第52話 JAPAN LEDGER、国家システムへ
黒崎政権が進める政府支出の透明化。
その調査の中で、複数の省庁が似た機能を持つ情報システムを運用していることが判明した。
しかし、同じように見えるシステムにも、それぞれ異なる役割がある。
黒崎は、税金の使い道を国民に示すため、かつて仲間と作った仕組みを思い出す。
2036年8月6日、午前9時10分。
首相官邸、総理大臣執務室。
「……同じシステムに、二重にお金を払っているということですか?」
黒崎玲司が尋ねた。
小野寺航は、首を振った。
「現時点では、そこまでは言えません」
黒崎は、資料に目を落とした。
『行政情報連携基盤の運用・保守事業』
年間支出額、百二十六億円。
その下には、別の省庁が運用する三つのシステムが並んでいた。
どれも、行政機関の間で情報をやり取りするための仕組みだった。
「……名前も機能も似ていますね」
「はい。ただし、扱う情報や利用する機関が異なります」
小野寺は、図を示した。
「例えば、こちらは自治体との情報連携。こちらは省庁間の業務データ。そして、こちらは特定の行政手続きに使われています」
黒崎は、うなずいた。
「では、すべてを一つにまとめることはできない?」
「技術的には共通化できる部分があるかもしれません。しかし、セキュリティ要件や法律上の制約を確認する必要があります」
黒崎は、ペンを置いた。
「……分かりました」
そして、資料の余白に書き込んだ。
『重複している機能と、重複していない機能を分ける』
小野寺が、少し笑った。
「地味な作業になりますね」
黒崎も笑った。
「派手な改革ほど、失敗した時の影響が大きいですから」
* * *
午前11時30分。
首相官邸、関係省庁会議。
財務省、総務省、デジタル行政担当部局の職員が集まっていた。
黒崎は、冒頭で一つの質問をした。
「皆さんは、他の省庁がどのシステムにいくら使っているか、把握していますか?」
会議室が静かになった。
総務省の担当者が答えた。
「政府全体の情報システム予算については、一定の集計を行っています」
「では、同じような機能を持つシステムが、いくつあるか分かりますか?」
「……機能単位で完全に比較できる資料は、現時点ではありません」
黒崎は、うなずいた。
「ありがとうございます」
財務省の担当者が発言した。
「総理。各事業の予算額は、すでに予算書などで公開されています」
「はい。それは承知しています」
黒崎は、スクリーンに二つの表を映した。
一つは、現在公開されている予算資料。
もう一つは、国民会計党が作成したJAPAN LEDGERの画面だった。
「こちらは、以前、私たちが公開したサイトです」
職員たちが、画面を見た。
事業名。
担当省庁。
予算額。
決算額。
目的。
成果指標。
それぞれを検索できるようになっていた。
黒崎は続けた。
「政府がすでに公開している情報を整理しただけでも、これだけ見やすくなります」
財務省の担当者が、少し身を乗り出した。
「……このサイトは、どのようにデータを取得しているのですか?」
黒崎は答えた。
「公開資料を基に、項目を整理しています。ただし、手作業も多く、更新に時間がかかります」
そして、続けた。
「政府が最初から共通の形式でデータを公開すれば、もっと正確に、もっと早く確認できるはずです」
会議室が静かになった。
黒崎は、全員を見た。
「新しい巨大システムを作る前に、まず公開するデータの形式をそろえられませんか?」
* * *
2036年8月7日、午後7時15分。
東京都千代田区。
高瀬直樹は、仕事を終えてから国民会計党本部を訪れていた。
「……国家システム?」
高瀬は、黒崎の説明を聞いて目を丸くした。
「JAPAN LEDGERを、政府で使いたいってこと?」
黒崎は、首を振った。
「正確には、考え方を参考にしたいんだ」
「考え方?」
「国民が政府支出を検索して、比較できる仕組み」
高瀬は、少し考えた。
「それなら、技術的にはできると思う」
そして、すぐに続けた。
「でも、今のJAPAN LEDGERをそのまま政府に渡すのは反対だな」
黒崎は、顔を上げた。
「どうして?」
「個人で作ったサイトと、国が運用するシステムは違うから」
高瀬は、ノートパソコンを開いた。
「障害が起きた時の対応、データの正確性、改ざん対策、長期保守。全部、責任の重さが違う」
黒崎は、うなずいた。
「そうだね」
高瀬は続けた。
「それに、俺が作ったからって、国の仕事を俺に発注するのは駄目だろ」
黒崎は、少し笑った。
「もちろん」
「総理の友達だから随意契約、なんてことになったら、透明化どころじゃない」
黒崎は、真剣な表情でうなずいた。
「その点は、必ず避けたい」
高瀬は、画面に簡単な構成図を描いた。
「なら、政府が公開するデータの仕様を決める。JAPAN LEDGERみたいな民間サイトは、そのデータを自由に利用できるようにする」
黒崎は、画面を見つめた。
「……政府がサイトを独占する必要はない?」
「そういうこと」
高瀬は笑った。
「政府が正しいデータを出してくれれば、見やすいサイトを作るのは民間でもできる」
黒崎は、静かにうなずいた。
「……それがいいね」
* * *
2036年8月10日、午前10時。
首相官邸、行政改革会議。
「本日は、政府支出情報の共通公開仕様について議論します」
担当者が、資料を配った。
黒崎は、最初のページを開いた。
『政府支出データ公開基盤・試行計画』
そこには、三つの段階が示されていた。
第一段階。
既存の予算・決算データを共通形式で公開する。
第二段階。
事業ごとの目的と成果指標を関連付ける。
第三段階。
契約情報や支出実績を、法令上可能な範囲で連携させる。
黒崎は、うなずいた。
「……いいと思います」
しかし、財務省の担当者が手を挙げた。
「総理。一点、懸念があります」
「お願いします」
「事業ごとの予算額と、実際の支出額を単純に比較すると、誤解を生む可能性があります」
黒崎は、顔を上げた。
「例えば?」
「複数年度にわたる事業や、年度途中で予算が変更された事業です。数字だけを見ると、予算超過や未執行と誤認される場合があります」
黒崎は、少し考えた。
「……では、数字の意味も表示しましょう」
担当者が、首をかしげた。
「数字の意味、ですか?」
「はい」
黒崎は、資料に書き込んだ。
「当初予算、補正予算、決算額を分ける。複数年度の事業なら、そのことも表示する」
担当者は、うなずいた。
黒崎は続けた。
「分かりやすくするために、正確さを犠牲にしたくありません」
* * *
午後2時。
首相官邸、連立与党協議室。
「……総理。予算削減の話は、どうなっていますか?」
東条正臣が尋ねた。
黒崎は、資料を開いた。
「情報システムについては、現在、機能の重複を調査しています」
東条は、少し眉をひそめた。
「まだ調査ですか?」
「はい」
「国民は、もっと早い成果を求めていますよ」
黒崎は、うなずいた。
「その点は、理解しています」
東条は続けた。
「同じようなシステムがあるなら、一つにまとめればいいでしょう」
黒崎は、首を振った。
「すべてが同じ機能とは限りません」
そして、資料を示した。
「無理に統合すると、行政サービスが止まる可能性もあります」
東条は、少し黙った。
黒崎は続けた。
「まず、重複している部分を確認する。そのうえで、削減できる費用を試算します」
東条は、腕を組んだ。
「……時間がかかりますね」
黒崎は、静かに答えた。
「はい。でも、間違った改革で国民に迷惑をかけるよりは、いいと思っています」
* * *
2036年8月13日、午前9時20分。
首相官邸。
「総理。試行対象の候補がまとまりました」
小野寺が、資料を差し出した。
黒崎は、ページをめくった。
最初の対象は、五つの省庁が管理する二百四十七事業。
すでに公開されている予算・決算情報を、共通形式に整理する。
新しい個人情報は収集しない。
既存システムから取得できるデータを優先する。
公開前には、各省庁が内容を確認する。
黒崎は、うなずいた。
「……これなら、始められそうですね」
小野寺は、少し笑った。
「はい」
黒崎は、最後のページを見た。
『試行版公開予定:2036年10月』
「……二か月後ですね」
「はい」
黒崎は、資料を閉じた。
「進めましょう」
* * *
2036年8月15日、午後3時。
首相官邸、記者会見室。
黒崎は、壇上に立った。
「本日、政府支出データ公開基盤の試行計画を発表します」
記者たちが、ペンを走らせた。
「まず、五つの省庁が管理する二百四十七事業について、予算・決算情報を共通形式で公開します」
黒崎は続けた。
「試行版の公開は、十月を予定しています」
記者が手を挙げた。
「総理。これは、JAPAN LEDGERを政府が採用するということですか?」
黒崎は、首を振った。
「いいえ」
そして、はっきりと言った。
「JAPAN LEDGERは、民間で作られたサイトです。政府がその運営を引き継ぐわけではありません」
別の記者が尋ねた。
「では、なぜJAPAN LEDGERという名前が話題になっているのですか?」
黒崎は、少し笑った。
「私たちが、政府支出を見える化したいと考えるきっかけの一つだったからです」
そして、続けた。
「政府が正確なデータを公開すれば、民間企業や研究者、国民の皆さんが、それぞれの方法で分析できます」
黒崎は、資料を置いた。
「私は、政府だけが情報を持つ状態を変えたいんです」
* * *
午後7時40分。
東京都中央区。
黒崎は、仕事帰りの桐生美月と電話で話していた。
『ニュース、見ました』
「ありがとうございます」
『JAPAN LEDGER、すごいですね』
黒崎は、少し笑った。
「高瀬が頑張ってくれたからね」
美月は続けた。
『でも、政府がデータを公開するようになったら、もっといろいろな人が使えるんですよね?』
「そうだね」
『だったら、いいことですね』
黒崎は、うなずいた。
「うん」
美月は、少し間を置いた。
『……黒崎さん』
「はい」
『最近、ちゃんと寝ていますか?』
黒崎は、少し黙った。
「……努力しています」
電話の向こうで、美月が笑った。
『それ、寝てない人の答えです』
黒崎も笑った。
「すみません」
* * *
2036年8月18日、午前8時50分。
首相官邸。
「……総理。少し気になる資料が届きました」
小野寺が、封筒を差し出した。
黒崎は、受け取った。
差出人は、政府の情報システムに関わる技術者だった。
中には、複数の契約資料の写しと、一枚の手紙が入っていた。
黒崎は、手紙を読み始めた。
『政府支出の透明化に取り組まれていることを知り、連絡しました』
『現在、複数の省庁で、似た機能を持つシステムが別々に運用されています』
『しかし、それ以上に問題なのは、契約内容の一部が、実際の運用と一致していない可能性があることです』
黒崎は、手を止めた。
「……契約内容が、運用と一致していない?」
小野寺が、うなずいた。
「具体的な事実関係は、まだ確認できていません」
黒崎は、次のページをめくった。
そこには、あるシステムの保守契約に関する記録があった。
『月次点検:実施』
『障害対応:実施』
『運用報告:提出済み』
しかし、添付された別の記録には、こう記されていた。
『対象システム:一部機能停止中』
『停止期間:九か月』
黒崎は、眉をひそめた。
「……停止していた機能に、保守費用が支払われていたということですか?」
小野寺は、慎重に答えた。
「可能性はあります。ただし、停止中でも必要な保守作業はありますので、これだけでは不適切な支出とは判断できません」
黒崎は、うなずいた。
「そうですね」
そして、資料を閉じた。
「……まず、契約と作業記録を確認しましょう」
小野寺は、うなずいた。
「承知しました」
黒崎は、窓の外を見た。
政府支出の透明化。
それは、国民に数字を見せるだけの政策ではなかった。
数字の裏にある仕事を、確かめることでもあった。
黒崎は、静かに言った。
「……公開する前に、政府自身が説明できるようにならないといけませんね」
小野寺は、うなずいた。
「はい」
その時、秘書官が入ってきた。
「総理。財務省から、至急の面会要請です」
黒崎は、顔を上げた。
「何でしょう?」
秘書官は、少し緊張した表情で答えた。
「……先ほどの情報システム契約について、説明したいとのことです」
黒崎は、手元の封筒を見た。
まだ、公表していない資料だった。
「……分かりました」
そして、静かに言った。
「お話を伺いましょう」
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、JAPAN LEDGERの考え方を基に、政府支出データを公開する仕組みの検討が始まりました。
政府が正確なデータを公開し、民間が自由に分析できる環境を作ることは、透明性を高める一つの方法です。
次回は、政府の情報システム契約に関する疑問が浮上します。
不適切な支出なのか、それとも正当な理由があるのか。黒崎は、事実関係の確認に乗り出します。




