第46話 開票速報、日本が揺れる夜
2036年7月6日。衆議院総選挙の投票日を迎えた。
結党から二か月足らずの国民会計党は、三十二人の候補者で初めての全国選挙に挑む。
国民が選ぶのは、これまでの政治か、それとも新しい政治か。
午後八時。日本の未来を左右する開票が始まる。
2036年7月6日、午後7時42分。
東京都新宿区、国民会計党開票センター。
「あと十八分ですね」
藤原真琴が、壁の時計を見た。
会場には、報道陣と党関係者が集まっていた。
正面の大型モニターには、各テレビ局の選挙特番が映し出されている。
黒崎玲司は、窓際に立っていた。
昨年七月。
無所属の新人として、初めて選挙に挑んだ。
あの時は、自分の当落だけを気にしていればよかった。
しかし、今は違う。
全国三十二人の候補者。
その一人ひとりに、家族がいる。
仕事を辞めて挑戦した人もいる。
周囲の反対を押し切った人もいる。
「緊張してる?」
高瀬直樹が、紙コップのコーヒーを差し出した。
「……去年より、ずっと」
黒崎は受け取った。
高瀬が笑う。
「去年は、落ちたら会社員に戻ればいいって言ってたのにな」
「そうだったね」
「今は?」
黒崎は、会場を見渡した。
「俺一人の話じゃなくなった」
その時、片岡誠司が声を上げた。
「皆さん、まもなく八時です」
会場が静かになった。
* * *
午後8時00分。
テレビ画面が切り替わった。
『衆議院総選挙 出口調査による議席予測』
司会者が、緊張した声で告げた。
『国政自由党、単独過半数を割り込む見通しです』
会場がざわついた。
画面に各党の予測議席が表示される。
国政自由党、百五十から百八十議席。
立憲未来党、百十から百三十議席。
新政改革連合、四十五から六十議席。
そして。
『結党したばかりの国民会計党は、二十五から三十二議席を獲得する可能性があります』
「……三十二?」
高瀬が、思わず立ち上がった。
森田悠介が、すぐに言った。
「まだ出口調査です。当選が確定したわけではありません」
黒崎も、うなずいた。
「それに、全員当選しても三十二議席です」
片岡は、画面を見つめていた。
「ですが、与党の過半数割れは、ほぼ確実という予測ですね」
黒崎は、静かに息を吐いた。
国政自由党の単独過半数割れ。
それは、昨年の選挙では考えられなかった事態だった。
* * *
午後8時18分。
東京都港区、国政自由党本部。
相馬孝一総理大臣は、無言でテレビを見ていた。
隣に立つ久世隆臣財務副大臣が、資料を差し出す。
「総理。出口調査では、厳しい結果です」
相馬は、うなずいた。
「覚悟はしていた」
「連立を組み直す必要があります」
「そうだな」
久世は、声を落とした。
「黒崎代表との協議は、いかがでしょうか」
相馬は、少し笑った。
「大臣の椅子を断った男だぞ」
「ですが、政策協力には応じてきました」
相馬は、しばらく考えた。
「……まずは結果を見よう」
その表情には、疲労がにじんでいた。
* * *
午後9時06分。
国民会計党開票センター。
『東京第八区、黒崎玲司候補、当選確実です』
テレビから、その声が流れた。
会場に歓声が上がった。
「黒崎さん!」
真琴が、笑顔で振り返った。
黒崎は、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
高瀬が肩をたたく。
「二回目の当選だな!」
「まだ、正式な開票結果は出てないけどね」
「こういう時くらい喜べよ!」
黒崎は、ようやく笑った。
しかし、すぐに別の速報が流れた。
『愛知県内の選挙区で、国民会計党の水野彩香候補が当選確実』
続いて。
『宮原奈緒候補、当選確実』
『橘拓真候補、当選確実』
会場の拍手が続いた。
黒崎は、モニターを見つめた。
一年前、国会で初めて会った仲間たち。
彼らが、もう一度国民から選ばれようとしている。
* * *
午後9時47分。
東京都内、立憲未来党の開票センター。
神谷蒼士は、選挙結果を見つめていた。
神谷は今回も東京第八区で立候補し、黒崎と争っていた。
しかし、開票速報では黒崎が大きくリードしていた。
党のスタッフが声をかける。
「神谷さん……」
神谷は、首を振った。
「まだ比例代表の結果があります」
スタッフは、うなずいた。
神谷は、テレビに映る黒崎の姿を見た。
昨年は、五千七百三十五票差だった。
今回は、その差が広がっている。
神谷は、静かに言った。
「……黒崎さんは、強くなったな」
スタッフが尋ねた。
「悔しくないんですか?」
神谷は、少し笑った。
「悔しいですよ」
そして、続けた。
「だから、次はもっと強い政策を作ります」
* * *
午後10時35分。
国民会計党開票センター。
「……二十八人です」
片岡が、集計表を確認した。
小選挙区と比例代表を合わせ、二十八人の当選が確実となっていた。
黒崎は、顔を上げた。
「残りは?」
「四人です。いずれも接戦です」
その時、オンライン画面に、一人の女性が映った。
介護施設の管理者だった新人候補者だ。
「黒崎代表。聞こえますか?」
「はい。聞こえています」
女性は、緊張した表情だった。
「私の選挙区、まだ結果が出ていません」
「そうですね」
「でも、ここまで来られたことに感謝しています」
黒崎は、首を振った。
「まだ終わっていませんよ」
女性は、少し笑った。
「はい」
その直後。
スタッフが、画面の向こうで叫んだ。
「当確! 当確です!」
女性が振り返った。
「……え?」
『国民会計党、新人候補、当選確実』
会場に拍手が広がった。
女性は、両手で口を覆った。
「……本当に?」
黒崎は、笑った。
「おめでとうございます」
女性は、涙を浮かべながら頭を下げた。
「ありがとうございます……!」
* * *
午後11時26分。
東京都千代田区、新政改革連合本部。
東条正臣は、選挙結果を確認していた。
新政改革連合は、五十議席前後を獲得する見通しだった。
結党時の十八人から、大幅な議席増だった。
しかし、東条の表情は険しかった。
「……国民会計党は?」
大河内俊介が答えた。
「三十議席に届く可能性があります」
東条は、机を指でたたいた。
「三十二人しか立てていないのに、か」
「はい」
東条は、しばらく黙った。
そして、静かに言った。
「……黒崎を、こちらに引き込む必要がある」
大河内が尋ねた。
「政権構想ですか?」
東条は、うなずいた。
「国政自由党が過半数を割れば、政権の組み合わせは変わる」
そして、続けた。
「黒崎の三十議席は、数字以上の意味を持つ」
* * *
2036年7月7日、午前0時42分。
国民会計党開票センター。
「……三十一人です」
片岡が、最終集計に近い数字を読み上げた。
黒崎は、顔を上げた。
「残り一人は?」
「小選挙区では敗れました。比例代表でも議席を得られない見通しです」
会場が静かになった。
高瀬が、ぽつりと言った。
「……全員当選じゃなかったか」
黒崎は、うなずいた。
「そうだね」
三十二人中、三十一人。
結党からわずか二か月の政党としては、異例の結果だった。
しかし、黒崎は、落選した候補者の名前を見つめていた。
真琴が、静かに言った。
「黒崎さん。十分すごい結果です」
黒崎は、うなずいた。
「分かっています」
そして、続けた。
「でも、落選した人にも、きちんと連絡したい」
片岡は、少し笑った。
「そうしましょう」
* * *
午前1時15分。
テレビ各局が、選挙結果の全体像を伝え始めた。
国政自由党、百六十二議席。
立憲未来党、百二十四議席。
新政改革連合、五十三議席。
国民会計党、三十一議席。
その他の政党・無所属、九十五議席。
合計、四百六十五議席。
過半数は、二百三十三。
どの政党も、単独では過半数に届かなかった。
片岡が、静かに言った。
「……完全な分裂国会ですね」
森田が、数字を確認した。
「国政自由党と新政改革連合を合わせても、二百十五議席です」
水野が続けた。
「国民会計党が加われば、二百四十六議席」
会議室が静かになった。
高瀬が、黒崎を見た。
「……え?」
片岡が、はっきりと言った。
「黒崎さん。私たちの三十一議席が、政権の行方を左右する可能性があります」
黒崎は、数字を見つめた。
三十一。
単独では、何も決められない。
しかし。
組み合わせによっては、過半数を作ることができる。
黒崎は、深く息を吐いた。
* * *
午前1時38分。
黒崎のスマートフォンが鳴った。
画面には、見覚えのある名前が表示されていた。
『久世隆臣』
黒崎は、電話に出た。
「黒崎です」
『久世です。夜分に失礼します』
「いえ」
久世は、少し間を置いた。
『総理が、黒崎代表とお話ししたいと考えています』
黒崎は、顔を上げた。
「……相馬総理が?」
『はい。今後の国会運営についてです』
黒崎は、少し考えた。
「政策協議であれば、応じます」
久世は、うなずいたようだった。
『承知しました。日程を調整します』
電話が切れた。
黒崎は、スマートフォンを机に置いた。
その直後。
再び着信があった。
今度は、知らない番号だった。
黒崎が出ると、低い声が聞こえた。
『東条です』
黒崎は、目を見開いた。
「……東条さん」
『選挙結果、見ましたよ』
「ありがとうございます」
東条は、少し笑った。
『黒崎代表。そろそろ、政権の話をしませんか?』
黒崎は、黙った。
東条は続けた。
『国を変えたいのでしょう?』
「はい」
『なら、野党のままでは難しい』
黒崎は、静かに答えた。
「……政策の中身を確認してから、判断します」
東条は、笑った。
『相変わらずですね』
電話が切れた。
* * *
午前2時10分。
国民会計党開票センター。
報道陣が帰り始め、会場は少し静かになっていた。
黒崎は、机の上に置かれた集計表を見た。
三十一議席。
初めての全国選挙で、三十一人が当選した。
しかし、国政自由党も、立憲未来党も、新政改革連合も、単独では政権を作れない。
片岡が、隣に座った。
「黒崎さん」
「はい」
「これから、各党が接触してきます」
黒崎は、うなずいた。
「そうでしょうね」
片岡は、少し厳しい表情で言った。
「ただ、覚えておいてください」
黒崎は、顔を上げた。
「何でしょう?」
片岡は、はっきりと言った。
「私たちは、三十一議席しか持っていません」
黒崎は、うなずいた。
「はい」
「でも、その三十一議席を必要としている人たちがいます」
黒崎は、しばらく黙った。
そして、静かに言った。
「……だからこそ、慎重に判断したいですね」
片岡は、うなずいた。
「そうです」
その時。
真琴が、会議室に入ってきた。
「黒崎さん。もう一つ、連絡があります」
黒崎は、顔を上げた。
「何でしょう?」
真琴は、スマートフォンを差し出した。
『立憲未来党、国民会計党との政策協議を希望』
黒崎は、画面を見つめた。
相馬総理。
東条代表。
そして、立憲未来党。
三つの勢力が、国民会計党に接触してきた。
黒崎は、深く息を吐いた。
「……明日から、忙しくなりそうですね」
片岡が、苦笑した。
「明日ではありません」
「え?」
片岡は、時計を見た。
午前二時十二分。
「もう、今日です」
黒崎は、少し笑った。
そして、窓の外を見た。
東京の街には、まだ明かりが残っていた。
日本の政治は、大きく変わろうとしていた。
しかし、その中心に立つことになるとは。
この時の黒崎は、まだ想像していなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
第3章は、総選挙の開票結果から始まりました。
国民会計党は三十一議席を獲得しましたが、衆議院はどの政党も単独過半数に届かない状況となりました。
次回は、各党による連立交渉が本格化します。黒崎は、政権に参加するのか。それとも、独自の立場を守るのか。
国民会計党の三十一議席が、日本の政治を動かし始めます。




