第43話 国民会計党、誕生
九人の国会議員による、新党結成の準備が整った。
しかし、政党を作ることは、黒崎玲司が考えていた以上に重い決断だった。
党の名前、政策、代表の選び方。そして、国民に何を約束するのか。
すべてを決める日が、ついに訪れる。
2036年5月12日、午前9時。
東京都千代田区、衆議院議員会館。
「黒崎さん、これを見てください」
小野寺航が、タブレットを差し出した。
画面には、前日の世論調査が表示されていた。
相馬内閣の支持率、二十九パーセント。
二月の三十四パーセントから、再び下落していた。
さらに、次の衆議院選挙で投票先として検討する政党を尋ねた調査では、まだ結成されていない国民会計党の名前が挙がっていた。
「……まだ党がないのに?」
黒崎が尋ねると、小野寺はうなずいた。
「調査では『結成された場合』という条件付きです。実際の投票行動とは違います」
高瀬直樹が画面をのぞいた。
「でも、期待してる人がいるってことだろ?」
「そうだね」
黒崎は、数字の下に書かれた回答を読んだ。
『税金の使い道を見えるようにしてほしい』
『手取りを増やしてほしい』
『既存政党と同じにならないでほしい』
最後の一文で、指が止まった。
「……これが、一番難しいかもしれない」
高瀬が笑った。
「まだ始まってもいないのに?」
黒崎は、タブレットを返した。
「始める前に決めたことを、始めた後も守れるかどうかだから」
* * *
同日、午後4時。
国民会計の会、臨時総会。
九人の衆議院議員が、長机を囲んでいた。
片岡誠司が、規約の最終案を配る。
「党代表の任期は二年。再選は認めますが、任期ごとに選挙を実施します」
水野彩香が尋ねた。
「代表が党の方針と異なる判断をした場合は?」
「党所属国会議員の一定数が求めれば、臨時の代表選挙を実施できる仕組みです」
森田悠介がうなずいた。
「代表を交代させる手続きも、必要ですね」
黒崎は、規約を読み進めた。
そこには、もう一つ重要な項目があった。
『党代表による候補者の単独公認決定を認めない』
黒崎は、顔を上げた。
「これは、ぜひ残してください」
片岡が笑った。
「黒崎さんに頼まれなくても、そのつもりです」
宮原奈緒が言った。
「党が大きくなれば、代表の周りに人が集まります。今のうちに権限を分けておくべきです」
西園寺健が続けた。
「政治資金も同じです。党本部に集めるだけでなく、支出の目的を公開する必要があります」
朝倉理沙は、資料の最後を指さした。
「党員が政策に意見を出せる仕組みも欲しいです。現場の声を聞けなくなったら、意味がありません」
佐伯健太郎がうなずく。
「地方組織からの提案も受け付けられるようにしましょう」
橘拓真が口を開いた。
「ただ、全部を党員投票で決めるのも難しいですよね。専門的な判断が必要な政策もあります」
黒崎は答えた。
「意見を聞くことと、判断の責任を持つことは、分けて考えたいですね」
議論は二時間続いた。
最後に片岡が、全員を見渡した。
「それでは、国民会計党の結成について採決します」
九人が、手元の投票用紙に記入した。
回収。
開票。
片岡が結果を読み上げた。
「賛成、九。反対、ゼロ」
黒崎は、深く息を吐いた。
「……全会一致ですね」
片岡がうなずく。
「本日をもって、国民会計党の結成を決定します」
拍手が起こった。
しかし、黒崎はすぐに立ち上がらなかった。
一年前、自分は会社員だった。
給与明細を見て、社会保険料の金額にため息をついていた。
それが今、政党を作ろうとしている。
現実感がなかった。
「黒崎さん?」
水野に声をかけられ、我に返った。
「……すみません」
黒崎は立ち上がった。
「ありがとうございます。ここまで来られたのは、皆さんのおかげです」
そして、続けた。
「でも、党ができたことを成果にはしたくありません」
九人が黒崎を見た。
「国民の生活が変わって、初めて成果だと思います」
* * *
2036年5月15日、午前11時。
東京都千代田区、都内の記者会見場。
会場には、テレビカメラが十数台並んでいた。
壁には、新しい党の名称が掲げられている。
『国民会計党』
黒崎は、壇上に立った。
「本日、私たちは国民会計党を正式に結成しました」
シャッター音が響く。
「所属する国会議員は、九人です」
黒崎は、会場を見渡した。
「私たちが目指すのは、国民の負担と、政府の支出を、誰もが確認できる政治です」
背後のスクリーンに、四つの基本方針が表示された。
一、働く人の手取りを増やす。
二、税金の使い道と政策の成果を公開する。
三、医療・年金・介護を持続可能な制度にする。
四、行政手続きを簡素化し、国民と自治体の負担を減らす。
黒崎は続けた。
「ただし、財源の裏付けがない減税や給付は約束しません」
記者が手を挙げた。
「黒崎代表。消費税を引き下げる考えはありますか?」
黒崎は答えた。
「あります。ただし、引き下げる場合は、必要な財源を具体的に示すことが条件です」
「何パーセントまで下げるのですか?」
「現時点では、数字を公約にしません」
会場がざわついた。
別の記者が尋ねた。
「手取りを月五千円増やすという目標は、どうなりましたか?」
黒崎は、うなずいた。
「目標は変わっていません」
そして、はっきりと言った。
「ただし、すべての人に一律で月五千円増えると約束したものではありません。所得や世帯構成によって、必要な支援は異なります」
記者は、さらに尋ねた。
「では、具体策は?」
黒崎は、資料を掲げた。
「所得税の控除拡大、低所得者への給付付き税額控除、社会保険料の負担軽減を比較しています」
「いつ実施できますか?」
「財源と実務上の課題を検証し、実行可能な案から法案化を目指します」
黒崎は、マイクを握り直した。
「できないことを、できると言わない。それを、党の基本姿勢にします」
* * *
同日、午後1時。
記者会見終了後。
「黒崎さん、代表選挙の件ですが」
片岡が声をかけた。
黒崎は振り返った。
「はい」
「今日は結党を発表しましたが、正式な代表はまだ選んでいません」
黒崎はうなずいた。
「そうですね」
「規約に従って、結党後最初の代表選挙を行います」
片岡は、書類を差し出した。
「立候補しますか?」
黒崎は、少し笑った。
「……もちろんです」
片岡も笑った。
「では、手続きをお願いします」
黒崎は、書類を受け取った。
そして尋ねた。
「ほかに、立候補する人はいますか?」
片岡は、首を振った。
「まだ分かりません」
* * *
2036年5月17日、午後6時。
国民会計党、臨時会議。
代表選挙の立候補受付が締め切られた。
片岡が結果を発表した。
「立候補者は、二人です」
黒崎は、顔を上げた。
「……二人?」
片岡はうなずいた。
「黒崎玲司議員。そして、宮原奈緒議員です」
会議室が静かになった。
黒崎は、宮原を見た。
宮原は、まっすぐに黒崎を見返した。
「黒崎さん。驚かせてしまいましたね」
黒崎は、少し笑った。
「正直、驚きました」
宮原は続けた。
「私は、黒崎さんの政策に賛成しています」
そして、静かに言った。
「でも、社会保障の財源については、もっと慎重に考えるべきだと思っています」
黒崎はうなずいた。
「はい」
「だから、代表選挙で、その違いを明確にしたいんです」
黒崎は、少し考えた。
そして笑った。
「……ぜひ、議論しましょう」
宮原も笑った。
「ありがとうございます」
* * *
2036年5月20日、午後7時。
国民会計党、代表選挙討論会。
会場には、党所属議員と、結党後に登録した党員が集まっていた。
司会を務める片岡が、質問した。
「最初の質問です。国民の手取りを増やすために、何を優先しますか?」
黒崎が答えた。
「税と社会保険料を合わせた負担を見直します。ただし、財源を確認できる範囲で進めます」
宮原は、続けた。
「私は、まず低所得者への支援を優先したいです。減税だけでは、所得税をほとんど払っていない人に十分な効果が届きません」
黒崎はうなずいた。
「その点は、同じ考えです」
宮原は、少し笑った。
「では、違いは?」
黒崎は答えた。
「私は、働く人全体の負担構造を変えることも、同時に進めたいと思っています」
討論は、一時間半続いた。
社会保障。
税制。
行政改革。
党の運営。
二人は、互いの意見を否定するのではなく、違いを明確にしていった。
* * *
2036年5月22日、午後3時。
国民会計党、代表選挙開票会場。
党所属国会議員と、規約に基づき投票資格を得た党員による投票が終了した。
片岡が、結果を読み上げる。
「黒崎玲司候補、六十八・四パーセント」
会場が静まり返った。
「宮原奈緒候補、三十一・六パーセント」
片岡は、顔を上げた。
「よって、初代国民会計党代表は、黒崎玲司議員に決定しました」
拍手が起こった。
黒崎は、立ち上がった。
宮原が近づいてくる。
「おめでとうございます」
黒崎は、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
宮原は、少し笑った。
「ただし、政策については、これからも遠慮なく意見を言います」
黒崎も笑った。
「お願いします」
黒崎は、壇上に立った。
「今回、私に投票しなかった方々にも、感謝しています」
会場が静かになった。
「意見が違う人がいることは、悪いことではありません」
そして、続けた。
「むしろ、違う意見があるからこそ、間違いに気づけると思っています」
黒崎は、会場を見渡した。
「国民会計党は、一人の政治家のための党ではありません」
拍手が広がった。
* * *
2036年5月25日、午前8時。
首相官邸。
「総理。新しい世論調査です」
久世財務副大臣が、資料を差し出した。
相馬孝一総理大臣は、資料を読んだ。
内閣支持率、二十七パーセント。
国政自由党の支持率も、低下していた。
一方、国民会計党への関心は高まっていた。
相馬は、資料を閉じた。
「……黒崎が、正式に党を作ったか」
久世がうなずく。
「はい」
「東条の新政改革連合は?」
「野党各党との協議を続けています」
相馬は、窓の外を見た。
「このまま国会を続ければ、政権はさらに弱くなる」
久世は、黙った。
相馬は続けた。
「だが、解散すれば、議席を失う可能性もある」
久世が尋ねた。
「……どうされますか?」
相馬は、しばらく考えた。
そして、静かに答えた。
「国民に判断してもらおう」
久世の表情が変わった。
「総理……」
相馬は、はっきりと言った。
「衆議院を解散する方向で、準備を進める」
* * *
2036年5月27日、午後6時。
国民会計党本部。
「……解散?」
高瀬が、思わず声を上げた。
小野寺は、スマートフォンを見ながら答えた。
「官邸が、衆議院解散の準備に入ったという情報です」
黒崎は、顔を上げた。
「正式な発表は?」
「まだありません」
片岡が、資料を閉じた。
「ただ、可能性は高まっていますね」
森田が尋ねた。
「選挙まで、どのくらい時間がありますか?」
片岡は、首を振った。
「解散時期が分からない以上、何とも言えません」
黒崎は、ホワイトボードを見た。
そこには、国民会計党の政策集の作業状況が書かれていた。
税制。
社会保障。
行政改革。
中小企業政策。
地方財政。
どれも、まだ最終版ではなかった。
黒崎は、九人を見た。
「……急ぎましょう」
水野がうなずいた。
「はい」
西園寺が、資料を開いた。
「財源の試算を優先します」
宮原が続けた。
「社会保障の影響も、早急に整理します」
朝倉は、医療現場への影響を確認すると申し出た。
黒崎は、深く息を吐いた。
政党を作った。
代表にも選ばれた。
しかし、喜んでいる時間はなかった。
次の選挙は、想像していたよりも早く訪れるかもしれない。
その時。
真琴が、会議室に入ってきた。
「黒崎さん。もう一つ、連絡があります」
黒崎は、顔を上げた。
「何でしょう?」
真琴は、少し緊張した表情で答えた。
「全国からの候補者応募が、五百件を超えました」
会議室が静かになった。
高瀬が、思わず笑った。
「……五百?」
黒崎は、しばらく黙った。
そして、ゆっくりとうなずいた。
「……一人ずつ、確認しましょう」
片岡が、苦笑した。
「時間が足りませんよ」
黒崎は、資料を手に取った。
「だから、仕組みを作るんです」
五百人の応募者。
九人の国会議員。
そして、迫りつつある衆議院解散。
国民会計党は、結成直後から、初めての大きな試練を迎えようとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、国民会計党の正式結成と、初代代表選挙を描きました。
黒崎が代表に選ばれましたが、党内には異なる意見も存在しています。
次回は、衆議院解散に向けた動きが加速する中、国民会計党が初めての全国選挙に向けて動き出します。




