四案。

税額控除と社会保険料負担の軽減を組み合わせる。

黒崎は、うなずいた。

「……四つですね」

森田は続けた。

「ただし、どの案も財政影響や制度運営上の課題があります」

黒崎は、資料を見た。

「……第四案について、もう少し説明してください」

森田は、うなずいた。

「還付型税額控除を活用して、社会保険料負担が重い低所得者の可処分所得を改善する案です」

黒崎は、少し考えた。

「……保険料そのものを下げるわけではない?」

「はい。社会保険制度の財源を維持しながら、家計側の負担感を軽減する考え方です」

宮原が発言した。

「ただし、給付に必要な財源は別途確保しなければなりません」

黒崎は、うなずいた。

「分かっています」

そして、続けた。

「でも、制度を壊さずに手取りを増やす方法として、検討したいですね」

* * *

2036年10月4日、午後3時。

首相官邸、記者会見室。

黒崎は、壇上に立った。

「本日、税と社会保険料の負担構造について、政府の分析資料を公表します」

記者たちが、ペンを走らせた。

「所得税、住民税、社会保険料、各種給付を含め、家計の可処分所得への影響を比較しています」

黒崎は続けた。

「今後、低所得者の負担軽減や、賃上げを妨げない制度設計について検討を進めます」

記者が手を挙げた。

「総理。高所得者の社会保険料を引き上げるのですか?」

黒崎は、首を振った。

「現時点では、決定していません」

別の記者が尋ねた。

「総理。負担の公平性を重視するなら、高所得者にもっと負担してもらうべきではありませんか?」

黒崎は、少し考えた。

「……負担能力に応じた公平性は、重要だと思います」

そして、続けた。

「ただし、社会保険制度には、給付との関係や企業負担もあります」

黒崎は、資料を置いた。

「一つの数字だけで、公平か不公平かを決めることはできません」

* * *

2036年10月6日、午後7時。

首相官邸、総理大臣執務室。

黒崎は、机の上に並んだ資料を見つめていた。

消費税減税。

還付型税額控除。

社会保険料負担の軽減。

企業の賃上げ支援。

どれも、国民の生活を改善するための政策だった。

しかし、すべてを同時に実施する財源はない。

黒崎は、静かに息を吐いた。

「……何を優先するべきなんだろう」

その時、神谷蒼士(かみやそうし)から電話が入った。

『黒崎総理。少し、お話しできますか?』

「はい。どうしました?」

神谷は、静かに言った。

『還付型税額控除について、追加の提案があります』

黒崎は、顔を上げた。

「……どのような提案でしょうか?」

神谷は続けた。

『制度を全国一律に始めるのではなく、まず限定的に試行する方法です』

黒崎は、少し考えた。

「……試行ですか」

『はい。所得情報の更新、給付時期、事務費用を実際に検証できます』

黒崎は、うなずいた。

「……なるほど」

神谷は、少し間を置いた。

『ただし、総理』

「はい」

『一つ、条件があります』

黒崎は、顔を上げた。

「……条件?」

神谷は、静かに答えた。

『試行の結果が悪ければ、制度を見直すことです』

黒崎は、少し笑った。

「……もちろんです」

神谷も、電話の向こうで笑った。

『それなら、協力できます』

黒崎は、うなずいた。

「ありがとうございます」

電話を切った後、黒崎は、机の上の資料を見た。

制度を作ることが目的ではない。

国民の生活を改善することが目的だ。

黒崎は、静かに言った。

「……まず、試してみる」

そして、資料の表紙に書き込んだ。

『還付型税額控除 試行制度案』

総理大臣としての新たな政策が、動き始めようとしていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

今回は、社会保険料の負担構造と、公平性について描きました。

社会保険料には、所得に応じた負担だけでなく、将来の給付や企業側の負担も関係しています。

そのため、負担率の違いだけで制度の公平性を判断することはできません。

次回は、還付型税額控除の試行制度について、具体的な検討が始まります。

制度を全国に広げる前に、何を確認する必要があるのでしょうか。

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