第42話 九人の政党、百人の候補者
国民会計党の結成準備が始まった。
九人の国会議員が掲げる改革は、少しずつ全国へ広がっていく。
しかし、政治の世界では、支持が集まるほど別の問題が生まれる。
黒崎玲司は、初めて「自分の名前が利用される怖さ」を知ることになる。
2036年4月16日、午前9時18分。
東京都千代田区、衆議院議員会館。
「……百三十七人?」
黒崎玲司は、思わず聞き返した。
藤原真琴が、ノートパソコンの画面を見せる。
「国民会計党の候補者募集について、問い合わせが百三十七件届いています」
「まだ募集していませんよね?」
「はい。正式な政党結成も発表していません」
画面には、全国各地からのメールが並んでいた。
元地方議員。
会社経営者。
地方公務員。
政治活動経験のない会社員。
中には、現職の国会議員からの問い合わせもあった。
高瀬直樹が、画面をのぞき込んだ。
「すごいな。もう百人以上集まるのか」
黒崎は首を振った。
「問い合わせが百三十七件あるだけだよ。候補者が集まったわけじゃない」
真琴がうなずく。
「それに、内容を確認する必要があります」
彼女は、一通のメールを開いた。
『次期衆院選にて国民会計党公認を希望します。選挙資金は自己負担可能です。公認決定後、速やかに活動を開始できます』
高瀬が言った。
「資金まで用意できるなら、ありがたいんじゃないか?」
黒崎は、メールの最後を指さした。
『なお、政策方針については党の決定に従います』
「……この人が何を変えたいのか、書いていない」
高瀬は黙った。
黒崎は、次のメールを開いた。
『介護施設で二十年間働いてきました。現場の人手不足と低賃金を変えたいです。政治経験はありません』
黒崎は、画面を見つめた。
「この人の話は、聞いてみたい」
真琴が尋ねた。
「候補者としてですか?」
「まずは、政策についてです」
黒崎は続けた。
「候補者を決めるのは、その後でいいと思います」
* * *
2036年4月18日、午後2時。
東京都千代田区。
新政改革連合の本部では、別の会議が開かれていた。
「国民会計の会が、五月に新党を結成するらしい」
東条正臣は、新聞を机に置いた。
向かいに座っていたのは、大河内俊介だった。
先月、国政自由党を離れ、新政改革連合に参加したばかりだ。
「黒崎さんのところですね」
「そうだ」
東条は、資料を広げた。
「こちらは十八人。向こうは九人。だが、世間の注目は黒崎に集まっている」
大河内は、うなずいた。
「知名度では、黒崎さんが有利です」
東条は、少し笑った。
「だから、利用する」
大河内が顔を上げた。
「……利用、ですか?」
「政策協力を申し入れる。選挙区調整も提案する」
東条は続けた。
「向こうが断れば、協力を拒んだのは黒崎だと説明できる」
大河内は、しばらく考えた。
「ただ、黒崎さんは、条件のない協力なら受けると思います」
東条は、目を細めた。
「よく分かっているじゃないか」
大河内は答えた。
「面談しましたから」
東条は、笑った。
「なら、断りにくい条件を作ればいい」
* * *
2036年4月20日、午後6時30分。
衆議院議員会館。
九人の会派会議。
片岡誠司が、党の規約案を配った。
「候補者選定について、基本方針をまとめました」
黒崎は、資料を開いた。
候補者の政策審査。
政治資金の確認。
過去の活動歴。
利益相反の申告。
そして、面接。
水野彩香が尋ねた。
「政治経験のない人でも、応募できますか?」
片岡はうなずいた。
「はい。経験の有無だけで判断しない方針です」
森田悠介が言った。
「ただし、選挙に必要な資金や組織についても、現実的に考える必要があります」
西園寺健が続けた。
「候補者が増えれば、党の資金負担も大きくなります」
黒崎は、うなずいた。
「だから、最初から全国すべての選挙区に候補者を立てる必要はないと思います」
橘拓真が尋ねた。
「何人くらいを考えていますか?」
黒崎は、少し考えた。
「現時点では、人数を決めるより、候補者の質を確認したいです」
宮原奈緒が、資料をめくった。
「政策審査には、社会保障の理解も必要ですね」
朝倉理沙がうなずく。
「医療費を減らす、とだけ言う人もいるかもしれません。でも、どこを減らすのかによって、患者さんへの影響は違います」
佐伯健太郎が言った。
「地方財政も同じです。国の支出を減らした結果、自治体に負担を押しつけるだけでは意味がありません」
黒崎は、全員を見た。
「……政策を理解して、自分の言葉で説明できる人を選びたいですね」
片岡は、規約案に書き込んだ。
「では、その方針を明記しましょう」
* * *
2036年4月23日、午後7時10分。
東京都中央区。
「……またニュースになっていますよ」
桐生美月が、スマートフォンを黒崎に見せた。
画面には、見慣れない名前が表示されていた。
『国民会計党・東京第十五支部準備室』
黒崎は、眉をひそめた。
「……こんな支部、作っていません」
美月が驚いた。
「え?」
「まだ党そのものができていませんから」
記事には、地元の会社経営者が国民会計党の候補予定者として活動を始めた、と書かれていた。
写真には、黒崎の顔が大きく印刷されたポスター。
その横に、知らない男性が立っていた。
美月は、画面を見つめた。
「これ、黒崎さんが応援しているように見えますね」
黒崎は、すぐに小野寺へ電話した。
「小野寺さん。確認してほしいことがあります」
* * *
2036年4月24日、午前10時。
衆議院議員会館。
「……少なくとも、三か所で確認されています」
真琴が、資料を机に置いた。
東京。
大阪。
福岡。
いずれも、国民会計党の名称を使った政治活動だった。
高瀬が、顔をしかめた。
「まだ存在しない党の名前で活動してるのか?」
小野寺が答えた。
「はい。正式な公認を受けたように見える表示もあります」
黒崎は、写真を確認した。
一枚には、こう書かれていた。
『黒崎改革を全国へ』
その下に、小さく候補予定者の名前があった。
黒崎は、ため息をついた。
「……私の名前を使っているんですね」
真琴が言った。
「公式サイトで、注意喚起を出しましょう」
黒崎はうなずいた。
「お願いします。ただし、相手を犯罪者のように扱う表現は避けてください」
高瀬が尋ねた。
「でも、勝手に名前を使ってるんだろ?」
「そうだね」
黒崎は続けた。
「ただ、何かの法律に違反しているかどうかは、確認が必要だよ」
小野寺がうなずいた。
「法的な対応は、専門家に相談します」
黒崎は、真琴を見た。
「まず、国民会計の会として公認候補者を決定した事実はない、と明確にしましょう」
真琴は、すぐにパソコンを開いた。
* * *
同日、午後3時。
東京都江東区。
小さな貸会議室。
「……黒崎さんのところから、連絡が来た?」
男性が、スタッフに尋ねた。
「はい。国民会計の会からです」
男性は、四十代の会社経営者だった。
机には、黒崎の写真が印刷されたチラシが積まれていた。
スタッフが続けた。
「正式な公認候補ではないことを明示してほしいそうです」
男性は、少し考えた。
「……分かった。表記を変えよう」
スタッフが、ほっとした表情を見せた。
しかし、男性は続けた。
「ただし、活動は続ける」
「よろしいんですか?」
「黒崎の政策に賛成しているのは事実だ」
男性は、チラシを手に取った。
「政治活動そのものを、やめる必要はないだろう」
* * *
2036年4月27日、午後1時。
衆議院議員会館。
黒崎は、記者会見を開いた。
「現在、国民会計党の名称を使用した政治活動が、一部地域で確認されています」
記者たちが、一斉にカメラを向けた。
黒崎は続けた。
「しかし、国民会計党は、まだ正式に結成されていません」
そして、はっきりと言った。
「現時点で、私たちが公認を決定した候補者は、一人もいません」
記者が質問した。
「無断で名称を使っている人たちに、法的措置を取る予定はありますか?」
黒崎は答えた。
「個別の事実関係を確認した上で、必要な対応を検討します」
別の記者が尋ねた。
「黒崎議員の政策を支持する人たちの活動を、制限することにはなりませんか?」
黒崎は、少し考えた。
「私の政策に賛成することは、もちろん自由です」
そして、続けた。
「ただし、私たちが公認したように見える表示は、誤解を招きます」
黒崎は、記者たちを見た。
「支持する自由と、正式な関係があると示すことは、別だと考えています」
* * *
2036年4月30日、午後6時。
衆議院議員会館。
「……新政改革連合から、正式な提案が届きました」
小野寺が、資料を配った。
黒崎は、表紙を開いた。
『次期衆議院選挙における政策協力及び候補者調整に関する提案』
片岡が、資料を読み始めた。
「政策協力だけではなく、選挙区調整まで含まれていますね」
森田が尋ねた。
「具体的には?」
小野寺が答えた。
「双方が候補者を立てる予定の選挙区では、事前協議によって一本化を検討する、という内容です」
西園寺が、眉をひそめた。
「まだ、こちらは候補者を決めていませんよ」
黒崎は、うなずいた。
「そうですね」
宮原が言った。
「政策協力と選挙協力は、分けて考えた方がいいと思います」
水野も、うなずいた。
「政策が一致する部分は協力できます。でも、候補者調整まで約束するのは早いです」
黒崎は、資料の最後を読んだ。
そこには、こう書かれていた。
『両勢力の連携は、次期政権構想の基盤となり得る』
黒崎は、少し考えた。
「……次期政権構想、ですか」
片岡が言った。
「東条さんは、本気で政権を狙っているんでしょう」
黒崎は、うなずいた。
「ただ、私たちはまだ、政策集を完成させていません」
そして、全員を見た。
「まずは、政策協力の部分だけを検討しませんか?」
九人は、それぞれ意見を述べた。
最終的に、選挙区調整については現時点で合意せず、政策協議のみ応じる方針となった。
* * *
2036年5月3日、午前11時。
東京都新宿区。
黒崎は、街頭演説を行っていた。
「政治家が増えることが、改革ではありません」
通行人が、足を止めた。
黒崎は続けた。
「大切なのは、何を変えるのか。そして、どうやって変えるのかです」
演説が終わると、一人の若い女性が近づいてきた。
「黒崎さん。質問してもいいですか?」
「はい」
女性は、少し緊張した表情だった。
「国民会計党ができたら、私も参加できますか?」
黒崎は、うなずいた。
「もちろん、参加の方法は用意したいと思っています」
女性は、ほっとした表情を見せた。
「私、政治のことは詳しくないんです」
「大丈夫ですよ」
「でも、給料から引かれるお金が多いことには、ずっと疑問があって」
黒崎は、顔を上げた。
女性は続けた。
「政治って、詳しい人だけがやるものじゃないですよね?」
黒崎は、少し笑った。
「そう思います」
そして、はっきりと言った。
「生活の中で疑問を持った人が、政治に関わることは、とても大切だと思います」
女性は、うなずいた。
「……ありがとうございます」
黒崎は、その後ろ姿を見送った。
一年前。
自分も、同じだった。
政治に詳しかったわけではない。
ただ、毎月の給与明細を見て、疑問を持った。
それが、すべての始まりだった。
* * *
2036年5月7日、午後7時30分。
衆議院議員会館。
九人の会派会議。
片岡が、最終版の規約案を配った。
「国民会計党の結成準備について、基本規約がまとまりました」
黒崎は、資料を開いた。
党代表の選出方法。
候補者の選定基準。
政治資金の公開。
政策決定の手続き。
そして、代表者の権限。
黒崎は、ある項目で手を止めた。
『党代表の任期は二年とする』
その下には、こう書かれていた。
『代表選挙は、党所属国会議員及び党員による投票で実施する』
黒崎は、顔を上げた。
「……代表は、選挙で決めるんですね」
片岡がうなずいた。
「はい」
「私が代表になることも、決まっていない?」
「そのとおりです」
片岡は、少し笑った。
「黒崎さん。あなたが作る党でも、あなたのものではありませんから」
黒崎は、しばらく黙った。
そして、笑った。
「……いいですね」
高瀬が、隣で驚いた。
「普通、そこは気にするところじゃないか?」
黒崎は、首を振った。
「自分がいなくなったら終わる組織には、したくないんだ」
会議室が静かになった。
黒崎は、資料を閉じた。
「この規約で、進めましょう」
九人が、うなずいた。
* * *
2036年5月9日、午後4時。
首相官邸。
相馬総理は、久世財務副大臣から報告を受けていた。
「国民会計の会が、今月中に新党を結成する見通しです」
相馬は、うなずいた。
「そうか」
久世は続けた。
「新政改革連合との選挙協力は、現時点で合意していないようです」
相馬は、少し笑った。
「黒崎らしいな」
久世が尋ねた。
「今後、どう対応されますか?」
相馬は、しばらく考えた。
そして、静かに言った。
「……衆議院の解散について、準備を始める」
久世の表情が変わった。
「総理。本気ですか?」
相馬は、うなずいた。
「このままでは、政権運営が難しくなる」
久世は、黙った。
相馬は続けた。
「国民に、改めて判断してもらう時期かもしれん」
その言葉は、まだ官邸の外には出ていなかった。
しかし。
永田町の空気は、確実に変わり始めていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、国民会計党の結成準備と、候補者選定を巡る問題を描きました。
政党が大きくなるほど、組織の透明性や公認の基準が重要になっていきます。
次回は、国民会計党の正式結成に向けた動きと、衆議院解散を巡る政界の駆け引きが本格化します。




